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ACIM12-04-08

アメリカの西海岸側ではまだ数時間はイースタ・サンデー(復活祭の日曜日)なので、皆さんにハッピー・イースタと言うことに間に合いました。
しかし今年のイースタを一番ハッピーにすることは、皆さんが{ACIMの}要点を理解してくれることなのです。
何故なら{ACIMの}要点を理解してくれたなら、皆さんは目覚めるのだから。
そうなれば私が来ている(来ていた)理由が満たされるのです。

今晩私は「私が来ていた理由を理解している人はまだごく僅かである」と主張します。
少なくとも私が今夜話す観点からはそれ(目覚め)はまだあなた達には起こっていません。
何故なら誤解を解くことが私が来ている理由なのだから。

あなた達が「父の視点/視界を捨てて自分独自の見方をしよう」と決意したことから立ち昇って来ている「誤解」を解除することが私の目的なのです。
あなたが兄弟と(あるいは姉妹と)共にこの選択をしてそれに決意を与えた時、{あなた達にとっては}予想外のことが起こったのです。
その時急に「それまであなた達が持っていた無限の視界」が『「あなたの体」と呼ばれているものと結び付けられている限定された視点』によって失われてしまったのです。
しかし{父の視点から独立しようとする}この決断をあなた達が行なう前までは「あなたの体」は全創造の必要不可欠な部分(働き)であってそれ以外のものではなかったのです。
何故なら「創造されたもの」は全て「認識可能(identifiable)」なのだから。 体にしろ、木の葉にしろ、創造の全ては認識可能/識別可能なのです。
そこには可視性(見える様子)と可触性(触れる様子)があるのです。
「創造されているもの」は全てそれぞれに{創造の他の部分によって}「体験されること」が出来るのです。
だから「あなたを識別するもの」としてのあなたの体が確かに存在しているのですが、それは「全てを識別し認識している無限なもの」の重要な一部で「全てを識別し認識している無限なもの」の中に組み込まれているのです。

さて父から離縁することを決めた時、あなた達は{父の視点からではなく}自分達の見方で全てを眺めることを求めました。
あなた達は{父の見方ではなく}あなた達の見方で物事を見ようと決めたのです。
あなた達は自分達が全ての意味を決める決定者に成ることを求め、あなたとあなたのパートナーがこれを行い始め、すると急に無限の視界が失われたのです。
あなた達は自分達を「この限定された形(体)」で体験するように成ったのです。
すると怖れと罪悪が見えるように成りました。 何故なら「そのような事(分離)をしていてはいけないと言う何か」が必要になったからです。
あなたの存在の正気の中には、「あなたはこれ(分離)をしようと試みていますが、これをしてはいけません。何故ならこれはあなたの在り方とは調和していないのだから。」と言い立てるものが組み込まれているのです。
「これ(父から分離すること)は物事の働きとは調和していません。これはあなたの誠実な体験(統合性の体験)を失わせてしまい、従ってあなたの健全/安定/不死身/不可侵性が失われてしまいます。だからこれ以上これを続けるのは止めなさい。」{とあなたの正気が言うのです}

あなたの中には「この不可能なことを試みた場合、あなたの時間をこれに無駄遣いしないよう知らせる」フィードバック機能が備わっています。
しかしあなたはこれ(分離)を行なおうとして時間を潰してしまいます。
何故ならあなたのマインドの中では、あなたはあなたの体と自己を同一視しており、あなたは自分を体として認識(限定)しており、自分の体を使って「自分が感じている怖れと罪悪に圧倒されなくて済む」環境を作らなくてはならないと考えているから。
だからあなたは「自分の体を(つまりあなたの思考を)使って自己防御しなくてはならない」と考えているのです。
そしてこの幻想の中にあなたと一緒に入り込んで来ている「あなたのパートナー」も、これと全く同じ結論(自分の体を使って自分を防御しなくてはならない)に達しているのです。
だからあなた達は「お互いを信用していない疲れ切ったパートナー同士」に成ったのです。 何故なら本当に怖ろしいものが何なのか(何が怖れと罪悪を作っているのか)決めることは不可能だったから。

だからあなたとあなたのパートナー(そしてこの状態の中であなた達と繋がっている他の人達)は相互合意(mutual agreements)を作り始めました。
そしてあなた達は「相互合意を作るプロセス内」にあなた達の統合性(誠実)が守られていることを見たのです。 こうしてあなた達が作った合意の中で、あなた達の有効性(実在性)が{ある程度}守られているのです。
ある程度あなた達の実在性が保全されている環境があり、その中であなた達は自分達の安定を保とうとすることが出来ているのです。

するとどうなったでしょうか?
裁き(Judgments)が起こり始めたのです。
「誰の価値がより偉大なものなのか?」
価値に対する裁き(判断/ジャッジメント)が起こり始めたのです。
より価値のあるもの、より価値の無いもの{と価値判断が行なわれるようになり}、「他者よりも強く権威を主張する技術を持っている者」がより重要に成ったのです。

このプロセス内で次のことが起こりました。
あなたは体を物体として見始めたのです。
あなたは自分自身を体として認識し始めたので{あなたは自分を体と同一視し始めたので}、あなたはあなた自身を物体として見始め、「他のあらゆるもの」をも物体として見始めたのです。
そして物体としてのあなたは{自分自身を}売ることが出来るし、買われることも出来るのです。{物体としての}あなたは所有されることが可能なのです。
あなたの「ステータス」によってあなたは支配され統治されており、「支配されている立場のあなた」はそれに対抗しあなた自身の解放を勝ち取れるように成ったのです。{勿論これはまだ夢の中の解放なのです。訳注}


さて下記があなたがまだ気付いていないこと、まだあなたが考えていないことです。
{イエス・キリストが生まれた}クリスマスの朝にあなた達の世界で起こったことは、進化の論理にチャレンジしそれを否定する者(ダーウィンの進化論1を否定する者)がやって来たということなのです。

(笑)「その時点ではダーウィンなんてまだ存在していなかった。その時点ではまだ進化論は論じられていなかった。」とあなたは言うかもしれません。
確かにそうです。
しかし{イエス・キリストが生まれた当時}人々は既に{進化論の}構造を知っていたのです。 後にダーウィンが説明することになる論理(ダーウィンはそれを時間の中で生命が統治されている様子-適者生存/競争原理-として見たのです)を人々はその時既に知っていたのです。
二千年前の奴隷所有者達は既にダーウィンの論理(適者生存/強者による統治)を生きており、それを体現していたのです。 

あなたが父から離縁した時、あなたが「父よ、私は自分の見方で見たいです。」と言った時、あなたはダーウィン主義的(進化論的)状態を作ったのです。
無限の視点から有限な視点に移行するプロセス内で、父の子で在ることから孤児で在ることへ移行するプロセス内で、体が一番重要なものに成ったのです。そして体が定義の対象に成ったのです。そして体が所有の対象に成ったのです。

モーゼはユダヤ人達の為に彼等自身の所有を解除したのです。{モーゼは「奴隷として自分達をエジプト人に売り渡していたユダヤ人達」を解放したのです。}
しかしその後もユダヤ人を含む全人類は自分達が父から離縁(分離)しているものとして振舞い続けたのです。人々はまだ孤児として振舞っていたのです。

だから私がやって来て、真理を教え真理をデモンストレート(体現)したのです。
そして磔刑の時が来て、
「父よ、もしあなたの意志に適うなら、この杯を私から遠ざけてください。しかしいずれにしろ、あなた(神)の意志がなされますように。」
“Father, if You will, please let this cup pass from me, but nevertheless, Thy Will be Done.” 2

私は実際にはゲセマネの庭園でこの言葉を言いませんでしたが、しかしそれでもこの言葉には価値があります。
私は決して信心を失わなかったので、この言葉は言いませんでした。
私は「各瞬間に父が表現している私」に対する視点を決して失わなかったのです。
しかしそれでも上記の言葉は「(二つのステップを行なうことによって、聖なる瞬間を実践することによって)全ての人々が自分達自身の行為として行なわなければならないこと」を表しています。

(クリスマスとイースターに挟まれた)あの人生の終わりにおいて私は「生命は不死である」とデモンストレート(実証)したのです。
「磔刑が起こっているように見えても、体が死んだように見えそれが墓の中に設置されていても、その体が再出現すること」を私はデモンストレートしたのです。
何故でしょう?
何故ならそれは「私は体ではない。“I am not a body.” 3」というコースの文章をデモンストレート(体現)することだったからです。
「あなたは私が死んだと思ったかもしれない。体が磔にされたとあなたは思ったかもしれない。体が死んだとあなたは思ったかもしれない。しかし見てください! 私は死んでいません。 私は体ではありません。『私を指し示すもの』が確かに存在しているけれど。私はそれではないのです。それは私ではないのです。{体が私を成り立たせている訳ではないのです。}
私は『神からの分離の夢』には参加していないのです。私は父から離縁しておらず『父よ、私自身の{独立/分離した}やり方で見ることにします。』と言ってもいないのです。」

解りますか?
私はそのような考え(分離の夢)の中では誰とも繋がらなかったのです。
そして「私は(あなた達が私を定義/認知していたような)体ではない。私はあなた達が「これが自分達なのだ」と見定めている類の体ではない。私は体ではなく、私は神が私を創造した通りに自由であることが出来る。」という事実を私はデモンストレーション(表現)していたのです。
あるいは「埋葬所に三日葬られていた後でも、この瞬間に神が私として存在している通りに在ることが出来る」ということを現していたのです。

私の弟子達や私の教えを聞いていた者達は「私イエスは体では無いと示していたこのデモンストレーションが、(例え彼等が体として見えて触れて識別可能であっても)彼等もまた体ではないと示している」と理解する機会を得ていたのです。
そして「彼等も(私同様)永遠の存在であり、不死であり、死というプロセスを通り抜ける必要はない。」と示していたのです。
私の人生は『「存在すること」とは開始点から終了点へと続く直線的な体験の連なりを体が通って、その課程で到底打ち勝つことは出来ない不条理で圧倒的に不利な状況を生き抜くことに他ならない』というアイディアを否定し解除したのです。
このことに関して、しばし瞑想/考慮してみてください。

本を読みましょう。新しいセクションに入ります。

[ "I NEED DO NOTHING"4]
[わたしは何もする必要がない。私が何かしようとしてはいけない。]

[You still have too much faith in the body as a source of strength.]
[あなたはまだ力の源としての体に信心を与え過ぎています。]

わたし達は数週間に亘って「体とは何か、体の役割は何か」話して来ました。
そして「体との自己同一視(body identification)」から「マインドとしての自己認識(Mind identification)」へ変容する必要があると説いて来ました。
「(Mind identification)マインドとしての自己認識、自分をマインドとして認識すること)」とは、「体の意識体験」が「その体以外の全創造の意識体験」と共に起こっており「マインドが体としてそして創造として体験していること」は「神が永遠の中で意識的に体験している無限のアイディアなのである」ということなのです。
そしてあなたの存在そのものは神が体現されている様子なので、あなたは様々なアイディアを感じ認識し体験する存在なのです。

しかし一旦あなたが父を離縁して「全てが何か」自分で決めるように成った時、あなたは「体は(その他の創造と同様に)物質的/物理的なものである」と決めたのです。 「体は発達/進化し、以前より優れたものに成り、より優勢な体が他の体を圧制するものなのだ、体は適者生存(弱肉強食)のルールに従うものなのだ」と決めたのです。

だから、
[You still have too much faith in the body as a source of strength. What plans do you make that do not involve its comfort or protection or enjoyment in some way? This makes it an end and not a means in your interpretation, and this ALWAYS means you still find sin attractive.]
[あなたはまだ力の源としての体に信心を与え過ぎています。体の安楽や防御や楽しみと全く関係のないことを、あなたが計画立てることがありますか?これが(体を中心に物事を考えることが)あなたの解釈{知覚認識}の中で体を方法ではなく(あなたが求めている)結果にしており、これは「あなたがまだ罪に魅力を感じていること」を常に意味しているのです。]

さ-て、また始まりました。
この言葉は「どのようにして起こったかあなたには解らないこと、本当かどうかあなたには到底わからないこと」をあなたがした(あなたがしている)と言っているのです。
しかしそこにある唯一の罪は「あなたがあなたを誤認識していること」だけなのです。
そして「父よ、私は離縁を求めます。私は自分のやり方で物事を見たいです。私は自分のやり方でやりたいです。全ての意味を自分で決めて、あらゆることを統治しているルールを全て自分で決めたいです。」と言っている時あなたは間違えているのです。
その時あなたは「あなたの存在のエッセンス(本質)」を否定しており、従って自己否定的な状態で存在しているのです。 その時あなたは天国を否定している状態にあるのです。 何故なら、その時あなたとあなたの兄弟姉妹はそれ(天国)を(カオスが起こっている、しかしどうにかして種の進化を進めている)物理的宇宙/物質世界と決めているのだから。そして「カオス(偶然/ランダム)を機能的に動かしている未知の力によって、世界がカオス(混沌)から救われている」と考えているのです。

上記を信じて実践することが罪なのです。 何故なら、そうしている時あなたは自己否定の状態にあるのだから。
そして事実あなたは自己否定を実践することが出来、自己否定を永遠に続けることも出来るのです。
そしてあなたは、自身の存在を消滅させることなく、苦しみと痛みの中に存在し続けあらゆるネガティブなことを被ることが出来るのです。
何故なら、その時あなたは「聖なるあなた」に対して「真理ではない想像」を覆いかけているだけなのだから。
しかしそうしている限りあなたは「罪という言葉が意味していること」をしているのです。
怖れと罪悪を打ち破ろうとするチャレンジをあなたが愛している限り、あなたの注意と意図は神の栄光を称えていないのです。
それは(怖れと罪悪に打ち勝とうとすることは)あなたの神聖を認識し表現し顕在化することではないのです。
そして「あなたの神聖を認識し表現し体現すること=神の栄誉を称えること」以外のことをしている時、あなたは無意味なことをしているのです。
そしてもし「無意味なことに意味がある」とあなたが信じているなら、その時あなたは罪の状態に在るのです。 
あなたはそのような罪の状態を放棄するべきなのです。

[No-one accepts Atonement for himself who still accepts sin as his goal.]
[自分のゴールとして罪を受け入れている全ての人は、アトーンメント(贖罪/和解)を自分の為に受け入れていないのです。]
適者生存/弱肉強食を実践している人はアトーンメントを自分の為に受け入れてはいないのです。そのようなことに関わっている人は自分自身の為にアトーンメントを受け入れては居ないのです。 
何故ならアトーンメントとはあなたが父に譲ることなのだから。 
アトーンメントとは、自分の権威の下に行動するのではなく、{父からの}指示を受け入れる意欲をあなたが発揮することなのだから。
アトーンメントとはあなたが自分の独立を放棄して、神の動きと寄り添い協力出来るように成り、その動きがあなたを通して世界の中に表現されるようにすることなのだから。
これが適者生存(強者生存)の反対なのです。

[You have thus not met your ONE responsibility. Atonement is not welcomed by those who prefer pain and destruction .]
[だからあなたがまだ果たしていない責任が一つあるのです。痛みと破壊を{和解より}好んでいる人達は アトーンメントを歓迎しては居ないのです。]
そして適者生存(弱肉強食)を主張することは、適者生存(競争原理)を人生の目的とすることは、痛みと破壊を好んでいる人達がしていることなのです。

[You have made much progress and are really trying to make still more, but there is one thing you have never done; not for one instant have you utterly forgotten the body.]
[あなたは沢山進歩しており、より多く進歩しようとしています。しかしまだあなたがしていない事が一つあります。あなたはまだ一瞬も体を完全に忘れたことはないのです。]

あなたは体を毎日一日中気遣っており、あなたの注意は常に何らかの形で体に与えられています。
例えば車を運転している時にお尻が痛ければあなたは体を動かしてそれを楽にするでしょう。
あなたは常に体に注意を与えてそれを安楽に保とうとします。


[It has faded at times from your sight, but it has not yet completely disappeared.]
[体があなたの視界から一時的に消えたことはあるでしょう。 しかしそれはまだ完全に消えては居ないのです。]

しかしわたし達は「体が幻想で、だから体が消え去る」とは言っていないのです。
しかしあなたの安全を確保するものとしての体があなたのマインドから去ることはなく、あなたの安全を確保する為に何時でも体が使えるようにして置かなければならない訳です。
体があなたのマインドから忘れ去られることは決して無いのです。何故なら窮地においては体があなたを防御するものなのだから。{とそう考えられています。}
あなたは自分のマインドが自分を救うと言っているかもしれませんが、しかしあなたのマインドが兄弟との仲を整えられなかったなら、兄弟があなたを脅かし始めてしまったなら、あなたにとって最後の頼みの綱はあなたの体なのです(体を使った防御あるいは攻撃なのです)。

[It has faded at times from your sight, but it has not yet completely disappeared.]
[体があなたの視界から一時的に消えたことはあるでしょう。しかしそれは完全に消えては居ないのです。]

体が{あなたの意識から}消えるのは、適者生存の働きが{あなたのマインドから消えて}無くなるのは、あなたが完全な安全を感じている時だけなのです。

[You are not asked to let this happen for more than an instant, yet it is in this instant . . .]
[これ(体を消すこと/体を忘れること)を一瞬(僅かの間)以上に亘って発生させ続けることがあなたから求められている訳ではありません。 しかしその一瞬の内に...]
聖なる瞬間の内に. . .、
[. . . that the miracle of Atonement happens.]
[...アトーンメント(和解/贖罪)の奇跡が起こるのです。]

聖なる瞬間とは、あなたが思考を止めて、全てに対するあなたの定義にエネルギーを与え続けることを止めて、「私の最上の判断とは別に、私の理論や私が大切に考えていることとは別に、ここの真理は何なのだろう?」と言うことなのです。
聖なる瞬間とは『私は自分の独立を捨てて「あなた/神」と繋がり、何がリアルか「あなた/神」に示してもらい、それによって私がその場(天国)に相応しい反応を出来るようにしましょう。』とあなたが言うことなのです。

[Afterwards, you will see the body again, but never quite the same.]
[その後もあなたは体をまた見ることでしょう。 しかし以前と全く同じように体を見るようには成りません。]

つまりあなたは自分の体を自己防衛の為に使う状態に後戻りしてしまうことでしょう。あなたは「父と繋がり続け父の癒やしに満ちた視点を体験することから自分自身を遠ざける方法」として自分の体を使ってしまう状態に戻ってしまうでしょう。{しかし以前と全く同じように体を見るようには成りません。}

[And every instant that you spend WITHOUT awareness of it gives you a different view of it when you return.]
[そして体の意識無しであなたが過ごす各瞬間が、あなたの意識が体に戻った後で、体に対する今までとは異なった視点をあなたにもたらすのです。]

ポールが私に話させている時には、ポールは自分の体を意識していません。 つまり彼は「何か彼を怖れさせることが起こる可能性に備えて体で自分を守る為」に体に注意を与えてはいないのです。
何故なら、ポールがこのスペース(静かな安全)の中で私と繋がっている時には(あなたがこのスペース内であなたのガイドと繋がっている時と同様に)「体との自己同一/体による自己認識(body identification)」は起こっていないのだから。
しかしあなた達にもわかるように、ポールの体は別に消滅してはいません。
彼が話している時、彼の唇が動き、彼の腕が動きます。 そして彼は自分の中を通って真理が表現されることを許可していて、彼の体の全てがその真理を表現することに使われるのです。

下記が驚くべき文章です。
[At no single instant does the body exist at all.]
[体は一瞬も存在してはいないのです。]

しかしこの言葉は非常に厳格な特定のことを言い表しているのです。

[At no single instant does the body exist at all.]
[体は一瞬も存在してはいないのです。]
聖なる瞬間の中では防御手段としての体は存在していないのです。
「あなたのアイデンティティ(識別子/自己認識)としての体」は聖なる瞬間の中には存在してません。
これは重要な理解です。

[At no single instant does the body exist at all.]
[体は一瞬も存在してはいないのです。]
より精密に説明しましょう。
「あなたが定義した体」は一瞬たりとも存在していないのです。
体はあなたが定義したようには一瞬たりとも存在していないのです。
従って体は防御として機能しておらず、アイデンティティ(自己証明/自己認識)としても機能しないのです。
これが上記の文の意味です。
聖なる瞬間の中では、体は防御としてもアイデンティティとしても存在していないのです。
その理由の一つは、聖なる瞬間の中では怖れと罪悪が不在で、従って自己防御の必要が無いからです。
自己防御の必要が無いのであなたの注意/意識が純粋に成っており、あなたは全ての意味と現れを体験することが出来るのです。
その時あなたの注意の神聖は(あなたの意識の全体は)天国のどの部分をも全く排除していないのです。

[At no single instant does the body exist at all. It is always remembered or anticipated, but never experienced just NOW.]
[体は一瞬も存在してはいないのです。 それは常に思い出されているか、期待されているのですが、決して今の瞬間に体験されてはいないのです。]
あなたの救済は「今」に存在しようとする(今に注意を与え続けようとする)あなたの意欲に掛かっています。
何故なら今の中ではあなたは防御の必要無く「存在すること/在ること」が体験出来、少なくともその瞬間は防御が必要無くなるので、それにより「体に対するあなたの定義」があなたのマインドから忘れられることが可能になるのだから。

[Only its past and future make it seem real . . .]
[その(体の)過去か未来だけが体をリアルに見せているのです。]
あなたが体に与えている定義だけが体をリアルに見せているのです。
「過去に体に起こったこと」と「未来に体に起こるだろうこと」だけがそれをリアルに見せているのです。

[Only its past and future make it seem real. Time controls it entirely, . .]
[その(体の)過去か未来だけが体をリアルに見せているのです。時間がそれを(体の過去や未来がリアルに見えていることを)完全にコントロールしているのです。]
そして進化は時間の中で起こることなのです。
だから私はダーウィンの論理(弱肉強食の概念)を(ダーウィンがそれを作り上げる前に)修正していたのです。 そしてコースもそれを修正しているのです。
ダーウィンがその論理を披露した時人々は「孤児の状態を上手く説明している定義がやっと現れた。わたし達はそれに合意することが出来る。」と考えた訳です。

そしてこの相互合意(弱肉強食/競争原理)が法則として打ち立てられ、{多くの人達によって}それはチャレンジし得ない否定不可能な「事実」として受け入れられたのです。

[Time controls it entirely, for sin is never present. ]
[時間がそれを(体の過去や未来がリアルに見えていることを)完全にコントロールしているのです。何故なら罪は決して存在していないのだから。]
聖なる瞬間の中では罪は全く存在していないのです。

[In any single instant, the attraction of guilt would be experienced as pain and nothing else, and would be avoided.]
[それぞれの瞬間の中では、罪悪の魅力は痛みとしてだけ体験され、それ(罪悪)は避けられるのです。 ]
{聖なる瞬間の中では}罪はシンプルにただ単に回避されるのです。だから対立/闘争も起こらないのです。
罪悪と怖れが存在しておらず、それらに付随している魅力(牽引力)が存在していない場合、痛みは回避されるのです。

[It has no attraction NOW.]
[今の中でそれ(罪悪)は魅力を持っては居ないのです。]
聖なる瞬間の中では罪は魅力(惹き付ける力)を発揮していないのです。
もしあなたが(何にも邪魔させずに)瞬間の中に自分の注意を与えられたならその時、その瞬間の中では罪は引き込む力を持っていないのです。

[Its whole attraction is imaginary, and therefore MUST be thought of in the past or in the future.]
[その魅力の全ては想像上のもので、だからそれは(罪悪の魅力は)過去として振り返られるか、未来に想定される必要があるのです。]
あなたが想像内の夢遊状態に入っている場合、罪の魅力が過去や未来に想定されているのです。
しかしあなたが今の瞬間にクリアな意識を与えていたなら、罪の魅力は何処にも見当たらず、罪が威力を発揮することもないのです。

[It is impossible to accept the holy instant without reservation unless, just for an instant, you are willing to see NO past or future. You cannot prepare for it WITHOUT placing it in the future.]
[一瞬だけで良いのであなたが過去も未来も見ようとしなく成らない限り、聖なる瞬間を無条件で受け入れることは不可能です。 何かを未来に想定しない限り、あなたがその為の準備をすることは不可能です。]

{神から分離している限り}あなたは「あなたが予測(期待)していること」に対して準備することしか出来ないのです。

[Release is given you the instant you desire it.]
[しかしあなたが解放を望んだ「瞬間」に解放が与えられるのです。]

あなたがそれを望んだ一ヶ月後ではなく、一年計画を立ててそれを一年後に得られるよう望むのではなく、
[Release is given you the instant you desire it.]
[しかしあなたが解放を望んだ「瞬間」に解放が与えられるのです。]
あなたが今の瞬間に注意を与えて「解放」を願ったその瞬間に、解放が与えられるのです。

[Many have spent a lifetime in preparation, and have indeed achieved their instants of success. This course does not attempt to teach more than they learned in time, but it does aim at SAVING time.]
[多くの人々がその人生を通して準備を行い、確かに瞬間的な成功(それぞれに成功)を修めています。このコースは彼等が時間の中で学んだこと以上を教えようとしているのではありません。そうではなく時間をセーブすることがこのコースの目的なのです。]

これも重要なことです。
コースの目標は時間をセーブすることなのです。
コースがどのようなことを教えようとしているのか学び、聖なる瞬間を実践する、このプロセス内で、
[You are attempting to follow a very long road to the goal you have accepted. It is extremely difficult to reach Atonement by fighting against sin. ]
[あなたはあなたが受け入れたゴールのとても長い道程を辿ろうとしています。罪と戦うことによってアトーンメント(和解/贖罪)に達することは非常に困難です。]

罪と戦うことが答えではないのです。
(罪が使用されている結果として現れている)「怖れと罪悪」に打ち勝とうと合意することは、孤児院からの出口ではないのです。
孤児院から逃れる方法とは、あなたの注意を怖れと罪悪から引き抜くことなのです。
孤児院から脱出する出口は「二つのステップ」を行なうこと、つまり一歩下がって静かに成り「父よ、聖霊よ、ここの真理は何ですか?」と訊ね聞くことなのです。
これが上手く働くことであって、罪と戦うことは上手く行かないのです。

[Nor is a lifetime of contemplation and long periods of meditation aimed at detachment from the body necessary. All such attempts . . .]
[体から「離れて超然とすること」を目標として生涯に亘る熟考と長年の瞑想を続けることも必然ではないのです。これら全ての試みは...]

次を聞きなさい。 これらの試みが否定されている訳ではないのです。
[All such attempts will ultimately succeed because of their purpose. Yet the means are tedious and very time consuming, for all of them look to the FUTURE for release from a state of present unworthiness and inadequacy.]
[これら全ての試みは(その目的故に)最終的に成功します。 しかしこれらの方法は単調でとても時間が掛かるのです。 何故なら、これら全ての方法は現在の無価値と不能の状態からの解放を「未来に望んでいるもの」なのだから。]

でもあなたの道は、つまりコースの道は、
[Your way will be different, not in purpose, but in means. A holy relationship is a means of SAVING TIME. ]
[あなたの道(やり方)は(上記の方法とは)異なるものに成ります。 それは目的が変わるのではなく、方法が変わるのです。『聖なる関係とは時間を短縮する方法なのです。』]

洞穴や修道院の中で何年も瞑想したりすることは、あなたが一人で行なえることですね。
しかし(人間関係と比べて)孤独な環境下では「あなたの注意を今に与える必要」はそれ程強く成りません。
意図的にパートナーシップだけにコミットメント(決意)を与えることで、「出来る限り最小の防御と共にあなたの注意を今の瞬間内だけに引き入れること」が可能になるのです。
聖なる関係を持つ意図と共に他の人と繋がったなら、つまりあなた達個人個人がまず父と向き合って「父よ、私のパートナーに関する真理は何ですか?」と言ってからお互いと関わることを選択しているなら、その時あなた達は(父があなたのパートナーに関してあなたに提供している)真理と明晰に満たされた状態に基づいてお互いと関係しているのです。
これによりあなたが曖昧に振舞ってしまわないように成るのです。
これが、あなたが居る瞬間に対して『「あなたの兄弟姉妹を真に見たいと願う父の特定の意図」と共にあなたの注意を真摯に与えること』になるのです。
これが時間を短縮するのです。
何故なら、これがあなたの注意を時間から引き剥がし、「あなたが愛の動機と共に居る瞬間」に(あなたの注意を)持って行くのだから。
これは非常にシンプルなのです。そしてこれは恵み深く働くのです。

[One instant spent TOGETHER restores the universe to BOTH of you. ]
[(あなた達が)一緒に過ごした一瞬が、あなた達両者の為に宇宙を修復するのです。 ]

一生涯に亘る瞑想を行なうよりも、あなた達が聖なる瞬間の中で一緒に過ごすことの方が、宇宙の修復をより効果的に行なえるのです。

[You ARE prepared. Now you need but to remember you need do NOTHING.]
[あなた達はすでに準備出来ている(準備されている)のです。今あなたがするべきなのは「あなたは何もしてはいけない。YOU NEED DO NOTHING.」と思い出すことなのです。]

これはどういう意味なのでしょうか?
「父よ、私は全てを自分で決めて、私と兄弟姉妹が真実と決めたことだけを信じることにします。」とあなたが言って父から離縁した時、あなたは一番最初に「怖れと罪悪を処理し、それらを乗り越えよう」としたのです。
その時この目的であなた達に使えたものは何だったでしょうか?
それはあなた達の体だったのです。
だからあなた達は自分達の体を使って怖れと罪悪を乗り越えようとし、体を使って怖れと罪悪に対処し出したのです。

しかしあなたが二つのステップをして父か聖霊と繋がり「相手に対する真実を知りたい」と真摯に願った時、「あなたと父との離縁が承認され続けること」が解除されるのです。
二つのステップを行なうことによって、「相手(パートナー)と取引したり敵対したりすること」をあなたは止めることになり、それによって「あなたが自分のマインドや体を使って防御しようとすること」が止まるのです。
そして防御が行なわれていない時、あなたは定義を放棄しているのです。その時あなたは「あなたの体に対してあなたが与えている定義への確信」を放棄しており、あなたは無防備に成ろうとしているのです。
つまりその時あなたは相手/パートナーと丸腰で向き合うことが出来るのです。
その時あなたは「聖なる瞬間を実践する前まであなたがしていたこと/あなたを無知の状態に留めてしまうこと」を全くしないように成っているのです。

[Now you need but to remember you need do NOTHING. It would be far more profitable now merely to concentrate on this than to consider what you SHOULD do.]
[今あなたがするべきなのは「あなたは何もしてはいけない。YOU NEED DO NOTHING.」と思い出すことなのです。今ただこれだけに集中することの方が「自分は何をするべきか考慮する」よりも、とても有益なのです。]

[When peace comes at last to those who wrestle with temptation and fight against the giving in to sin; when the light comes at last into the mind given to contemplation, or when the goal is finally achieved by anyone, it ALWAYS comes with just one happy realization; "I need do nothing."]
[罪を犯してしまう誘惑に抵抗しようとしている者達にやっと平和が訪れる時、熟考(瞑想)しているマインドに光がやっと届いた時、あるいは誰かがやっとゴールに届いた時、それらは常に「私は何もしなくてよい。I NEED DO NOTHING.」という幸福な認識と共にやって来るのです。]

瞑想をしたことがある人なら誰でも知っているように、例え毎日2回僅か20分でも瞑想を続けたなら、あなたは「怖れが無く平和が存在している場所」に20分間移行することに成ります。
それはあなたの体にも影響を与え、血圧が下がったり、体のシステムのバランスが良くなったりします。 何故ならあなたの注意が平和に対して与えられたのだから。
何もせずに静けさの中に留まって「自分一人で考えるあなたの能力」を実践しないことが、真理の流入と同時に愛と平和(それらは切り離せないペアです)を引き出すのです。

[Here is the ultimate release which everyone will one day find in his own way, at his own time.]
[全ての人々がいつの日かその人自身のやり方でその人独自の時間を掛けて発見する最終的な解放がここにあるのです。]
しかし次を聞きなさい。

[We do not need this time.]
[しかしわたし達はこの独自の時間を必要とはしていません。]
これ(最終的解放)があなた自身の時間内で起こることを待つ必要はないのです。
あなたは時間に依存する必要はなく、時間を使う必要もないのです。
もし時間に依存し時間を使いたくば、洞窟に住み付いて10年20年40年と瞑想を続ければ良いでしょう。

しかし、
[We do not need this time.]
[しかしわたし達はこの独自の時間を必要とはしていません。]
それは何故でしょう?
それは「(聖なる瞬間をそれぞれ同時に実践することにより)聖なる関係の中で繋がれる相手」があなたには居るからです。

[Time has been saved for you because you are together.]
[時間はあなた達の為に短縮された(救われた)のです。 何故ならあなた達は一緒なのだから。]
あなたはこれを一人でしている訳ではありません。あなたは「シンプルで偉大なフォーカス(意識の焦点が神に当てられること)」が起こるようにこれをしているのです。

[This is the special means this course is using to save you time. You are not making use of the course if you insist on using means which have served others well, neglecting what was made for YOU.]
[これが、あなた達の時間を短縮する為にこのコースが使用している特別な方法なのです。他の人達が上手く使っている方法を自分も使いたいと固執し、「あなた」の為に作られているものを無視するなら、あなたはコースを活用していないのです。]

何があなたの為に作られているのでしょうか?
それはア・コース・イン・ミラクルズです。
そして聖霊のガイダンス(指示)もまた、あなたの為に作られているのです。
それは(既にあなたと共に居る)「あなたの正しいマインドでしかないもの」からのガイダンスです。 
あなたは(あなたの正気である)聖霊の存在を反映していないマインド行動を取っていますが、それでも聖霊は今もあなたと共に在り、聖霊はあなたの正しいマインドで在り続けているのです。

だから、
[Save time for me by only this ONE preparation, and practice doing nothing else. ]
[この一つの準備だけ(他の人々が上手く使っている方法を自分でも使おうとしないこと)をすることにより「私」(イエス/聖霊/あなたのガイド)の為に時間をセーブしてください。 そしてそれ以外は何もしないで下さい。]
この一つの準備をすることにより、私の為に、そしてあなた自身の為にも時間をセーブしてください。
このアイディアの出現がクリスマス(キリストの誕生)だったのです。 そしてイースタ(キリストの復活)がその完了(このアイディアが完全にデモンストレートされること)だったのです。

[“I need do nothing" is a statement of allegiance, a truly undivided loyalty. ]
[「"I need do nothing" 私は何もしなくて良い。わたしは何もするべきでない。」は忠誠の宣言なのです。 それは本当に統一された忠誠心なのです。]

これは何に対する忠誠心なのでしょうか?
「この人と聖なる関係を持とうとあなたが意図した人」とあなたが一緒に聖なる瞬間の中に入った時に、あなたが何よりもまず始めに父に「ここの真実は何ですか? 私は何を知る必要がありますか? 何をする必要がありますか?」と訊ねて、そうして得られた答えが「パートナーと共に神聖/癒やし/変容/アトーンメントを反映することを行なうこと」の基礎となれるよう{にする忠誠心なのです。}。

[Believe it for just one instant, and you will accomplish more than is given to a century of contemplation, or of struggle against temptation.]
[これをたった一瞬信じなさい。するとあなたは100年の瞑想に与えられるよりも、あるいは100年間誘惑と戦い続けるよりも多くを達成するのです。 ]
これがあなたに想像出来ますか?

[Believe it for just one instant, and you will accomplish more than is given to a century of contemplation, . .]
[これをたった一瞬信じなさい。するとあなたは100年の瞑想に与えられるよりも、あるいは100年間誘惑と戦い続けるよりも多くを達成するのです。]

他の人(パートナー)と共に聖なる関係の中に在ろうとすることは、このように時間を短縮し、あなた達のより急速な目覚めを促進するのです。
そして「(今の瞬間内へ完全に譲ることまで後一歩の所に来ている)あなたの兄弟姉妹」の一番最初のドミノが倒せるよう(兄弟姉妹の目覚めのきっかけが作れるよう)助けるのです。


[To DO anything involves the body. ]
[何かを「しよう/行なおう」とするには体を使います。]
適者生存/コントロール/操りを実践し、「良い/より良い/最上の評価スケール」上に自分の居場所を探そうとする為には{体を使う必要があります}。

[To DO anything involves the body. And if you recognize you NEED do nothing, you have withdrawn the body's value from your mind. ]
[何かを「しよう/行なおう」とするには体を使います。そしてもし「あなたは何もしなくて良い」と理解したなら、あなたは体の価値をあなたのマインドから遠ざけたのです。]
つまりあなたは『自分の体がどのようなものか決めるものとしてあなたが作った意味』を取り下げたのです。 世界の中であなたが振舞う上での基本信念に成っている意味を引き抜いたのです。

[Here is the quick and open door through which you slip past centuries of effort, and escape from time. ]
[ここに開かれたドアがあり、あなたはこのドアを抜けて何世紀もの努力を省略して時間から逃れることが出来るのです。]
時間こそが進化が起こっているよう見える唯一の「場所」なのです。
「適者生存(弱肉強食)を体現していること全て」が時間の中で正当化されているのです。

[This is the way in which sin loses all attraction RIGHT NOW. ]
[これこそ罪がその全魅力を「たった今」失う方法なのです。]
これ(罪の魅力が無くなること)は未来に起こることではなく、今の瞬間の中で起こることなのです。

[For here is time denied, and past and future gone. ]
[何故なら、ここで時間が否定されており、過去と未来が去って行ったのだから。]
これが真実です。
瞑想をして平和な状態に入ったことがある人ならご存知のように、時間は消え去ったのです。 過去と未来が去ったのです。 「怖れを発生させていたもの」がもう怖ろしくなくなったのです。
そしてもしあなたが平和なスペース(平和な空間)に留まったなら、それまで怖ろしかったことを顧みて、その怖ろしさを解決することが聞えてくるのです。 何故なら、あなたはあなたの平和の中に居て、何が調和をもたらすか見ることが出来、『「不明瞭であったあなたのマインド」が脅威として見ていたもの』を取り除くことが出来るのだから。
これはシンプルでかつ重要なことです。

[Who need do nothing has no need for time. To do nothing is to rest, and make a place within you where the activity of the body ceases to demand attention. Into this place the Holy Spirit comes, and there abides. He will remain when you forget, and the body's activities return to occupy your conscious mind.]
[何もしなくて良い者には時間は必要ではありません。何もしないことは休息することです。そしてあなたの中に「体の行動が注意を要求しなくなる場所」を作るのです。 この場所の中に{あなたの正気である}聖霊がやって来てそこに住まうのです。あなたがこれを忘れてしまって、体の行動があなたの意識的マインドの中に戻って来てそこを再度占領してしまっても、彼(聖霊)はそこに留まります。]

あなた自身を安全に保つ為に(状況内の適者/強者に成ろうとする為に)あなたが使用して来た「あなたの体に対する定義」があなたの意識内にまた戻って来てしまうことでしょう。

[Yet there will always be this place of rest to which you can return. ]
[それでも(体の行動があなたのマインドに戻ってきてしまっても)そこには常に(あなたが戻っていける)安息の場所が存在するのです。]

「そこ(平和なマインド)に戻ろうと意図すること」をあなたは覚えていなくてはいけないのです。
何故ならあなたは「自分が生き残って適者/強者に成れれば自分の尊厳が保たれる」と言い立てる誘惑的示唆(言い立て)に聞き入ってしまう癖を持っているから。

[Yet there will always be this place of rest to which you can return.]
[それでも(体の行動があなたのマインドに戻ってきてしまっても)そこには常に(あなたが戻っていける)安息の場所が存在するのです。]

もし静かなマインドの中に戻って行くことをあなたが憶えていられたなら、
[And you will be more aware of this quiet center of the storm than all its raging activity.]
[そしてあなたは、嵐の荒れ狂う行動ではなく、その中の静かな中心をより意識するように成るでしょう。]

つまりあなたが自分の注意を「生き残り」から「中心/グラウンディング/(常にあなたと共にある)あなたの存在の平和」にシフトしている時にも、嵐は続いているかもしれないのです。
しかし荒れ狂う行動があなたを捕らえてしまいあなたを憤慨させてしまうことはないので、あなたは自分がどうするべきか知ることが出来るのです。
荒れ狂っている行動に対してどうすれば適切に対応出来るか知り、(あなたに対して開示されている)乱れていない知性と共に平和に行動することが出来るのです。

自己防御をする為にあなたが自分を条件付けて来た(躾けて来た)類のことは何もしていない、この静かな中心の中では、
[This quiet center, in which you do nothing, will remain with you, giving you rest in the midst of every busy doing on which you are sent. ]
[(その中であなたが何もしていない)この静かな中心があなたと共に残ります。
そして(忙しい様々な行動の中に送り出されている)あなたに安息を与えます。]
理解出来ましたか?

[This quiet center, . . will remain with you, giving you rest in the midst of every busy doing on which you are sent.]
[...この静かな中心があなたと共に残ります。そして(忙しい様々な行動の中に送り出されている)あなたに安息を与えます。]
エ! チョッと待って。 
このセクションは「私は何もしなくて良い。“I need do nothing,”」と題されていたのではなかったでしょうか。 そして「自分の体は消えて無くなる筈だ」{とあなたは理解していたかも知れません}。

[This quiet center, . . will remain with you, giving you rest [peace] in the midst of every busy doing on which you are sent. ]
[(その中であなたが何もしていない)静かな中心があなたと共に残ります。そして(忙しい様々な行動の中に送り出されている)あなたに安息を与えます。]

つまりあなたは忙しい行動の中でも「父よ、ここの真実は何ですか? 私は何を知る必要があるのでしょう?」と訊ねているのです{訊ねるべきなのです}。
そしてこの無垢な注意/意識の中で父や聖霊があなたに真実を示すのです。

それは丁度ポールが今どのようにして唇を動かしたらよいか解っていると同じことなのです。 どのようにして手を動かしたらよいか彼に解っていることと同じなのです。
それは、何かしようとしてポールの注意がポールの体に与えられているからではなく、 (忙しく行動しているマインドの中に送り出されている)ポールが自分に安息を与えることが出来ているからです。

だから(二つのステップを行なった)あなたは、何をするべきか知らされるのです。
何をするべきかあなたに解るのです。


「私は何もする必要がない。“I need do nothing,”」と書かれているこのセクションは、何度も「聞き/学び/行なう」こと主張しているコースの中に書かれています。
でも「これでは言っていることが噛み合っていない、これでは一貫性がない)」{とあなたは言うかも知れませんが}そうではないのです。

二つのステップを行なうとは、静かに成って「ここの真実は何ですか?」と訊ねることです。 これが「聞くこと」です。
すると(インスピレーション/霊/啓示の)流入が起こります。 これが「学習」です。
そして真理が何か学ぶことにより、人は自分がどのように在るべきか知り、どのように行動するべきか知るのです。 これが「行なう」です。

しかしそれは「あなたを守り他者を操るために体が存在している」という考えに基づいた行動ではないのです。
だからあなたは訊ね聞き、そして忙しく行なうべきことを与えられたりもするのです。 忙しい行動にあなたが送り出されたりする場合もあるでしょう。

もう一度下記の文章を読みましょう。
[This quiet center, in which you do nothing, will remain with you, giving you rest in the midst of every busy doing on which you are sent. ]
[{例え何が起こっていたとしても}(その中であなたが何もしていない)静かな中心があなたと共に残ります。そして(忙しく行動しているマインドの中に送られ出している)あなたに安息{と平和}を与えます。]

そしてあなたの存在を示す為には何か(あなたの体と言っても間違ってはいないもの)が当然必要なのです。
あなたの存在を見せて体験可能にしている何かが必要なのです。行いが体験出来るように、存在(存在するということ)が体験出来るように{体と呼ぶことも可能な何かが必要なのです}。


[For from this center will you be directed how to use the body sinlessly.]
[何故なら、あなたはこの中心点からどのようにして体を罪無く使うべきか指示されるのだから。]
解りますか? この文章は「この中心から、あなたが体を持っていないことが発見されるのです。何故なら体は幻想なのだから。」とは言っていませんね。

[For from this center will you be directed how to use the body sinlessly.]
[何故なら、あなたはこの中心点からどのようにして体を罪無く使うべきか指示されるのだから。]
つまりこの中心から「弱肉強食の進化論システムの一部ではない体の使用方法」が指示されるのです。
弱肉強食(強いものが生き残ること)を信じそれに従って行動することは、体を無罪に使うことではありません。 それは体を無垢に使うことではありません。

[For] from this center will you be directed how to use the body sinlessly.]
[何故なら、あなたはこの中心点からどのようにして体を罪無く使うべきか指示されるのだから。]
だから「神聖を示す役割を持った神聖なるもの」として体を抱擁出来るように成ってください。

[It is this center, from which the body is absent, that will keep it so in your awareness of it. ]
[この中心点からは体が存在していません。 {この中心的から見た視線の中には罪悪が存在していません。}だからこの中心は、あなたがこの中心を意識している限り、その通りにし続けます(あなたの意識の中で体の存在を無にし続けるのです)。]

もう一度聞きなさい。

[It is this center, . . ]  [この中心の中では]
神の法が行き渡っており全てを統治している聖なる瞬間の平和の中では、

[It is this center, from which the body . . .] [この中心の中では体は...]
あなたが作り上げている体は不在なのです。

自己防御とコントロールの為に使われている体はこの中心では
[. . . is absent, that will keep it so . . .] [この中心の中では体は不在で、そして...体を不在にし続けるのです]
これが体を無罪な状態に保つのです。

[. . . in your awareness of it.] [この中心の中では体は不在で、そして{あなたがこの中心を意識している限り、それが}あなたの意識の中で体を不在にし続けるのです。]

[この中心点からは体が存在していません。だからこの中心は、あなたがこの中心を意識している限り、その通りにし続けます(あなたの意識の中で体の存在を無にし続けるのです)。]


無罪な体の行動が必要とされていることは誰にでも解る筈です。

「体に対する理解」が適者生存/弱肉強食の論理(支配の論理)から解放されるべき時なのです。
奴隷と主人というような考え方(支配のマインド/隷属のマインド)から、そしてそれに付随したあらゆることから、解放されるべき時なのです。
そして家族の関係/コミュニティーの関係/国家内の関係/国対国の関係が神聖(無垢無罪)によって動かされ変容されるようになるべき時なのです。
これが全ての人達の権利です。
これ(神聖/無罪)を使い体験し、これにより祝福し祝福されることが全ての人達の持って生まれた当然の権利なのです。

良いイースタ(復活祭)をお過ごし下さい。

2 Bible: Luke 22:42
3Workbook, lesson 199
Chapter 18 – Section: I NEED DO NOTHING
4 Sparkly Book – p.440 / JCIM – p.184 / CIMS – p.370
First Edition – p. 362 / Second Edition – p.388


滝本さんから今週寄付を頂きました。 どうもありがとうございます。


私個人に寄付をくださる場合:

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あるいは下記の住所まで小切手かトラベラーズチェックをお送りください。

Hiromi Okaue
2821 2nd Ave Suite 704
Seattle WA 98121 USA

(参照ページ)http://rajpur.blog13.fc2.com/blog-entry-220.html


この文章はサンローズが書き取ってくれた英文を元にしています。サンローズへギフトされる場合下記が彼女のアドレスです。
Francine Mienik (Sun~Rose)
13 Dunes Lane
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この原文を提供しているNorthwest Foundation for A Course In Miracles へ募金される場合下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
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テーマ : スピリチュアル
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