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ACIM12-05-20

新しい章(第19章)に入ります

[BEYOND THE BODY1]
[体を超えて]

この題名はわたし達がここ二三週間話して来たことについて述べているのです。
これはbody identificationからMind identificationにシフトすることなのです。
{これは「体との自己同一」から「マインドを自分として認識すること」にシフトすることなのです。}

Mind identification(自分をそして全てをマインドとして認識し体験すること)をしている時、あなたは「自分が意識であって、その意識の中で体の体験(そして全創造の体験)が起こっていること」を認識しているのです。
「二つのステップ(精霊に訊ね聞くこと)」は体を越えた所にあなたを導くのです。それはあなたの意識を「体との自己同一を超えた所」に導くのです。

[We said before that, when a situation has been dedicated wholly to truth, peace is inevitable.]
[わたし達が以前に言った通り、状況を真理に対して完全に捧げたなら、平和がもたらされるのは確実なのです。]

[when a situation has been dedicated wholly to truth . . .]
[状況を真理に対して完全に捧げたなら、]

「状況が真理に対して完全に捧げられている」とは、あなたが自分の最上の概念/判断/思考への信頼を放棄していることなのです。
だからあなたが思考を放棄した時、あなたが静寂の中に入った時、あなたが静寂しかない場所(意識しか存在していない状態)の中に入った時、意識がどのようなこと(主題/トピック)を考えてもいない時、そこには常に平和があるのです。
これは瞑想が達成することと同じです。
「あなたの最上の判断/思考を保持しようとすることを(そして思考そのものを)あなたが放棄している場所」にあなたをシフトさせるのです。
だから「何かを真理に完全に捧げること」はそれ程複雑なことではないのです。
それは自分の思考への確信/信心を引き抜くことなのです。そして静寂の中に入るのです。 
簡単でシンプルでしょう?

[Its attainment is the criterion by which the wholeness of the dedication can be safely assumed.]
[それ(平和)を得るられたかどうかで、献身の完璧さ(あなたが状況を完全に聖霊に手渡しているかどうか)が正しく判断出来るのです。]

思考が行われていない場所(状態)にあなたが到達したなら、純粋に意識が発生している場所に到達したなら、あなたは起こっている全てのことを認識しており、それら(起こっている全てのこと)を認識する以外の反応は起こさないのです。
だからあなたがこの状態(平和)を得たなら、それによりあなたの献身が完璧であることが解るのです。

[Yet we also said that peace without faith will NEVER be attained, for what is wholly dedicated to truth as its only goal is brought to truth BY faith.]
[そしてわたし達は「信心なくして平和が得られることは決してない」とも言っています。何故なら、「真理だけをその唯一のゴール(目的)として完全に真理へ捧げられているもの」の真理は信心によって引き出されるのだから。]

あなた達は、全ての人達は、自分自身で考え結論を出す自分の能力に酔い痴れ切っているのです(自分達のそのような能力を信頼し切っているのです)。
そして多くの人達は「全く思考せずに静寂の中に留まり完全に意識/認識を保つことが可能であること」をまだ発見していないので、「思考することこそが意識を持っていることなのだ(思考によって意識が保たれているのだ)」と信じているのです。
何故なら多くの人々は{自分達の}思考と論理を信奉しており、(何時でも自分を守れるよう)常に気を配り続けることを信奉しており、それ故に全く神に対する信心を使っていないのだから。
自分の思考を使って全てを自分で推察し決め付けることにより、あなたは常に信心の必要を否定しているのです。
あなたは「自分で考える能力」によって自分の安全を確保しようとしているので、それ(思考)を放棄出来るようになるには信心が必要なのです。

これが真実なのです。
「あなたが思考を放棄している間も全てが崩壊しない/あなたは狂気に陥らない/酷いことが起こらない」という信心無くしては、あなたは平和の体験に到達出来ないのです。
あなたは自分の自己防御に完全に中毒しているので、あなたが平和に完全な献身を捧げている場所に到達する為には信心が必要なのです。
だから信心が絶対必要なのですが、多大な信心が必要とされている訳ではありません。
それは少しの信心なのです。 静かに成ろうとする僅かな意欲がポジティブな結果で報われるのです。

[Yet we also said that peace without faith will NEVER be attained, for what is wholly dedicated to truth as its only goal is brought to truth BY faith. This faith encompasses everyone involved, for only thus the situation is perceived as meaningful and as [a] whole.]
[そしてわたし達は「信心なくして平和が得られることは決してない」とも言っています。何故なら、「真理だけをその唯一のゴール(目的)として完全に真理へ捧げられているもの」の真理は信心によって引き出されるのだから。この信心が「(この状況に)関わっている人達全て」を包み込んでおり内蔵しているのです。 何故なら、そうすることによってのみ、その状況が{その時あなたが直面している状況が}意味のあるものとして全体的に知覚/認識されるのだから。]

あなたが二つのステップを行なっている時、あなたがマインドのお喋りを停止している時、あなたが静寂の中に留まって「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねている時、あなたはバイアス(偏見)の無い場所(物事を比較評価することがない場所)に居るのです。
これが全てをワンネス(一体性)の中に引き入れるのです。これが全ての人達を合一(ユニティー)の中に引き込むのです。
全ての人達は常にこの合一の中に居るのですが、あなた達は「正しい思考(これが正しいと自分達で決めた思考)を使って自分達を守ること」しか考えていないので、あなた達はこの合一を知覚出来ていないのです。
これは残念なことです。

[And everyone must be involved in it or else your faith is limited, and your dedication incomplete.]
[そして全ての人達がそれに関わっている必要があるのです。でなければ「あなた」の信心は限られたものであり、あなたの献身は不完全なのです。]

全ての人達が「平和(平和の体験)に譲る意欲」を持つ必要があるのです。
何故でしょう?
何故なら、あなた達はまだ物事を評価判断する(そして静かに成って無防備に成ってしまっている間に虐待/攻撃されないように守る)自分達個人の能力{判断能力/自己決定能力}を高く評価しており、それを手放そうとはしていないのだから。

[Every situation, properly perceived, becomes an opportunity to heal the Son of God.]
[正しく知覚/認識された全ての状況が神の子を癒やす機会に成るのです。]

どのような状況であれ、あなたがその状況を正しく認識したなら、それは二つのステップを行なう絶好の機会なのです。
起こっていること全ては、あなたが体験している全ては、あなたが好奇心を発揮する絶好の機会なのです。
あなたの現在の理解を超える理解を得るために「父よ、ここの真理は何ですか? 父よ、このことに関するあなたの視点は何ですか?」と訊ね聞くべきなのです。
こうすることによってあなたは全ての機会を使ってあなたの正気に返ろうとするのです。
これはシンプルでかつ意味深い(有用な)ことなので、あなたは一日中「ここの真理は何ですか?」と訊ね聞き続け、実際に起こっていることをあなたの正気の観点から観察し、あなたの正気の観点から物事に対応することが出来るのです。
このようにして「調和が取り戻されている(平和が物事を統治している)癒やされた体験」を持つことが出来るのです。

[Every situation, properly perceived, becomes opportunity to heal the Son of God. ]
[正しく知覚/認識された全ての状況が神の子を癒やす機会に成るのです。]

あなたは兄弟を神の子として見るべきなのです(彼が自分をどう考えているかに関わらず、あなたが彼をどう考えているかに関わらず、彼を神の子として見るべきなのです)。
自分の兄弟がどのような人だとあなたが考えたではなく、あなたの兄弟が自分をどのように評価しているかではなく、あなたは兄弟を神の子として見るべきなのです。
つまりあなたが意識している(気付いている)全ての瞬間で贖い/救済が可能なのです。
あなたがこれを活用すれば、癒やしに次ぐ癒やしに次ぐ癒やしが起こるのです。これは何と素晴らしいことでしょう。

[Every situation, properly perceived, becomes an opportunity to heal the Son of God. And he is healed BECAUSE you offered faith to him, giving him to the Holy Spirit and releasing him from every demand your ego would make of him.]
[正しく知覚/認識された全ての状況が神の子を癒やす機会に成るのです。そしてあなたが彼に信心を与えたことにより、あなたは彼を聖霊に与え「あなたのエゴが彼に対して行なっている全ての要求」から彼を解放したので、彼は癒やされたのです。]

あなたはコースを学んでいる人が次のようなことを言っているのを聞いたことがあるかもしれません。
「私の娘が問題を抱えているのですが、私は娘と娘の問題を聖霊に手渡しました。 聖霊よ、私は娘をあなたに任せます。 聖霊よ、私はこの状況をあなたに手渡します。」
このように振舞うことがコースの意図していることだと考えて、それで済ませてしまっている人も居ますが、それは間違いです。
ここにはそれ以上の関与が必要なのです。

神の子であるあなたの兄弟姉妹と下記のように関わる必要があるのです。
[And he is healed BECAUSE you offered faith to him, . .]
[そしてあなたが彼に信心を与えたことにより...彼は癒やされたのです。]

疑いではなく、悲観ではなく、あなたの最悪の予想/判断ではなく、(あなたが定義/前提として受け入れている、しかしあなたの兄弟姉妹と全く関係の無い)条件付けられているあなたの良き判断でもなく、あなたが信心を彼(彼女)に捧げたことにより彼(彼女)は癒やされるのです。

[And He is healed BECAUSE you offered faith to him, giving him to the Holy Spirit and releasing him from every demand your ego would make of him.]
[そしてあなたが彼に信心を与えたことにより、あなたは彼を聖霊に与え「あなたのエゴが彼に対して行なっている全ての要求」から彼を解放したので、彼は癒やされたのです。]

つまり「兄弟姉妹に対するあなたの最上の判断や概念」に基づいて兄弟姉妹と関わるのではなく、あなたの注意を聖霊に与え「父よ、ここの真理は何ですか? 聖霊よ、(現在まだ私にも彼自身にも見えていない)神の聖なる子を私に示してください。」と言って兄弟姉妹を(あなたの考えや彼等自身の考えから)解放するのです。
あなたは兄弟姉妹を聖霊に引き渡して自分では兄弟姉妹のことを忘れてしまっては駄目なのです。 あなたは彼等を聖霊に引き渡して、全てを聖霊だけに任せて、知らん振りを決め込んでいては駄目なのです。

そうではなくあなたは精霊に注意/意識を与えて次のように言うのです。
「父よ、聖霊よ、私は兄弟に関する真理を知りたいです。彼と共に信心を持って立ち変容に参加出来るように。必要な癒しがもたらされるように。あなた(神)の視点から兄弟を祝福する為に、あなた(聖霊)に注意を与えましょう。私も関わりを持ち、あなたに訊ね聞くことによって、(聖霊である)あなたと私が兄弟の為のエージェント(変化を促進する者)に成れるように。」

これが「聖霊に(関係を/兄弟姉妹を)手渡す」という言葉の真意なのです。
これは「もうこれ以上あなたの最上の(あるいは最低の)判断に兄弟を引き渡さない」という意味なのです。
そうする代わりに、あなたの注意を聖霊に与えることによって兄弟姉妹に関する真理を「知る」{聖霊から受け取る}のです。
こうすることによりあなたは(兄弟が自分自身に関して信じていることではなく、あなたが今まで兄弟に対して信じて来たことではなく、兄弟の真実に対するあなたの信心を体現している)真理への気付きを兄弟に差し出せるように成るのです。
これが要点なのです。

あなたが兄弟を聖霊に引き渡して「こうして聖霊が兄弟を自由なものとして見る」のではなく、
[Thus do you see him free, and in this vision does the Holy Spirit share.]
[こうしてあなたは自由に解き放たれた彼(神の子)を見るのです。そしてこのヴィジョン(視界)の中で聖霊が「分かち合う」のです。]

あなたは(あなたの正しいマインドに過ぎない)聖霊と繋がるのです。

[And since He shares it He has given it, and so He heals through YOU. ]
[彼(聖霊)がそれ(神の子のヴィジョン)を「分かち合った」ので、彼(聖霊)はそれを与えたのです。だから彼(聖霊)はあなたを通して癒やしたのです。]

あなたが兄弟姉妹を聖霊に引き渡してしまって、あなただけのことに没頭して彼(彼女)のことを忘れてしまったなら、聖霊があなたを通して癒やせるでしょうか?
聖霊があなたを通して兄弟姉妹を癒やすこと(そのようにしてあなたが兄弟姉妹の共同体と関わること)が「二つのステップ/聖なる瞬間」の目的なのです。

[It is this joining Him in a united purpose which makes this purpose real because you make it Whole.]
[このように統一されている目的のもとに彼(聖霊)と繋がることが、この目的をリアルにするのです。 何故なら、その時「あなた」がそれ{統一された目的}を「健全/全体/十全」にするのだから。]

統一されている目的の内に聖霊と繋がることが、この目的を実体化するのです。
あなたはそこから立ち去って聖霊が問題を解決するよう任せ切りにするのではなく、あなたがそこに参加することにより、あなたがそれ(目的の成就)を十全にするのです。
あなた無しでは、あなたの注意無しでは、あなたの気遣い無しでは、そこにはブラックホールしかないのです。
(あなた無しで)そこに在るのは虚無なのです。(あなたの関与無しでは)全体の中であなたの果たすべき役目が満たされないままなのです。
あなた(達)が全体の中の自分(達)の役目を果たしたなら、創造全体が全くあなた(達)と分離していないことが発見されるのです。
これは非常に重要なことです。

[And this IS healing. The body is healed, because you came without it . . .]
[そしてこれ(彼との繋がりを健全/全体にすること)が癒やしなのです。体が癒やされるのは、あなたがそれ(体)を持たずに来て. . .]

つまり、あなたが自分をもう体と認識せずに来ているからです。

[The body is healed, because you came without it and joined the Mind in which all healing rests.]
[体が癒やされるのは、あなたがそれ(体)を持たずに来て(その中に全ての癒しが保たれている)「マインド」と繋がったからなのです。]

つまりあなたは「体との自己同一」から(全ての癒しがそこに依存している)「マインドとの自己同一」にシフトしたのです。

新しいセクションに入ります。
[HEALING AND THE MIND ]
[「マインド」の癒やし]

[The body cannot heal, because it cannot make itself sick. It NEEDS no healing. Its health or sickness depends entirely on how the mind perceives it, and the purpose which the mind would use it FOR.]
[体には癒やすことは出来ません。 何故なら、体が体自身に病をもたらすことは出来ないのだから。(何故なら、体が体を病気にしたのではないのだから。)体は癒やしを必要とはしていません。体の健康や病気は「マインドが体をどのように知覚認識しているか」そして「マインドが体を使おうとしているその目的」に完全に依存しているのです。]

マインド認識(自分とそして全てをマインドとして認識すること)にシフトすることによりあなたが体を超えて行ったなら、あなたは「聖霊があなたに知らせる目的」の為に体を使用することになり、「精霊があなたに与えた目的」に従って行動することになります。
だから(あなたがマインド認識にシフトしたなら)体は聖霊の目的(変容/再生/贖い)に従うのです。 つまり体が癒やし(創造の動きの中で父が創造しているパーフェクションを呼び出し、そこから決して一瞬も外れなくなること)に従うようになるのです。

[Its health or sickness depends entirely on how the mind perceives it, and the purpose which the mind would use it FOR. And it is obvious that a segment of the mind CAN see itself as separated from the Universal Purpose.]
[体の健康や病気は「マインドが体をどのように知覚認識しているか」そして「マインドが体を使おうとしているその目的」に完全に依存しているのです。マインドの一部(エゴ)はそれ自身を「宇宙的目的から分離しているもの」として考えているのです。]

あなたはまだ目覚めていません。何故ならあなたはまだ不可侵(不死身)を体験していないから。 あなたはまだ不断不変の平和を体験していません。

[And it is obvious that a segment of the mind CAN see itself as separated from the Universal Purpose.]
[マインドの一部(エゴ)はそれ自身を「宇宙的目的から分離しているもの」として考えているのです。]

あなたが現在使用しているマインドはそれ自身を「宇宙的目的から分離しているもの」として考えているのです。]
マインドの一部が「それ自身の目的を持っており、それ固有の存在理由を持っている」と考えることが可能なのです。
そのようなことを「神から与えられた権利」として主張し実践し、それを自分のゴールにして成功を試みることがエゴには可能なのです。

だからこのような分離が見えている時、体はマインドの武器に成っており、...

[When this occurs, the body becomes its weapon, used AGAINST this Purpose . to demonstrate the "fact" that separation has occurred.]
[これが起こっている時には体がその(分離している積りのマインドの)武器になり、分離が起こったという「事実」をデモンストレートする為にこの目的(宇宙的目的)に対抗するものとして体が使われているのです。]

「私を見てみなさい。私は自分一人で独立している。私はリアルで、自分が好きなことを何でも独自に行なうのだ!」
体は上記の言葉を証明する為に使われているのです。
しかしこれは想像上の立場であって、リアルなものではないのです。

[The body thus becomes the instrument of illusion, acting accordingly; seeing what is not there, hearing what truth has never said, and behaving insanely, being imprisoned BY insanity.]
[このようにして体が幻想の道具に成り、体が幻想の道具として働くのです。(その場合、体と自己同一して分離した積りでいるマインドは)そこに存在しないものを見て、真理が決して言わなかったことを聞き、狂気の振舞いを行い、狂気によって幽閉されているのです。]

私と繋がっている人達の中で、上記のこの言葉が強烈すぎると言う人はもうあまり居ないでしょう。
「自分に決定権がある、違いをもたらす力/権威を自分が有している」とあなたが考えている限り、「自分のイメージに従って全てを作る為に自分が存在している」とあなたが考えている限り、「自分の思考/イメージ/定義を全てに反映させることが自分の権利だ」と考えている限り、あなたは狂気の中に居るのです。
何故なら自分が信じていることだけを見ようとすることは、あなた自身に耽溺することだから。 しかし(あなたを含めた)全てはあなたの定義とは違う意味を持っているのです。  父がそこに(全の中に)父自身を無限に限定なく表現/体現している意味があるのです。

あなたが自分の見たいものだけを見ている時、あなたが天国の中を歩き回ってその中に物理的宇宙/世界を見ている時、あなたは一時的な狂気を体験しているのです。 そのような狂気の体験をしないことがあなたの生得権(当然の権利)なのです。
しかしあなたが「自分の最上の判断と(自分は独立的/分離的な存在なのだと信じて)独立的に行動する権利への信心」を放棄するまで、あなたにはするべき仕事があるのです。
そこでは修正が求められているのです。あなたがその求めに答えるまで修正の必要が訴えられ続けるのです。
だから少し自制心を実践して、「自己防御」から「愛を表現し愛を抱擁すること」にシフトしなさい。
そうすること(自己防御を捨てて愛を表現し抱擁すること)によってあなた達のマインドが再生/新生され、それによりあなた達が変容され、あなた達は目覚め、あなた達は聖なる瞬間の目的を満たし、あなた達は十全/完全に成る喜びを得るのです。

[Do not overlook our earlier statement that faithlessness leads straight to illusions.]
[わたし達が以前に「不信心は幻想と直結している」と言ったことを軽く考えないでください。]

不信心とは何でしょうか?
それは「あなたに考えられる最上の判断」へ依存しそれに自らを捧げることです。
一瞬も自分のマインドを静かにすることなく、真理が何か知ろうとしてあなたの中の聖なるものに訊ねることなく、自分の考えに依存することが不信心なのです。
(それと反対に)あなた自身で考える能力に全く依存せず、真理の体験に到達して、目的を満たし成就を体験することが信心の実践なのです。

[Do not overlook our earlier statement that faithlessness leads straight to illusions.]
[わたし達が以前に「不信心は幻想と直結している」と言ったことを軽く考えないでください。]

あなた自身で(聖霊の助けなくあなた一人で)理屈を考えることが、真理/リアリティの意識体験からあなたを遠ざけているのです。

[For faithlessness is the perception of a brother as a body, . .]
[何故なら、不信心とは兄弟を体として知覚認識することであり、. . .]

あなた自身を体として体験することが不信心なのです。

[For faithlessness is the perception of a brother as a body, and the body cannot be used for purposes of union.]
[何故なら、不信心とは兄弟を体として知覚認識することであり、体を合一(union)の目的で使用することは不可能なのだから。]

では何が合一可能なのでしょうか? それはマインドです。  
(その中で愛が動機であり行為である)意識(conscious awareness)がひとつに成るのです。
抱擁することが出来るのは意識(意識的気付き)だけなのです。
体を(自己防御の必要なく)抱擁と安全の目的で使用出来るのは意識だけなのです

[If, then, you see your brother AS a body, you have established a condition in which uniting with him becomes impossible.]
[だから、あなたがもし彼を体として見ていたなら、その時あなたは彼と自分が「一緒になる」ことを不可能にしてしまう条件を確立しているのです。]

だから(あなたが兄弟姉妹を体として見ている限り)あなたは「兄弟姉妹の何が間違っていて、彼等の振舞いがあなたが彼等と繋がることを不可能にしている」と言ってしまうのですが、それは真実ではないのです。

[Your faithlessness to him has separated you from him, and kept you BOTH apart from being healed.]
[彼に対するあなたの不信心が、あなたを彼から分離しており、あなた達両者を癒やしから遠ざけているのです。]

あなたが彼の中に聖霊を見ようとしないことが、彼の中に神聖を見ようとしないあなたが、彼をあなたから分離しており、あなたを彼から分離し続けているのです。

しかし癒しが要点なのです。
(意識として)お互いと繋がって十全(全体)に成ることが要点なのです。
そしてあなた(達)の思考が邪魔していない時だけ繋がることが可能なのです。
あなたの思考が脇に退けられた時にのみ、聖霊があなたに届きあなたの知覚を修正し、兄弟姉妹の真実を見る喜びがあなたに与えられるのです。
その時のあなたの自発的(自動的)振舞いが聖霊の視点を体現しており、それがあなたの兄弟姉妹を癒やすのです。
何故ならこの状態においてはじめて、兄弟姉妹の必要(要求)が防御(攻撃)を伴っておらず、従ってそこにはあなた達を遮るバリヤが無くなっているのだから。
あなたが(自分の最上の思考抜きで)聖霊と共に関わったのだから、あなたは愛に成っていたのです。 
だから愛であるあなたに対して兄弟姉妹は防御や攻撃の必要は感じなかったのです。 だから愛である(体ではなく意識である)あなたは兄弟姉妹の防御に遮られることなく兄弟姉妹と繋がったのです。

[Your faithlessness has thus opposed the Holy Spirit's purpose, and brought illusions, centered on the BODY, to stand between you. And the body WILL seem to be sick, for you have made of it an "enemy" of healing, and the opposite of truth.]
[このようにして(兄弟を体として知覚認識することにより)あなたの不信心が聖霊の目的に逆らっており、体に基づいた幻想を引き出しており、それを(体に基づいた幻想を)あなた達の間に据えているのです。そして体が病気に成ったように見えるのです。 何故なら、{体によって自分達が神や兄弟姉妹から分離していると考えている}あなた達は体を癒やしの「敵」にしており、体を真理の「反対」にしているのだから。]

あなた達はどのようにしてこれ(体を真理の反対にすること)をしているのでしょうか?
自分達を体として認識し、体を自分自分達として認識することによって、あなた達はこうしてるのです。
するとあなた達は助けを必要としている兄弟姉妹を体として認識してしまうのです。
このようにあなた自身と兄弟姉妹を誤知覚/誤認識することにより、合一の中で繋がるべき絆が無くなってしまい、こうしてあなた達は癒やしを否定しているのです。

[It cannot be difficult to realize that faith must be the opposite of faithlessness. Yet the difference in how they operate is less apparent, though it follows directly from the fundamental difference in what they are.]
[信心が不信心の正反対だと気付くことは難しくありません。そして信心と不信心の働きの違いはそれらの根本的違いに根ざしているのですが、しかし信心と不信心の働きの違いはそれ程解り易くありません。]

信心と不信心の違いは下記の通りです。
信心は(兄弟姉妹の真実により迫ったものを見ようと期待して)現在の全知覚を超えて見ようとしているマインド状態なのです。
不信心は現在の感覚(知覚認識)を超えて見よう(知ろう)とすることではなく、だからそれはあなたを盲目にし、「変化が起こりえない場所」にあなたと兄弟を押し留めてしまうのです。

[Faithlessness would always limit and attack; faith would remove all limitations and make whole.]
[不信心は常に「限定し攻撃する」のです。 信心は全ての限定を取り外して健全/全体にしようとします。]

そしてあなたが要(カナメ)なのです。あなたが選択点なのです。
あなたは不信心と信心のどちらを選ぶのでしょうか?
あなたが選ぶのは記憶に基づいたあなた個人の最上の判断でしょうか?
それとも記憶に基づかない、新鮮で、オリジナルで、予測を裏切る、真理の流入でしょうか? 「あなたの兄弟に対する真実への気付き」(これがあなたと兄弟を変容させるのです)をあなたは選んでいるでしょうか?
これはあなた次第です。これはあなたの選択次第です。

聖なる瞬間を実践することは「真理に対する意識(意識的気付き)が不意にあなたの中に流入して来ること」を選択することなのです。 それがあなたを永遠に変え、兄弟姉妹が変化する基盤を築くのです。
これ(聖なる瞬間/二つのステップ)はこのように働くのです。

あなたが精霊に全てを任せてしまわず(兄弟姉妹のもとを)立ち去ってしまわなかったから、あなたが兄弟姉妹と共に立ち「聖霊があなたに示すこと」を聞こうとして関わったから、これ(兄弟姉妹の真理に対する気付きの流入)が起こったのです。 
それ(真理の流入)を許可しその機会(神の現れの出現)を提供することにより、「神の現れが素晴らしくリアル(現実)に成る場所/状態/機会を提供すること」があなたの役目なのです。
これはこれ程シンプルで、これ程愛に溢れ、これ程親切で、これ程意味深いのです。

不信心(自分の賢い思考に夢中に成ること)は

[Faithlessness would interpose illusions between the Son of God and his Creator; faith would remove all obstacles that seem to rise between them.]
[不信心は神の子とその創造者(神)の間に幻想を挿入しようとします。信心は「神の子と創造者の間に立ち昇っているように見えている全ての障害」を取り除きます。]

信心は障害には騙されないのです。
立ち昇って来ているように見えている障害を信じるべきではないのです。
あなたは障害と対峙しそれを否定するのです。
そして愛が(混乱をきたしていた所に明晰が現れる機会を提供する)忍耐と揺るぎのなさを促進するのです。

不信心は、あなたの最上の判断/思考は、
[Faithlessness is wholly dedicated to illusions; faith wholly to truth. ]
[不信心の全ては幻想だけに捧げられており、信心は完全に真理だけに捧げられています。]

何故、不信心は幻想に捧げられているのでしょうか?
何故なら、不信心は思考だけに捧げられており、あなたの思考は(創造者の衝動から出現しており創造の全ての部分が体現している「意味/意図」を無視しながら)意味/意図を想像することに使われているからです。

[Partial dedication is impossible.]
[部分的献身(信心と不信心の両方に自分を捧げること)は不可能です。]
あなたは「自分の一部だけを少し静かにして、自分の他の部分で少しだけ思考すること」は出来ません。

[Truth is the ABSENCE of illusion; illusion the ABSENCE of truth.]
[真理とは幻想の不在で、幻想とは真理の不在なのです。]
(静けさ同様)平和は自己主張/自己挿入の不在で、自己主張の不在(静けさ)の中から平和がやって来るのです。

これはシンプルに聞えるだけではなく、実際にシンプルなのです。
あなた達全員が平和に成り平和を瞑想し平和を体験することが出来るのです。
これは複雑ではなく、何年も勉強しなくてはならないことでもないのです。
必要なのは座ってリラックスして、今に存在して(意識を今に与えて)、呼吸を整えたりマントラを言ったりして、あなたの鼻腔を通り抜ける空気の感覚に注意を与えてたり(マントラの音に注意を与えたり)して、あなたの注意をそれ(呼吸/音/感覚/意識/体験)だけに与えることなのです。

そして自分が思考していることに気付いたなら、それを意識して、瞑想が終ってからその思考を続ける許可を自分に与え、瞑想やマントラを唱えることや鼻腔の空気に注意を与えることに戻るのです。

するとある時点で自分がもうマントラを唱えていない(もう空気の感覚を感じていない)ことにあなたは気付くのです。
その時「あなたの環境(静寂と平和)に対する純粋な意識」以外には何も起こっていないのです。

しかしあなたは「この静寂と平和の体験をある程度エンジョイしてそれから直ぐに日常的な普段の行動(今までの思考)に戻ってしまう」間違い(とここではそう言いましょう)を犯してしまうかもしれません。
でもあなたはこの平和を認識することが出来るのだから(瞑想の時間が終ったからといって)あなたが体験しているこの静寂を手放す必要はないのです。
あなたはこの平和を保ったまま自分の日常生活とその活動の中に戻って行くことが出来るのです。
そして(そこでは怖れのない視点が全てを統治している故に)あなたはより長い時間平和を保って、あなたの全ての行動を平和で祝福することが出来るのです。
だからわたし達が話していることはシンプルで簡単に得られるのです。

しかしそれには常に平和を選び続ける決意が必要なのです。
リアリティの中で愛が常に優しい表現を探し出しています。「あなたを新しくしあなたに新しい振舞いをさせる真理/リアリティは何なのか示す啓示」を体験する為に静寂の中で聖霊と繋がる決意をし続けることが必要なのです。
二つのステップをより頻繫に実践してください。
何故なら全ての瞬間において真実を選び癒やされること以上に正しいことはないのだから。
あなたは(何の約束/可能性も見せていないつまらない世界に見えている)「ここ」でこれをすることが出来るのです。 何故なら「何の約束/可能性も見せていないつまらない世界」は真実ではないのだから。


Chapter 19 – BEYOND THE BODY – Section: HEALING AND THE MIND
1 Sparkly Book – p.449 / JCIM – p.188 / CIMS – p.378
Chapter 19 – THE ATTAINMENT OF PEACE – Section: HEALING AND FAITH
First Edition – p. 371 / Second Edition – p.398

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Hiromi Okaue
2821 2nd Ave Suite 704
Seattle WA 98121 USA
(参照ページ)http://rajpur.blog13.fc2.com/blog-entry-220.html

この文章はサンローズが書き取ってくれた英文を元にしています。彼女へギフトされる場合下記がアドレスです。
Francine Mienik (Sun~Rose)
13 Dunes Lane、Port Washington
New York 11050


The Northwest Foundation for A Course in Miracles
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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