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ACIM12-06-03

わたし達は過去数週間、ACIMに対するシンプルな理解を可能にする為に、信心や不信心に対して少し狭い(より限定された)定義を使ってきました。

不信心とは、あなた達各人が自分達自身の理解に依存している状態です。
不信心とは、「人生を理解しようとしてあなたが使っている定義や意味」をあなたが超えてみようとしていない状態のことです。
不信心とは、「記憶以上のもの」は何も自分の理解の中に(自分の状況内に)持ち込もうとしていない状態です。
不信心とは、「アイディアを操作し論理を使って否定し得ない結論を導き、信心を全く使わなくても済む結果/状況を引き出す自分の能力」に対する自分の自信以上のものは何もあなたの理解の中に(自分の状況内に)持ち込もうとしていない状態です。
不信心は完全に自己中心的な行為なのです。

それに対してコースが説いていることが信心なのです。
(コースなどが引き出す)光明が現れるまでの人生が不信心なのです。
信心はあなたが自分の意志を静まらせた時の状態なのです。信心はあなたが自分の最上の思考を静まらせた時起こるのです。
あなたが自分自身への依存を止めて「自分自身を超えているもの」に手(意識)を伸ばした時、それが聖なる瞬間(二つのステップ)の実践なのです。

あなたが不信心を(つまり自己中心的視点を)放棄して、そこを飛び越えて進み、「父よ、神よ、存在の全ての源よ、聖霊よ、ここの真実は何ですか? 私は真理を見たいのです。私は神が成っているもの/ことをより多く見たいのです。私は(わたし達が物理的世界/宇宙と定義している)ここにおいてより多くのリアリティを見たいのです。」と言った時、あなたは聖なる瞬間を持っているのです。
「もしここが物理的世界/宇宙以上のものであるなら、もしここが本当に私によって誤知覚されている天国であるなら、私は決意を持って真摯に『自分が想像した全て』を放棄しましょう。 私は『自分の創造』への確信を取り下げましょう。そして私は父に(私の正しいマインドにしか過ぎない聖霊に)届くことへ決意を捧げ、不信心の結果から逃れられるようにしましょう。盲目であった私が見えるように成り目覚め、もう夢に捕らわれられなくなるように。」と言った時、あなたは聖なる瞬間を持っているのです。

だから信心と不信心はハッキリと明確に違うのです。
「神の子に成っていること」と「父よ、あなたから離縁を得て全てが何か私自身で決めたいですと言っていること」はハッキリと違うのです。
それらは混同しよう無く、見間違えよう無く、白黒ハッキリと違う状態(違う心情)なのです。

もしあなたが本当に目覚めようと思っているなら、今まであなたが行なって来たやり方(今までのあなたの働き)を放棄して「何か新しいこと」を働かせ始める必要があるのです。
あなたが働かせ始めるのは、あなた達が今まで全く聞いたことのない完全に新しいものではありません。あなた達はこれ(神の働き)を働かせるよりも別の働き(神から分離した人間の働き)を使うことをより好んでいるので、だからあなた達はこれ(神の働き)を働かせることを怠ってきたのです。
そして不信心(つまりあなた達が普段日常的に全ての物事を見ているやり方)は「あなたが自らの正気に返ること」に対して全く貢献していないので、あなたは不信心を使うことを拒否しなくてはいけないのです。 何故なら、あなたが不信心を使うことによってあなたの信心が(そしてあなたの信心の働きが)阻止されてしまうから。

下記が前回最後に読んだ文章です。

[Truth is the ABSENCE of illusion, illusion the ABSENCE of truth.]1
[真理とは幻想の不在で、幻想とは真理の不在なのです。]
だからそれらは明確に違うのです。

[Both cannot BE together, nor perceived in the same place. To dedicate yourself to both is to set up a goal forever impossible to attain, for part of it is sought through the body, thought of as a means for seeking out reality through attack, while the other part would heal, and therefore calls upon the mind and NOT the body.]
[それらは一緒には存在出来ませんし、それらを一緒の場所で知覚することも不可能です。真理と幻想の両方にあなた自身を捧げることは、永遠に取得不可能なゴールを設定することです。何故なら片方は(幻想は)体を通して求められており(攻撃を通してリアリティを求める方法として考えられており)、もう片方は(真理は)癒やすのだから。だからこれは(真理は)体にではなくマインドに呼び掛けるのです。]

[. . . part of it is sought through the body, . .]
[...片方は(幻想は)体を通して求められており、...]
と書かれています。

この文章の意味/意図は「幻想はあなた達が定義している体を通して考えられている。」です。
神のマインド内に抱かれた聖なるアイディアではなく、「父が特定のアイデンティティとして表現しているアイディア」の神聖を現し照らし出しているものとしてではなく、物資的生物として定義されている「体」を通して幻想のゴールが考えられているのです。
これは全ての体と全ての形に当て嵌まることです。

[The inevitable compromise . . .]
[...避け難い妥協なのです。]

日常の中であなたのファンタジーや個人的目的の都合に合わせて真理と幻想を少しづつ混ぜ合わせて一緒にしようとすることは、
[The inevitable compromise between the two is the belief that the BODY must be healed, and not the mind. ]
[マインドではなく体が癒やされる必要があるという信念は、(幻想と真理の両方に対してあなた自身を捧げようとすることから来る)避け難い妥協なのです。]

「父よ、私はあなたを離縁したいです。父よ、私は全ての意味を自分で決めたいです。」と言ってあなたが決めた所にあなたのマインドが居る時、それは妥協であり矛盾なのです。
父から離縁を求めそれに対して決意を与えた(それはマインドによって行なわれたのです)結果としてあなた達は眠りについたのです。
すると急に、全創造があなたの存在の全ての意味ではなくなり(つまり創造の全てからあなたが分離し始め)、あなたは「無限な創造の一部である特定のあなたを示すもの(分離した体)」だけを自分として認識するように成ったのです。
それからどうなったのでしょうか?
すると「おお、私は体だ! こんなことは期待していなかった。 でもこの体に定義を与えて私が出来るだけ最上な者に成れるようにしよう。私のマインドを使って私自身と私の世界を定義した結果として、私が最高な存在に成れるようにしよう。」とあなた達は考えた訳です。

これは不信心の最たるものでした。
この結果として、あなたの真実との自己同一ではなく、体/幻想との自己同一が起こり始めたのです。
しかしあなたが(神の共同創造者に成るのではなく)自分の為に考え自分だけで物事を決めようとしている限りこれは避けようがないのです。
全ての中に神を見て認識する者(全ての中で神を体験することにより神を認める者)に成り、そうすることにより創造を確認し、神の創造を認識し実体験することにより神の共同創造者に成ること{があなたの本来の働き/役目なのです}。

あなたが幻想と真理を一緒に持とうとしている時、
[. . . The inevitable compromise is the belief that the BODY must be healed, and NOT the mind.]
[マインドではなく体が癒やされる必要があるという信念は、(幻想と真理の両方に対してあなた自身を捧げようとすることから来る)避け難い妥協なのです。]

しかし実際にはマインドの中で問題が発生しており、マインド内で問題が解決される必要があるのです。

[For this divided goal has given both an equal reality, which could be possible only if the mind is limited to the body, . .]
[この細分化されたゴールが体とマインド{真理と幻想}の両方に同等のリアリティを与えており、マインドが体に限定されている限りこれが可能に見えるのです。]

つまり「自分のマインドは自分の体の一部である頭蓋骨内の頭脳の中に入っている」とあなたが考え始めた時、真理と幻想の両方がリアルに思えるのです。
しかし(体や頭脳や指の爪など)全ての中には全創造が入っていて、そこで聖なるアイディアに成っており、それら(あなたの体を含めた全てのもの)は「創造と呼ばれている神の動き」として認識され確認されるべきなのです。

[For this divided goal has given both an equal reality, which could be possible only if the mind is limited to the body, and divided into little parts of seeming wholeness, but without connection. This will not harm the body, but it WILL keep the delusional thought system in the MIND.]
[この細分化されたゴールが体とマインド{真理と幻想}の両方に同等のリアリティを与えており、マインドが体に限定されている限りこれが可能に見えるのです。 そしてマインドが(全体を構成しているように見える、しかし繋がりのない)小さな複数の部分に切り分けられているように見えるのです。これが(上記のように考えることが)体を傷付ける訳ではありません。しかしこれにより妄想的思考システムが「マインドの中」に保たれるのです。]

不信心を実践している間あなた達は自分達が神の子であることを忘れているので、今まで長い間あなた達は自分達が神の子であることを忘れていたので、あなた達は体が自分なのだ(体が自分を成り立たせている)と考えているのです。
あなた達が何度生まれ変わって来たにしろ、(あなた達の輪廻の中の)それぞれの人生の基礎は体との自己同一だったのです。罪/病/死を体験する体(あなたの神聖の真実を示していない体)があなたの拠り所だったのです。
あなた達の体(あなた達が定義しており体験している体)は永遠を示していないのです。
それはあなた達が自分達で空想した意味を(自分達の源との繋がりが無い状態から立ち昇って来ている意味を)体に与えているからです。
その結果として、あなた達の体は破壊され得るように見えており、破壊的に見えており、死ぬように見えているのです。

しかし、
[This will not harm the body, . .]
[これが(上記のように考えることが)体を傷付ける訳ではありません。 ]

あなたは好きなだけ何回でも人生を生きることが出来ます。あなたは体が自分だと信じて防御的に振舞い、体を使って世界を攻撃して世界を(そしてあなたを)よりハッキリと定義することが出来ますが、そうすることによって体が損なわれる訳ではありません。
そのように振舞ったとしても、体の真実(本当の体)は傷付けられないのです。
本当の体は神のマインド内に保たれているアイディアで、「動き(全能の行動)」によって動かされ生かされているのです。
これが傷付けられることは在り得ないのです。

あなたが生まれ変わりを信じていた場合{次のように言ってみましょう}。
「病気や事故などによって体が死んだように見えたとしても、あなたがその後も存在し続けていること」が真の体の不滅性の証拠です。{そしてあなたはそこでも(生まれ変わりの後でも)何らかの体を持っているのです。}
こうしてあなたは存在し続け、その後も存在し続けるのです。
だから体は{真の体は}破壊されないのです。しかしあなたが体に対して与えている定義を放棄するまで、体の中に(自分の中に)あなたが神を見ることはないのです。
そうしている間(神を無視している間)あなたは体の中に永遠を見ないのです。 しかし{それが無知な状態であるにしても}人生が何度も繰り返されることの中にも永遠は反映されているのです。

だから、
[This will not harm the body, . .]
[これが体を傷付ける訳ではありません。]

幻想を真理と同等にしようとしたり、幻想と真理の両方を使ってそれらを混ぜ合わせたりすることが、
[. . . This will not harm the body, but it WILL keep the delusional thought system in the MIND.]
[これが(上記のように考えることが)体を傷付ける訳ではありません。しかしこれにより妄想的思考システムが「マインドの中」に保たれるのです。]
何故なら妄想/幻想が起こり得るのはマインド内だけだから。
幻想が起こっているのはマインド内だけなのです。
そして「人間的状況の解決は、体との自己同一(体認識)からマインドとの自己同一(マインド認識)へシフトすることである」とコースは教えようとしているのです。

[Here, then, is healing needed. And it is here that healing IS.]
[だからここで(マインドの中で)癒しが必要なのです。そしてここに(マインドの中に)癒やしが存在しているのです。]

マインド内以外には癒しは在り得ないのです。
[For God gave healing not APART from sickness, nor established remedy where sickness cannot be.]
[何故なら神は、病から遠く離れた所に癒やしを与えてはおらず、病が在り得ない所に救済手段を設定した訳でもないのだから。]

だから神は物理的宇宙の中に薬(解決)を与えては居ないのです。
神は体の中に特効薬を与えてはいないのです。神は間違えが起こっている所に薬(癒やし)を与えているのです。 無知が表明されている所に(それはマインドです)神は薬を与えているのです。

[They are TOGETHER, and when they are SEEN together, all attempts to keep both truth and illusion in the mind, where both MUST be, are recognized as dedication to ILLUSION; . .]
[病と癒やしは一緒に存在しており、それらが一緒に「見られた」時、「真理と幻想をマインドの中で一緒に保つ全ての試み」が幻想への献身として認識されるのです。 真理も幻想もマインド内に「在る」のです。{真理も幻想もマインド内の状態なのです。}]

上記が明確に理解されたなら、幻想とは間違った知覚で、真理が正しい知覚であることが解るのです。幻想とはリアリティに対する誤った知覚で、真理とはリアリティに対する正しい知覚なのです。
それらは両方とも知覚なので、正気のマインド内にそれら両方が同時に存在することは不可能です。「聖なるマインド」内にそれらが共存することは不可能です。
あなたがこれを明確に理解した時、人間的状況を聖なる状況内に組み込もうとしたり、神聖によって人間的状況を変化させながらそれを人間的状況のままに保とうとしたりするのは無意味なことだと解るのです。
そしてあなたがするべき事が明確に成るのです。
あなたはこれをマインド内でする必要があると理解するのです。
聖なる瞬間を使ってあなたはこれをするのです。
二つのステップ(あなたが自分のマインドを黙らせ、平和/静寂な意識の中に留まること)を使ってあなたはこれをするのです。

その平和の中であなたは求め「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねるのです。
「聖霊よ、神の真っ直ぐな真実はここでは何なのですか?」と訊ねるのです。
そしてあなたは静寂を守り続けるのです。慣れ親しんでいる思考に戻るのではなく静寂を保持し続けるのです。
あなたは真理を知ること(真実があなたに示し知らされること)に献身を与え続けるのです。

そして私は常にここに居て「あなたが求め訊ねた時父が必ず答えるのだ」ということをあなたのマインドに言い続けているのです。
あなたの神聖(あなたの正しいマインドに過ぎない精霊)にあなたが手を伸ばした(意識を届けた)時聖霊が答えるのです。 何故なら聖霊(あなたの神聖)の統一性と合一が存在の性質(あなたの性質)を決めているものなのだから。
だからあなたは真実と幻想の白黒ハッキリした違いを認識する必要があり、真実を粘り強く選び続けなくてはいけないのです。

これが複雑に見えているのは、あなたが生命に対して下した自分の最上の判断/定義/意味に多大な投資(信念)を与えているからです。
それら(あなたの判断/定義/意味)は全て「あなたが自分一人でより完結したよりパーフェクトでより価値ある存在に成ろうとしていること」と関連しているのです。
そして不信心を手放すことは、あなた独自の統一性(実在性)を放棄することのように思えるので、だからこれが難しいのです。 だから不信心を手放すことは、あなたの安全に反することに見えるのです。

[They are TOGETHER, and when they are SEEN together, all attempts to keep both truth and illusion in the mind, where both MUST be, are recognized as dedication to ILLUSION; . .]
[病と癒やしは一緒に存在しており、それらが一緒に「見られた」時、「真理と幻想をマインドの中で一緒に保とうとする全ての試み」が幻想への献身として認識されるのです。 ]
この認識が「学習」なのです。これがあなたを新しい場所に置き、あなたに新しい基盤を与えるのです。

[. . . when they are SEEN together, all attempts to keep both truth and illusion in the mind, where they [both] MUST be, are recognized as dedication to ILLUSION; . .]
[それらが一緒に「見られた」時、「真理と幻想をマインドの中で一緒に保つ全ての試み」が幻想への献身として認識されるのです。 真理も幻想もマインド内に「在る」のです。]

しかし真理と幻想を一緒に保とうとすることは馬鹿げているのです。

[. . . and given up when brought to truth, and seen as totally unreconcilable with truth, in any respect or in any way.]
[そして幻想への献身が真理の下に持って来られた時、それ{幻想}は放棄され、それを真理と融合させることは(どの様な意味でも、どの様な方法でも)全く不可能だと理解されるのです。]

人間的状況と神聖の体験は統合不可能です。
それらは両立不可能で、それらを一緒にすることは出来ません。
正しい知覚の為に誤知覚は放棄されるのです。
一旦あなたが決意を持って真理を選択しその選択を保持し続けたなら、 正しい知覚と誤知覚が(その中のどちらかを選択出来るものとして)同時に存在しているようにはもう見えなくなるのです。

[Truth and illusion have NO connection.]
[真理と幻想には繋がりがありません。]

信心と不信心には繋がりが全くありません。
{父を離縁している孤児達が住んでいる}孤児院と天国には繋がりがありません。
幻想が放棄された時、二つに見えているものが一つに成るのです。
これが要点なのです。この為にあなた達は聖なる瞬間を実践しているのです。

[Truth and illusion have NO connection. This will remain forever true, however much you seek to connect them.]
[真理と幻想には繋がりがありません。あなたが幾らそれら(真理と幻想)を繋げようとしても、これ(真理と幻想が繋がっていないこと)は永遠に真実なのです。]

「オオ! 私は神に聖別されたい(神に選ばれたい)。私は神からインスピレーションを受け取りたい。神聖の体験で満たされて、同胞が助けられるように、カオスと闘争に溢れているように見えるこの世界を変容出来るように。」
しかしあなたがこう言っていたとしても、それは幻想と真理を一緒にしようとすることなのです。それは信心と不信心を混ぜ合わせようとすることなのです。

何故ならあなたは「争いに溢れている世界とは異なった世界(何故ならそれは神聖な世界なのだから)」に手(意識)を伸ばしながら、「争いに溢れている世界」を保ってそれを直そうとすることは出来ないのだから。
あなたは真理を掴み取りながら自分の足を孤児院の中により強く据え付けることは出来ないのです。「自分を不信心の中に(全てに対してあなたが与えた定義の場所に)据え付けたままにすること」は聖なる瞬間ではなく、それは目覚めではないのです。
何故なら「ここにある神のより多くは何なのだろう? ここに私が見ているもの/ことに対するより多くの神の現れは何なのだろう」とあなたが訊ねて、(神の真実を選ぶ)この選択を行い、啓示が起こるまでこの選択をし続ける決心をしているなら、あなたはもうあなたの定義や意味のレンズを通して世界を見なくなるのだから。

だからあなたは「愛を求める声」を認識することが出来、その声をどのようにして届けるべきか(その声をどのように聞くべきか)知っており(何故なら「愛を求める声」に対してどのように対処するべきか父があなたに照らし示すのだから)、だから修正が起こるのです。

しかしそれは古いものを直すことではなく、それは誤知覚の修正になるのです。
何故なら修正を必要としているのは、世界や体ではなく、誤知覚しているマインドなのだから。

そして全てを(全てのものの神聖の中にある父の知覚を通して)パーフェクトに見ることがマインドの生得権なのです。


{上記の文章は『自分の理解を元に世界を修正しようとするべきではなく、まず第一に(二つのステップ/聖なる瞬間を通して)あなたの誤知覚が修正されることが先で、あなたの誤知覚が修正されたなら世界に対するあなたの振舞いも変化し、それによってあなたの目の前に現れている世界も修正されるのだ。』と言おうとしているのだと思います。 訳注}

[Truth and illusion have NO connection. This will remain forever true, however much you seek to connect them. But illusions are ALWAYS connected, as is truth.]
[真理と幻想には繋がりがありません。あなたが幾らそれら(真理と幻想)を繋げようとしても、これ(真理と幻想が繋がっていないこと)は永遠に真実なのです。]
全ての真実は(他の真実と)繋がっており、全ての幻想は繋がっているのです。

[Each is united, a complete thought system, but totally disconnected to each other.]
[しかし幻想は常に他の幻想と繋がっており、真理もまた他の真理と繋がっているのです。真理も幻想もそれぞれ一つにまとまった完全な思考システムなのですが、真理と幻想はお互いとは繋がっていないのです。]

不信心と信心は完全に切り離されているのです。
孤児院と神の子の共同体は完全に切り離されているのです。
しかしそれらは「完全に分離した個別のもの」を現しているのではないのです。
それらは二つの完全に異なった知覚から来ているのです。
{ここでは「真理を見ている知覚と幻想を見ている知覚は繋がっておらず、重なってもいない」と言っているようです。訳注}


[Where there is no overlap, there separation must be complete.]
[重なり合いが無い所で、それらの分離は完全であるに違いないのです。]

リアリティと非リアリティは完全にお互いから隔離されており、幻想と真理はお互いから完全に隔離されているのです。
「孤児に成っていること」と「神の子に成っていること」はお互いから完全に離れているのです。
それらには繋がりがなく、それらは重なり合って存在してはいないのです。
{幻想と全く重なっていない真理が見えている}そこでマインドが{真実を}知覚し始めるのです。 信心を通して急に正しい知覚が起こり始めるのです。

[Where there is no overlap, there separation must be complete. And to perceive this is to recognize where separation IS, and where it must be healed.]
[重なり合いが無い所で、それらの分離は完全であるに違いないのです。これを知覚することは、何処に分離があるか認識することで、と同時に、何処でそれ{分離}を癒やすべきか認識することなのです。]
分離が起こっているのはマインドの中で、分離が癒やされるべき場所もマインド内なのです。 
{つまり神から分離した神の子のマインドの中には真理と幻想の両方が見えているけれども、マインド内に現れている幻想の知覚と真理の知覚には繋がりも重なり合いもない。マインド内の分離/幻想を癒やし、マインド内に真理しかない状態になれば、マインド内の知覚も真理だけになりリアリティだけが見られるように成る。と言うことなのでしょうか? 訳注}

[The result of an idea is never separate from its source. The IDEA of separation produced the body, . .]
[アイディアの結果は、その源から決して分離していないのです。分離のアイディアが体を「作って」おり...]

分離のアイディアが「あなた達が体に対して作り上げている定義群によって作られている体」を作っているのです。そしてそれらの定義群の中には全く神が含まれて居ないのです。

[The IDEA of separation produced the body, and remains connected to it, making it sick because of its identification with it.]
[分離のアイディアが体{あなた達が体に与えている定義}を「作って」おり、体と繋がり続けており、体との自己同一によって(自分を体と認識することによって)体を病気にしているのです。]

「源と繋がっていないように見えているもの」は、その源の性質/特質やリアリティを持っていないように見えるのです。
神が居なければ(神と繋がっていない時)あなたが体験しているものは体{分離した体}なのです。
その場合、罪/死/病が避けられないのです。
しかしこれが体{真の体}を損なう訳ではありません。

あなたが同じ事を何度も繰り返し続けており、死と等しい一日の終わりを迎え続けており、そして次の日がやって来て、それが前の日の繰り返しであったなら、それ以外のことが起こっていなかったなら、それなら今までとは何か違うことを試してみる正当な理由があなたにはあるのです。

「体に対するあなたのアイディア」と「体に対するあなたのアイディアの結果」の繋がりを隠すことにより、
[You think you are protecting the body by hiding this connection, for this concealment seems to keep your identification safe from the "attack" of truth.]
[「この繋がり(アイディアとその結果の繋がり)を隠すことにより自分は体を守っている」とあなたは考えています。]

「あなたの体が存在している(全ての形が表れている)そこの真理が何か?」訊ね聞き続けようとすることにあなたがより多くの決意を捧げる度に、答えを迎え入れることにより近づく度に、あなたはより居心地悪く感じるのです。 あなたはより怖れを感じるのです。 何故なら、そうすること(真理を訊ね聞くこと)は「自分一人で自分の力で独立的な存在に成ろうとする試み」をあなたが放棄しなくてはならないことを意味しているから。
そしてこれは(独立性を放棄することは)あなたの完全性/実体性を致死的に侵害することなのです。
勿論これは『「あなた誰であるべきか」そして「あなたが誰に成るべきか」に対してあなたが与えた定義』の完全性を致命的に侵害するという意味なのです。
これはあなたの完全性/実在性を(あるいは完全性を作り出す可能性を)あなたが失うことを意味しているので、だからこれはあなたが無に成ることを意味しているのです。
真理がこれを暴き示してしまうことをあなたは怖れているのです。信心がこれを暴き示してしまうとあなたは考えているのです。
しかしあなたがまだ理解していないのは、{真理が暴き示されたなら}あなたに覆いかぶされているもの(あなたの誤知覚/あなたの定義)が消えて、あなた自身が正気であることが発見されるということなのです。 神の永遠の共同創造者としてのマインドがクリアに示されるということなのです。

[If you but understood how much this strange concealment has hurt your mind, and how confused your own identification has become because of it! You do not see how great the devastation wrought by your faithlessness.]
[この奇妙な隠蔽がどれだけあなたのマインドを痛めているか理解したなら、その結果としてどれだけあなた自身のアイデンティティが混乱しているかあなたに理解出来たなら、(この隠蔽を続けることは不可能です)。あなたの不信心によってどれだけ大きな惨事が引き起こされているか、あなたは見ていません。]

あなたの不信心によって...つまりあなたの自己利益への執着やあなた自身のアイディアや考えへの執着によってどれだけの惨事が引き起こされているか、あなたはまだ理解していません。

[For faithlessness is an attack which seems to be justified by its RESULTS. For by withholding faith, you see what IS unworthy of it, and cannot look beyond the barrier to what is joined with you.]
[何故なら、不信心は(その「結果」によって正当化出来るように見えている)攻撃なのだから。何故なら、信心を差し控えることにより、あなたはそれ(あなたの信心)に値しないものだけを見ており、「あなたと繋がっているもの」が作っているバリア(防御壁)を超えて見ることが出来なくなっているのだから。]

それ(神を抜きにしたあなただけの考え=不信心)があなたを縛り、あなたを拘束し、あなたを無知に留めているのです。
それがあなたを無意識にさせており、あなたに誤知覚をさせているのです。
その結果としてあなたは「あなたが本当はどこに居るか/あなたが本当な何か/全てのものの性質が何か」解らなくなっているのです。

[To have faith is to heal.]
[信心を持つことが癒やすことです。]

信心を持つことが答えなのです。
信心を持つことがあなたの存在(あなたの在り方)を満たすことなのです。
これによってあなたが十全にフルに成り、あなたが統合され、「愛の現れとしてのあなた、父の現れとしてのあなた、欠乏や苦しみや羨望や憎しみや病や死を決して体験しない存在であるあなた」への気付き/意識がもたらされるのです。

[To have faith is to heal. It is the sign that you have accepted the Atonement for yourself, . .]
[信心を持つことが癒やすことです。それはあなたがアトーンメント(贖罪/神との和解)を自分自身の為に受け入れた証拠であり、...]

あなたが思考を使わずに静寂の中に押し進んで行った証拠が「あなたが信心を持っているということ」なのです。
より注意深くより頻繁に聞き続けることにより静寂の中に押し進んで行くのです。そして「知られていないもの」を抱擁し、「知られていないこと」に対してあなたの注意を与えることにより、不信心を使うよりも有効な行動があると信じられるように成るのです。
これがあなたのマインド内でより一層リアルに成った時、それが幻想を破ることに貢献するのです。

[ and would therefore share it. By faith, you offer the gift of freedom from the past, which YOU received.]
[...それ故にあなたはそれを分け与えようとするのです。信心によって、あなたは(あなた自身がすでに受け取っている)過去からの解放のギフトを捧げ与えるのです。]

あなたがこれをした時、あなたが過去から解放されるのです。 つまりあなたの不信心から、あなたの全ての思考/判断/裁きから、あなたが解放されるのです。全ての意味を定義しようとしたあなたの決め付けからあなたは解放されるのです。

[You do not use anything your brother has done before to condemn him NOW. You freely choose to overlook his errors, looking past all barriers between your self and his, and seeing them as one.]
[(信心を持っている時)あなたは、過去にあなたの兄弟が行なったことを(それがどの様なことであろうとも)使って今彼を非難(断罪)しようとはしないのです。あなたは自在に彼の間違いを無視して、あなた自身と彼の間の全バリアーを見越して、彼等を(あなたと彼を)「ひとつのもの」として見るのです。]

あなたが静寂の中に入って行った時、これが起こるのです。
あなたがフニャフニャなバブルを貫き破った時、これが起こるのです。

[And in that one you see your faith is fully justified. There IS no justification for faithlessness, but faith is ALWAYS justified.]
[(あなたと兄弟が一つに成った)この「ひとつのもの」の中であなたの信心が完全に正当であることをあなたは見るのです。 そこには不信心を正当に見せている理由は全く存在しておらず、信心が常に正当なのです。]

不信心とは「今まで一回もうまく働いたことが無いもの」なのです。
「不信心と繋がっている全てのもの」は何一つ実っていないのです。
私が言おうとしているのは、夢見ているあなた達の誰一人として、あなたの源から分離した存在に成ったことはないと云うことです。自分独自の権限を持った独立存在に成れた人は一人も居ないのです。

だから勇気を持って決意(コミットメント)してください。あなたに出来ること(二つのステップ)をすることによって、勇気を持って(例え何らかの抵抗があったとしても)「知らないもの/不可知」の中に突き進んでください。
あなたは本当に何時でも「父よ、ここの真理は何ですか?」と言えるのです。
この言葉はとてもシンプルなので、あなたは意図と共にこの言葉を言うことが出来るのです。
この言葉を言っている時、あなたは人間の父に訊ねているのではなく、あなたは人間的状況を超えて尋ね求めているのです。

『父よ、ここの真理は何ですか? 父よ、ここの真実は何ですか?
私はもう狂気の中に留まることを選び続けようとは思いません。「自分は明晰な状態にある」と考えて無知な状態に留まろうとはもう思いません。
聖霊よ、私の正しいマインド(正気)に過ぎないものよ、ここの真理は何ですか?
私はあなた(聖霊)を自分の中に歓迎します。私はあなたを迎え入れましょう。あなたが私の自由意志を侵害出来ないことは知っていますが、あなたが私の壁を破って入って来れるようあなたに出来る全てのことをしてください。
自己意識/自己主張(willfulness)の中に居る私の中にあなたが届くよう、あなたに出来る全てのことをしてください。そして自己意識/自己主張を放棄する為に私は自分に出来る全てのことをしましょう。』
これらは全て、シンプルに聞えること(単純化し過ぎた言いかた)ではなく、シンプルなのです。

終わり。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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