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ACIM12-07-29

わたし達は信心と不信心に関して話して来ました。これらの言葉の意味をより深く掘り下げて来ました。
一般的には「ある人が不信心だったり、ある人が信心深い人であると」考えられています。今までは「信心が在るか無いか」が不信心と信心の違いだと考えられてきました。 

「あなたが信心を持っていたなら、あなたは信心深く、あなたは世界の中でポジティブな方向を向いている。そしてあなたが不信心であったなら、あなたの信心は不足している。」と考えられてきました。
人々は多くの信心を持っては居らず、だから人生に対してポジティブな志向を体験出来ていないように見えていました。
しかしわたし達が話して来たとおり、そしてコース・イン・ミラクルズもこれを説明しようとしているのですが、(ACIMそして聖書の中では)これらの言葉に対して従来とはかなり違う意味が与えられているのです。

不信心は「ただ信心が不足している状態(ポジティブ志向の不足)」ではないのです。
不信心という言葉を使ってわたし達が言い表そうとしているのは「あなた自身だけで{聖霊/神の意図を無視して}人生の意味や結論を導いている状態」のことなのです。 あなたが「あなたのマインド」と「あなたの空想」と「あなたの論理」だけを使って人生/命の意味と結果を決めている状態が不信心なのです。
つまりこれが信心の実践だと今まであなた達が考えて来たことは、創造の全てを作っている父と繋がることではなかったのです。
その結果として{神から分離している自分の思考/判断/知覚だけを信じた結果として}、あなたは真理に対して自己防御しており、あなたは真理に対して自分を盲目にしてしまっており、だからあなたの結論/見解は真理を反映しているものではなかったのです。
だから今まであなた達が信心と呼んできたものは実際には不信心なのです。

{自分は信心を自分の中に持っているべきだと考えていた}あなたはまだ自分の上にもたらされる(自分の元に下ってくる)信心を受け取っては居なかったのです。 あなたはまだ『あなたが自分の最上の判断と最上の論理を捨てて「父よ、ここの真理は何ですか?」と言った時あなたを満たす信心』を受け取っていなかったのです。

これをした時(父に訊ね聞いて、父からやって来る信心で自分を満たした時)あなたは聖なる瞬間を実践しているのです。
父に対して自分を開き父からの答えを求めることが、信心を「持つ」為にあなたがするべきことなのです。
リアルな信心とは「あなたの中の無垢な好奇心が父まで届いている時に父があなたを信心で満たしているが故にあなたに示されていること」なのです。
あなたの状態に対する真理をあなたに暴き示すことにより、父があなたを信心で満たすのです。
このインスピレーション(父があなたを信心/確信で満たすこと)の結果として、今まであなたが理解していなかったことをあなたは理解するのです。
信心とは、あなたがあなた自身に依存することではなく、あなたが父の中に寄り掛かって行くこと(父の中に入って行くこと)なのです。

不信心とは、あなた自身に依存することによって父を排除してしまって、そうすることによってあなたが体験している全てのことを誤解し誤認識することなのです。
わたし達はこれ(あなたがあなた自身の最上の判断を信頼している状態)を孤児の状態と呼んでいるのです。 何故なら、その時あなたは父からあなた自身を分離してしまっているのだから。
そして信心とは、父とあなたの繋がりをあなたが再確立して、父のインスピレーションをあなたが受け取っている状態なのです。
不信心の実践(独立存在としての自己に依存すること)が「天国が物理的宇宙として目の前に現れている状態」にあなたを置くのです。

信心の実践が父との確たる関係の中にあなたを据えて、父が与える認識があなたの中に流入して来ることにより、天国が天国として見えるようになるのです。

上記がどのような意味を持っているのか説明しましょう。
不信心はポジティブな思考の欠如というようなことだけではないのです。
不信心は独立行動なのです。この独立行動が「神の法が全てを統治していない物理的宇宙/世界の中にあなたが存在しているような体験」をあなたに与えているのです。
信心の実践は 「神の法が全てを統治している聖なる瞬間の中であなたが父とコミュニケーションしている状態」にあなたを置くのです。

不信心と信心の違いを、次元の違いのように言い表すことも可能です。
信心の実践が「三次元的宇宙とあなた達が呼んでいる世界(物理的世界/物理的出来事/物理的生命/物理的死)」の外の次元にあなたを導くのです。
信心と不信心は全く違う世界をもたらすのです。(信心と不信心の違いは)創造に対するあなたの体験を全く異なったものにするのです。

“Be ye transformed by the renewing of your minds.”
「あなたのマインドが新しくされることにより、あなたは変容されなさい。」

そして父に訊ね聞くことにより、あなたはマインドを新しくするのです。

あなたは罪や病や死や苦しみや嫉みや、その他諸々の苦しみから解放されたいですか?
であれば不信心の実践を止めなさい。あなた自身に依存することを止めなさい。
何故なら不信心の実践が(死に行く物理的物質として全てが現れている)物理的世界にあなたを留めてしまうから。

「自分以外のもの」とのコミュニオン(霊的交歓)状態にあなた自身を置くことにより、それ(自分自身以外のもの)があなたの父であることを知っているので、それが神であることを知っているので、それが無限の知性であることをあなたは知っているので、あなたはそれ(父/神/あなた以外のもの)を信じるのです。こうしてあなたは信心を実践するのです。
あなたは「他の次元とでも形容するしかない体験」を求めているので、だからあなたは決意を持って{父と、あなた自身以外の何者かと}繋がるのです。

別の言い方をするならば、不信心の実践は(自己に依存することは)狂気なのです。
(人が自己への依存/固執を実践している)その時人が体験する全ては狂気なのです。何故ならその時には全てが誤知覚/誤認識されているのだから。
その時あなたが体験していることは全て歪んでおり、従ってあなたはバランスを欠いておりクリアではなく、そこには平和が無く調和が無く健全が無く、そこには何らかの混乱状態が現れているのです。
しかしそれら(平和/調和/健全)があなたの生得権(当然の権利)なのです。

では聖なる瞬間を実行/実践する目的は何なのでしょうか? 
信心の実践の目的な何なのでしょうか?
それは父のギフトがあなたに届き、あなたに理解されるように成ることなのです。
あなたが父と繋がり、父(あなたの全ての意味は父に由来しているのです)とあなたの関係を再確立することが「信心を実践する目的/聖なる瞬間の目的」なのです。

それは何故でしょうか?
それはこのように父と繋がった状態/マインドで(信心の啓示としてあなたにもたらされる父の視点から)兄弟姉妹と関わり合う為です。
こうしてあなたは「あなた自身と兄弟姉妹に対する新しい理解」を(父から)受け取り集めるのです。
父と繋がることは「父だけと繋がること」ではなく、それはあなたのファミリーと繋がることなのです。 
あなたが父と繋がることは、神の聖なる子の全員とあなたが繋がることであり、それによってファミリーの一体性が修復されることなのです。

だからあなたは父と繋がるべきなのです。 
するとファミリーのハーモニー(調和)が修復されるのです。
途切れることのないファミリーの愛{の流れ}が修復されるのです。全体性/調和/パーフェクションが全ての神の子達によって体験されるように。
瞬間的に兄弟姉妹/世界/全てと聖なる関係に入れるよう、そしてその(兄弟姉妹/世界/全ての)パーフェクション(完璧性)が修復されるよう、あなたは聖なる瞬間を実践するのです。
隔たりなく愛を共有し表現し愛を抱擁することが、父からあなたに与えられている(「兄弟姉妹に対する明確な知覚/視界」の外に兄弟姉妹のどの一部をも取り残したいとは一瞬も思わない)愛を抱擁することが、あなたの体験するべきこと(あなたの生得権)なのです。

だからわたし達はここにおいて二つの明確に異なる状態(信心と不信心)を言い表しており、あなたはその内の一つを選ぶ必要があるのです。
一つは不信心です。それは傲岸な自己信頼/自己表現なのです。それは源を必要としていない(今まで一度も源を持ったことが無い、彼にとっては神が空想上のものにしか過ぎなく成っている)この偉大な自己が傲岸に統治している状態なのです。
これが一つの選択肢です。

もう一つの選択肢はシンプルなプロセスを行なってあなたの正しいマインドに立ち返ることです。
それは「二つのステップ」です。
それはあなたがあなた自身を黙らせて「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ね、(どのようにしたらあなたが偉大に成るのか訊ね聞くのではなく)真理が何か知りたいという願いだけを保つことなのです。これはあなたを中心に(自分はこのようなものであると現在あなたが考えていることを中心に)展開されることではないのです。
「父よ、私に関する真理は何ですか?」とあなたが訊ねている時でさえ、あなたは父の視点から見た「あなたに関する真理」を訊ねているのであって、「あなた個人の視点」を求めているのではないのです。何故なら「あなたに関する真理」は「あなたに想像出来ること」からは遥かに異なったものなのだから。 神の聖なる息子であり、神の聖なる娘である、あなた達よ!


では本を読み始めましょう。

[Your holy relationship, with its new purpose, . .]
[この新しい目的を与えられたあなたの聖なる関係は...]

新しい目的とは何でしょうか?
それは{父によって、聖霊によって}適切な行動があなたに示されるまで、関係の中で何も行なわず{父に訊ね聞き続ける}目的/意欲です。
「父よ、何がここの真理なのですか? 私はあなたの視点を知りたいです。あなたの視点/視界によって私が満たされて、それが私が見ている兄弟姉妹の全てを彩ることが出来るように。」とあなたが自分で言うまで兄弟や状況に対して反応/対応することを控えた故に真理があなたに示されるのです。
相手/他者に対するあなたの知覚/認識を(あなたがまず第一に「父よ、私のパートナーに関する真理は何ですか?」と父に訊ねた故にあなたにもたらされた)父からの視点に基づかるべきなのです。

聖なる関係の新しい目的とは、(父からのギフトとしてにあなたに与えられる)父の視点から関係を築こうとすることなのです。
何故ならこの視点を受け取ったなら、あなたは変革の使者に成るのだから。 あなたは癒やされた者に成り、癒しのギフトを拡張出来る(差し伸べることが出来る)者に成るのだから。 
あなたは誰に対して癒やしを差し伸べるのでしょうか?
「聖なる関係を持とうとしているあなたの相手」に対して癒しが差し伸べられるのです。

これは今までよりも優れた何か新しいことをあなたが自分一人で学び、(より大きな全体を求めることなく、違う次元の体験を求めることなく)自分が学んだことを兄弟に対して行なうことではないのです。 

[Your holy relationship, with its new purpose, offers you faith to give unto each other.]
[この新しい目的を与えられたあなたの聖なる関係は「あなた達がお互いへ与えるべき信心」をあなた達に与えます。]

つまり信心があなたに与えれるのです。
あなたに与えられたその信心をあなたはパートナーに与えるのです。 
これは{信心がお互いにわかち合われることは}瞬間的/自動的に起こるのです。
あなたの視点の中に明晰が浸透し、それが自然と瞬間的に(聖なる関係をあなたが持とうとしている)兄弟/姉妹/世界へと差し伸べられるのです。

[Your faithlessness had driven you apart, . .]
[あなた達の不信心があなた達を隔てており、...]

これは人類全てに当て嵌まることなのです。
お互いに対して、神の聖なる子供としてではなく、独立存在として関わり合っている人達全てにこれが当て嵌まるのです。

[Your faithlessness had driven you apart, and so you did not recognize salvation in each other.]
[あなた達の不信心があなた達を隔てており、だからあなた達はお互いの中に救済を認識しなかったのです。]

上記の文章は『あなた達はお互いを理由に{相手の為に}「父に手を伸ばし(父の元に自分達の意識を届けて)真理を知ろうとすることが出来ることを理解していなかった』という意味です。
{父と繋がって真理を知りたいと求めたなら}あなたは明晰によって(明晰なヴィジョン/スピリットによって)満たされて、それがあなた達両者を祝福することに成るのです。
あそこに在る(あなたの外に見えている)あなたの兄弟姉妹の体の中にあなたの救済が在るのでは無く、兄弟姉妹の救済がここに座っているあなたの「体」の中に在る訳でも無いのです。
あなたの兄弟姉妹を「父に自分の意識を届ける(父と繋がる)理由にすること」が救済をもたらすのです。{あなたの兄弟姉妹の為に、兄弟姉妹の真実を求めて、あなたが父に訊ね聞きたいと願い、それを実践することが救済をもたらすのです。}
このことにあなたの救済が掛かっており、あなたに対する兄弟姉妹の救済もこれに依存しているのです。


[Your faithlessness had driven you apart, and so you did not recognize salvation in each other. ]

[あなた達の不信心があなた達を隔てており、だからあなた達はお互いの中に救済を認識しなかったのです。]

[Yet faith UNITES you in the holiness you see, not through the body's eyes, but in the sight of Him Who joined you, and in Whom YOU are united.]

[しかし信心があなた達を(体の目を通してではなく、あなた達と繋がった彼=聖霊の視界を通して)あなた達が見ている神聖の中でひとつにしています。 そして彼の中で「あなた」がひとつに成っているのです。]

父からのギフトである信心があなた達を一つにするのです。
あなたが見ている神聖の中で、つまり父があなた達に与える視点/視界の結果として、あなた達は一つなのです。

誰があなたと繋がったのでしょうか?
父あるいは聖霊の視点があなたとあなたの相手を瞬間的に繋げたのです。
するとあなた達は真理と愛によって照らし出され、聖なる関係の中で新しいパートナーに成るのです。
この新しいパートナーシップは、父があなた達に与えた明晰なギフト(明晰な理解、明晰な視界)の結果なのです。
あなたが父を無視してあたかも自分は独立存在であるかのように振舞っている間も(ああたがそのような選択をし続けている間も)、明晰なギフトをあなたに与え続けることが父の意志であり続けているのです。
父からのこのギフトとその結果は恩寵としか言い表せないものです。

[Grace is not given to a body, . .]
[恩寵は体{に与えられるの}ではなく...]

体としてここに存在している私が、あそこに在る体として存在しているあなたに何かを与えるのでは無いのです。

[Grace is not given to a body, but to a MIND. And the mind that receives it looks instantly beyond the body, .]
[恩寵は体ではなくマインドに与えられるのです。そしてそれ(恩寵)を受け取ったマインドは、直ぐに体を超えて見て、...]

何故なら、あなたが受け取る洞察の中でそれが(体を超えるて見ることが、恩寵が)起こるのだから。
その時「体に対する自分の全ての知覚が正確であった訳ではない」とあなたは気付くのです。
体に対する(そして体の無垢と神聖に対する)今までとは全く違った知覚が存在しているのです。
そしてあなたは、今まであなたが見ていた意味(それによってあなたが全てを決めていた定義)を超えて見始めるのです。
そしてあなたは、父の洞察と光明のギフトをおかげで暴き示された人を見るのです。

[. . . faith UNITES you in the holiness you see, not through the body's eyes, but in the sight of Him Who joined you, and in Whom YOU are united. Grace is not given to a body, but to a MIND. And the mind that receives it looks instantly beyond the body, and sees the holy place where it was healed. ]

[...信心があなた達を(体の目を通してではなく、あなた達と繋がった彼=聖霊の視界を通して)あなた達が見ている神聖の中でひとつにしています。 そして彼の中で「あなた」がひとつに成っているのです。恩寵は体ではなくマインドに与えられるのです。そしてそれ(恩寵)を受け取ったマインドは、直ぐに体を超えて見て、それ(マインド)が癒やされている聖なる場所を見るのです。]

父があなたの中に浸透させるマインド(理解)は、創造の瞬間にあなたの中に浸透して行ったものなのです。
しかし今父と再度繋がり直すことをあなたが決めたので、あたかも初めてこれが自分の中に浸透しているようにあなたは感じるのです。

[. . . looks instantly beyond the body, and sees the holy place where it was healed. THERE is the altar where the grace was given, in which it stands. ]

[...マインドは、直ぐに体を超えて見て、それ(マインド)が癒やされている聖なる場所を見るのです。そこには恩寵が与えられた聖壇があり、それがその中に{恩寵が祭壇の中に}立っているのです。]

祭壇の中に恩寵が立っているのです。
祭壇とは「父の視点/知覚の明晰が浸透しているマインド」なのです。
父の視点/視覚が創造を永遠に成り立たせているのです。

[Do you, then, offer grace and blessing to each other, for you stand at the same altar, where grace was laid for BOTH of you. ]

[であれば、あなた達はお互いに対して恩寵と祝福を与えようとは思いませんか。あなた達は同じ祭壇の前に立っており、恩寵はあなた達両者の為に与えらているのだから。]

祭壇とは「あなたの中の父の聖なる視点と愛が浸透しているマインド」なのです。

[And be you healed by grace together, that YOU may heal through faith.]

[そしてあなた達が恩寵によって一緒に癒やされますように。そして「あなた」が信心を通して癒やせますように{成りなさい}。]

あなたがあなたの独立を放棄した時、あなたが父からの離縁を取り下げた時、あなたと父との間に(あなたとあなたのファミリーの間に、そしてあなたと全ての間に)合一が戻ってくるのです。
今まであなた達に無視されて来たこの合一を、それでも永遠に立ち続けているこの合一を、あなたが真理にした時、この合一に対して揺るがない決意を与えて、あなたがこの合一だけを唯一の真理とした時、その時あなたは癒やされ、その時あなたは兄弟姉妹を癒やせるポジションに居るのです。
あなたに与えられた祝福により、まだ真理を認識していない兄弟姉妹に対して、まだ自分達の独立に固執している兄弟姉妹に対して、「(独立という)その誤った立場の中で彼等を統治している怖れ」に縛り付けられている兄弟姉妹に対して、真理が差し出せる(捧げられる)ポジションにあなたは置かれるのです。
その時あなたは「兄弟姉妹がまだ信じていること」に最早騙されなく成っているので、だからあなたは癒やすことが出来るポジションに置かれるのです。
そしてその間違った信念を手放せるよう彼等を助けることがあなたには出来るのです。

[In the holy instant, you stand before the altar God has raised unto Himself and BOTH of you. Lay faithlessness aside, . .]

[聖なる瞬間の中であなた達は「神が自身とそしてあなた達両者に捧げた祭壇」の前に立っています。不信心を脇に置いて、...]

信心のギフトがあなたに差し出された時、あなたは不信心を手放す意欲を持てなくてはいけません。
あなたは「自己挿入(自己主張)と、そして自分だけであなた自身を何者かにしようとすること」への耽溺を放棄出来るように成る必要があるのです。
そのような不信心をあなたは手放し、{あなたが不信心を手放した}その結果を受け取る前に、その結果として受け取るものへ(信心を受け取りそれに決意を与えた結果としてあなたが受け取るものへ)決意を与えなくはいけないのです。

[Lay faithlessness aside, and come to it together. ]
[不信心を脇に置いて、一緒にその前に進みなさい。]

「その前」とは「祭壇の前」です。

[There will you see the miracle of your relationship as it was made again through faith. ]
[そこであなた達は自分達の関係の奇跡(信心によって関係が作り直されること)を見るでしょう。]

あなた達の関係が新しく成ることをあなた達は見るでしょう。
どのような信心が関係を作り直し新しくするのでしょうか?
あなたが父に意識を届けた時にあなたにギフトとして与えられる信心があなたの関係を新しくするのです。

[And there it is that you will realize that there is nothing faith cannot forgive.]
[そこであなた達は「信心に赦せないものは何もない」と理解するのです。]

それは何故でしょう?

「父の視点があなたの誤解に取って代わること」と「真の理解がパーフェクション/調和/愛を暴き示すこと」が信心なので、「今まであなたに赦しをためらわせていた理由」は「あなたが赦しの欠如を手放して明晰を拡張する障害」にはもう成らないのです。 
「兄弟が新しく見つけた明晰」と繋がる明晰が、あるいは「兄弟がまだしがみ付いている無知」から兄弟を解き放つ手伝いをする明晰が、あなたにもたらされるのだから。


あなたに与えられた信心の目を通して見たなたら、
[No error interferes with its calm sight, which brings the miracle of healing with equal ease to ALL of them. For what the messengers of love are sent to do THEY DO, returning the glad tidings that it was done to you who stand together before the altar from which they were sent forth.]

[そこには、信心の静かな視界を邪魔する間違いはなく、癒やしの奇跡が彼等全て(あなた達の全ての関係)に対して易々ともたらされるのです。何故なら愛のメッセンジャーがするべきことを愛のメッセンジャー達はするのだから。そして、癒しの奇跡が行なわれたことの嬉しい波(影響/知らせ)を祭壇(そこからメッセンジャーが送られて居のです)の前に立っているあなた達に返しているのです、あなた達と一緒に。]

祭壇の前に一緒に立っているあなた達に対して、奇跡が行なわれ、信心のギフトが与えられ、恩寵のギフトがもたらされたのです。 祭壇からそれら(恩寵/信心/奇跡)が送り出されているのです。
「汝は真理を知り」真理があなた達に示されるのです。
その時示される真理があなた達を自由にするのです。 何故なら、その時あなた達は天国をもう誤解していないのだから。
その時あなた達は、真理が提示される前の様には「あなた達が直面している唯一のものである天国」を誤解していないのだから。

[As faithlessness will keep your little kingdoms barren and separate, . .]
[不信心があなたの小さな王国を分離させ不毛にしているように、]

あなたの「強固な独立行動」と「自分のしたいように何でもしようとする自治的振る舞い」が不信心で、それを放棄しようとしたなら、あなた達の小さな王国達を分離し荒野にしていたものが手放され、それらの分離した王国を成り立たせリアルに見せていたものが消え去り、あなた達の不毛な王国は崩れ去るのです。

[As faithlessness will keep your little kingdoms barren and separate, so will faith help the Holy Spirit prepare the ground for the most holy garden which He would make of it.]

[不信心があなたの小さな王国を分離させ不毛にしているように{不信心があなたの小さな王国を分離させ不毛にしており}、(最も神聖なる庭園の地を出来る限り整えようとしている)聖霊を信心が助けるのです。]

あなたがもう聖霊から自身を遠ざけていない故に、あなたの正しいマインドでしかない「聖霊」があなたの元に戻って来た時、聖霊の役割/機能が神の正直な真理としてあなたに示されるのです。 
そしてあなたは(あなたの独立的立場があなたの為に作り上げた「致死性と物理性の王国」ではなく)リアリティを見るのです。
「あなたに対して(あなたが物理的宇宙を見続けて来たそこに)天国を暴き示すこと」が聖霊の役割と目的なのです。 あなたの目の前に聖霊が暴き示すものが楽園であり天国なのです。

もう一度読みましょう。

[As faithlessness will keep your little kingdoms barren and separate, so will faith help the Holy Spirit prepare the ground for the most holy garden which He would make of it. For faith brings peace, and so it calls on truth to enter and make lovely what has already been prepared for loveliness. ]

[不信心があなたの小さな王国を分離させ不毛にしているように、(最も神聖なる庭園の地を出来る限り整えようとしている)聖霊を信心が助けるのです。何故なら信心が平和をもたらし、その平和が「すでに愛らしさの為に準備されている者」に入ってくるよう呼びかけ、それを愛らしくするのだから。]

このように物事には自然な秩序(順序)があるのです。
あなたが自分の孤児的境遇を手放せるように成っている時、父に呼び掛け「ここの真理は何ですか?」と訊ねられるように成っている時、あなたが決意をもってそれを(父に訊ね聞くことを)しており、父が答えるまで聞き続ける意志を放棄しなければ(つまりあなたが父の答えに対して自分を防御してしまわないように成れたなら)、父からのギフトとしてあなたに信心が与えられるのです。
そして信心の後に平和がやって来るのです。状況に左右されない平和がやって来るのです。
たとえ何か不安を掻き立てるようなことが起こっているように見えたとしても、それによって揺るがされることのない平和がそこに在るのです。
信心の後にやって来る第一のものが平和です。
そして信心の後にやって来る第二のものは真理であって、「何がリアリティか」真理が暴き示すのです。

信心と平和と真理は三人の賢者のようなものです。
それらは一緒にやって来るのですが、この順番で{あなたのもとに}入ってくるのです。
だから信心と平和が「(やって来る真理があなたの目の前に実現する)愛らしさ」の準備を整えるのです。 あなたが真理の到来に対してその目を開けることが、愛らしさ(loveliness)を暴き示すことなのです。 それが(あなた達が長いこと誤解釈し続けて来た)楽園/天国の愛らしさを示すのです。

[Truth follows faith and peace, completing the process of making lovely which they begin. For faith is still a learning goal, no longer needed when the lesson has been learned. Yet truth will stay forever.]

[真理は信心と平和の後にやって来て、「真理と信心が始めたこと」を愛らしくするプロセスを完成させます。何故なら、信心は学びのゴールに過ぎず、レッスンが学ばれたなら、信心はもう必要とはされないのだから。しかし真理は永遠に留まるのです。]

到来した真理は、あなたが聖なる瞬間を実践することにより「真理に上に掛けられてきたヴェール」を外しそして現れた真理は、永遠に存在し続けます。 何故なら、あなたの正気が戻って来て、あなたはあなた自身を全体/十全として再体験し始めたのだから。
あなたが父に「ここの真理は何ですか?」と訊ねて答えを聞き続けることを(父からの答えを求め続ける状態を)保ち続ける献身と決意に関してわたし達は先週話しました。
そして父の答えに対してあなたが「はい」と言うことにより、父の答えを認証するのです。
これがフォロースルー(やり遂げること)の決意なのです。これがリアリティに深く根付いた決意なのです。 これが『父からあなたへのギフトである「父のマインドの現れ」』の中に深く根付いている決意なのです。

[Let, then, your dedication be to the eternal, . .]
[だから、あなたの献身は永劫(eternal)に対して与えなさい。]

あなたの決意は、あなたの決心は、永劫に対して与えなさい。
つまり別の次元にあなたの献身を与えなさい、「不信心を実践している時(自己中心的独立を実践している時)のあなた達には全くその真の姿が見えていないリアリティ」に対してあなたの献身を与えなさい、と言うことなのです。
あなたは何にあなたの信心を与えるのでしょうか?
あなたは何を尊び、あなたの正直な決意をもって何を支持するのでしょうか?
あなたが選ぶのは二つの内の一つです。
罪や病や死がルールを作り統治している物理的世界か、その中で生命/真理/愛が永遠で無敵である天国か{あなたはどちらか一つを選ぶのです}。

[Let, then, your dedication be to the eternal, and learn how NOT to interfere with it and make it slave to time.]

[だから、あなたの献身は永劫(eternal)に対して与えなさい。そして、それの(永劫の)邪魔をしてそれを時間の奴隷にしてしまわないように学びなさい、]

あなたはどのようにしてそれを邪魔してしまうのでしょうか?
あなたは自分一人で{神をのけ者にして}考えることによって永劫の邪魔をするのです。
独立的行為であるコントロール(操り)を行なおうとすることにより、あなたは永劫の邪魔をするのです。

[. . . learn how NOT to interfere with it and make it slave to time.]
[...それの(永劫の)邪魔をしてそれを時間の奴隷にしてしまわないように学びなさい。]

つまりあなたの思考(独立的コントロール)によって、永劫を「時間が経過し物体が劣化し、あなたが弱って死んでしまう物理的世界」の奴隷にしてしまわないようにしなさい。

[For what you think you do to the eternal you do to YOU. Whom God created as His Son . . .]

[何故なら、自分が永劫に対して行なっているとあなたが考えていることを、あなたは「あなた」に対して行なうのだから。「神が自身の子として創造した者」は]

つまりあなた達一人一人は、わたし達全員は、

[Whom God created as His Son is slave to nothing, being lord of all being lord of all along with his Creator. ]

[「神が自身の子として創造した者」は何者の奴隷でもなく、創造者と共に立っている全ての主なのです。]

あなたは、自分一人で全てを決めている権威者ではなく、自分の権限で全てを統治している王者ではなく、創造者/神と共に立っている主なのです。
{神が自身の子として創造した者は}繋がっており、分離した自己は持っておらず、分離した権威を認識したり獲得しようとはしていないのです。

[. . . being lord of all along with his Creator. You can enslave a body, but an IDEA is free, . .]

[創造者と共に立っている全ての主なのです。あなたは体を奴隷化することが出来ます。 しかし「アイディア」は自由で、]

創造の全ては「アイディア」なのです。あなたは神のマインドの中のアイディアなのです。

[You can enslave a body, but an IDEA is free, incapable of being kept in prison, or limited in any way except by the mind that thought it.]

[あなたは体を奴隷化することが出来ます。 しかし「アイディア」は自由で、それを牢獄に押し込めたり、何らかの方法で限定することは出来ません。「それ(アイディア)を考え出したマインドだけが、それ(アイディア)を限定することが出来る」ということだけが唯一の例外なのです。]

創造を考えたマインドは、動いて創造を起こしているマインドは、パーフェクトで調和に満ちており、愛がその(創造を考え起こしているマインドの)実体/実質なので、創造の中の全アイディアは自由で在り続けており、自由であることが各アイディアの生得権であり運命であり、それを変えることは出来ないのです。

だから、

[You can enslave a body, but an IDEA is free, incapable of being kept in prison, or limited in any way except by the mind that thought it.]

[あなたは体を奴隷化することが出来ます。 しかし「アイディア」は自由で、それを牢獄に押し込めたり、何らかの方法で限定することは出来ません。「それ(アイディア)を考え出したマインドだけが、それ(アイディア)を限定することが出来る」ということだけが唯一の例外なのです。]

神のマインドはその性質故に、神の無限の自由を表現することだけの為にアイディアを使うのです。

[For it remains . . .every Idea. . . remains joined to its source, which is its jailor or its liberator, according to which it chooses as its purpose for itself.]

[何故なら、それ(各アイディア)はその源と繋がり続けており、それ(マインド内のアイディア)がそれ自身の目的としてそれ自身の為に行なった選択によって、それ(マインド)はアイディアを監獄に閉じ込める者にも解放者にも成れるのだから。]

神のマインドはそれ自身の為にどのような目的を選ぶと思いますか?
(あなたの正しいマインドに過ぎない)聖霊はそれ自身の為に何を選ぶと思いますか?
あなたが父と調和している時、あなたが(あなたの正しいマインドである)聖霊と調和している時、あなたはあなた自身の目的として「パーフェクトで純潔な知覚」を選ぶのです。
あなたはあなたの正気を選ぶのです。
しかしあなたが少し考えることを選んで、あなた自身に対する定義を空想したなら、そしてこの定義に従って行い/作り/コントロールしようとしたなら、あなたはリアリティは得られないのです。
その場合あなたは天国に対する歪んだ体験を持ってしまうのです。 それは物理的世界/宇宙と呼ばれており、あなたと呼ばれている必滅者(死を定められている肉体)がそこに住んでいるのです。
これらは劇的に異なった二つのシナリオ(筋書き)です。
一つはリアルで、もうひとつはリアルではありません。しかしそれら両方は{それぞれのシナリオに従っている人達にとって}とてもリアルに感じられるのです。

だから、
[Let, then, your dedication be to the eternal, . .]
[あなたの献身は永劫(eternal)に対して与えなさい。]

だから今日から永劫に対して決意を持って献身を与えなさい。
あなたが日々をどのように過ごしていたにしろ、全ての真実を見ようとするあなたの決意は、あなたが生存する(あなたの生活を成り立たせる)為の妨げには決して成らないのです。
(献身以外のことを考えていたいと例えあなたが思っていたとしても)あなたの献身が必要とされていることであり、あなたの献身が上手く働くことなのです。
何故なら、あなたの献身によって目覚めが起こるのだから。あなたの献身だけがあなたの正しいマインドに立ち返る唯一の道なのだから。
決意と(あなたはこの言葉は嫌いかもしれませんが)努力を行ないなさい。決意を実行出来るようにしなさい。
これが要点なのです。

以上。


A Course In Miracles
Chapter 19 – Section: HEALING AND THE MIND
2 Sparkly Book – p.452, 2nd Full Par. / JCIM – p.189, 4th Full Par. / CIMS – p.380, Par. 13
Chapter 19 – Section: HEALING AND FAITH
First Edition – p. 373, 4th Full Par., Sen.5 / Second Edition – p.401, Par. 12, Sen. 5

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
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