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ACIM02-06-12

Chapter 31-2 ACIM 2002-06-12


{JCIM版のセクション名は“Walking with Christ” [キリストと共に歩む]}

[The Illusion of an Enemy]
[敵の幻想]


[An ancient lesson is not overcome by the opposing of the new and old. It is not VANQUISHED that the truth be known, or fought against to LOSE to truth's appeal.
There is no battle which must be prepared, no time to be expended, and no plans that need be laid for bringing in the new. There IS an ancient battle being waged AGAINST the truth, but truth does not respond. Who COULD be hurt in such a war, unless he hurts himself? He HAS no enemy in truth. And CAN he be assailed by dreams?
Let us review again what seems to stand BETWEEN you and the truth of what you are. For there are steps in its relinquishment. The first is a decision which YOU make. But afterwards, the truth is GIVEN you. You would ESTABLISH truth. And by your wish, you set two choices to be made each time you think you must decide on anything. NEITHER is true.]

[古代のレッスン{分離のレッスン}は、新旧の対立によって克服されるものではありません。
真理を教えるために何かを打ち負かしたり、真理をアピールする為に何か(誰か)と戦って負ける必要はありません。
戦闘に備える必要はなく、引き伸ばすべき時間はなく、新しいもの(新しい状態)を引き出すためにプランを練る必要もないのです。
古代の戦いが真理に対して布告されてはいますが、真理はそれには反応しません。
自分で自分を傷つけない限り、誰がかような戦いで傷つけられ得るでしょうか?
彼は(人は)真理の中に敵を持ってはいません。 彼が夢によって攻撃されることが在り得るでしょうか?
「あなたとあなたの真理の間に立ちはだかっているように見えているもの」をもう一度調べてみましょう。
何故なら、これを放棄するためには二つのステップを踏む必要があるのだから。
初めのステップであなたは選択する必要があります。 そしてその後、真理があなたに与えられるでしょう。
あなた達は{自分達で勝手に}真理を設立しようとしたのです。 {自分達で真理を決めたいという}あなた達の願いによって、何かを決める必要があると考える度に、二つの内から一つを選択するようになっています。 しかしそのどちらの選択肢も真実ではないのです。]


ラジ:つまり、何かを決めなくてはならないとあなたが考えた時、あなたは二つの選択肢を自分の前に設定するのですが。 それらはどちらも正しくはないのです。

[Nor ARE they different.]
[そしてそれらの選択肢はどちらも基本的に同じなのです。] 

ラジ: あなたが何かを決める度、「何が真理/真実か」あなたが決める度、何かを決めるためにあなたが考える度、その決断の目的は自分を守ることなのです。 あなたの選択は「自分を安全にする為の防御の視点」から行なわれるのです。 それらの選択肢がどちらも同じなのは、それらが防御という全く同じ目的を持っているからです。

[Yet must we see them both, before you can look PAST them, to the ONE Alternative that IS a different choice. But not in dreams you made, that this might be OBSCURED to you. What YOU would choose between is NOT a choice, and gives but the ILLUSION it is free, for it will have ONE outcome either way.
Thus is it really not a choice at all.
The leader and the follower emerge as SEPARATE roles, each seeming to possess advantages you would not want to lose. So in their fusion there appears to be the hope of satisfaction and of peace. You see yourself divided into both these roles, forever split between the two. And every friend or enemy becomes a means to help you save yourself from this.
Perhaps you call it love. Perhaps you think that it is murder justified at last.
You hate the one you gave the leader's role when YOU would have it, and you hate as well his NOT assuming it, at times you want to let the follower in you arise, and give away the role of leadership. And this is what you made your brother FOR, and learned to think that this his purpose IS. Unless he serves it, he has not fulfilled the function that was given him by you. And thus he merits death, because he has no purpose and no usefulness to you. And what of him? What does he want of YOU? What COULD he want, but what you want of him? Herein is life as easily as death, for what you choose you choose as well for him. Two calls you make to him, as he to you.
Between these two IS choice, because from them there IS a different outcome. If he be the leader or the follower to you, it matters not, for you have chosen death. But if he calls for death or calls for life, for hate or for forgiveness and for help, is NOT the same in outcome. ]

[しかし、あなたがそれらを超えて見られるようになり、本当に異なる選択肢を選べるようになる前に、わたし達はその両方の選択肢を見据える必要があります。 
しかし(この点が不明瞭に成っているかもしれませんが)あなた達が作った夢の中であなたがこれを(本当に異なる選択を)するわけではありません。
{エゴとしての}あなたが行なおうとしているのは選択ではなく、自由の幻想を与えることだけなのです。
何故なら、(あなたがどちらを選択したように見えても)これは一つの結果しかもたらさないのだから。
だからこれは本当は全く選択ではないのです。
リーダー(先導)と追従者は別々の役割として現れ出るものです。 そしてそれらの役割は「あなたが手放したくないと思っている優位性」をそれぞれ持っているように見えます。
だからこれらの役割を混ぜ合わせたなら、そこに満足と平和が得られるような気がするのです。

あなたは、自分がこれら二つの役割に分離しているように見ており、この二つの間で自分が永遠に分けられていると思っています。
そしてあなたの全ての友と敵が「あなたをこのことから助ける方法」になっているのです。
もしかしたら、あなたはこれを愛と呼んでおり。もしかしたら、あなたはこれをやっと行なえた正当な殺人(正当防衛)と考えています。
あなたは特定の人に(本当は自分でしたかった)リーダーの役割を与えており、その人を憎んでいるのです。 そしてもし彼がリーダーの役を受け取らなかったらやはり彼を憎むのです。 時にはあなたは自分の中の追従者を表現し、リーダーの役を他に譲りたいと思うのです。
あなたはこの為に自分の兄弟を作ったのです。 そしてこれが彼の(あなたの兄弟姉妹の)役割だと考えるように学んだのです。
彼がこの役割を担わなかったなら、彼はあなたが彼に与えた機能を全うしていないのです。 すると彼には役割が無くなり、あなたにとって役立たずになるので、彼は死に値することになります。

さて彼の側(あなたの相手の方)ではどうなのでしょう?
彼はあなたから何を求めているのでしょうか? あなたが彼から求めているものを、彼もあなたから求めているのです。{彼も独立独尊した自分に都合の良いリーダーや追従者をあなたから求めているのです}
ここにおいて生命が死と同じぐらい容易になっているのです。
何故なら、あなたが選んでいるものを、あなたは彼の為にも選んでいるのだから。
あなたは彼に二つの呼び掛けを行い、彼もあなたに二つの呼びかけを行なうのです。 この二つの間に選択が存在しています。 何故なら、彼等(リーダーと追従者)にとっては選択するものによって異なる結果が得られるから{異なる結果が得られるように見えているのだから}。
{だから本当は}彼があなたにとってリーダーでも追従者でも、それは違いをもたらしません。何故なら{エゴとしてリーダーや追従者を求めている}あなたは{彼のために}死を選んでいるのだから。{だからあなたは自分のためにも死を選んでいるのです。}
しかし彼が死/生のどちらを呼ぶか(選ぶか)、憎しみと赦しのどちらを呼ぶか(選ぶか)、によってそれらは{あなたにとっては}異なる結果をもたらします。]

{上記の文はより正確には「しかしあなたが他者の二つの呼び掛けの中から憎しみを選ぶか、それとも赦しを選ぶか、その選択によって異なる結果が得られるのです。」と言おうとしていた様です。 }
{もし万一上記の文を書かれている通りに(青文字通りに)解釈した場合、この選択も「違いをもたらさない選択」となり、この直ぐ下の文章に現れる「救済をもたらす選択」とは別のものになります。 あるいは下記の救済もまた幻想の救済で、下記の二分も幻想の中の状態を言い表していることに成ります。しかし前後の文脈から「しかしあなたが他者の二つの呼び掛けの中から憎しみを選ぶか、それとも赦しを選ぶか、その選択によって異なる結果が得られるのです。」が正しい解釈と思われます。}


[Hear the one, and you are separate from him, and are lost. But hear the other, and you join with him, and in your answer is salvation found. ]

[あなたがその選択(呼び掛け)の中の一つ(憎しみ)を聞いたなら、あなたは彼から分離しており、失われているのです。 しかしあなたが他方の選択(赦し)を{彼の呼びかけの中から}聞いたなら、あなたは彼と繋がり、あなたの答えの中に救済が見つかるのです。]


{訳注: Chapter31の上記の部分はそのままでは私には理解出来ませんでした。だからラジの話を参考にし、私自身のインスピレーションも使って、意味が通じるよう積極的に文章を作り直しています。 この部分が混乱している一因は二組の異なった「選択」が使い分けられており、しかしそれらが十分明確に言い分けられていないからです。 
「繋がって聖霊から真理を得て愛に成るか/エゴとして分離したまま憎しみを抱くか」これが「本当に違いをもたらす選択」で「呼び掛け」と同等でです。 
真理を自分で決めたいという願いによって何かを決める必要があると考える度に現れる(どちらも真実ではない)二択選一、これが違いをもたらさない選択です。}

[The voice you hear in him is but your own. What does he ask you for? And listen well. For he is asking what will come to you, because you see an image of yourself, and hear your voice requesting what you want.
Before you answer, pause to think of this:
The answer that I give my brother is what I am asking for.
And what I learn of him is what I learn about myself.
Then let us wait an instant and be still, forgetting everything we thought we heard; remembering how much we do not know.
This brother neither leads nor follows us, but walks beside us on the selfsame road. He is like us, as near or far away from what we want as we will let him be.
We make no gains he does not make with us, and we fall back if he does not advance. Take not his hand in anger but in love, for in his progress do you count your own. And we go separately along the way unless you keep him safely by your side.]


[彼の中にあなたが聞く声は、しかしあなた自身のものなのです。
彼はあなたに何を尋ねて(求めて)いるのでしょうか? よく聞きなさい。
何故なら彼は「あなたのもとに来るもの」を求めているのだから。
あなたはあなた自身のイメージを{彼の中に}見ており。 そしてあなたの声があなたの求めているものを要求していることを{彼の中で}聞くのです。

この質問に答える前に、立ち止まって次のことを考えて見なさい:

[The answer that I give my brother is what I am asking for.  And what I learn of him is what I learn about myself. ]

[私が自分の兄弟に与えている「答え」が「私が求めているもの」なのです。 そして彼について私が学んだことが、私が私自身について学んだことなのです。]

わたし達は少し待って静かに成りましょう。 わたし達が知っていると考えて来たことを全て忘れて、わたし達がどれ位知らないか思い出しましょう。
わたし達は、彼がわたし達と共に得なかったものは得られていません。 彼が進めなかったなら、わたし達は後退してしまうのです。 彼の手を怒りではなく愛をもって取りなさい。何故なら彼の進歩の中であなたは自分の進歩を計るのだから。 そしてあなたが彼を自分の傍に安全に保たなければ、わたし達はバラバラに進んでしまうのだから。]

ラジ: ここで「一人きりになるのは不可能である」ともう一度言っておきましょう。 独立状態は自分だけで存在している自治独尊状態は不可能であることをもう一度言っておきましょう。
それは不可能なのです。だからわたし達がこの部分を読んでいる時「自分には兄弟姉妹(同胞)が必要なのだ」という意識をもって読んで下さい。
あなたは姉妹兄弟を必要としており、コンパニオン達を必要としているのです。
「自分は自分一人だけでもハッピーで十全で居られる」という不自然な意識を受け入れてしまっているので、あなた達にはコンパニオンが必要なのです。
勿論一人独立した存在として健全に居られるというアイディアは噓なのです。
あなたはそのようなことは出来ないのです。
しかしあなたがその必要を感じない限り、受け入れの意志や抱擁の意図を持つことは出来ず、それらは無意味なのです。

{体を使って}フレンドリーに振舞うのはとても簡単なことです。
社交的な集まりに参加して、そこに順応し親しみ易く鷹揚に振舞いながら、誰にも全く触れず/誰からも触れられないことは全く簡単に出来るでしょう。

その場所に向かっている時に孤独で、その場所に居る間も孤独で、その場所を去った後も孤独で(しかしフレンドリーな人として振舞うことは)可能でしょう。
誰もリアリティに対する間違った体験を打ち破ろうとはしないのです、人が自分の必要を認め感じられるように成るまで。 自分が同胞を必要としていると認められるように成るまで。
あなたがその必要を感じるまで、あなたの同胞を受け入れるドアをどこで開いたらよいのか解らないのです。
必要を感じていない限り、どこにドアがあるか解らないのです。
これを念頭において読み進んで下さい。

質問者: ラジ、これは二つの選択肢やわたし達がするべき決断とどのように関係しているのですか?
二つの選択肢があって、どちらも正しくは無いわけですね?
わたし達は自分達の兄弟を二つの見方で見る事が出来るのです。 その人を、攻撃者として見るか、あるいは赦しに値する者としてみるか。 
その赦しが、実際にはわたし達自身を赦して居るのです。
しかし私はここで言い表されていることの初めの部分が理解出来ません。


ラジ: 両方とも間違っている二つの見方(選択肢)とは、あなたが同胞をポジティブなあるいはネガティブな理由で使おうとしている時のことです。

その人の「本当の姿」と全く繋がらずに、その人から何かを得ようとしてフレンドリーに振舞ったり、その人があなたの良き人(愛らしい人)の概念に合致しているのでその人と親しくなったりすることです。
その時起こっているのは、あなたの概念が設定している「価値ある人/知るに値する人」という判定基準にあなたが反応していることだけなのです。
そしてその人がもしあなたの判定基準に満たなかったなら、例えば(あなたがブロンドの女性だけが好きだったとして)彼女がブロンドでなかったなら、あなたは自動的に彼女を知るに値しない人とカテゴリー分けするのです。
あなたが他者を使って自分の目的(それがポジティブでもネガティブでも)を満たそうとしている時、あなたは同じ選択をしているのです。 それはその人と全く繋がらないという選択です。  誰があなたの愛や注意に値するか判断する為にあなたの計り(判断基準)に掛けて、あなたは遠くでそれを眺めているのです。

[BECAUSE he is your equal in God's Love will YOU be saved from all appearances, and answer to the Christ Who calls to you. ]

[神の愛の中では彼はあなたと同等の者なので、あなたは全ての「見かけ/見せかけ」から救われており、あなたに呼びかけているキリストに答えることが出来るのです。]


ラジ: あなたは自分の判断基準が示している「見せかけ」から救われるのです。
質問者: わたし達はいつ救われるのでしょうか?
ラジ: 彼があなたと同等の者であるとあなたが理解した時です。 何故なら、神の愛の中で彼はあなたと同等なのだから。
質問者:つまり、彼は私(あなた)と平等であって、それ以上でも以下でもないのですね。
ラジ: その通りです。
質問者:なるほど、望ましいとか望ましくないという判断は存在しないわけですね。 

[Be still and listen. Think not ancient thoughts. Forget the dismal lessons that you learned about this Son of God who calls to you. Christ calls to all with EQUAL tenderness, seeing no leaders and no followers, and hearing but ONE Answer to them all. Because He hears one Voice, he cannot hear a DIFFERENT answer from the one He gave when God appointed Him His only Son. ]

[静まって聴きなさい。古代の思考を考えるのは止めなさい。
あなたに呼びかけているこの神の子に関してあなたが学んだ陰鬱なレッスンは忘れてしまいなさい。
キリストは全て(全員)に対して同じ優しさで呼びかけています。リーダーを見ることなく、追従者を見ることなく、彼等全員に対する一つの答えだけを聞いているのです。
彼(キリスト)は「ひとつ」の声を聞いているので、神が彼(キリスト)を神の唯一の息子として任命している限り、彼(神)が与えたひとつの答えから異なった答えを聞くことは彼(キリスト)には出来ません。]

ラジ: だからあなたと同等であるこの兄弟は、あなたと平等であるだけでなく、(あなたと同様に)故郷に帰ろうとしているのです。
彼は、同様な人間の同胞としてあなたと平等であるだけでなく、彼はキリストとして(あなたと)同等なのです。
これが「あなたが今ここでキリストであること」を示しています。
これが「あなたは父が設定した動き(それがあなたとして見えています)であり、最初からあなたがそうであったこと」を示しています。
想像(幻想)の世界以外では、これは決して変えようがないのです。 
だからコース(A Course in Miracles)が「あなたの兄弟を見て、そこにキリストを認識しなさい」といっている時それは「この人はあなたより進んでいるのです。 この人はあなたより良き人なのです。」といっている訳ではありません。

しかしコースは、あなたが兄弟の中に見ていること(兄弟の中で発見出来ること)が「あなたに関する真理」であることを認識し、あなた自身をより正確に理解出来るように成りなさい、そしてあなたの卑小な思考が可能にするよりも高い(尊厳に満ちた)関係が持てるように成りなさい、といっているのです。

[Be very still an instant. Come without all thought of what you ever learned before, and put aside all images you made. The old will fall away before the new, without your opposition or intent. ]

[少しだけ(一瞬だけ)とても静かに成りなさい。以前にあなた達が学んだ思考の全てを捨てて来なさい、そしてあなた達が作ったイメージを手放しなさい。あなたの抵抗や意図がなくなれば、新しいもの(新しいイメージ)の前で古いもの(古いイメージ)は抜け落ちます。]

ラジ: ネガティブなものでもポジティブなものでも、あなた達の意図的(自己主張的)表現が無くなれば、古いものは抜け落ちます。

[There will be no attack upon the things you thought were precious, and in need of care. There will be no assault upon your wish to hear a call that never has been made. ]

[「あなたが大切で守る必要があると思ったもの」への攻撃はなされません。「決して発せられなかった呼びかけ」を聞こうとしていたあなたの願いへの攻撃は起こりません。]

ラジ:あなたが聞こうと思った呼びかけ、決して起こらなかった呼びかけ、とは何のことでしょうか?
参加者: 基本的に私が見ているものを(独立存在からの視点で)見ることが私の(エゴの)願いです。 だから、私がもし決してなされなかった呼びかけを聞いたとしたなら、それは私に防御か攻撃の言い訳(正当化)を与える何かなのでしょう?

ラジ: その通りです。 「決して行なわれなかった呼びかけ」とは例えば、誰かがあなたのことを誹謗/非難/軽蔑しているように見えている時のことです。あるいは誰かが正当な理由であなたに怒っている時のことです。これらのことが彼等に対するあなたのその後の知覚/認識に色付けを行い(歪みを与え)彼等が何も誹謗的なことを言っていない時でも、あなたはそれを誹謗/軽蔑として聞いてしまう傾向を持つのです。 何故なら、あなたは彼等からそのようなことを聞くよう期待しているのだから。

だから「あなたがそれを聞こうと願っている、何故ならあなたは彼等がそのような人達だと確信しているから。」と言うことも出来ますね。
しかし関係が癒やされていけば、決して言われなかった呼びかけ(攻撃の正当性)を聞こうとするあなたの願い{あなたの期待}が攻撃を引き出さなくなります。
それ(聖霊/癒やし)はあなたと言い争いません。それはあなたを説得しようとはしません。それはあなたを溶かすのです。それはあなたの抵抗を溶かすのです。
それはあなたが今まで物事を見てきたやり方へのこだわりを溶かすのです。
しかしそれはあなたと言い争わないのです。 それは「あなたが今まで物事を見ていた方法がどれだけ間違っていたか」と言ってあなたと論争したりはしないのです。
(あなたの同胞の本当の存在が神の現れ(キリスト)だと感じ始めて)お互いの中にキリストを見ようとする意欲が出始めた時、「彼等を(その真の姿から)違った形で見たいというあなたの願い」が解消されるのです。
時には自分が持っていないものを他者が持っているように見えて、あなたは嫉妬してしまい、他者を歪めて見ようとして来たのです。自分の欠乏故に彼等に対して怒り、彼等を自分のビジョン(見解)に当て嵌めようとしてしまうのです。
それは「彼等が持っているものを得ることは自分には出来ない」という考えであり、「彼等を酷い人たちとして見たい」というあなたの希望なのです。
そして実際の問題は「彼等が持っているもの」ではなく、「自分はキリストではない/自分には彼等ほどの価値がない、だから神が自分に恵みを与えてくれていない」というあなたの概念なのです。
しかしあなたは神に対して怒るのではなく、彼等に対して怒り、彼等はその怒りに値するのだ、と考えるのです。
これは特定の人のことを言っているのではなく、あなたの生活の中の真実を言っているのでもありません。

ここで重要なのは、自分の同胞の中にキリストを認識しようとする意志が生まれれば、(外部的な力/説得を必要とせずに)あなたと彼等を隔てていたものが一瞬で自動的に解け出す、ということなのです。
これは常に「愛されていること」として感じられるのです。
強制されること無く(侮辱されることなく)あなたの思考が変容されたなら、それが理由無く起こったなら、あなたが(彼等とあなたを祝福する)新しい視点に到達したなら、その時あなたは常に愛されていると感じるのです。
その時常にあなたは、そのプロセスによって尊重されたと感じるのです。
それが神の性質に関してあなたに教えているのです。
それが目覚めの本質をあなたに教えているのです。
その全ての課程で、それはあなたの尊厳を認めており、あなたの価値を認めており、あなたはそれを意識し続けることでしょう。

[Nothing will hurt you in this holy place to which you come to listen silently, and learn the truth of what you really want. No more than this will you be asked to learn. But as you hear it, you will understand you need but come away WITHOUT the thoughts you did not want, and that were NEVER true. Forgive your brother ALL appearances, which are but ancient lessons that you taught yourself about the sinfulness in you. Hear but his call for mercy and release from all the fearful images he holds of what HE is, and of what YOU must be. He is afraid to walk with you, and thinks perhaps a bit behind, a bit ahead, would be a safer place for him to be. Can YOU make progress if you think the same, advancing only when he would step back, and falling back when he would go ahead? For so do you forget the journey's goal which is but to decide to walk WITH him, so neither leads nor follows. Thus it is a way you go together, NOT alone. And in THIS choice is learning's outcome changed, for Christ has been reborn to BOTH of you. ]

[(あなたが静かに聞く為に、そして本当に望んでいるものの真実を学ぶ為に訪れている)この聖なる場所であなたを傷つけるものは何もありません。
あなたが学習するべきはこのこと(上記のこと)だけなのです。
しかしあなたがこれを聞いている時、あなたは自分が求めていなかった(そして決して真実には成らなかった)思考を手放してここに来る必要があることを理解するでしょう。
あなたの兄弟の見かけ(様相)を全て赦しなさい。 それらは、あなたが自分に教えた「自分の中の罪深さ」の古代のレッスンにしかすぎません。
彼の慈悲への呼びかけを聞いて、彼が「彼であるもの」に押し付けている怖ろしいイメージから(彼を)解放しなさい。 {そして、そのイメージが「あなたは(自分は)こうであるに違いない」という定義もおこなているので、彼がそのイメージから解放されれば、あなたも怖ろしいイメージから解放されるのです。}
彼はあなたと共に歩むことを怖れており、(あなたより)少し後か前に居た方が自分を安全に保てると考えています。
あなた達が(あなたと彼が)同じ考えをもっていたなら(彼が後退した時だけ自分が進み、彼が進んだ場合自分が後退してしまうとあなた達両者が考えていた場合)、あなた達は前に進めるでしょうか?
何故なら、その場合あなた達はこの旅のゴール(目的)を忘れてしまうから。
この旅のゴールとは、(どちらかがリーダーに成ったり追従者に成ったりすることなく)彼と共に歩く決断をすることなのです。
だからこれはあなた達が(一人きりではなく)一緒に歩く道なのです。
この選択をしたなら学習の結果が変わるのです。 何故ならその時、あなた達両者のもとにキリストが生まれて来ているのだから(キリストが再来しているのだから)。]

ラジ: さてどのようにしてキリストがあなた達両者のために再生されるのでしょう。
あなた達が一緒に歩むことを選択した時に、それは再度生まれてくるのです。
これはとても大切なことです。あなた達が僅かな分離(距離)でも残している限り、キリストは生まれて来れない(キリストは生まれ変われない)のです。
あなた達が自己防御を使っている限り、それは生まれて来れません。
自分自身の意識体験としてキリストの再来を自分の中で見たいなら、あなたは自分の兄弟姉妹と共に無垢になる方法を探さなくてはいけません。
これは「彼等の振舞いをコントロールして無垢にさせなさい」と言っているのではないのです。
あなたは彼等の無垢と一緒に居られるようにならなければいけないのです。
偏見無く、太古の憎しみを持たずに、彼等と一緒に居なさい。
あなた自身と彼等の間に過去を挟むことなく、彼等と一緒になりなさい。

あなた達両者がお互いを必要としていることを感じられるようになるまで、そして一緒に進んで、お互いを赦していかなければ(お互いに対する決め付けを止めなければ)キリストがあなた達の中に生まれることは出来ません。
あなた達がどれだけ完全にキリストであるかよりクリアに発見して行くプロセスで現れる諸々のことを行なう忍耐力が必要なのです。
あなたが一人で独立的にキリストに成ることは不可能なのです。
一人立ち上がって「私はキリストだ」と言うことは出来ないのです。

質問者: 私だけがキリストだ、とは言えないのですね?

ラジ: その通りです。
キリストがあなたの存在の意識体験に成れる唯一の方法は、あなたが「自分の兄弟がキリストである可能性」を許可して、自分の兄弟に関する真理を認めている時だけなのです。
あなたの敵にしか見えていない者に対して無防備になること(無防備に敵と繋がること)をあえてするまで、あなたがそれ(キリスト)を感じることは出来ないのです。あるいは、余り良く知らない人、知りたいとも思わない人でも同じことです。

どの様なものであれ{他者との}距離を保つ為に使われている理由が「キリストで在ることの意識体験があなたの中で生まれること」をブロックしているのです。
何故なら、キリストに成るということは、それ程特別なことではないからです。
それは栄光(人間の栄誉)ではないのです。 それはより基本的な根源的なレベルで体験されるものなのです。
それは自分の兄弟に対して怖れを懐かない度量として、自分の兄弟の為に真摯に彼と一緒に居ることとして、体験されるのです。
キリストに成ることはハイではなく(興奮をもたらすことではなく)、想像出来ない愛がそこから現れ出て表現される深い静寂として現れるのです(たとえ一瞬前まで何が起こっていたにしろ、たとえこのキリストの拡張が行なわれている瞬間にどの様なことが起こっていたにしろ)。

あなたがある人の中にキリストを感じている時、その人はもしかしたらまだそれ(キリスト)を感じてはいないかもしれません。 あなたから流れ出ている(そしてそれらがその人の根源的真理でもあることをあなたが疑ってはいない)愛と誠意と静けさと平和と調和している振る舞いはまだ出来ていないかもしれません。

しかしあなたの中のキリストが目覚めているので、その人の振舞いは(まだキリストがあなたの中で生まれている場所からあなたの意識が来ていなかった時に生まれていた)反発をもはや引き起こさないのです。
だから、その人が自分のキリストを感じることを許可出来ると自動的に感じられなくとも、あなたの無害な(しかし意味深い)存在がいわば地を耕して、その人がまだ居心地悪く感じている場所をより良く整えて「その人が自分のキリストを発見すること」を可能にするのです。

[An instant spent without your old ideas of who your great Companion is and what he SHOULD be asking for, will be enough to let this happen. ]
[「誰があなたの偉大なコンパニオンなのか、彼は(あなたの偉大なコンパニオンは)何を求めているべきなのか」に対するあなたの古いアイディア無しに一瞬でも過ごしたなら、これが(キリストの再生/再来が)可能になるのです。]

ラジ: これはとてもシンプルで瞬間的なのです。 これには一時間掛かるのではなく、一ヶ月掛かるのではなく、一瞬でそうなるのです。
(一瞬の間で良いので)あなたの古いアイディア/概念が無い状態が必要なのです。
「あなたの偉大なコンパニオンが誰か、その人が何を求めているべきなのか」ということに対するあなたの信念を一瞬手放したなら、これが起こるのです。}

[And you will perceive his purpose is the same as yours. He asks for what YOU want, and needs the SAME as you. It takes, perhaps, a different FORM in him, but it is NOT the form you answer to. He asks and YOU receive, for you have come with but ONE purpose; that you both may learn you love each other with a brother's love. And AS a brother, must his Father be the same as yours, as he is like yourself. Together is your joint inheritance remembered and accepted by you both. Alone it is denied to both of you. Is it not clear that while you still insist on leading or on following, you think you walk alone, with no-one by your side? This is the road to nowhere, for the light cannot be given while you walk alone, and so you cannot SEE which way you go. And so there IS confusion, and a sense of endless doubting, as you stagger back and forward in the darkness and alone. Yet are these but appearances of what the journey is, and how it must be made. For next to you is One Who holds the light before you, so that every step is made in certainty and sureness of the road. A blindfold can indeed obscure your sight, but cannot make the way itself grow dark. And He Who travels with you HAS the light.]

[そしてあなたは彼の目的があなたのものと同じであると知覚/認識するのです。
「あなたが求めているもの」を彼も求めており、あなたと同じ必要を持っているのです。
それは(必要や欲求は)彼の中では(あなたとは)違う形で表れているかもしれません。 しかし、いずれにしろあなたは形に応える訳ではありません。
彼が求め(訊ね)あなたが受け取ります。 何故なら、あなたはひとつの目的だけを抱いて来ているのだから。 その目的とは、あなた達両者が兄弟の愛でお互いを愛していると学ぶことです。
そしてあなた達は兄弟なので、彼の父があなたの父でもあるに違いないのです。 そして彼はあなた自身に似ているに違いないのです。
あなた達の共有されている相続権は、あなた達両者によって一緒に思い出され受け取られるのです。
お互いに対して孤立している限り、それはあなた達の両方に対して与えられないのです。

あなたがリーダーに成ったり追従者に成ったりすることに拘っている間、あなたは誰も連れずに自分が一人で歩いていると考えているのですが、あなた達にはこれがまだ明確に理解されていないのです。
それは袋小路です。 何故なら、あなたが一人で歩いている限り光は与えられず、自分が何処に向かっているかあなたには見えないのだから。
だからあなたが暗闇の中一人で行き来している時、そこには混乱があり、終わりのない疑念があるのです。
しかしそこに見ているのは、旅の様に見えているもの、旅が作られている様子だけなのです。
何故ならあなたの隣には、あなたのために光を燈している者がおり、各ステップを確実に安全にすることが出来るのだから。
目隠しは確かにあなたの視界を隠すことが出来ますが、それが道そのものを暗くすることは出来ません。
そしてあなたと一緒に旅している彼が光を持っているのです。]

ラジ: これを書き出して冷蔵庫に張って置くと良いでしょう。
あなた達はそうは信じていないのです。 あなた達はこのように考えるよう条件付けられてはいないのです。
{あなたの条件付けは}自分が光を持っていること{自分のために光を持てくれているコンパニオンが居ること}に対して無知である結果として人々が間違った行動をしていることを教えていはいないのです。
だからこのことを毎日自分に思い出させるのは有益なことです。
あるいはこれをトイレの見える所に張って、最低一日一回見るようにしても良いでしょう。

あなたの同胞の中では彼の条件付けや(あなたや他の人に対する不十分な情報に基づいた)彼の信念以外のことも起こっているのだ(もしかしらた彼自身にもそれは理解さていないかも知れないけれど)とあなたが思い出せるように。
同胞がどのように自身を表明していたとしても、それはもしかしたら同胞の真理から来ているものではなく、だから同胞の表現/表明を(例え同胞がそれを固く信じていたとしても)それが真実であるかのように受け止め対応することは馬鹿げていると思い出せるように。

何故なら誰かが現状維持以外のビジョン(視界)をあえて持ってみるまで、よりクリアな光明が信念や条件付けを貫き示す方法が無いのだから。 そうしない限りあなたは他者の生活を変えるエージェント(代理人)には成れないのです。
だからあなたは、あなたの兄弟姉妹がキリストであるというだけでなく、彼等が光(光明)を持っているというラジカルな立場(見方)を取る必要があるのです。
光とは何でしょう? あなたの兄弟姉妹はどのような光を持っているのでしょうか?
キリストの光です。
それはどのような違いをあなたにもたらすのでしょう?

質問者:もしあなたが実存する唯一のキリストなら、それ以外に見るべきキリストが居なかったなら、それはとても退屈なことでしょう。 それはきっととても空虚なことでしょう。

「私は知っている者である、他者は自分を聞くべきである」と主張しているグル達もあまり楽しい体験はしていないかもしれません。
何故なら、{もしグル達が他者の中にキリストを見られていないのなら}彼等も自身に跳ね返ってくる全ての(愛の)反射を楽しめないのだから。 私はこのようなことをよく考えています。

ラジ: そう、あなたの兄弟が持っている光があなたを照らし出す光であるのです。
彼等が持っている光があなたを祝福し、あなたが自分のキリスト性を認識することを助けるのです。 彼等の光があなたの道を照らす光なのです。

質問者: 兄弟がそれ(彼等自身のキリスト性、あるいは私のキリスト性)を認識していなくてもそうなのですね(それでも彼等は私の道を照らす光なのですね)。

ラジ: 全くその通りです。

質問者: 何故なら、もし「誰かがそれを持っていて誰かがそれを持っていない」などという状態が本当に在り得たなら、欠乏が本当に在り得ることになってしまうから。
ラジ: そうです。

質問者: 現在このような無知が広く共有されているにしろ、この真理(自身の真理?)を知らない誰か(何か)が存在し得るという(アイディアがもたらしている)アンバランスな状態に関してわたし達は話して来たわけです。

ラジ: そうです。

質問者: 無知を通して見ようとすることが、ヴェールを通してい見ることなのですね?

ラジ: その通りです。

質問者: わたし達は「無知のヴェールと通してわたし達が現在見ていること(様子)」を信じなくなる必要があるわけです。 それが難しいことなのです。 わたし達が無知を信じ切っていたなら、それが物凄く興味深く見えていたなら、それがわたし達を押し留めており、わたし達がそれで戯れていて(この無知の状態を手放すことがまだ出来ていない訳ですね?)。

ラジ: そうです。
あなた達が自分達をどのように知覚/認識していたにしろ、あなた達自身に対する(分離の)覚悟がどれだけ醜くなっていたにしろ、あなた達がキリストであることを止めることは出来ないのです。
神があなたとして設置したものをあなたが変えることは出来ないのです。 あなたはそれを神の意図から逸らせることは出来ないのです。
だから出来事に関わっている人々の想像力にも関わらず、あなた達全員はお互いの為の光であり続けているのです。
だからあなた達の無知な状態の中でも、あなた達は直ぐに光を放てる状態に成れるのです、その為の行為をあなた達は(ACIMなどを通して)しているのです。

誰かがとても憂鬱な/批判的な/意地悪な気持ちでいて自分の気持ちを醜く表現している時、あなたは「その人の言っていること」を確たる真実と受け取って、あたかもその人がその(醜い)振舞いそのものであるかのように反応することも可能なのです。
しかし、そのように反応してしまった場合、あなた自身も光ることはなく、あなたもその人と同じ場所(状態)に留まり続けてしまうのです。

しかし(今まで自分で可能だと思っていたよりも多くの愛と慈悲を醜い状況に対して表現するあなたの可能性/能力に)その人が光を燈そうとしているとあなたが理解することも可能なのです。
あなたは自分の性癖や慣習から反応してしまわないチョイスを持っているのです。
醜く行動しているように見えているその人と共に立ち、しかしその人の(架空の)醜さを認めない「能力」を示す機会があなたには与えられているのです。
その人に対して(その人の酷さ/醜さ)を認めないことにより、その人の見方以外の見方があることを実演してみせるのです。 そしてその人がそれをその時点で受け入れるかどうかは(あなたにとっては)問題ではないのです。

全ての闘争/論争/喧嘩は二人のキリストがお互いに対してキリストに成っており、しかし両者が歪んだ暗いガラスを通して自分達自身とそして起こっていることを眺めている状態なのです。
しかし彼等はキリストなのであり、彼等は(お互いを燈す)光を持っているのです。
そしてその光は(いわば反対方向から)彼等両人を照らしているので、「あなたというキリストに成る」ことを可能にする革新的知覚/認識{のシフト}を得るチャンスが与えられているのです。
だからあなた達は常に「必要」という観点から自分達の関係にアプローチする必要があるのです。あなたは自分の兄弟姉妹を必要としているのです。
何故なら、もしあなたが兄弟姉妹を必要としているなら、兄弟姉妹もあなたを必要としているのだから。
そしてあなたがあなたの兄弟姉妹を必要としていると同様にあなたの兄弟姉妹があなたを必要としていて、兄弟姉妹の間違った振舞いは、現時点ではまだ体験されていないこと(真理)を体現する必要を呼びかけているのだから。

そしてもし兄弟姉妹があなたを必要としていると同じ位あなたが兄弟姉妹を必要としていると知っていたなら、その時点であなたに求められているのは彼/彼女と一緒にいて(何かを共有して)不完全な情報を基に裁かない意欲なのです。 「(あなたと同様に)彼/彼女がキリストである、その瞬間において彼等が神の直接的表現である」ということに根ざしていない情報を基に裁かないことが必要なのです。

この必要を体験するまで「助けたい」という意欲は生まれません。 それまでは(たとえ人々があなたと言い争っていても)彼等のためにそこに居て、彼等と一緒に立っていよう、彼等の証人に成ろうという意欲は生まれて来ません。

これが大変重要なのは、一緒になる(一緒に居る)選択をすることにより、キリストがあなた達二人の間に再生し、それによって学習の結果が変わるからです。

真理を自分のマインド内で認識しただけでは天国に行けないと理解することが大切なのです。
あなた達は一人では故郷に帰れないのです。
あなたは自分の兄弟姉妹と繋がって神を思い出すだけでなく、「あなた達がキリストであること」を思い出さない限り故郷に帰れないのです。

質問者: あなたが言ったことを聞いて私は、何故わたし達の多くがまだ待ち続けているのか、何故まだ目覚めていないのか解ったような気がします。 それは、これが高揚感(ハイ)をもたらさないからです。
自分の兄弟を受け入れ、自分の兄弟を受け入れている深い静けさを取り入れることはハイ(興奮)はもたらさないのでしょう。
それから今私が受け取っているインスピレーションによれば、わたし達は高揚感や噓やそのゆり戻しの陰鬱を求め続けしまい、深い静寂をもたらさないものに慣れ切っているので、上記の体験からすり落ちてしまっているのです。
ハイ(興奮)を求め続けることでわたし達は自分達が何かを達成していると感じてしまっているのです。

ラジ: あるいはより高い真理やより高尚なグルやより優れた教師を求めるわけです。}
{質問者: だから「この関係にはそれ程までのことをする価値がない」と簡単に言ってしまえるのです。 しかしそれは「私にはそれ程までの価値がない」と自分で自分のことを言っていることになるわけです。
このようなことがわたし達の認識に隠れて行われているのです。 このようなことが行なわれていることに対してわたし達は盲目なのです。
そして...

質問者: そして、(不満の)原因はいつも他者にあるように見えるのです。

ラジ: そして、「あなたがそれに値しない」というメッセージがあなたに届いたなら、あなたはそれを顕わにしたことに関して彼等に腹を立てるのです。

質問者:そうです。 何故なら、それはとても屈辱的だから。だから、それが(自分には価値がないと考えていることが)顕わに成らないように皆一所懸命隠すのです。

ラジ: そうしている限り、違う見方(愛と共に見る選択)が発見されないままになってしまうのです。
しかし、この人はあなたが彼/彼女に与えているよりも多くの可能性を秘めていると考慮する選択が出来るのです(あなたが自分やその人の知覚/認識/見解に囚われ続けなくなれば)。

そしてこの彼等のより多くのもの(可能性)は神から来ているのです。それは彼等の以前の体験や、彼等の育ちや、世界の条件付けや、彼等の人間性から来ているものではないのです。
だから、人の(そしてあなたの)「何かより多くのもの/こと」は神が原動力なのです。

あなたは自分を扱っていると同じように他者を扱うことしか出来ないのです。
自分に許さなかったことを他者に対して許すのは不可能なのです。
そして他者に許さなかったことは、自分自身にたいしても許さない(赦せない)のです。
翻って、あなたが自分自身に関して固く確信していることに関しては、それが他者に関しても同じである(真実である)とあなたは絶対に信じて、それを証明しようと戦うのです。

質問者: だからそれはほとんどの場合無意味なのですね?

ラジ: 何が無意味なのですか?

質問者: わたし達が自分自身に対して証明しようとしていることです。 

ラジ: それは無価値です。 と同時に、あなた達は自分自身に関して認めた真理を、他者にも当て嵌めようとするのです。 何故なら、あなたは彼等に「彼等の真実だとあなたが知っていること」より少ないものを信じて欲しいとは思わないから{あなたは彼等に「自分が彼等に対して低い評価を与えている」と思って欲しくはないのです}。
何故なら、あなたは自分が他者に対して意地悪で自分に対して親切だとは信じたくないのです。

あなたは他者を虐げたようには、自分自身を虐げたいとは決して(意識的には)考えません。これはハッキリしているでしょう。
しかしあなたが兄弟を虐げている時、あなたは自分自身をそのように虐げているのです。
そしてあなたが彼等を赦せないのは、あなたが(同じような状況下に居た時の)自分自身を赦せていないからなのです。
もしあなたに責任があるとしたら(そうあなたが考えている限り)、あなたは彼等を赦さないのです。
ではさて、あなたはどのようにして、自分自身に対するあなたの最上の(あるいは最低の)概念に他者を縛り付けることから逃れるのでしょうか。
あなたの貧しい思考体系が許すよりも、より多くのことがあなたや彼等によって行なわれていると考えてみることによってです。 そしてあなた達のこのより多くの可能性は神が行なっていることであり、あなた達が使ってきた判断基準とは全く異なったルールで働いている、と考慮してみることによってです。

このより好ましい可能性が顧みられるようになれば、少しでも好奇心を発揮して「あなたはわたし達をどのように見ているのですか?」と神に訊ねることが出来るようになります。
私が使っていたものとは全く異なった基準によって為されている「あなた」はどのようなものなのですか?
これが祈りです。 そしてあなた自身と同胞を愛して、そこで起こるインスピレーションに聞き入り(神の使っている基準に従った)新しい意識の流れを得るのです。

質問者: つまり他者との繋がりへの欲求を確立するのは「必要」なのですね。
そして他者との繋がりを望むことは、他者とのコミュニオン(霊的交歓)を望むことは、「わたし達が本当は何か」理解するために働いている力学(必然的に起こる状況)なのですね。
そして必要がもし無かったなら繋がりを求めることは実行されず、必要がなければわたし達は古い判断基準をそのまま保ってしまうのですね。}

ラジ: そうです。 しかしあなたは初めの部分を省略しています。
あなた達は自分達の兄弟(兄弟姉妹共同体)から本当は分離しておらず、それでも分離出来るという考えを受け入れそう信じるに至っているので、必然的に欠乏を感じるように成ってしまっているのです。
何故なら、ユニティー(一体性)を感じることがあなた達の生得権(本質)なのに、あなた達はそれを否定しており、その否定を信じているのだから。
あなた達は分離しようがない(切り離しようがない)ので、もしあなたが自治的存在感を受け入れているなら、お互いを必要としていることを感じるのは、必要を感じるのは、必然なのです。
そして必要を感じることで、繋がる可能性のドアが開かれ、あなた達両者は「自分達が誰か」思い出すチャンスを得るのです。
必要を感じることが必然なのは、あなた達の不可分性(わたし達が繋がり続けていること)が決して壊れていないからです。
だからあなた達が(その中でユニティー/一体感が常に体験されている)正気に返るためには、独立自治的存在(エゴ)にとっては耐えられないと感じることを経験しなくてはならないのです。
「エゴには耐えられないこと」とは、他者の必要を感じることなのです。 何故なら「他者の必要を感じること」(他者が必要としているものを感じること/他者が自分に必要だと感じること)はあなたが独立自治的存在として失敗していることを意味するのだから。

あなた達はお互いからは切り離され得ないので、自分が独立した自治的存在であると(自分を騙して)信じることに成功している者は、キリストの再生/再来を得るために、リアルな愛をもう一度得るために(必要を、場合によっては欠乏を)「感じる」必要があるのです。
愛、それは人が自身を他の何ものに対しても隔てていない(自分を保留していない)無防備で、装っておらず、コントロールされていない一体感なのです。

質問者: つまりわたし達が話しているこの「必要」とは「わたし達全員がひとつである」という事実から起こっているのですね。

ラジ: その通りです。

質問者: しかし人が独立独尊という自分の幻想に捕われ、それをコミュニオンへの渇望と誤解していたなら、それは誤認識なのですか、それとも...


{ラジの解説テープ/テキストはここで中断しています。Urtext Chapter 31-2のテキストは上記で全部です。}

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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Author:翻訳 岡上
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