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2012-11-26

「対話」


Nov 24 2006
静です。

私は最後の貴方の訳文「だから、そこに現れているものは(本当は)私にふさわしいものなのだ」
この一文を重複させるつもりはありませんでした。
今、読み直しているうちに見つけ、
見開きのもともとのメモを確認しました。

しかし、そんな文はありませんでした。
私はコピーも何もしたつもりがありません。
このことの意味を、ただ静かに真摯に見つめてください。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++
Nov 24

私はこれを投稿欄で投稿しようと、もう2時間以上格闘しました。
けれど、どうも先にメールで送れということらしいので、こっちに送ります。
長いですが、我慢して、ここから先をどうぞ、このまま読んでください。
これがまさに私が今していることです。↓

『正しさ』

私は先程、貴方へのコメントで
「少し時間を下さい」と書きました。
数日お時間を頂き、過去のラジの文章を少し読み直して、私の考えをまとめたいと考え、 貴方にそう書いたのです。
そして、少し考えをまとめるつもりであれからお風呂に入りました。
そして、湯船の中で突然、今朝いきなり思い立って、貴方にむけて書き始めたメモのことを唐突に思い出したのです。
「どのような体験をなさっているのでしょう?」と貴方がさっき尋ねて下さる前に。

私はそれを今朝唐突に貴方にむけて書き出したのですが、何か激情的に思えて、そのまま貴方に投稿するつもりはありませんでした。

それでも、いつかそういう趣旨のことを貴方に聞いてもらいたいと思い、そのまま保存したのです。タイトルまでつけて。
そして、きれいさっぱり忘れていました。

そして、湯船で「どう伝えましょう」と聖霊に聞いた時、突然、今朝の文章のことを思い出しました。

私は、今朝すでにその「答え」をもらっていたのです。
そして、それをすっかり忘れきっていたのです。
そして、「考えを自分でまとめるつもりで」貴方に少し時間を下さいと言ったのです。
でも、聖霊に尋ねて、私はそれを突然思い出したのです。
これが私に今、起こっている一連のことです。
私にはこれがどういうことかわかりません。
ただ、何か神聖なことのように思えるのです。
これはどういうことでしょう?

下記の文を今朝、貴方にあてて書いていました。どうぞ受け取って下さい。


あなたは今のこの世の在り様をおかしいと思っていらっしゃいますよね?
それを自分は正したいと。
これは正しい、あっちは正しくない。だから、正しくないと自分の目に見えているものに関わって、それを自分は正す必要があるのだ、と。

「正しい」
このことについて、改めて考えてください。あたり前のことだとは思わずに、心を真っ白にして、初めてこの言葉に接したようにして、この概念についてただ思いをめぐらせて見てください。

そしてひとつのことについて考えて見てください。
「殺してはいけない」 これは正しいことですか?
これは、イエスもお釈迦さまもおっしやっていることです。
戦争はいけない。ヒトラーは正しくない。
多分、賛同されるのではないでしょうか?

「殺してはいけない」
イエスもお釈迦さまもこうおっしゃっている。そして、私はこれを正しいと感じる。
「殺してはいけない」
私はこのことの意味を馬鹿のように、毎日毎日繰り返し考えました。
「殺してはいけない」
何を?いのちを
私はキリスト教も仏教も教義を詳しくは知りません。
けれど「殺してはいけない」というこの戒律については聞いたことがある。
これは正しい、あたり前のこと、と思いました。私は正しいことがしたいと思いました。
そして、これくらいの正しいことなら、当然私は守ることができると。
人を殺してはいけない
あたり前、私は今まで殺していない
けれど、動物はどうでしょう?私は犬猫を殺したことはない、けれど豚や牛は食べている。
なら、菜食になればいいのか?
ベジタリアンになれば、私はいのちを殺さないですむのか?
けれど、それならお米は、小麦は、ほうれん草にはいのちはないのか?
植物もまた「いのち」ではないのか?
菜食主義とは結局、肉ではなく植物を殺すことではないのか?
けれど私は食べなければ生きていけない。
私は他の命を食べなければ生きていけない。私はもともとそんな風に生まれついている。
このことは割とよく言われていることです。私は今までよくそういう意味のことを聞きました。

「私達人間は他の命を食べなければ生きていけない」「私はそんな風に生まれついている」
私はこの陳腐に聞こえる言葉について、改めてひたすら考えました。
これは仕方のないこと、でしょうか?
余計には殺さず、野生動物のように、自分の命を養う分だけの「殺し」は仕方のないことなのでしょうか?ヒトラーの大量虐殺は許せないが、自分の命を養う分の「いのちの殺し」は許されるのでしょうか?
ここに矛盾はないのでしょうか?
私達は、いったいどの地点で「正しいこと」を「仕方のない」ことにすりかえてしまうのでしょう?

ならば、「殺すな」というこの偉大な先人の教えはったい何なのでしょうか?
私がこれをとことん誠実に守ろうとすれば、私は死ぬしかないのでしょうか?
イエスさまやお釈迦さまの「殺してはいけない」という言葉は「人間は死んでしまえ」と言うことでしょうか?
霞を食べるか、死ぬか、どちらかにしろと。
私は霞を食べて生きている人がいるのかどうか、そんな方法があるかどうか調べました。どうやら、空気だけで生きてるいる人も稀にはいるようです。けれど、その方法ははっきりせず、体得できるようにも思えず、何ケ月かうちにそれを体得しなければ、私は死ぬかもしれない、と思いました。

私は死ぬしかないのでしょうか?
けれど、けれど、私はなぜか生を受けて、今ここにいるのです。
これはどういうわけでしょう?
私という存在はもともと無意味なのでしょうか?
予め死ぬしかないような存在がどうしてわざわざ生を受けたのでしょう?
なら、私というものはいったい何なのでしょう?

ここで行き止まりです。

もう一度、もとに戻りました。
なら、イエスやお釈迦さまの「殺していけない」、
私はこれを全く無視できるのか
ヒトラーのしたことを私は心から承認できるのか?

できません。
イエスやお釈迦さまが「殺すな」といったからではなくて、戒律だからではなく、私の奥の何かが「殺すのは間違っている」と言うのです。

ということは
《私はこのように生きている限り、自分が正しいと思っていることは絶対できないのではないか》
これは絶望です。

そして、私に「この世は幻想」と言葉が届き、その言われていることの意味にひたすら思いを巡らせてみたのです。

これは何かの比喩だろうか?
どこかに天国というものがあり、この世は幻想だと諦めて、執着を断ち、ただ傍観しろということなのだろうか?
私はなすすべなく、ただ見ているしかないのだろうか?
私には今まわりに天国の様子など何も見えない。
命は殺しあっているし、私もまた命を毎日殺して生きている。

けれど、イエスも、ラジも、天国はここにあると言っている。私はそれを体験できると言っている。
結局、私には、イエスが、ACIMが、ラジが、お釈迦様が言っていることを信じるか、信じないか、選択肢はそれだけでした。

信じなければ、どうか?
時々死にたいと思える、この狂った現実のままを生きるだけです。

では、信じれば、どうか?
もし、万にひとつのチャンスがあれば、そちらに賭けてみても、私に今さら失うものなど何もないと思えました。

それで賭けたのです。
私は イエスを、そして、「神というものの存在」を本気で信じ、彼が言った「この世は幻想だ」「天国は今ここにあり、貴方はそれを体験できる」という言葉を、何の比喩でもなく、ありのまま、そのままを信じようと決めました。

言われたことがたとえ信じられないように見えても、貴方の翻訳して下さったラジの言葉をひらすら信じようとしたのです。

そうしたら、ある日私の中で確かに知覚の変化は起きたのです。
私は自分が目覚めた、悟った、と言っているのではありません。

けれど、忽然と「わかった」ことがあるのです。
変化が終ったのではなく、変化が始まり、今それが続いているのです。

↑ここまでが書いていたメモです。

(以下は、私はこれを岡上さんに送れという指示を感じて、送信しようとしている過程です。私はその過程も全て書いて送れといわれました。長い文ですが、どう思おうと、最後までとにかくこれを読んでください。これがあなたに届けば、それは神の意志です。)


私はこれを8時30分前後から何度も繰り返し貴方に送信しようと試みました。
けれど、「不正投稿です」「画像認証キーワードが不正です」というような文字が繰り返して、何故かどうしても投稿できません。

もう一度投稿してみます。
そして、こういう些細なことにも全て意味があるのです。
これを聞き逃さないで下さい。

こういう些細なことにも「全て」意味があるのです。

神が全てなのです。
神は「全知全能」なのです。貴方はそう訳されました。
この意味を本気でとらえて下さい。神は全ての全てなのです。
もし、これが送信できれば、多分「私はこれを8時30分~」の文を
私は追加する必要があった、ということです。

それために足止めされたということです。
では、送信してみますね。

また送れませんでした。

『聖霊よ、「もし、これが送信できれば、多分「私はこれを11月24日8時30分~」の文を(私はここで日付も入れ直しました)私は追加する必要があった、ということです。」

ああ、これは私の考えでしたね。この部分が余分なのですか?
けど、私はこういう過程も含めた方がいいのだと感じます。それでもう一度送信してみます』


また「不正な投稿だと判断されました」と出ました。

『聖霊よ、私はこの文を送れとあなたに言われた気がしているのです。
そう強く感じたのですが、それは私の勘違いですか?
私にはもう全くわかりません。
もう一度だけ送信してみます。もし、それで駄目なら、私はこれを送るのをやめます。
どうか、改めて私に答えを下さい。どうか、どうか、神様』

私はここで、上記の「結局、私には、イエスが、ラジが、お釈迦様~」の文の中にもともとはACIMと入れていたのを発見しました。
その文字の下に赤い波線があり、私はそれが目につきました。
それを消してもう一度送ります。

送れませんでした。
私はこれを今する必要はなかったですね。

では、どうすればよいかまた答えを下さい。
私はしばらく、このことから離れてます。
そう、私は何もわからないのでした。今私には何か余計なものがあったのかもしれません。

貴方の意志がなされますように
貴方の御心のままに

私は手元にあったノートの見開きの言葉を見つけました。おそらく貴方の訳文から書き写したと思う言葉です。

「待てよ!ここで何かが起こっており、神の力以外のものが実在していなかったら、私に知覚出来るものは(或いは私にご認識できるもの)は神以外にはないに違いない。だから、そこにあるものは基本的にリアルで善良で分離されておらず、罪/病/死/崩壊は不可能に違いない。だから、そこに現れているものは(本当は)私にはふさわしいものなのだ。だから、そこに現れているものは(本当は)私にふさわしいものなのだ。だから、私は好奇心と共に、そこにある神聖を見てみよう。この体験ができるまでこれを続けてみよう」

私がこれをしている間に頂いたサラさんからのメールを見ると、そこには
『聖霊とは、あなたの正気に他ならない』 という言葉が飛び込んできました。

私はそれからテレビをつけました。
BS朝日で「アトランティスのこころ」という映画をしていました。
私は、ノートの見開きの言葉をここに加えることを思いつき、今しています。
これが私の今していることです。

そう、おまえは確かにそれをしているとして、何をだらだらとそのつまらない自分の日常を書きつづっているんだ、とイライラしましたか?

「つまらない自分の日常を」と。
(そして、私は今こう書きながら、一体どう続くか、全くわからないのです)

「つまらない」
もし、あなたがこれに近いことを思ったとして…
これは誰が言っているのでしょう?もし、これ以外のことを仮に貴方が「思ったにしろ」それはいったい誰が言っているのでしょう?

私はさっき貴方の訳文に目を止めました。
その中には「待てよ!ここで何かが起こっており、神の力以外のものが実在していなかったら、私に知覚出来るものは(或いは私にご認識できるもの)は神以外にはないに違いない」

私はそう書き出しています。
この、今、この目の前にある、このつまらいな、とるに足りないと思う、この一瞬、一瞬が神のはからいなのです。これも神のされていることなのです。ここに神以外のものはない。とっているのです。
「ここに神以外のものはない」
このあなたが訳したことを、もう一度、深く深く沁みこませて下さい。

「ここに神以外のものは何もない」
このことを繰り返し繰り返しつぶやいてください。神を深く感じきるまでそれを続けて下さい。私はこれを伝えるためにここにいるのです。

私はこれでもう一度送信します。

これがどんな長さなのか、これで送れるかどうか
それを貴方(岡上さん)がどのように扱われるか、私にはわかりません。貴方もまた神なのです。貴方が今、何をしていようと貴方もまた神のはからいの一端なのです。

私がこれが貴方に届くかどうか全然わかりません。

これが貴方に届き、私が送信できなかったのは、単に投稿に不慣れなせいだとどうか軽く流されませんように。それは貴方の考えなのです。それは、人間の考えなのです。幻想なのです。物事はたった今、そんな風には起こっていないのです。もし、これがあなたに届けば、それは「神の御業」なのです。


あとは貴方(岡上さんという神さま)におまかせします。

貴方の意志がなされますように。
私がその一端を間違えなく、になえますように。
どうか力をお貸し下さい。

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(岡上のメール)
今日11月の24日です。 10時過ぎに起きました。
それからメールを読みました。
そして町に出かけてコーヒーを飲み、本屋さんを覗いてみました。 町はクリスマスの賑わいです。
今日は両親の銀婚式だったので、昼には近くの韓国料理店で食事しました。 それから家でお茶を飲みました。
8時30分に成った時壁の時計を見て、それからテレビ(日本の番組が見れるケーブル)を見たら「梅ちゃん先生」の番外編が映っていました。 
新米雑誌記者の女性が上手くインタビューを行なうことが出来ず、インタビューされている若い工場長が焦れている場面でした。 工場長は旋盤のことを説明しているのですが、雑誌記者はその説明が良く飲み込めず、父さん役の片岡鶴太郎が「オメーは、もっと親切に説明出来ねーのか!」と工場長に向かって言っていました。 

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Nov 24

有難うございます。
そうでした、貴方はシアトル?どこか日本ではない所にいらっしゃるのですね。
クリスマスの町の様子でもなく、本屋にある本のタイトルでもなく、韓国料理店内の様子でもなく、ご両親の様子でもなく、貴方が「梅ちゃん先生」に(私は日本にいますが、実はこの番組は見たことがありません)にフォーカスし、そのテレビの中で他にも会話がされていたろうに、
「オメーは、もっと親切に説明出来ねーのか」
という言葉だけに焦点を当てられ、その部分だけを取り上げられて、岡上さんが私に送られたということは、この言葉が私達に関係した何かだとは感じます。
けれど、私にはこの神の意図は今の段階で全くわかりません。
「オメーは、もっと親切に説明出来ねーのか」
これはいったいでしょう?
「オメーは、もっと親切に説明出来ねーのか」
あっ、ちょっと待って下さい。あっ、今、何か思い出しました。
そう、私は岡上さん宛てに長文をメールで送った後、また思いついて、別のメモを貴方宛に書きました。そして、保管して、いつ貴方に送ればよいか、聖霊にまかせていたのです。午前中かお昼頃が、いずれにしろ、一度投稿欄から貴方に送らせてもらったのですが、何か表示が出て送信できませんでした。2度試してみたのですが、駄目でした。だから、今が送るタイミングなのかもしれません。
送ってみますね。
↓ここから下がそうです。
《問いと答えはひとつ》
岡上さん、私はこのメールを11月24日午後11時41分に書き始めています。
先程、貴方に「正しさ」というタイトルが入った長文メールを送ったところです。無事届いてますでしょうか?

貴方にいつこれを送ればいいか、私にはわかりません。
私が今から何を書こうとしているのかわかりません。けれど、これを書いておけということらしいので、書きます。
これを貴方は「問う」からという神の指示です。その時に必要になる「答え」なのだ、と。
私は、
「この世はいったい何なのですか?」
「私はいったい、この、この、私という、このものはいったい何なのですか?」
「この世は幻想、それはいったいどういうことなのですか?」
それらのことを来る日も来る日も問い続けたと書きました。

そして、ある日の朝、犬の散歩をしてる途中で
私は一度だけ神の声がキラキラと雪のように降ってくるのを見ました。
耳に聞こえるというより、言葉が文字として降ってくるようでした。
目でみたようでもあり、体で感じたようでもありました。
たくさんの意味がその時一度に全てわかりました。
あらゆる意味が目の前にキラキラと降ってきました。
どこか遠いところで書き留めなければと思い、けれど、これからはいつも見えるんだからそんな必要はないと、遠いところで思いました。
そして、気がついたら、私の中に「問いと答えはひとつなのだ」という言葉だけを残して、あとは全部消えていました。
それは数秒だったようでもあり、午前中いっぱいだったようでもあり、どれ位の時間だったのかわかりません。
数日間か数週間か、私の中にはまだ意味の余韻のようなものがありました。
けれど、それも次第になくなっていきました。
私は自分がまた忘れてしまった意味を探し始めました。
それ以来、私はあらゆることをこのひとつの意味を通して解釈しています。
「問いと答えはひとつ」
私はこれを貴方にいつ送るでしょうか?
ここまでが昨日書いたことです。
そして、私はこれを今から投稿します。(11月25日11:25)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

Nov 25

私は投稿や、メールやこういうシステムがよくわかっていません。不具合があったら、許してください。
----今、11月25日17:26で、犬の散歩から帰ってきた所です。
自分がこれから何を書き出そうとしているのかわかりません。これを貴方にいつ届けるのか、これが投稿欄に掲載されるのかどうかもわかりません。私は過渡的状況にいるようです。
私は貴方の体を使って、貴方に手伝ってもらいながら、これをしています。ありがとうございます。
私は貴方の「白ヤギさん」というタイトルが目がとまり、貴方に初めての投稿をしました。
(投稿されたのはYasuさんでしたか?これが貴方の目に届くかどうかはわかりませんが、私がこれをできたのはまさに貴方のおかげです。ありがとうございます。)

この前書かせて頂いたように、今までこのサイトに書いてあるこういうコメントを読んだ記憶がありません。読んだのかもしれないのですが、何も思い出せないのです。それで、それ以前にどういう過程があって、現実の何に対して怒ってらっしゃるのか、私にはわかりません。

けれど、貴方はここで、Yasuさんという幻想の体を借りて、Yasuさんのコメントを通して、神に怒りをぶちまけておられるのです。
ヘルプ・ミーと

もう、うんざりだ。助けてくれ。この現実をどうにかしてくれ。と。固い殻に亀裂が入りました。貴方は自分では意図せずに助けを乞いました。
《全体的な意図が把握出来ない(何が言いたいのか私には解らない)》
《「もっとシンプルにしろ。」 うん、素晴らしいアドバイスだ!!!》
《「私」と「あなた」の使用がひっくり返って、どっちがどっちか区別が付かないんですが?  私とあなたは分離していないから、それで構わない。》
《これも尋ね聞くことです。》
《誰が誰に話しかけてんだ)、そのまま出しましょう。  そのまま出して欲しい、解り辛くとも(複雑でも)綿密な対話が現れているから。》
これらは全て、貴方は神に対して言っておられのです。
そして、このまま出しました。
そして、私(静)がその苦痛に反応しました。そして、この幻想の体を使って貴方に答えています。
これが、真のコミニューションなのです。
物事はそういう風に進行しています。貴方は今天国の一端を隙間からのぞいているだけなのです。
だから、イラだっています。正しい部分も見えるのに(善=神)、耐えられない悪も見える。
貴方の苛立ちは正しいのです。それが聖霊、貴方の正気の部分なのです。

私(静)は、今、驚いています。私の表層意識では聖霊という言葉になじみがなく、「神よ」とよびかけることはできたのに、どうしても「聖霊よ」と呼びかけられない。そのことを昨日、告白しました。
そして、今、たった今、このように「答え」を頂きました。
神よ、聖霊よ、感謝します。
岡上さん(神よ)、この機会を頂けたことに感謝します。

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(岡上のメール)
例えば 答え/ACIMは私が作ったBlog(ブログ)の一つです。
あなたはこのBlogに幾つもコメントを下さいました。
このBlogを訪れた人達は誰でも、望めばそれらのコメントを見ることが出来ます。 つまりBlogへのコメントはパブリックなものです。
あなたがこのG-mailにメッセージをくださった場合、そのメッセージが見れるのは私だけです。
G-mailにメッセージが送られてきた場合、「このメッセージは私だけに見せることを意図したものなのだろう、これは公表を前提にしたメッセージではないのだろう」と私は解釈します。

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Nov 25
あっ、そういうことなのですね。
私は、メールに書いたように、貴方へのブログの投稿欄あてに何度も何度もあの長文メールを送ったのです。けれど、何故か送信できなかったのです。「不正」とか「制限」とかいう文字に遮られました。私はこの行為が必要ないことのか、神に聞きました。そして、あなたのG-mailのアドレスを見つけてそちらに送りました。そしたら、送信できました。
「このメッセージは私だけに見せることを意図したものなのだろう」
私はどんな意図も持ってません。多分、書いたと思うのですが、貴方に渡った後は貴方がそれをどう扱われても自由です。公表して頂いて大丈夫です。これは貴方へ手渡された神のギフトです。全てに神の意志が行き渡っていますから。

+++++
Nov 25

これは貴方に先程のメールを頂く前に書いていたものです。私は中途半端と名づけて、最後のメールが届く前に保管していました。

11月25日18:33
私(静)はこの時間、先週までいつもBSプレミアムの「平清盛」を見ていたのですが、こちら優先らしいです。私は何を書いたらいいのかわかりません。貴方にいつ出せばよいのかもわかりません。私はこの数日食べ物に関しての記憶がほとんどありません。食欲も大してありません。私は肉や植物を今自分で意識して避けてはいません。今、夕飯を食べてみました。私は貴方に「命を食べること」のメールを送りました。答えがくるかもわからないのでこの展開をみてみます。

ここまで書いてから私は台所に行って、コーヒーを淹れました。そして、ただ、10分ほどうろうろ、うろうろと、1メートル50センチ程の距離を動物園の熊のように、行ったり来たりしました。昨日(いつだったかはっきりしないので私はレシートを確認しました)、11月22日なので3日前でした、その時はスーパーのお菓子の同じ棚の前を1時間程行ったり来たりしてました。そして、さっきは意味もなく着ているものを脱いで、ただまた着ました。意味もなく?ああ、許して下さい。それはあり得ないのでした。けれど、これはいったい何なのでしょう?私は狂ってしまったのでしょうか?でも、私はとても鮮明に感じるのですが。私は抵抗しているのでしょう?どうか許して下さい。貴方の御心が私を通して、スムーズに顕現されるよう、どうか力をお貸し下さい。

私は、そう、宗教のことなのです。私は貴方の記事を全て読んだと言いました。けれど、今、どういうわけかそこに書いてある言葉をひとつも思い出せません。仏教書も神道の本も、それほど難解なものではありませんが、たくさん読みました。が、何も覚えてません。記憶にはどんな意味もありません。それはなにひとつ重要ではありません。

私は、ただ答えが欲しかった。何か、自分の中を激しく揺さぶる、言葉をひたすら捜していたのです。
「この世は幻想」
この言葉を初めて聞いた時、貴方の中には何が起こりました?私は『神の使者』をなんとなく手にとり、その中にこの言葉を見つけ、愕然としました。
「この世は幻想」

私はひっくりかえりそうでした。いいえ、文字通り、私の中の何かがひっくりかえりました。
(ここで私は貴方からのWEBについてのメールを頂きました。私は段々何もわからなくなっていっています。私はちゃんと伝えることができるのでしょうか?間に合うのでしょうか?という自分の悲鳴を遠いところできいています。けれど、全ては大丈夫なのです。私達は心配する必要は何もありません。「必要」、そう私はこのことについても多分貴方に書かなくてはいけません。けれど貴方は先程の返事で何か打ち切りたそうに見えました。あっ、それは私の抵抗なのかもしれません。すいません、貴方がどう見えるかはただの私の考えです。起こっていることではありません。)

私は貴方に先に…
これはすごく中途半端ですが、これで送れということでしょうか?とりあえず保管します。
↑私はこの時点で貴方のメールを読み直し、そこに貴方の拒絶を感じて、ためらいました。
そしたら、何を書いたらよいかさっぱりわかりませんでした。
私は神に問いました。
そしたら、貴方から、今親切で具体的なやり方のメールを頂きました。
問いと答えはひとつ。
全ては一瞬で起こるのです。私達の知覚が変わりさえすれば

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
Nov 25

今、11月25日、20:04です。
私は地上波でさっき、BSで見逃した「平清盛」を見ようとしました。けれど、こっちが先のようです。
私の「平清盛」はどうでもいいそうです。
私はこれを先に貴方に伝えなくてはいけません。
おつかれさま。
貴方は、もういいのです。貴方はもう十分役目を果たしました。他のたくさんの者のために貴方はくびきを負いました。貴方は愛でられた魂なのです。貴方は自分の役目を果たすため、わざと目を閉じていました。さあ、ゆっくり目をお開けなさい。そして、私を見るのです。神様、有難うございます。私はこれをちゃんとできたでしょうか?

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Nov 25

今、11月25日20:17です。
私はもう一度「平清盛」を見ようとしました。私は、こういう歴史物が好きだったのです。今やっているのは確か「ぬえ退治の源頼政」の最後の話で…私はこれをわざわざ字幕(日本語の)で見ているのに、さっぱり意味がわかりません。見えてはいるのですが、意味がわかりません。見慣れた役者が演じている、このことの、意味がわかりません。私は今ちょっとため息をつきました。私はちょっと怒っています。私はテレビをもう切ります。
神さま、すいません。私は…また抵抗しているのでしょうか?
神さま、私に、私にどうか、私の仕事をさせて下さい。

宗教のことです。私は貴方に宗教の話をしていました。私は、貴方が訳して下さった膨大なラジの言葉を読みました。けれど、今、たった今、私の中にはひとつの言葉もありません。私はなにひとつ覚えてないのです。けれど、私の手はこうやって貴方に文字を綴ります。記憶は、必要ありません。記憶は必要ないのです。展開しているのは、今なのです。
宗教の話です。貴方はコメントのどこかで、今、あらゆる宗教や民族や国が繋がり、お互いに関わり合っていかねばらないという(私は正確な貴方のコメントを思い出せなかったので、ここで、ブログを開いて確認しようとしました。けれど、見つかったのは「ワプニック」という名前でした)意味のことを言われていました。そうです。貴方は正しいことを聞いているのです。関わり合って「いかなければならない」のではなくて

(私はここで21時から放送の韓国ドラマ「王女の男」までには終るだろうかと心配して時計を見ました。唯一日曜日は楽しみにしている番組の曜日なのです…そして、こういうとるに足りないような私の記述も、こしこのままこれが貴方に届けばそれが神のはからいです。物事は私達の思慮を越えたところで完璧に進んでいるのです)

既に「関わりあっている」のです。私達が何を正しいと思い、何を間違っていると思うかに関係なく、、私達の好き嫌いとは関係なく、ただ起こっているのです。
私達はそれに本当には何の関与もできません。何の関与もできないのです。わかりますか?貴方が貴方と思っていらっしゃるようなものは本当にはないのです。貴方が貴方と「考えている」ような貴方はどこにも「ない」のです。

これが、幻想の体の意味です。貴方に自由意志などありません。
そして、これがあらゆる宗教がもともと言っていた意味なのです。多くの宗教が教義で争い、貴方は過去のそういう争いを見て、それを間違ったことと感じ、この「奇跡」の教えに真実を感じられたのではなかったでしょうか?そして、ここで「ワプニックさんの主張」です。
(私はそれが誰か調べてみました。私は確かに奇跡講座の無料の邦訳テキストを頂き読みました。(さっぱりわかりませんでした)貴方のブログで勉強していました。けれど「ワプニックさんの主張」というものを知りませんでした。)

貴方はまた、過去のキリスト教が歩んだ間違いの歴史を再現しようとしている。
そんなものは忘れない。そんなものは捨ててしまいなさい。そして、私の方をただ向きなさい。
これを公表するかどうか、それも実は貴方が悩むことではない。静が決めることでも、貴方が決めることではない。
ただ、貴方はもう、このことを腑に落とさなければならない。
他の体の目覚めのことは一旦忘れて、まず、貴方の腑に落とさなければならない。

今20:58、急いでこれを送ります。
「王女の男」に間に合いました。
神さま、これで送ります。私の願いを聞いて下さって感謝します。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
Nov 25

岡上さん、私は今ものすごく混乱しています。
私は昨日貴方に最後のメールをお送りしてからも、まるで何かに取り憑かれたようにまた貴方宛の手紙を必死で書き綴っていました。
貴方は私の文章を褒めて下さいましたが、私は普段何かを表現しようとしている人間ではないのです。私はただ、貴方のブログや様々な本を読みながら、ただ静かに瞑想していたい、と思っているような人間なのです。

貴方はそう言って下さいましたが、私は自分に「他者を助ける度量が」あるなどとは到底思えません。私は何かを受けるだけの人間で何かを与えられる人間ではないのです。ああ、こういうとまたしても神に対して傲慢ですね。私が「何か」ということなど、私が言い切れることではありませんでした。

ただ、私は昔から「愛」というものを必死で自分の外側に求め、時々は展開の中で「手にした」と思いました。けれど、自分が愛に溢れた人間だと思ったことなど一度もありません。私は「死が二人を分かつときまで愛を誓う」という結婚の儀式さえ、そんなこと皆はどうして誓えるのだろう、と不思議で不思議でしかたなかったのです。私は「誓い」という言葉に神聖な何かを感じ、それに強く魅かれはしますが、「誓えない」のです。「愛」とは何か?私にはさっぱりわからなかったのです。私は皆が
持っている、その愛というものが欠落した人間ではないのか、私は何かとても大切なその「愛」というものがもともと備わっていない、欠陥品ではないか?私はその言葉の響きに魅かれ、それを切望し、けれど、片方ではそれを決して受け入れまいとしてきました。

私はすっかり疲れ果て、できることなら「ただ呼吸だけして暮らしたい」と思っていました。それ以外何ひとつしたくありませんでした。ただ、平安の中に静かに沈んでいたいと思っていました。

そして、そういう私が貴方に対して何か自分でも奇異に見えることをし始めました。多分、貴方の目にも「奇異」に映っているかもしれません。けれど、貴方は「何か新しい動きが確かに現れている」と感じて下さいました。そうやって、私の行動を受け入れ、繋げて下さいました。私はその言葉に力を得、この奇異な行動を続けました。

そして、もうひとつ、私は貴方へのメールの中でしきりに今「神」という言葉を使っていますが、私が本気でこの言葉を口にし始めたのは、貴方への最初の投稿をし終わってからなのです。
「何かが起こっている」
私にわかっているのは、ほんとにそれだけなのです。
私は当初「意図した」ようには、これを書いていません。
私は貴方へ投稿をしているうちに、初めて、人間の向こうに神を感じたのです。というより、岡上さん、貴方のことを本気で神だと感じたのです。一瞬、貴方が何なのか、私にはわからなくなりました。

私はこれがそうなのだ、これが奇跡のコースが言わんとしていることなのだ、と確信しました。これが、神の子を神の子として見る、と言われている、そのことなのだと『確信』したのです。私はそのことを貴方に伝えなければと夢中で書き綴りました。

そして、昨日です。

私は、貴方への最後のメールを送った後も、憑かれたように貴方宛ての言葉を書き綴りました。私はどこかで、自分は狂っているのではないか、いったい私は何をしているのだろう、と思っていましたが、私はあの時『確信』した、だから、これは私がしなければならないことなのだ、と浮かんでくる疑念を振り払おうとしました。せっかく神が与えてくださった、あの時のあの、神への確信を私は手放したくなくて必死でした。

けれど、私は悲鳴をあげていました。自分がこれをし続けることが間違ってないのか、全くわかりませんでした。私は確信していませんでした。
私は自分がしていることが怖くて泣きそうでした。私は神にどうか、どうか教えて下さいと乞いました。私は泣きそうでした。

そして、サラさんを通じて、サラさんという幻を通して、答えを頂きました。神は答えを下さったのです。
「オカウエさんという人はいません」
ああ、そうだったのです。そうだったのです。
私はいったい、誰に対して綴っていたのでしょう?
私はその時「岡上さん」という人を見て、「岡上さんはいないこと」を「岡上さんに知らせよう」と必死でした。
私は…私は…いったい何をしていたのでしょう?
私はなんという馬鹿なことをしていたのでしょう?
サラさんの声で、私は止まりました。
そして、貴方が下さった言葉が初めて私の中に響きました。
「あなたは私に働きかけよう、私を説得しようとしているでしょう。」
私はそれを初めて、私の目覚めを促す神の言葉として聞きました。初めてその言葉が聞こえました。

ああ、その通りでした。私はまた同じ過ちに戻ろうとしていました。一度は貴方の後ろに神の姿を見たのに、また「オカウエさん」という幻の体に必死で語りかけていました。私が「これまで」していたように。自分の慣れたやり方で。私はいつの間にかまた戻ってしまっていたのです。私は、それでは何も変わらないということを貴方にただ知って欲しかったはずなのに。私はそれをしているつもりだったのに。
これはどういうことなのでしょう?
私は貴方が訳して下さった 夢の「主人公」を再び読ました。
『それ(体)は、その夢を共有出来る特別な体達を捜し求めます。』
これは、私が貴方に送ったギフトです。それは今、私にかえってきました。私は止まりました。私は止まり、改めて神を見上げました。
そして、今、私はこれを誰に書いているのかさっぱりわかりません。私はこれが何なのか、自分の行為というものが、何なのか、ほんとにわかりません。何をしているのかほんとにわけがわかりません。

だから、どうか、神さま, あなたの意志がただなされますように。
聖霊よ、私にどうか力をお貸しください。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(岡上のメール)
静さん、ご返事送れてすみません。 
沢山書いてくださったので時間を掛けて読み返しています。
あなたが体験していること、あなたが感じ考えていること、はとても良く理解出来ます。
そして不遜に聞えるでしょうが、何故あなたがそういう体験をしているか解ります。
ひとつには私もあなたと似た感じの者だからです。
と同時に、これは誰もが通り抜ける場所/時間でもあります。
あなたは永遠を求めているのです。
そしてあなたは永遠以下のものでは満足出来ません。
だから永遠だと思えるものにしか手を出したく無いのです。
そしてChapter 27的な見方(世界はエゴが作ったものである。 世界は夢/幻想でしかない。)をとても良く理解しているので、「世間/世界」では満足出来ません。
しかしACIMのテキスト内には「世界がより良く改善される」と読める部分もあり、ラジなどはこの部分(世界をより良くすること)をかなり強調しています。そこはあなたが良く理解されているゲリー・レナードさんの解釈とは異なっている箇所だと思われます(これに関しても後日より詳しく書きましょう)。 この部分の違いがお互いの理解を難しくしていた一因だと思います。
この道程で、ある程度の孤独は当然です、しかし聖なる関係が必要であることはあなたもご存知です。 そして聖なる関係とはどのようなものか、それはあなたと私で理解が違うかもしれません。
いずれにしろ何らかの関係は必要なのです。 だからあなたは私にメールを下さった。私に関係のギフトを与えてくれる為に。そしてまた少し繋がりが明確に成って来ているでしょう。
あなたは突き動かされていた。そしてあなたは気にする必要が全くありません。 
勿論お気遣いはありがたいです。 
でもスピリットに突き動かされている時には体面は気にしていられないでしょう。あなたにとっても、そうでは無かったですか?
私はあなたと喧嘩をしたようにも感じましたが、それでも全てはパーフェクトですね。
何故ならこの体験(お互いに対するつばぜり合いとも感じられたもの)を通して、あなたは私を理解し、私もあなたを理解出来た。 そのプロセスはそれなりにキツカッタ。 静さんとやり取りしていて、まるで自分を見ている気分にも成ったから。{オレってここまでトンガッテル(強引な展開をしている)んだ? 少し押さえよう、とか考えながら、実際に書いて出した文章は更にトンガッテたりして。}
<一度は貴方の後ろに神の姿を見たのに、また「オカウエさん」という幻の体に必死で語りかけていました。私が「これまで」していたように。

ちっと私には理解が難しい表現です(わたし達は言葉の使い方が時おり違いますね)。
相手の文章を読んでいる時に「もし自分がこの文章を自分に言っているとしたら、これはどういう意味を持つだろう」と言えた時「幻の体(分離)」が気にならなくなるのだと思います。 {これで合ってますか?}

私もこれからどうなるかは解りません。理解と理論は後からついて来ます。
静さんは結構揺れ幅がある感じですか? 私は自覚が無いのですが「お前はかなり豹変する」と人からは言われます。

それから(あなたの仰りたいことは解るけど)私のことを神と呼ぶことは避けてください。
今までにあなたから頂いたメッセージも使わせて頂きます。
それから、設定を変えましたので、今後はBlogへメッセージ頂いても適切に表示出来る筈です。
岡上

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Nov 26
有難うございます。岡上さん。
貴方が私の奇異とも思えるメッセージを受け入れて下さり、こうしてご返事して下さってご本当に嬉しいです。
私はこれまで貴方にメッセージを送ればそれで私の仕事は済むので、たとえ貴方からご返事を頂けなくても、それはそれでよいと思っておりました。けれど、こうやって貴方からご返事を頂けるやっぱり、すごく嬉しい。

朝から降っていた雨がやんだので犬の散歩に行っていました。小川べりを散歩しながら、貴方のことを思い、この私の感謝を貴方に伝える機会はまためぐってくるだろうか、とぼんやり思いました。そして、帰ってくると貴方からのメールが届いていて、私はまたチャンスを与えられたことを知りました。
貴方は奇しくも「私もあなたと似た感じの者だからです」「静さんとやり取りしていて、まるで自分を見ている気分にも成ったから」と言ってくださいました。

『貴方は貴方を見ているのです』
この言葉は今の貴方にどんな感じを与えるでしょう?
貴方は一連の私の文面から、何か私にひとつのイメージをもたれているかもれません。けれど、私は貴方に最初の投稿をするまでは、「神よ」と心の中でつぶやいたことはあっても、とても気恥ずかしくて活字として、或るいは誰かに向かって、そんな言葉を口にしたこと等一度もありません。生まれてから一度もです。もし、そんなことを私に向かって言う人間がいたら、大急ぎで逃げ出したでしょうし、面と向かって言われたら、「お願いだから、やめて!」と本気で怒ってつき飛ばしたでしょう。だから、私は貴方の困惑がよくわかります。貴方は私なのです。

岡上さんは、今シアトルに住んでいらっしゃるのですよね?なら、日常的に「神」という言葉を耳にされるでしょう。けれど、私はごく普通の日本人として育ち、お正月に神社に参り、お盆に仏様を祭り、クリスマスにツリーを飾って、プレゼントの交換をしてきた人間です。とりたてて、大した疑問も持たず、敬虔さからは縁遠く、ただそれらを習慣として、学校や会社の休みの日、或いは恋人と特別なデートをする日、そんな感覚で捉えてずっと過ごしてきた人間です。私は貴方に対して「神よ」と呼びかけた時、ああ、私はとうとう狂った、と正直遠いところで感じました。けれど、そう言わずにはいられなかった。これはいったい何なのでしょう?

私は確かに貴方が翻訳してくださった言葉の中で自分に響いたものを幾つかノートに書き写しました。そして、時々そのとおりに呟いていました。これで何が起こるのか?という疑問をどこかで持ちながら。「神よ」という口に馴染みのない言葉をどうしても、口に出してつぶやくことはできませんでした。「聖霊よ」という、私にとって更に馴染みのない、この聞き慣れない言葉は心の中でつぶやくことすらできませんでした。私が「聖霊よ」と初めて言えたのは実に2、3日前なのです。これを始めてからなのです。

《 私もこれからどうなるかは解りません。理解と理論は後からついて来ます。》
私はこれを見て、ある意味嬉しくなりました。ああ、私達はこんなにも似ていると。
貴方は「解る」とこの漢字を選ばれた。貴方は今、自分の頭で「解ろう」とされていませんか?後からにしろ、それを理解して、理論づけようと、今考えていらっしゃる。その思考が邪魔をしているのです。
ただ、それだけなのです。貴方は今、神を頭で理解しよう、「解ろう」とされています。頭で「理解しよう」とされているうちは体験できません。神は理解するものではなくて、体験するものなのです。
これはそんなものではありません。頭で理解しようとしてできるものでも、後で理論づけられるような何かでもありません。これは人知を越えているのです。これは理解などできるものではないのです。理論づけなどできるものではないのです。ただ、真摯に問い、触れることでしか「わからない」ものなのです。私達はそれを頭で理解などできません。

貴方にいったい「これ」をどう伝えればよいのか?今、たった今、私が体験している「これ」をいったいどうお伝えすればいいのか?(私は伝えることが必要かどうかすらわかりません。ただ、私がこれをしているのはそういうことなのでしょう。)
私にはこの展開をどう説明すればよいか、何が起こっているのか、ほんとにわからないのです。

何か気質というようなものがあって、私達のそれが似ているなら、貴方はひょっとしたら私の言葉の使い方を大仰だ、あるいは何かの比喩だ、と捉えられるかもしれません。けれど、これは何かの比喩や謙遜ではないのです。私にはほんとにわからないのです。そして、そうと言うしかいいようがないことなのです。

貴方は必死で答えを探し、丹念に丹念にひとつひとつの言葉を検証され、自分が間違いをおかさないよう細心の注意を払われて翻訳をして下さった。ご自分の貴重な時間を使われて。
私は膨大な貴方のお仕事を見て、驚愕しずっと敬服していました。そして、今はそれ以上です。

『しかしACIMのテキスト内には「世界がより良く改善される」と読める部分もあり、ラジなどはこの部分(世界をより良くすること)をかなり強調しています。そこはあなたが良く理解されているゲリー・レナードさんの解釈とは異なっている箇所だと思われます(これに関しても後日より詳しく書きましょう)。 この部分の違いがお互いの理解を難しくしていた一因だと思います。』

貴方はラジやワプニックさんやゲリー・レナードさんの違いを見ていらっしゃる。そして、私の「主張」とご自分の「主張」の同じ点と相違点を探し、そういう形で私を理解して下さろうとしていらっしゃいます。けれど、それこそが「これまで私達がしてきたやり方」なのです。
私達は本来ひとつのものをわざわざ一旦分けて、それからまたひとつに合わせようとするのです。
違いを見ているうちは違いしかわからないのです。もう一度いいますね。
「違いを見ているうちは違いしか見えないのです」
私にはラジの言っていることと、ゲリー(ワプニックさんがどう言われているかは知らないので)の言っていることのどこが違っているのかがわかりません。ほんとにわからないのです。結局それは同じことです。

今、普遍意識に合流することをすすめている、彼等がしてくれているのはただそれだけです。
「あなたの意志は父の意志と合わさる(統合させる)ためにあるのです。そうすれば自由意志の不調和があなたの体験内から消えさります。そして、本当のところ、あなたの意志は既に父の意志と統合されているのです」
ただ、これだけです。
このことの意味が私には今はっきりとわかります。私はこの「自由意志の不調和が消え去っていく」まさにその体験の過程にいます。
(私はこれを自分のノートに書き写していました。それが目に止まり、今書きましたが、これが貴方の訳からの言葉なのか、どこからもらった言葉なのか、私は記録していません。すいません)
貴方は今、誠実な仕事をしようとするあまり、末端の方に目を奪われておいでなのです。
膨大な時間をかけてこのラジの言葉を翻訳されようと決めた、その最初の衝動をどうか思い出してください。貴方の心の正気な部分を震わした最初の言葉をどうか思い出して下さい。

私はこの神のはからい、神としかいえないものを今、目のあたりにしているのです。
今、それが展開しているのを体験しているのです。私は終ったことを言っているのではありません。貴方への投稿を始めてから、次々に展開されていくこの世界の在り様に、自分がほんとに神に触れたことに、私はそれを望んでいたにもかかわらず、驚愕して、うろたえています。これはリアルタイムで進行しており、私はその渦中にいます。そして、もし、貴方が私の向こうにいらっしゃるなら、貴方も今「これ」を体験されているはずです。
「それでも全てはパーフェクトですね」
ええ、そうなのです。パーフェクトなのです。
(貴方の言葉はいつも御自分の意図しないところで、真実を語りながらその美しさにご自身では全然気づかれていない)

貴方が「問う」ということは、「答え」は既にその時点で用意されているということなのです。私はこれに気づいた時、もしかしたら、と思いました。
そして、それが確信に変わっていった時、私はまざまざとその意味を今、体験しつつあります。

問いと答えは本来ふたつのものではないのです。
「問い」と「答え」はひとつなのです。それは分かれたことなど一度もないのです。
どうか静かになって(貴方の思考を静めて)聖霊に聞いて下さい。貴方のイエス様に聞いて下さい。
答えは瞬時にやってきます。時間は関係ありません。これは時間のない世界なのです。
私は貴方と出会えたことを、どれ程感謝してもしきれません。
ほんとうに有難うございます。
そして、これを伝える機会を頂けたことに、神様、心から感謝致します。

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Nov 26

日本は今、11月25日の午後4時44分です。
私は今から犬の散歩に行きます。
1時間後には家にもどってます。もし、何かあれば。
岡上さん、手渡す機会を私に与えて下さってありがとう!
感謝してます。
このメールは私の状況を説明するためではなく、感謝を伝えることをかきそびれていたからのようです。

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Nov 26
これは私がいうまでもないことなのかもしれませんが、
もし私のメッセージをブログで使って頂けるなら、これをこのまま時間どおりに、私達の会話が進んだとおりに掲載して頂けませんか?
今、投稿欄に私がさっきのメッセージを載せると、時間の経緯に合わせて、私達に進展してるいることの意味がわかりにくくなると思うのです。
もし、このメールのやりとりが投稿の表示に追いついたら、恐らく私はその時点でそちらに投稿させて頂くのではないかと思います。

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Nov 26

岡上さん、 細切れになってすいません。
それでも、これもまた何か意図があるのでしょう。
『あなたは突き動かされていた。そしてあなたは気にする必要が全くありません』 
貴方がこう言って受け入れて下さったので、私は流れていくべきものが、スムーズに流れていくのを感じます。有難うございます。そして、私宛の返事をお急ぎになる必要はありません。貴方はどうか感じたままをされて下さい。

《静さんは結構揺れ幅がある感じですか?私は自覚が無いのですが「お前はかなり豹変する」と人からは言われます》

これは所謂性格の激しさのようなもののことでしょうか?だとしたら、私は或る意味とても激情的な方でした。白黒をはっきりさせずにはいられず、曖昧なまま物事を放置することがどうしてもできませんでした。自分が正しいと思えば、教師であろうが、上司であろうが、恋人であろうが、平気で食って掛かり、理詰めで問い詰め、決着がつくまで相手を放そうとしませんでした。それでも反面陽気なところもあったので、なんとか社交性も保ちながらやってきましたが、この数年間私を心底苦しめたのは自分の「怒り」でした。自分の中の「怒り」を私は以前のように制御できなくなってきたのです。
私は親しい友人をひどい言葉で傷つけるようになりました。数人の人に対して時間を置き、それは行われました。私ははっきりと相手の急所を選び鋭い一言を言い放ちました。表面的には汚い言葉でも悪口でもありませんが、それは彼女達の心を抉る言葉でした。そして、私はそのことを知っていたのです。彼女達が私に何かとてもひどいことをしたわけでも言ったわけでもありません。私は自分でもわからずそれをしていました。

私は彼女達のことが大好きでした。私がその一言を言い放つまで、その瞬間まで、和気藹々と仲良しでごく親密な付き合いをしていました。私はそれまで割と人付き合いの良い方で、楽しい面白いと形容される人柄でしたので、おそらく彼女達は一瞬私が何を言ったかわからなかったでしょう。私は楽しげに笑いながら相手に近づき、いきなりナイフを心臓につきたてたのです。そして、私もまた同じナイフに深く深く傷つきました。両刃の剣です。私は何度も自分が言ったことを正当化しようとしましたが、無理でした。その傷は癒えるどころか日々深まっていきました。私は自分が彼女達にしたことを一日も忘れることができませんでした。自分が何に苛立っていたか、今ならはっきりわかります。私は自分に心底腹を立てていたのです。

もうひとつ私を悩ませたのは、実の母に対する理不尽で暴力的で執拗な自分の怒りでした。私は今母と二人暮らしですが、自分が男に生まれなかったことをほんとに喜びました。腕力がもしあったら、私は彼女を肉体的に傷つけていたのではないか、と怖れました。それ程の怒りだったのです。私は彼女にそこまでの憎しみを何故感じているのかわかりませんでした。私は自分の不道徳な憎しみを恥じ、このままではほんとに新聞記事になることを自分がしでかすのでは恐れ、ネットで肉親と完全に縁を切る方法を探し、それでも母と離れて暮らすことがどうしてもできませんでした。口調は激化し、言葉は激しさを増し、お互いそれだけは口にしてはいけない言葉を口に出すようになり、ぼろぼろに傷つき疲れ果てて一旦は休戦するのです。けれど、しばらくするとそれはまた始まり、前よりエスカレートしていきました。苦しかった。苦しくて苦しくて、それでも私は母と離れて暮らすことがどうしてもできませんでした。何度もそうしようと思い、出ようと思えば家を出ることはできたのですが、それをしても結局同じだと私ははっきりと知っていたのです。けれど、これは本当に苦しかった。

貴方はこれをずっと以前の私の体験だと思われますか?
いいえ、これは貴方に最初の投稿をした時まで続いていた私の日常のことなのです。
私はそこから抜け出すことがやっと出来たのです。それは私に起こりました。それが今私が貴方にお伝えようとしていることなのです。(といっても、この先何をお伝えしようとしているのか、この先があるのかどうかすに私にはわからないのですが)
私は何か神秘的な一瞬の、神に魅せられた話をしているのではなくて、日常の変化について貴方に話をしているのです。

私達一人一人の日常が変化すれば、それは「世界がより良く改善された」ということであり、結果的に私達が「世界をより良くした」とも言えるではないですか?(本当にはこれは何か私達が意図してしたことではありませんが)


<一度は貴方の後ろに神の姿を見たのに、また「オカウエさん」という幻の体に必死で語りかけていました。私が「これまで」していたように。

これはこのままの意味なのです。これは誇張ではありません。このままの意味です。
《相手の文章を読んでいる時に「もし自分がこの文章を自分に言っているとしたら、これはどういう意味を持つだろう」と言えた時「幻の体(分離)」が気にならなくなるのだと思います。 {これで合ってますか?}》

いいえ、それは違っています(笑)。貴方はどうして、これをこのまま受け取ることをせず、わざわざそのような難しい解釈をされているのでしょう?(笑)

<一度は貴方の後ろに神の姿を見たのに、また「オカウエさん」という幻の体に必死で語りかけていました。私が「これまで」していたように。

貴方はどうして、これをこのまま受け取ることができないのですか?これは比較的簡単に書かれた文ですよね?私は何かの比喩を使っているわけではないのです。貴方は言葉の使い方の「違い」だと言い、難しく感じると言ってらっしゃる。

もう一度、私の文を見て下さい。
<一度は貴方の後ろに神の姿を見たのに、また「オカウエさん」という幻の体に必死で語りかけていました。私が「これまで」していたように。
貴方が信じてないのはどの部分ですか?
「私が貴方の後ろに神の姿を見た」ことですか?それとも「オカウエさんという「幻の体」に」という部分ですか?
「神」ですか?「幻想の体」ですか?
貴方は神を本気で信じていますか?

もし神を本気で信じているなら、神がこの体が「幻想だ」とおっしゃるのであれば、貴方はそこに何の解釈も持ち込まず、それを信じなければなりません。それが神を信じるということです。貴方はまだ、神ではなくご自分の知覚の方を信じて、そこから物事を解釈していらっしゃる。ご自分の知覚の方を信じていらっしゃる限り、知覚の修正は起こり得ません。そして、狂っているのは貴方の知覚の方なのです。私にも今あなたとそれ程変わらないものが見えています。けれど、それは間違いなく変化しているのです。

これは今起こっていることなのです。私はこれがどう展開していくのかまるっきりわかりません。私は全てが落ち着くまで待ちたいと思い、一瞬貴方へ働きかけることを躊躇いました。けれど、それはできないのです。これは私一人でできることではなく、貴方なしではできないことなのです(私はやっと今貴方に教えて欲しいと問うた神の子は協力してこれをしなければならない、という意味を理解しつつあります。)
貴方は考えようとされている。それでは貴方は思考の中からいつまでたっても出てこられません。

『「幻の体(分離)」が気にならなくなる』
「気にならなくなる」というのは、そこに「幻の体(分離)」があると一旦認めた上で、そこから注意をそらすことです。私がいっているのはそれではありません。それでは貴方は体をリアルなものとして認めてしまっている。気にならなくなるのではなくて、それはもともと「ない」のです。

今までどおりの思考を使うなら、知覚の修正はされず、世界は改善されません。世界の改善のことは一旦忘れて下さい。貴方が一旦きれいさっぱり忘れた方がそれは迅速に起こります。貴方の仕事はそれをきれいさっぱり忘れて、自分の思考を止め、ただ神に尋ねることです。そして、聖霊に助力を求めることなのです。

貴方の知覚が邪魔するからこそ、聖霊の助力が必要なのです(私は今やっとこの意味を理解しました。)
『神はこの今私達の目に見えているようなこの体のようなものが幻想だとおっしゃる。けれど、私の目にはそれは依然としてリアルなものとして映っています。だから、聖霊よ、どうぞ私を助けて下さい。どうか、私のこの知覚を修正し、神が見られているままの私を、神が見られているままの世界を、どうぞ私の周りに展開させて下さい。」
とただ、真摯に、それが起こるまでいつまでも待つつもりで、ただただ乞うのです。そうすれば、知覚の修正は起こります。

貴方は今展開されている私達二人のやりとりの中で、ひょっとすると私の荒々しい一面と静かな一面を両方体験されて何か不思議な感じを受けられているかもしれません。私もまた今貴方の両面を体験しているのです。貴方は、私の苦痛に貴方自身の苦痛を感じませんでしたか?私が貴方のコメントに悲鳴を上げたように、私の話に貴方の中で悲鳴は上がりませんでしたか?

私は貴方なのです。
貴方は私なのです。
これは比喩ではありません。私は今それを体験しています。私はこれが何なのか全くわからないのです。けれど、これは私だけに起こっていることではありません。今、私達に同時に起こっているリアルなのです。
もし、貴方に今何か奇妙な感覚、ごく一瞬、あっ、あれっ、というような、何かが止まった感覚がよぎったら、どうか何も考えずその中に留まってください。それを頭で理解しようとせず、ただそれを体験し、その奇妙な感覚に留まろうとするのです。
それが聖霊、あなたの正気です。

有難うございます。神さま
これを私はちゃんと伝えることができたでしょうか?
岡上さん、私のためにこの機会を下さって有難うございます。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
Nov 26

私は今いつの間にか貴方のブログを開き、この言葉を見つけました。
[聖なる瞬間の中であなたは天国のスマイルがあなた達両者の上に輝いていることを見るのです。]

「あなた達両者の上に」とは『「あなた」とそして「あなたと関係を持っている人」の上に』という意味です。
それはあなたが彼/彼女の為に{兄弟姉妹へのあなたの愛故に}「あなたの彼/彼女に対する定義」を手放そうとしている「関係」です。

と同時にその時あなたは「彼自身に対する彼の定義」も手放しているのです。
これが今、まさにこの時、私達の上に起こっていることなのですよ。
ああ、私は今、たった今、理解しました。私はなんとうかつな…
これこそがまさに聖なる瞬間なのです。それは今、私達の上で起こっているのです。
私は今初めて、その言葉の意味を理解しました。
神さま、オカウエさん、有難うございます。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
Nov 26 2006

岡上さん
シアトルは今何時なのでしょう?
貴方が遠慮しなくていいと言って下さったので、私はそれがやってくるまま、また貴方にこうやって言葉を綴っています。
私は様々な前置きや遠慮の言葉を知ってはいるのですが、それ羅列することは却って私達のコミュニケーションの妨げになるような気がするので、単刀直入にお話をさせて頂きます。恐らくその方が貴方には伝わりやすいと思うのです。

私はなぜ私という人間が貴方に対してこれをするようになったのか、今少しずつ理解し始めています。そう、貴方が言われたように理解は遅れてやってくるものなのです。それは体験の後で、勝手にやってくるものなのです。私達がしようとしてできるものではありません。私は自分がしていることが世間的に見れば何か奇妙なことであるのは承知していますが、これが公表されたらどうかとか、貴方がこれを見てどういう反応をされるだろうとか心配はしていません。それは私のすることではなく、私はそれに対して何の関与もできないのです。私の中を時々よぎる躊躇いのようものはありますが、貴方が受け入れて下さっているおかげで、私は貴方にスムーズに言葉を綴ることができていると感じます。ありがとうございます。
私達の体は空間的には離れていますが、貴方がこの瞬間シアトルで私を受け入れて下されば私はこれをスムーズにすることができると感じます。そしてそれは瞬時に起こります。「問い」と「答え」はひとつなのです。それは同時に起こります。というより、それはもともと離れていないのです。先も後もありません。
今、貴方は自分の正気の部分を必死で押し込めようとしていらっしゃるのではないでしょうか?私の場合はそれを咽喉から胸の辺りの違和感として経験しました。長期にわたって、私は咽喉から胸の辺りを激しく上下して動き回る気の玉、エネルギーの固まりのようなものの存在をずっと感じていました。それは大きくなったり、小さくなったり、様々に振動数を変え、その辺りで動きまわり、私の咽喉を内側から四六時中小突き上げるのです。私はそれが何なのかわからず、どんなに口から出そうとしても出ないその咽喉を塞ぐ存在を、ひそかに「私のラムネ玉」と呼び、様々な方法でそれを外に出そう出そうと悪戦苦闘してきました。これは何か浄化しなければいけない、滞っている悪い気の固まりのようなもので、自分の中から取り除かなければならないものだと思い込んでいたのです。
私は幸いなことに命にかかわるような病気や怪我をしませんでしたが、そういう形ではっきりと肉体的な苦痛によっても促されていたのです。
それが何なのか、私にはまだはっきりとはわかりません。それはまだここにありますが、バイブレーションは明らかに変わってきています。
さて、私はそれを数日前まで自分から取り除かなければいけない「何か悪いもの」だと思い込んでいました。私にそれが聖霊だという気づきをもたらしてくれたのはサラさんです。(サラさん、心から感謝してます)
私は、愕然として聖霊に許しをこいました。これが私が「聖霊よ」と心から呼びかけた初めての瞬間でした。そうやって物事は加速し始めたのです。それはそんな風に起こりました。
おそらく、岡上さんも何かの変化を感じてらっしゃるはずです。オカウエさん、そんな人がどこかにいらっしゃるのかどうか、私にはわかりません。私がこれをちゃんとできているのかどうか、私には全くわかりません。どうか、聖霊よ、力を貸して下さい。
貴方もすぐこれを体験されると思います。或いはもう体験され始めているかもしれません。けれど、どうかそれを自分から頭で理解しようとはされませんように。その展開に目を見張り、ただそれを体験して下さい。理解しようとした途端、その流れは止まってしまいます。理解は後になって自然とやってきます。それは私達がしようとしてできることではないのです。私にはそうとしか言えませんが、貴方はすぐその意味がおわかりになると思います。

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意図の介入

11月27日 13:02

岡上さん

そう呼びかけながら、私は貴方がそこにいるのかどうかわからなくなっています。私は貴方というものを想定してここで何かの行為をしようとしてますが、私が誰に対してそうしているのかよくわかりません。私はほんとに何もわからなくなってきています。


私は今朝、貴方のブログを拝見し、そこに自分の文章が掲載されているのを知りました。ありがとうございます。私はそれを改めて読み、静というのは自分なのだろうか、これを本当に私は書いたのだろうか、とても不思議な気がしました。けれど、読んでいて何か齟齬があるとは感じませんでした。それは正確に表現されていると感じます。そして、貴方が、私がお願いしたとおり、それを時間軸に添ってそのまま掲載して下さったことに感謝致します。ありがとうございました。

私は犬の散歩(私は犬の散歩だけを毎日しているわけでもありませんが)をしている最中、また貴方宛の言葉を私の中に浮かぶままに展開させていました。それは何か「理性」についての話でした。私達の理性というものに関する話だったように思います。私は、貴方がこの一連の私の貴方へのメッセージを一笑に付してしまうのではないかとどこかで危惧していました。

さて、私は自分が理性的な方だと思っています。激情に駆られ、陽気で、面白くて、理性的だ?貴方は今おかしかったかもしれませんね(笑)。私はこの他にも様々な自分の一面をここで羅列することはできますが、それについてはまた別の機会があるかもしれません。(私はここで違う展開を試みました。けれど、話は戻りました。多分私はこれから語られることに、何かの抵抗があるのでしょう)

とにかく、私はこのメッセージが一笑に付されることだけは防ごうとし、自分の奇異な行為を貴方に真剣に受け入れてもらうため、私が普段は理性的な人間であることを貴方に認めさそうと画策しました。そして、そのような表現の仕方を一旦取ろうと画策しました。(私はやっと話の方向が見えてきました)

私は普段こういう行動をとるどちらかというと理性的な人間なのだということ、私はこれを何か危険な存在に憑依されてやっているわけではないこと、その証拠に私は多方面から自分の行為を検証してみたということ、等等を私は貴方宛に一旦書いてから、その後自分が伝えるべきだと思っていることを「書こうとしました」。

何故ならそういう説明がなければ、私は信じない人間だからです。私「が」信じない人間だからです。(私はやっとこのことの意味を理解し始めました。私に貴方が必要なのは多分このためです。私は貴方で、貴方は私なのです。)

私は犬の散歩から帰り、その時覚えていた言葉をすぐ貴方に書こうとしました。その時、サラさんのメールが入り、私は「そちらに気をとられているうちに」貴方に書くはずだったメールの文面をすっかり忘れました。

「神の介入は行われたのです」

サラさんのメールの内容自体はまた別の恩寵です。けれど、同時展開するものごとを私は一度に今提示できません。私は、サラさんの介入に感謝しました。サラさん、有難うございます。

私は貴方に私の奇異な行為を受け入れてもらうための、もっともらしい説明をしようとしていた。私は神の声のようなものを貴方に伝えなければと何か使命感のようなものを一瞬感じ、そのため貴方に受け入れてもらうための説明をまずしなければならないと咄嗟に思考したのです。
そして、また、私は自分の言葉の調子が何か統一性を欠いているように感じ、それを調整しようとしなければ、とどこかでこのまま書くことに抵抗していました。
そうやって、私はすっきりと貴方に意味を伝えるためという名目を勝手につくり、「私という本来あり得ないものの意図」をここに介入させようとしたのです。

これが私達のしてきたことで、今していることです。これが「これまでのやり方」なのです。これを止めなければいけません。

「その夢を共有出来る特別な体達」 私は以前その言葉を貴方に対して拾い上げましたが、この「夢を共有する」という言葉の意味とはそういうことです。

私は自分が神聖だと感じている体験のため、それを正確に伝えるいう「私の大切な目的のため」、貴方と「夢を共有しよう」としたのです。私はこの「幻想の現実」に「私の意図」を介入させようとしました。

すると、自分の意図したことに対して邪魔が入りました。そこにサラさんの介入があり(それは人間としてのサラさんのあずかり知らぬことですが)、私は止まりました。
神の介入は常にこういう形で行われているのです。それはいつもそこに顕れています。
私はこれを貴方に伝えたかったのです。

貴方は自分がきくイエスの言葉とラジの言葉の違いに長く苦しんだと言われた。それで神に何度も問うたはずです。自分の聞いた言葉は神の意志なのか、それともただの自分のエゴなのかと。ならば問うた瞬間、答えは与えられているはずなのです。

「問いと答えはひとつ」なのです。これは何かの比喩や誇張ではありません。物事はそういう風に起こっています。

貴方がそれに気づかなかっただけです。


貴方は神の言葉を訳しながら、その「神というものの存在」を本気で信じていらっしゃいますか?

「神は全知全能」と確か貴方は日本語に訳された。私はそれを英語でどう言うのかは知りませんが、それは関係ありません。「全知全能」というこの日本語が私に与えられたものなのです。それはいったいどういうことでしょうか?この言葉の意味にもう一度深く沈んで下さい。

全知全能とは全てです。全てなのです。神は全てなのです。

貴方はそれを心の底から信じていらっしゃいますか?
ならば、今貴方の目の前で起こっていることは全てが神のはからいではありませんか?
今、ここで展開しているその神の在り様に、貴方は本気で注意を払おうとされていますか?

貴方は神に対して不正直/不誠実なのです。

貴方はポールのお金に対する振る舞い、考え方のようなものに対して、そういう表現を無意識に使いました。けれど、本当に起こっているのはそういうことではありません。
ここで本当に起こっていることは貴方と神の関係だけなのです。

貴方が訳して下さったラジの言葉の中にもそういう意味の文があったと思います。けれど、私は今それを正確に覚えてはいません。
(私は今ものすごい孤独を感じています。私は世界にたった一人取り残されてるように感じます。私はいったい誰に対してこの行為を今してるのでしょう。私はたった一人で誰に対してこれを言っているのでしょう。私は…)
貴方と神の関係が正されれば、貴方が正しく二つのステップをして、聖なる瞬間がやってきたのなら、貴方の知覚にポールの振る舞いは違って映っていたはずなのです。それが知覚の修正ということです。


(そして、これは私(静)のことでもあります。私はこの一連の貴方への働きを通して、私もまたこの「神への信頼」というものを学ぶことを強いられているのだと今理解しています。私は自分の文章がとても不遜に聞こえることを知っています。けれど、それに関与することができません(私はここで貴方へ何か弁明をしようとしましたが、そうしようとした途端、言葉が止まりました)。私が関与することで物事はせき止められます。これがどう見えるかを心配するのは「私」で、そんなものはもともとありません。そんなものは幻だ、というのがこの教えです。私もまた徹底してそのことを自分に滲みとおすためにここにきています。)






Re: 意図の介入

<貴方と神の関係が正されれば、貴方が正しく二つのステップをして、聖なる瞬間がやってきたのなら、貴方の知覚にポールの振る舞いは違って映っていたはずなのです。それが知覚の修正ということです。

もし上記が真理であれば、

「静さんと神の関係が正されれば、静さんが正しく二つのステップをして、聖なる瞬間がやってきたのなら、静さんの知覚に岡上の振る舞いは違って映っていたはずなのです。それが知覚の修正ということです。」 とも言える訳です。

何故なら、真理はあなたにも私にも等しく当て嵌まるのだから。


では知覚が修正されたあなたは「岡上の解釈は間違っている」と岡上に知らせる必要は無いのでしょうか?
しかしあなたは「岡上の解釈が間違っている」と実際にもう知らせています。

ということは「誰かが間違っていた場合その人にそれを伝える必要がある」とあなたは知っているのです。

それともこれは「誰かが間違っているとあなたが間違って知覚していただけ」で、「あなたのこの間違った知覚」が正されればそれだけで良いのですか? 



私達に自由意志などありません

11月27日 15:40

岡上さん

私は狂っているかもしれないとずっと遠くで自分のことを感じています。けれど、もしそうならそれはそれでよいのです。私は今神の御業を目のあたりにし、驚愕しています。私はこのやりとりがどう進むか、自分が何をしているのかわかりません。けれど、それが私を通して行われ、物事の意味が明らかにされる度、私は深い喜びを感じるのです。こうやって文章を綴る時、私は自分がその文章を綴るという行為がなされた後で初めて、その意味を知ります。この行為の安らかさを私は貴方に体験して欲しい。

(私はこれを貴方というものに言っているようにまだ感じますが、その感覚は徐々に希薄になっていきます。私は自分に言っているのでしょう。そうやって、それで何をしようとしているのか、これがどのように展開していき、私がその時どう感じるのかは全くわかりません。そのことにどこかで空恐ろしさを感じます。が、大丈夫でしょう。心配はしてません。結局、神しかおられないのですから。そして、物事は神が意図されたようにしか展開しないのですから)

私達は大抵の場合、文章を綴る時、まず自分でその意味を考えてから、これを言葉というものにして文を組み立てようとします。時に直感的に感じ取られたものが表現されることもあります。しかし、多くの場合それはその順序をとります。何かを書くときに限らず、様々なことがこの順序で行われます。

「まず考えてから何かをする」
これはどういうことでしょう?

私達はそうやって何かを一生懸命考え、言葉を使い、文というものを自分が創ったと考えます。
自分で創る…

貴方は自分にそれができると本気で信じていらっしゃいませんか?貴方が神の声を必死で耳をすませて聞こうとされたことは知っています。けれど、神の声を聞いた後で、「自分で」何かをされようとしていませんか?
貴方がラジの教えの「二つのステップ」をそう解釈してらっしゃるなら、それは間違いです。人はこのポイントで大抵目を逸らすのです。

私達はただ、神から目を逸らしたいだけなのです。私達は何か自分で意図したものを自分で創れると思い込みたいだけなのです。私達人間にそんなことはできません。もともとそういう風につくられたものではないからです。
どうですか?貴方の中に何か衝撃が走りましたか?

私は以前、貴方に「私達に自由意志はない」とどこかで申し上げたと思います。これをはっきりもう一度言いましょう。

「私達に自由意志などないのです」

この言葉を貴方は簡単に無視されませんでしたか?これはとてつもないことを言っているのです。貴方はこれを天地がひっくりかえる程の驚愕を持って聞かなければなりません。

これが「神が全知全能だ」ということのほんとの意味です。

貴方はこれを必死で見ないようにしておられるのです。

驚愕が走った時、自然と人の思考は止まるのです。そして、思考が止まった時、そこに神が入ってこられる場所ができます。
岡上さん、貴方は今自分の思考を止めないことで、神が入ってこられるのをわざと止めておられるのです。


神さま、私にこれがちゃんとできてますでしょうか?
聖霊よ、どうか私を助けて下さい。私の幻の体は今、神の通り道になりましたでしょうか?
ありがとうございました。

今回の文章を読んだ後なら解る。

私があなたの文章を読んだ時、そこには論理的には食い違い(違い)が見える。
あなたにはそれが見えない。

その食い違いを指摘されるとあなたは落胆する。

しかし私は論理だけで、あなたを見ているわけではありません。

ロジックの破綻を私はあなたに知らせる。
しかしロジックが破綻しているから価値が無いわけではない。

修正出来るものは修正するべきである。
その配慮をしない理由はない。

No title

岡上さん、

私は貴方に働きかけたことの意味を今知りつつあります。そして、貴方がこだわっていらっしゃった意味がようやく私にも理解されつつあります。私は今かなり困難さを感じていますが、神よ、いずれにしろ、あなたの意志がなされるでしょう。どうぞ、私がその邪魔になりませんように。

《もし上記が真理であれば、

「静さんと神の関係が正されれば、静さんが正しく二つのステップをして、聖なる瞬間がやってきたのなら、静さんの知覚に岡上の振る舞いは違って映っていたはずなのです。それが知覚の修正ということです。」 とも言える訳です。》

何故なら、真理はあなたにも私にも等しく当て嵌まるのだから。


では知覚が修正されたあなたは「岡上の解釈は間違っている」と岡上に知らせる必要は無いのでしょうか?
しかしあなたは「岡上の解釈が間違っている」と実際にもう知らせています。

ということは「誰かが間違っていた場合その人にそれを伝える必要がある」とあなたは知っているのです。

それともこれは「誰かが間違っているとあなたが間違って知覚していただけ」で、「あなたのこの間違った知覚」が正されればそれだけで良いのですか? 》


そうなのです。そうなのです。ああ、私は嬉しい。
私が知りたいと望んだこと、私が今神に問うていることがまさにこれなのです。わかりますか?岡上さん、私はまさにこれを私の側から神に問うていたのです。貴方はこれを貴方側から問われていたのではありませんか?たから私がここにいるのです。これが今ここでリアルタイムで進行していることです。私はそれがどう展開するのかさっぱりわかりませんが、ほんとに嬉しいです。

No title

岡上さん、

私にはまた少しわかってきました。ここで展開されていることの意味が。物事は、物事というのは、今、ここで、この瞬間、まさに展開しているのです。私にはその壮大さの全貌などわかりません。私たちはその働きそのものを「神」と呼んでいるのです。そして、私には次の瞬間の展開などわからないのです。「わからないのです。」物事は起こり、そして、私達は初めてその意味を知るのです。私達が「意味」を知るのは後なのです。私達が意味を決めるのではありません。
だから、私達が今までしてきたことは逆なのです。その「間違い」が私達の苦痛の原因なのです。
私達はこの「わからない」ことを怖がります。そうではないですか?貴方は「自分がわからない」ということが怖くてしかたないのではありませんか?貴方は先に全てを知ってから、間違えずに自分で物事を進めたい、行動したい、そう思って神に聞いていらっしゃるのではないですか?ならば、それは逆です。

論理の違いはどうでもいいのです。論理には全く意味がありません。それは「意味がない」のです。

「論理」それは一体何でしょう?

ただの概念ではないですか?
(これは上記で私が何でしょう?と問うた後、下の展開がしばらく続いてから、私にやってきた答えです。私がここで何でしょう?と言ったのはほんとにわからないから聞いているのです。私には論理という言葉の意味がもうわからりません。)

概念…それはリアルなものではありません。そんなものに実体はありません。

《ロジックの破綻を私はあなたに知らせる》
私にはこの意味がさっぱりわかりません。
これは皮肉ではなく私にはわからないのです。貴方のおっしゃる言葉の意味が。

「ロジック?」
「ロジックの破綻?」
《ロジックの破綻を私はあなたに知らせる》

それを私に知らせて一体何が変わるのでしょう?それを私に知らせれば一体何が変わるのでしょう?

私は、この今ここにいるように見える「静」という人間は、実際に何かをしているわけではないのです。私は行為者ではありません(私はやっと今このやりとりの意味がわかりました。)貴方は夢の主人公と訳されました。貴方はこの幻想の世界の幻想の体について、訳され続けてきたではありませんか?
その私にそれを知らせて、貴方はいったい何が変わると思っていらっしゃるのですか?

《しかしロジックが破綻しているから価値が無いわけではない》

「ロジックが破綻していなければ価値がある」
貴方はそう言っているのでしょう。
けれど、貴方はものの価値を決めることなどできません。
貴方にそんなことはできないのです。

そもそも、貴方は「神は全知全能」だから、神の声を必死で聞こうとされているのではありませんか?

貴方は神に「目覚めたい」「助けて欲しい」と懇願されたのではないですか?

貴方は「目覚めたくはない」のですか?

貴方は実に象徴的です。私はもう一度問いますね。

貴方は目覚めたくはないのですか?

(そして、私(静)はここでこうやって展開された自分の言葉に唖然としています。そう、私は今岡上さんに働きかけています。岡上さんという幻想の体に。そして、それは私がこの最初の投稿をし始めてから私に湧いた問いであり、奇しくも別のやりとりの中で明らかになった、岡上さんの問いでもあります。私はこの複雑さに舌を巻いてます。私にはこの展開の先がさっぱり読めません。私は少しここにいることが怖いです。けれど、大丈夫でしょう。それは私が心配することではありません。それは神さまのお仕事です。そうですよね?どうか、あなたの意志が滞りなくなされますように。

なるほど、あなたの言いたいことが解った。

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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