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ブロック

<だからラジがそういう無意識下にあるブロックのことを掘り下げて言っていないかなぁと。

ではブロックに焦点を当ててみましょう。 {ここではラジは参照しません。}
ブロックがあるかないか、それは「変わるか/変わらないか」の違いですね。
ブロックがあるから変われない、変わらない。
ブロックが無くなったから変われた、変わった。

状況を変える一番有効的な方法は「自分が(聖霊に)変えられること」です。 すると私の状況も変わります。
ブロックとは「自分が聖霊によって変えられることへの抵抗」です。
何故聖霊に抵抗するのでしょうか?
「自分が聖霊によって変えられてしまったなら自分がそこなわれてしまう」と思うからです。
これがブロックです。

「一般的常識と違う生活は嫌だ」という考えもブロックに成り得ます。
例えば、私は一般常識と違うこと(自分で今証明出来ないこと)を言うのは嫌です。
そしてACIMやラジと相反することを言うことにも抵抗を覚えます。
しかし聖霊はそれをしろと言います。

何故出来ないのか? それはブロック/抵抗があるからです。
一般常識と違うこと(自分で今証明出来ないこと)を言い始めたなら、私は今までとは変わってしまう、人々と私の関わり合いが今までとは違ってしまうから嫌なのです。
つまりブロックとは自分が変わることへの抵抗なのです。

例えば、聖霊が私に「****をしなさい」と言っていたとします、しかし私は「****だけはしたくない」と思っていたとしましょう。
その場合聖霊の声は私に届きません。 私は聖霊の声を聞くことが出来ません。
その場合私は聖霊の声を聞こうとしているのではなく、私の考えで聖霊をブロックしているのです。
「私の状況はこうあるべきだ、私の状況はこのようにしか見えない、これ以外の見方は在り得ない」という考えが聖霊をブロックしているのです。
そして「私は何故これ程難しいことをしなくてはならないのか」と憤慨するわけです。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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記事の紹介を有難うございます。丁度Available Notesの記事を色々読み返していました。(沢山の翻訳ありがとうございます。)

ブロックがあるとガイダンスを聴けないとすれば、どうしましょう…。
しかも、無意識下にある場合、自分では何がブロックかも分からないですよね。
過去に功を奏したためしはないですが、〈ブロックを取り消します!〉と宣言すれば、聖霊が何とかしてくれるのでしょうか…。それとも無意識下にあるものを意識に上げて気付かせてくれる…!?

ラジは余りこういうことには言及しないようですね。

神は痛みの中にいる

岡上さん

(そして、フリフリしっぽさんもどうかこれを読んでください。私はこれを書き投稿する直前、貴方の「ブロックと聖霊」の質問を読みました。多分、ここには貴方の問いの答えがあります。問いと答えはひとつです。それは顕れます。岡上さん、貴方は思考に捉われていらっしゃいます。それではフリフリしっぽさんは救えません。彼女は私で、私は彼女なのです。私と彼女は既につながっています。)


今、私の目の前の時計は11月30日午前2時47分です。私は勿論、いつもこんな時間には起きません。私が眠る前に見た時、時計は確か0時30分位だったと記憶しています。私は自分が多少睡眠をとったのかどうかもよくわかりません。私は貴方にすぐ伝えなければ、とまた何か形容できないものに突き動かされ、文字通り「目覚め」、今これを書き出しました。
そう、私は貴方に何を伝えたかった…のでしょう?

ありがとうございます。(これは、最初貴方へのお礼の言葉だったのですが、今は神に対して、私は言っています…ああ、すいません。それは同じなのでした)
ああ、私は私は…なんとなく、これをやっていることの意味を今理解しています。私の、神の、私は今その区別がうまくつきません。そして、何かひとりぼっちの気も少しします。世界中でひとりぼっちのような気もします。

岡上さん、「キリストの死と復活」を読ませて頂きました。ありがとうございます。(これは貴方(岡上さん)に対して言っています。)
さて、私は今…このことの意味を少し理解し始めています。私は貴方に一緒にして頂かなければならないことがあると、どうか私の方を見て欲しい、とお願いしました。そして、貴方はやっと私の問いかけに答え振り向いて下さった。私にはそれがわかった。だから、喜びました。ただ、ただ、嬉しくてしかたなかったのです。私は貴方と「真のコミュニケーション」、そう神との「真のコミュニケーション」というもののやり方について、ここでこのお公の場でリアルタイムで、実況放送のような形を取りながら、それを展開していきたいのだと思います。岡上さん、どうぞこの動きを止めないで下さいね。もし、貴方が私のこの誘いかけに不安を感じ、これを無視してしまおうとされるなら、貴方は多分苦痛を感じるはずです。そうですよね?神さま。私は貴方を今正しく聞いていますよね?
貴方は多分、私の振る舞いを何か奇異なものと感じながら、けれど無視することはできないと直感し、この一連の会話をアップして下さったのではないでしょうか?その貴方の正気の部分、貴方の聖霊に私はお礼をいいます。ありがとうございます。
私は自分の振る舞いがなにか常軌を逸している…(こういう三点リーダというものです。これが私のパソコンでは真ん中の点々になりません。それを貴方の方で直してくださいますか)というのは感じますが、もうあまりこの行為をすることに抵抗はありません。私にこれがスムーズにできるなら、それは神の意図です。「神にきく、そして、その答えをもらう」、ああ、そうです、そうです。まさに私が神から頂き、そして、貴方へ伝えようとした、あのギフト「問いと答えはひとつ」の意味が今明らかになっていこうとしているのを感じます。(そうですよね、神さま。モモ、私を助けてね)そして、何かはわからないけど、何か神聖なこと、何か無視できないことが、目の前で展開し、それに自分が参加しようとしていることを、貴方もまた今感じてらっしゃるのではないでしょうか?
岡上さん、さあ、一緒にこれをしてください。私は真のコミュニケーションを貴方としたいのです。そして、そのやり方をみんなに示したいのです。みんなと一緒に真のコミュニケーションし、世界がどう展開していくか、それを見たいのです。私はそう、サラさん、イエスさまに導かれて、ここまできました。

私は少し支離滅裂でしょうか?私は貴方が思いやり深いサラさんに対して言った「すばらしく非常識」なことを貴方とこれから一緒にしなければいけません。そして、それを、今、ここで展開されていることの意味を、皆に実際に見てもらい、感じてもらう必要があるのです。私はそれを今漠然とどういうことなのか知り始めているところです。

さて、岡上さん。これはキャッチボールです。言葉のキャッチボール、私たちはよくそういう言葉を使います。私達はどこかで真実を知っているのです。こうして、時々聖霊は、私達の正気の部分は、
(これを、つまり「聖霊は私達の正気に他ならない」という言葉が「コース」には抜け落ちているというようなことを、貴方はどこかで訳されましたか?私はサラさんからそれを聞いたと思うのですが、今それを確認する余裕がありません)時々、その片鱗を覗かせます。

岡上さん、私は何を貴方に言いたいのでしょう?私にはよくわかりません。私はこれを頻出させていますね。貴方は何か奇妙に感じるでしょうか?けれど私はこれをごく自然に今書いています。ごく自然にこの疑問形が今は口からというより、文字として、私の言葉として、キーボードをたたくという行為を通して、展開しています。私は自然にその行為をし、それに喜びを感じ、そして、自分がそれをした直後に、意味が、この行為の意味が、私の前に開かれていくのです。ページが開かれていくのです。それが神の働きに参加しているということで、これは何も難しいことではありません。そのことを、これがごくシンプルで、何も恐れる必要のないことだということを、私はみんなに知ってもらいたいのだと思います。

貴方は私の言いたいことが「わかった」(貴方はこれを解ったと書かれましたが)と言われました。そして、何故自分にわかったのかわからないと言われました。私は今、それに対してここで答えているのです。これが「問いと答え」です。貴方の中に何か今奇妙に感覚が一瞬走りませんでしたか?もし、それが走ったら、その感覚をただ感じ、それに注意を払って下さい。それこそが貴方の正気の部分、貴方の聖霊です。
「あなたと私とは何が違うのだろうか?」貴方はそう問われました。それに対して今、私はここで答えを出そうとしています。それはシンプルです。貴方は神を経由しなかったが、私の言葉は神を経由した。それだけです。だから、貴方に届いたのです。
貴方の聖霊(貴方の正気の部分)は私の聖霊(私の正気の部分)に反応したのです。私はこれを、この行為を今、ほとんどためらうことなくやっています。心配というものをしていません。何故なら私がもし神の意図というものを反映した行為を行っていないなら、それはただ「できない」からです。シンプルに「できない」からなのです。
それは不可能です。
神は全知全能なのです。私はこの言葉を貴方に対して何度か繰り返しました。けれど、貴方はこれを、この言葉の意味するところを、ご自分の聖霊(貴方の正気の部分)では聞かれなかったのです。
もし、これを貴方が本気で聞かれていたら、貴方は一度そこでも止まったはずでなのです。本気、この言葉の方が聖霊より日本人には馴染み深いでしょうか?恐らくこれはもともと同じことなのでしょう。私(静)自身もこの言葉に馴染みがなかったこと、それでこのやり方を理解できなかったことをどこかで書いたように記憶します。

私はやっとこの聖霊の意味を今理解しているのです。そして、私はそれをついさっき「モモ」と名づけました。これについてはまたどこかで話すかもしれませんが、今はただ、私が会話の中で「モモ」と呼びかけているのは私の聖霊、正気の部分に呼びかけているのだと知っておいて頂くだけでよいかと思います。
日本人には他の言葉の方が馴染みやすいかもしれませんが、ここで言葉を変えると混乱するので、私は自分の正気の部分を表す言葉を「聖霊」、そして「モモ」で通します。それでよろしいですよね?神さま、モモ?

ああ、それから、私はこの神さまについても少し説明しておきますね。私はこれを何のイメージももたずに言っています。私が「神さま」という時のその神とは、私達の本源、源、存在するただひとつのもの、のことです。全知全能の神という時のこの「神」とは、そういうことです。本源、源、普遍意識、そういうものです。ここに私はどんなイメージも持ち込んでいません。そんなことをしたら分かれてしまうからです。存在するものとはその神だけなのです。それ以外にはなにもありません。それは不可能です。それ、そのものを表すために、ただそれを「神」という言葉にしているだけで、その言葉自体には何の意味もありません。(私はよく知らないのですが、岡上さん、貴方はこの意味のない言葉の方に反応されて、何かポールやラジが下品だと思われていたのではないですか?)

私達はあちらこちらに真実の断片的に撒き散らしています。そして、そういうものに触れると、リアルを表現しているものに触れると、私達の聖霊(私達の正気の部分)が反応し、それを人は「感動」と呼びます。感動するとは聖霊が反応することです。

もう一度言いますね。神は全知全能なのです。そして、神はただの善です。ならば、それ以外のことなどあり得ないではないか?これがACIMの教えだったのではないでしょうか?
貴方は私と同じように永遠を、真の自由を一途に求められていた。だから、この教えに貴方の聖霊(貴方の正気の部分)が反応し、貴方は必死でラジを聞き、この教えのすばらしさを他の皆に伝えたくて伝えたくて(私の聖霊が貴方にそうしたかったように)、このすばらしいブログを立ち上げて、この教えを翻訳し、皆でこれを共有したいと、日本語に訳して下さったのではなかったですか?膨大な時間をかけ、ただ黙々と。

そして、それを無料で公開しようとされたのではなかったでしたっけ?私はその時の貴方の正気の部分、貴方の聖霊に対して必死で呼びかけていたのです。どうか、そこに戻って下さいと。そして、これはこの一連の展開の中で私に次第に明らかになっていったことなのです。
私は最初から今申し上げているようなことを知っていたわけではありません。私には何もわからないのです。私は後で意味を知るのです。だから、この行為にストレス、抵抗というものがありません。
もし、余裕があれば、もう一度、私の最初の投稿から見直し、私のこの急激な変化をただ感じていって下さい。何も考えず、ただ感じて下さい。
私にも最初はわからなかった。ただ、私は貴方の苦痛に反応したにすぎません。貴方の文に悲鳴のようなものを感じ、自分の正気の部分が痛かったのです。だから、貴方の前をそのまま通り過ぎることができなかった。

God is Pain
神は痛みの中にいる
神を避けようとすると、神が追ってくる。
神を振り返ると理解が降って来る。

ああ、貴方が書いて下さったこの言葉の意味を私は今初めて理解しました。

God is Pain
神は痛みの中にいる

そうです。そして、そこから全てが始まったのです。


神さま、私はちゃんとできてますか?
フリフリしっぽさん、貴方の痛みに私は反応しました。貴方の痛みに私の言葉は届きましたか?貴方の痛みは貴方の聖霊の声です。それは私の聖霊に届きました。貴方に今、癒しは起きていますか?


神よ、どうか力を下さい。
貴方の意志が滞りなくなされますように。










プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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