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孤独の終わり、世界の新生

静です。

私は「関係」という岡上さんの記事のコメントとして、
これを投稿しようと思ったのですが…

私の知覚には今急激な修正が行われていて、
そのプログの記事を読んでいる数分のうちに
もう先程の記事が消えてしまったり、
岡上さんの記事の内容が違うものになってしまったりしています。

なので、メールで出しますね。
先程「性」について尋ねたい旨のメールを差し上げましたが、
どちらかというと、今さしあたって助けて頂きたいのはこちらです。
少し混乱していますので、どうか許して下さい。


さて、知覚の修正が起こり、
母と私の関係はもある瞬間を境に全く違ったものになりました。
うちには保護施設から引き取った、噛みぐせのある
愛想がいいとは言いがたい雄犬が一匹いますが
それも、いきなりしっぽをびゅんびゅん振る愛らしい犬に変身しました。

私はこれまでの数年、
ほとんど家の中にいて瞑想などしていたので
交友関係はほぼゼロです。
また、随分前から犬の散歩中もほとんど人に会わなくなってきました。

なので、とりあえず、目の前で知覚できる際だった変化としては、
「母と犬」これだけです。

岡上さんに長文を投稿している時は、私はイエスとの神との合一体験で
有頂天になっていましたが、それも数日で終息し、
今は比較的平安です。
リアルな体験をしていく中で現実は展開されていくと思うので、
大丈夫とは知っています。

概念だけで自分を納得させようとはもう思いません。

けれど、これは、私がいるのは、或る意味空っぽの場所で
この圧倒的な孤独感をどう乗り切ればよいのか…

「目覚め」た後に、これをどう体験し続けていけばよいか、
人とどのように関わればいいのか
関わる他者、そんなものがほんとにいるのか、
たったひとりの世界に入り込んでしまったようで…
空恐ろしくなったりします。

もし、あなたもそこを今き来されているのであれば、
どうか、わかりやすい言葉で
私にアドバイスを頂けませんでしょうか?

このメールが届くかどうかわかりませんが…

聞いて頂いて
ありがとうございます。
神のご意志がなされますように。
++++++++++++++++++++++++++


あなたの家族の関係が変わったのだから

あなたの世界は変わったのです

だからあなたはもう今までと同じ世界には居ないのです

だからもうあなたは孤独ではないのです

あなたは孤独な世界にはもう居ないのです

そしてわたし達の世界はシフトし続けていくのです


あなたが私の世界を変えてくれたから

だから世界は変わったのです


あなたは家族の愛(お母さんとそしてワンワンとの神の動き)を拡張するのです

それを世界に差し伸ばすのです

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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シフトというものについて

ありがとうごさいます。

「そしてわたし達の世界はシフトし続けていくのです」

書きながら少し整理させて下さいね。

私は今、母と犬に対してこれまで持てなかった、いいえ、多分持ってはいたのでしょうが、
それを屈折した、怒りや憎しみという形でしか表現することができない自分が、苦痛でした。
そのポイントが苦痛でした。

神とは愛で、神が全てにいきわたっているなら、愛しかリアルではないからです。
だから、そのリアルを生きていない、そのことが苦痛でした。

けれど、知覚が修正され、ある瞬間を境にして、その苦痛は癒され、
自分の愛情が素直に彼らに対して溢れ出て、同様に相手からも返ってくる、
その現実にシフトしました。

…そのことを感謝して、それを今嬉しいと思っています。

私は喜びを感じている。
私の知覚する「他のもの」に素直に愛情を感じ、神という存在に感謝し、その感謝をまた外に表している。
その自分をまた喜んでいる。

だから…これがリアルな世界だと感じています。

つまり、これがリアルな世界だということの証拠は私のこの喜びの感覚だけです。


そして、私は直接関与することで長年その現実を変えようとしてきたけれど、
そのやり方はうまくいきませんでした。
けれどACIMの教えを通して、あなたの翻訳を通じて、

聖霊を仲立ちにして神に意識を差しのばす方法を知り、
神が全能なら苦痛はありようがない、

と瞬間的に認識が変わったために、
目の前に知覚するものもまた瞬間的に変わった。
そうすることで、現実と思っているものを一瞬にして変えることができるのだ、
ということを体験的に知りました。

これまでの自分の知覚からは「奇跡」と認識していたものが
実は私達の常態だったのだ、ということを体験的に知りました。

これがACIMの教えで、
ここまでが世間でいう「目覚めの体験」というもの…ですよね?

そして今、私はその関係がこのままより親密になる方向に続いてくれるのを望んでいます。
私はそのうち犬と普通におしゃべりできるようになるだろうとさえ思っています。
私は一瞬のシフトでこれもまた起こるだろう、とが思っていた節があるのですが、
そうではなくて、
もし、私が今は他の種に属する生き物として認識している、
動物や植物や鉱物等も
自分と変わらないただ「源からくるいのち」と、
神の意識と同等な認識を持つことができるようになりさえすれば…

私はどんなものとも通じ合えるようになる、
それは今私が使っている「言葉」というものではないかもしれないけど…

そういう風にシフトは続いていく、

自分の認識が変わりさえすれば、それに伴って、シフトは続いていく

岡上さんが認識されているのもこういうことですか?

そして、自分と他者の「関係」というものに焦点を当てると、

例えば、私は今一連の体験を「書くという行為」を通して
なんとか自分の中でそれを整理し、消化し、慣れようとしています。

その行為に集中している間、不思議なことに母はどこかに出かけ、
犬(ギン)は鳴きません。
そして、一段落したころに、食事が用意されています。
ご存知のように、私は深夜に突然起きだして
岡上さんに投稿文を書き始めました。
母の起き出した気配を感じることも度々ありました。
けれど、母からもギンからも、疑念や批判の声は上がりません。

私が何かしている間、一切の邪魔が起こらないのです。

私はこれまでの習慣から「何か邪魔がはいるのがふつう」と思っていた
…つまり、私の意志はスムーズに通らないのが当たり前、
他者とはそう言う風に介入してくるもの
と思っていたのです。

だから、一切束縛のない自由な感覚に今とまどっているのです。
他者が一切いなくなったようで、孤独に感じている…のです…よね?

今書きながら、おかげさま(まさに、神さま、岡上さまの、お蔭さまで)
自分の状態が少し整理できたような気がします。

そういうことでしょうか?

けれど、現実はたえまなくこのように変化し続けてゆくものなので、
そして最終的には「神というような存在」がなされることなので、
私はそのひとつに留まる、執着することはできない…

が、今いる場所で、関わっている、
岡上さんという人に対して

もし私が岡上さんと関われているのであれば、
それは「リアル」で、
私にはまだ他者と見えているにしろ、
関わることを躊躇する必要はない、

関わったからといって、また「目覚めてないゲーム」には戻らない


…と、そういうことでしょうか?




雨ニモマケズ

あなたが
『私は宮沢賢治が好きです』
と言われた理由が今、わかった気がしました。

私は彼に関してはほとんど知りません。
数編の童話と(「よだかの星」が大好きです)法華経の信奉者だということと、
有名な詩「雨ニモマケズ」を学校で習ったくらいです。

けれど、あれは、あの「雨ニモマケズ」は目覚めた後のひとつの指針のように、
人との関わりのあるべき姿を、
歌っているように
今の私には思えてなりません。

どう思われますか?

神が私を愛している

もう一度読みました。

最初、私は自分の中の分かれた
ふたつの性をひとつにする必要を感じた。

でも、それがもう必要ないような、
それはもう残照のような 気がした

When Jesus washed my sins away,
Coming for to carry me home.

こういう歌詞だったんですね。

《あなたは関係を捨てて故郷に帰る必要がない

私の中に全ての関わり合いが保たれているのだから》

ありがとう。

貴方はほんとに美しい表現をなされます。

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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