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Chapter 29

3月5日 金曜 夜


ポール:  こんばんは、ラジ。 戻ってきました。

ラジ:  お帰り、ポール。

貴方は自分の周りに白い光を配したり、自分の上に光のピラミッドをビジュアライズしたりする必要はありません。 私と話す為に、今までと違った事をする必要はないのです。

邪悪な力/存在/フォースは存在していないので、貴方がどの様な状況に居た場合でも自分をそれらのものから守る必要はありません。 私と話す時にもその様な防御は不必要です。

「どの様な状況でも(例えば急を要する時でも)貴方は私と話せる」という事実を受け入れられる様になれば、「どれだけ簡単に「貴方自身」の全てが常時貴方に与えられているか」理解する事が出来る様に成るでしょう。

瞬時に貴方の全てを示すために、儀式を行ったり深い目標を設定したり玄宗な準備などをする必要はありません。

良いですか、ポール。 「存在」は複雑なものでも、理解が難しいものでも、届きにくいものでもありません。  問題の大半は「これが難しい事に違いない」と言う我々の信念そのものなのです。

我々は「自分達の価値を証明する為に通り抜けなければならない」迷路の様なマインド構造や複雑な宗教やオカルトな儀式が必要と考えてしまいがちですが、そうではありません。

我々の「存在」の無限性と直ぐにコンタクトできる様に成る為に、我々がしなければならない事は「なにも無い」のです。

この様なコンタクトの為に必要不可欠なステップは、『我々が「外側」に(宇宙に)見ている全てのものは、実際には我々の「存在」そのものだ』と気付く事です。

我々を神と隔てているのは、『「我々の神」が我々の「自身」ではない』と言う信念それだけです。

「貴方の無限の「存在」の内のラジと呼ばれている部分」とコンタクトする為に貴方がしなければいけなかったのは、ただ私の存在を認める事だけでした。

貴方は「私が誰か」全然知りませんでしたが、それでも私が応える可能性を真摯に受け入れて、貴方は私のところまで出てきてくれました。 

貴方の「存在」の他の側面も、全くこれと同じなのです。それらは全て(「貴方」の中に)存在しており、それらは全て機能しており、それらは全て「貴方」なのです。

しかし『それらは「自分」ではない。それらは「外側」に分離した個別のものとして、それ自体で存在している』と言う信念によって貴方がメクラになってしまっている時、それらを貴方「自身」として体験する事は出来ません。

上記の事が、『「意識存在」(四次元的な人)に成っている』意識体験が貴方の中で開いて行く事のキーポイントになります。

ポール: [何も感じられない。]
ラジ、私は今貴方を聞けて居ません。

ラジ:  貴方が私を聞けて居ないのは解っています。 これは貴方が「自分のドアの外で行われている会話」に注意をフラフラと動かしてしまったからです。 だから私は貴方がもう一度私にアプローチしてくるまで待っていました。

さて、実践の主題について話し続ける前に、法(Law)に関して少し話しましょう。

普遍的視点から見て、法とは知性で出来ているものです。

これは注意深い秩序であり、「調和/全ての側面/「存在」の行動」から成り立っています。

これは強制の機構ではなく、自動的/自発的な「絶対法則」で、それに従って「存在」の働きが起こるのです。

法は「使用できるツール」ではありません。
法とは、知性が生来持っている「原則を保とうとする」性質の事なのです。

さて、これが貴方とどう関係するのでしょうか? 

法が貴方の「存在」を構成しているのです。
だから貴方の「存在」の生来の性質としての法を、「それが何か? それがどの様に働くか?」理解する事は、『「貴方」であるもの』を実践する上で欠かせない事です。

貴方は法則群を実践したり、法則群を起動させたりする事はできません。

何故なら、それらの法は、貴方が「自分は限定されたマインド(三次元的気付き)で、法則群を使って好ましい結果を得る事が出来る」と「考える間違え」を起こすよりも、遥か前から完全に機能して来ているものだからです。

(私が言う)実践とは「操り(コントロール)の視点からは何も行わない」と言う事です。

その様な限定された自己の概念は完全に捨てて、『貴方の「存在」が貴方の「意識存在」として意識的に知覚認識されているポイント』の中まで自発的に入って行ける様に成らなければいけません。

この様して自発的に「間違ったアイデェンティティ(自己定義)」を放棄したなら、『「貴方の存在」の「法」』を構成している『貴方の「存在」の知性』が既に機能している事を(貴方は)認識出来る様になります。

これにより、貴方は間違った責任感を持たないように成り、「それらの法則を働かせよう」とする様な(限定的)概念を持とうとしなく成ります。

実践には、どの様な「操りも」含まれて居ません。 何故なら、目覚めている体験そのものが『「法」が既に完全に働いている事』を示しているからです。

本来「実践(Practice)」と言う言葉自体も余り適切なものではありません。 しかし医療の実践、クリスチャンサイエンスの実践、法律の実践(執行)と言ったりするので、「実践」という言葉は貴方にとって重要な意味を持っています。

我々はこの言葉を使って、リアリティ(その中で貴方は「実践」という概念を手放し、自身が「法」に成っています)への橋渡しを行う事が出来るでしょう。

ではここで、貴方は「何に対して」実践するのか説明しましょう。

貴方の「存在」全体が、貴方「自身」の意識体験として意識的に統合されて行くに従い、貴方の「存在」の「リアリティ」が(貴方がそれに気付いている程度に比例して)示されるように成ります。
つまり(今まで貴方にはクリアに見えていなかった)「貴方の(体験の)否定されて来た部分」も貴方自身の「存在」の一部分であると示される様に成ります。

すると、ある側面が「癒され」た、「改良」された、「変更」された、「引っ繰り返」された様に見えるのです。 しかし本当は、その側面の真の性質が貴方の「存在」として示されただけなのです。

貴方が誰かに対してヒーリングのセッションを行っている時、自分の内的成長と開発故に『貴方が「彼ら」の為に何か素晴らしい事をしている』と少しでも信じるのは止めなさい。

貴方が体験し/ワークし/癒しているのは、貴方の「自身」なのです。

比喩を使って表現すれば、これは「(それ自体だけでは、それが何を表しているか理解するのが困難な)パズルのピースが、実は貴方「自身」の宇宙的ポートレート(肖像)の一部だった」と発見する事なのです。

聖書はイエス・キリストが「私は世界を克服した(I have overcome the world)」と言ったと記しています。

これは彼が「彼」の世界のキリスト意識の中に入り、「彼の世界」のどの部分をも自分の「存在」から分離したものとして遠ざける事を止め、「彼の世界」の全ての部分を「彼自身の存在」として受け受け入れた、と言う意味です。

ポール、これらは全て(貴方にとって)物事が「繋がる」様に成る為に重要な点です。

今週末は、貴方のマインドの中で何が起こっているか疑問が無くなる様、各要点を細かく説明する事になるでしょう。

だから今日はここで止めましょう。 貴方は我々が話した事をタイプしてください。
それからまた話しましょう。

ポール:  ありがとう、ラジ。 また明日話しましょう。



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3月6日 土曜 朝


ポール:  おはよう、ラジ。

ラジ:  おはよう、ポール。

ポール:  我々はこの週末を一緒に過ごしてワーク出来るはずです。 待ち切れませんでした。

ラジ:  私もです、ポール。

ポール:  特別な質問が湧き出さない限り、貴方にリードして行って欲しいと思います。

ラジ:  ありがとう、ポール。

これから貴方が直面する事に関して話しましょう。

「キリスト」が貴方の意識の中に(貴方の「意識存在」として)表れる事に関して幾つかの事柄を示します。 これらは貴方が、貴方である「全て/一つ」として統一的に機能する為に必要なのです。

「キリスト意識」とは、「存在の全体性」をそのリアリティのままに(意識的に)抱擁している(受け入れている)ものの意識なのです。

これは、全ての見かけ(様相)のリアリティを見ているものです。 しかし、これは「見かけ」には注意の焦点を当てておらず、「それ自身を意識しているマインド」である「気付き」に焦点を当てているのです。 マインドがその内側から(それ自身を)見ているのです。

今、貴方は内側から見ています。 貴方は私を、自分の目では見ず、自分の耳では聞きませんが、しかし貴方は私を知覚し、私が表現しているアイディアを知覚しています。
貴方は『私の「存在」が「ポールと呼ばれている私の無限のポイント」で表現している意味』を知覚しているのです。

五感はこのやり取り/プロセスには全く関与していません。 それでもこのプロセスは現実であり体験されています。

昨日も言った様に、我々が楽しんでいるコミュニケーションのプロセスを観察してください。

貴方がこれに慣れるにしたがって、『貴方の「存在」の無限性の全部分』とコミュニケートするプロセスが解るようになり、『貴方の「存在」の無限性の全部分』の意味を理解するプロセスが解る様に成るでしょう。

(我々が今行っている)このコミュニケーションのプロセスは、貴方が学び理解するべきレッスンを示しています。

ポール、三次元的枠組みは映画のスクリーンにとても良く似ています。
とても意味深い事がそこに示されている様に見えても、それはスクリーン上に映し出された非常に薄いイメージでしかないのです。

意味は全くイメージの中にはありません。 意味は観察者の気付きの中に提供されているのです。

観察者がスクリーン上に表れているものを嫌っていたとしても、そのイメージをどうにかして変えようとする事は愚かです。 何故なら、彼が変えようとしている意味は彼の中に存在しているのだから。

この例が(リアリティに)余り上手く当てはまらないのは、映画館の中にはスクリーンや観察者とは別に映写機があり、それがスクリーン上に映像を照らしているからです。
リアリティの中では(「スクリーンと呼ばれる他の側面」に対してイメージを投げかける)映写機の様な第三の側面は存在していません。
リアリティの中では、これら三つの側面(観察者/映写機/スクリーン)は全て「存在」という一つの意識体験から成り立っています。

ポール、これを「解ろうと」するのは止めなさい。

「観察」のプロセスは、マインドの意識機能です。
「観察されている」ものは、意識存在に成っている(マインドの)普遍的機能なのです。

つまり「存在/マインド」は存在する事により「自身を映写/現実化し」、と同時に「プロセスの観察」そのものなのです。 「存在/マインド」とは映写機であり、イメージであり、「イメージを観察している事」なのです。

(自分がスクリーン上のイメージの一部だと信じるのではなく)(マインドとして)「マインド」の外にいる事を学べば学ぶ程、貴方は『貴方の「存在」を構成している全機能/プロセスの完全な調和』に気付く様に成ります。

「貴方がしていると見えている事」や「貴方に対して行われている様に見えている事」が完全に調和して見えるように成るのです。

その時、分離/欠乏/分裂/対立の体験や感覚はなくなります。

『「存在」の意識体験』が、起こっている事の全てです。 細部/ドラマ/ストーリー/その他全ては偶発的なものでしかありません。

イメージのポジションから『「存在」の意識体験』を観察した場合、我々がストーリー/物語に捕らわれてしまっている様に見えます。

しかし我々がそのポジションを去って、「意識存在」に成っている視点に立った時、(より意味深い)視点を得たように感じられるのです。 
ストーリーが変わった様に見え、それが「存在」の普遍的調和を示している様に見えるのです。 「スクリーン上の登場人物と自分達を重ね合わせている間は見えていなかった」調和が見えるように成るのです。

イメージの基盤(枠組み)を去って、「一つのマインド」と融合し「一つのマインド」に成るプロセスの中で、物事のリアリティが表れ始めるのです。

この視点/視界の変化をもたらす為に、我々はこの四週間を費やしてきたのです。

貴方はイメージの次元から働くのを止めて、「四次元的な人」(マインド)として(「マインド」の外にいて)動き始めるべきなのです。

「イメージ」のポイント(三次元的枠組みの内)では何も起こっていないと完全に理解出来るように成るまで、そのポイントには「原因」は存在していないと思い至るまで、貴方は(今までの習慣から)スクリーン上のものに働きかけようとし続けるでしょう。
スクリーン上のイメージを改善しようとし続けるでしょう。 それをより居心地良くしようと努力し続けるでしょう。

それは全く時間の無駄です。

ポール、既に言ってある様に、今週は少しづつこれを行う事になります。

ここで中断して、我々が話した事を書き出してください。 書き終えたら、スーザンと話すのではなく、直ぐまた継続しましょう。 
ではまた。

ポール:  解りました、ラジ。 ありがとう。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
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