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Chapter 30

3月6日 土曜 午後早く

ポール:  OK、ラジ。 戻ってきました。

ラジ:  それは良かった。 今日と明日は(今までより)より頻繁に会話する事に成りますが、急いだりする必要はありません。

会話をそれ自身の流れに任せて、貴方もそれと共に流れていきなさい。 この川は目的地に必ず着くのだから。
ここで言う「川」とは、貴方の「存在」の流れが「それ自身」を「それ自身」として開いていく事で、それが貴方の『「存在」の意識体験』になっているのです。

貴方の「存在」が「それ自身」を「その全体」の中で開いているのです。 だから「外側」で起こっている事も全て、この「全体」の一部なのです。

貴方はこれ(全体)との同調を切る事はできません。 貴方は何ものに対しても「待った」を掛けてはいないのです(今も、今までの四週間の間も)。

しかし『貴方が「スクリーン」のポジションから(三次元的枠組みから)能動的に自分の生命を生きていた時、貴方は自分の「存在」に「待った」を掛けていた』と言う事も可能です。 そして『貴方の「存在」に「待った」を掛けていた事/かけている積りであった事』が貴方の間違いだったのです。

たった今、貴方は貴方自身を正しく置いています。 貴方の注意は正しい所に向けられています。 何故なら、今貴方の注意は「存在」が起こっている「場所」に置かれているからです。

成長の為に必要なこのワークをしているが故に、「自分が人生や責任から逃避している」と感じるべきではありません。

「ここ」が貴方が居るべきところなのです。  しかし今まで貴方はどうやったら「ここ」に居られるか知りませんでした。

ポール、貴方は「存在」が...だと感じた事は...

ポール:  [何も感じられない。]

ラジ:  貴方は「このコミュニケーションが貴方の想像でない事」に関して自分が自信を持っていない事を観察してください。

貴方は、私が新しい事を言い出す度に(リラックスして「私が言おうとしている事」を聞き続けるのではなく)直ぐマインドにエンジンを掛けて「自分自身でどの様な新しい事が考えられるか」知ろうとしてしまいます。

もう貴方も解っている通り、私は必ずしも(貴方には理解出来ないぐらい過激な)新しい事を言うとは限りません。

『「貴方が自分自身の為に考えて解ろうと試みる度に」我々のコミュニケーションが遮断されている事』に気付いて下さい。

では、もう一度言い直しましょう。

ポール、『「存在」が意識的アイディアの流れ以上のものだ』と気付いた事はありませんか?

実際に「存在」は、(宇宙にある幾多の銀河の太陽系の中の一つの惑星内に住んでいる)個人の意識の中の思考の流れ以上のものです。

「意識存在」あるいは「意識している機能」は、実際には(それ自身が)「もの」なのです。
それ(意識存在)が「全て」として現実化されるのです。 それが「幾多の銀河/惑星/個人/思考を内包している」この宇宙として現実化されているのです。

「意識存在」のこの「機能」は、貴方が神と呼んでいるものであり、と同時に、神とは貴方が「自分の「存在」の意識体験として」体験するべきものなのです。

エディー女史は『全ての意識は「マインド」であり。「マインド」は神(限り無い無限の意識)である。』と言っています(#1)。

さて、神以外の「マインド」や意志が存在しないのであれば、体験するべき『「存在」の意識体験』も一つだけで、それは即ち神の「存在」だけなのです。
{体験するものも、体験されるものも、神の「存在」なのです。}

ポール、貴方が過去4週間体験してきたシフトは、「個人的限定的感覚から捉えた事実」から「マインドがそれ自身を全てとして体験している気付き」へのシフトなのです。

だから信頼する事/自発的に行う事/手放す事がとても重要なのです。

この4週間の経験で貴方にも解った様に、「自分には何が出来て何が出来ないか」と言う貴方の信念が、(貴方の)限定された枠組みから貴方が出る事を阻止しているのです。

この信念が、(実際には)貴方が聞ける事/理解出来る事を、貴方に理解出来なくしているのです。

貴方の「限定された感覚」からはみ出しているものでも、貴方の聞く/理解する能力を超えては居ないのです。  
この文章に下線を引いて、覚えておいて下さい。

無限に対する四次元的視点は、(貴方が今まで考えて来た)どの様なものよりもより広いのですが、それは貴方の理解を超えている訳ではありません。

貴方が日常生活の中で経済的/生活環境的/学校的状況と係わっている時、「それらを解決する為には、自分が持っていない能力や資源が必要とされるだろう」と信じる事により、 貴方は自分を答えから遠ざけてしまっているのです。

なにか問題(と思われている事)に対処しようとしている時、貴方は完全に三次元的なアプローチ(手法)を取っています。 何かに成る事、何かをする事、何かを得る事、何かを克服する事、などをしようとしてしまいます。
今から録音を止めて瞑想してください。 しかし瞑想中も、周りと感覚的に繋がっていて下さい。

瞑想中に「あの場所」(と貴方が呼んでいるところ)へ行って、次の三つの側面について考慮してください。  経済、生活、学校の三つです。 これらの状況について静観して下さい。

それが終ったと感じたらな、我々の会話のこの部分を書き出して、それからまた私に話しかけて下さい。

ポール:  OK、ラジ。 サンキュー。
[長い瞑想]

___________________
(#1)Mary Baker Eddy, Unity of Good, 24:12.



________________________________________


3月6日 土曜 午後遅く

ポール:  ラジ、返って来ました。 今瞑想を終りました。

なかなか「あの場所」には留まり続けられませんでした。 だから、「熟考するべき事柄が開いて行く事」を観察できるポジションに居られなかったのではないかと思います。

ラジ:  ポール、心配するのは止めなさい。 それでも、この瞑想は貴方の為になりました。

我々が話した通り、貴方が自分の周りとの感覚的コンタクト を失っている間、貴方は能動的に動いてしまっていたのです。

貴方は、自分自身に関連する事に対して「何が正しくて、何が正しくないか、何が正しく行われていて、何が正しく行われていないか」とても構造的に考えている(とても頑固だ)と言う事を考えてみて下さい。

貴方は簡単に「自分は十分良く行わなかった。」と感じてしまいます。
あるいは「自分は基準に達しなかった。」と感じ、だから『「その様な人間」が感じるべきネガティブな感情を自分は持つべきだ』と感じてしまいます。

これは悲しむべき事です。 何故なら貴方は「自分はいかに基準に達しなかったか」一々自身に指摘する事により、かなり強い主観的「自己卑下」を貴方自身に与えてしまっています。

この主観的「自己卑下」が、「自分は今居る所より先へは進めない。」とか「自分にはこれが見えない。」とか「自分には答えが判らない。」と貴方が自分自身に言って聞かせてしまっている理由の一つなのです。

貴方は流れて行ける様に学ばなければいけません。 貴方は、三次元的に言って(糸の切れた操り人形の様に)「自分で動く方向を決められるわけではない」と学ばなければいけまん。

この観点から言えば、貴方はいつでも「糸の付いた操り人形」で、貴方自身には(周りを)コントロールする事はできないのです。

しかし、「意識存在」(四次元的な人)の観点からは「操り糸」や「コントロール」といった概念は意味を持っていません。

私が今こう言っているのは、素晴らしい瞑想期間の後、貴方は直ぐに自動的に何の疑念も持つ事無く、(「自分はラジの言う通りに出来なかった」と)自分自身を批判し始めてしまったからです。

どの様な状況にあろうとも、自己卑下を正当化する理由は何処にもありません。
自分の体験の中で、この事に注意して、この性癖を続けない様にしなさい。

ポール:  解りました、ラジ。 ベストを尽くします。

ラジ:  ポール、では今休憩を取りましょう。 それから再開しましょう。

ポール:  そうします、ラジ。 サンキュー。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
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