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Chapter 48

6月10日 木曜


ポール:  こんにちは、ラジ。

ラジ: こんにちは、ポール。

貴方がこの会話を持つ事に対して抵抗している事に気付いて下さい。
ただ単にそれを認識するだけで十分です。

貴方が抵抗しているのは、(貴方が自分が直面するであろうと思った)情報と理解の上を飛び越して行きたいと思っているからです。
それは「この情報と理解が、何らかの形で自分を否定する」と貴方が感じたからです。

そしてこの抵抗が、身体的に(流れる汗/お腹の中の不快感/何となく嫌な感じなど)どの様に表れているか認識してください。

会話を続ける前に、貴方はマインドと身体の行動を清めてください。
お風呂に入りなさい。 そしてお風呂に入っている間、彼方の意識もリフレッシュしなさい。

ポール:  解りました、ラジ。 そうします。

[お風呂に入りました。]

ハイ、戻って来ました。 確かに気分が落ち着きました。 では、進めようと思います。

自分自身を観察して、「実体」について、そして「ここ数ヶ月の間我々が面してきた問題への答え」について話す事に、これ程強くハッキリした抵抗があった事に驚いています。 これはとても強いものです。

ラジ: そしてポール、 これは完全に信念のレベルから働いているのです。
これは完全に無知な体験です。 だからこれがとても信じ難いのです。

貴方は、これを(この信念の中を)意識的に通って行かなければいけません。 どうにかして、それを回避しようとする事は諦めるべきです。

準備は良いですか?

ポール:  はい。とても積極的にそう言える訳ではありませんが、少なくとも決意と共にそう言う事が出来ます。

ラジ:  それで結構です、ポール。

貴方にはこれを意図的行って貰いたいので、私は一方的に説明はしません。

私に特定の質問をして下さい。 私はその特定の質問に答えます。

ポール:  解りました。 私の一番初めの質問は、「実体(Substance)」とは何ですか?

ラジ:  貴方の一番初めの答えは、「実体」は無限で非次元的で純粋なエネルギー、つまり生命の力です。

それは知性で/魂で/スピリット(霊)で/原則で/愛で/生命で/真理で/マインドなのです。
最終的にそれは「神(God)」という言葉が意味するものです。
それは遍在であり、全活動的(omniactive)であり、非次元的つまり普遍的な「モノ」なのです。
「作られている全てのもの」は「実体」から作られています。

「実体」が「貴方」を作っており、(貴方がマインドとしてマインドの外にいる場合でも、いない場合でも)これが「意識存在」としての貴方の全体験を作っています。

聖書には「信仰/信心こそ、望まれているものの実体であり、見れていないものの証拠です。」とあります。 "Faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.” (#1)

この文の意味は、我々がどれだけ「個人的で三次元的で限定されたマインド」の歪みの中に埋もれていても、「我々自身の中に常に住んでいる信心」こそが、我々の実際の「存在」と我々の間の不動の「繋がり」であると言う事です。

別の表現を使えば、『我々が、我々の「存在」の「リアリティ」を分離的視点から体験しようと試み続けている間、我々の為に預けられている「実体」の体験がある』と言う事です。  
{そして、この預けられている「実体」体験は、分離的視点から行動している我々の影響を逃れており、我々は分離的行動/思考によって「実体」に影響を与える事は出来ないのです。}

だから実体は、見る事の出来ないものの証拠なのです。 実体は、「分離的視界に必然的に伴う歪み」には束縛されておらず、自由に実在している「リアリティ」の証拠なのです。

我々が「限定されたマインドとして存在する偽り」を生きている間、信心/直感/願いが、「リアリティ」に対する我々の(常に存在する)意識体験の三つの側面なのです。

(不吉な予兆を見せている)三次元的枠組みの領域を探索して回っている時に、命綱を持っていても、我々がそれをたどって(正しい視点が得られ、不吉な予兆が消え去る)四次元的視界に戻らなければ、それは何も良い事には成りません。

つまり、限定された視界の中に立って信心/直感/熱望を持っていても、どうにもならないのです(無駄なのです)。

三次元的枠組みの中では、『「リアリティ」に対して常に存在するこの三つの知覚』には歪みが加えられてしまいます。

三次元的枠組みの中では「我々が信心を持っているもの(信じている事)/直感を感じている事/熱望しているもの」の不在に打ち勝つ事として「リアリティ」が体験されるように成ってしまいます。
人は自分の信心/直感/熱望を抱擁し弄んでいながら、「地獄」の幻想の中に閉じ込められてしまう事も可能です。

「リアルであるもの」に対する貴方の信心、それに対する貴方の直感、それを体験したいという貴方の熱望、それらをその真の姿で見て「使わなければ」いけません。 分離した視界からは、どれだけそうする事が取るに足らない様に見えたとしても。

ポール:  実体はどの様に働くのですか?

ラジ:  実体は「存在」の遍在に成る事、「存在」の全活動と成る事で働きます。

「マインド」の実体は「意識」です。 「真理」の実体は「原則(Principle)」です。 
「原則」の実体は「知性/法」です。 「魂(Soul)」の実体は「愛」です。
「愛」の実体は「生命」です。 そして「生命」の実体は「マインド」です。

貴方は「スピリット(霊)」に関して疑問に思っています。

ポール:  ええ。

ラジ:  「スピリット」はこれら全てのものの(非次元的そして次元的)「実体」です。
「スピリット」は、照らし出すものであり、そして自身も照らされている「光」自身です。

これは灯っており、と同時に灯されているものです。 「スピリット」はそれ自体が「生命原理」/「生命力」/起動するものでありかつ起動されるもの/原因と結果です。

「法」は知的な「原則」/道徳的「知性」であり、これが「実体」の全活動的(omniactive)「性質」を形作っています。

神聖な知的な「愛」である「光」は、神聖な「マインド」が、それ自身を「遍在的に動き働いている啓示体験」として、それ自身に対して無限に示している方法なのです。

これにより「魂」は「見よ、それはとても良きものであった。"And, behold, it was very good.(#2)」と返答する事が出来るのです。

「実体」とは、「リアリティ」に対する無限の「認識」の事です。
「実体」とは、我々がドアとして立っている時『「リアリティ」の知覚』と『「リアリティ」全体に対する実感的体験』の間にくい違いがなく、(それ故に可能に成る)「リアリティ」に対する無限の(区切られていない)「認識」の事です。

ポール:  「実体」の役割/機能とは何ですか。

ラジ:  「実体」の役目は、調和/整合性/誠実/集合性/分離不可能な一体性/無限の疑いなき実在性/リアリティの疑いなき実存性です。
それは、「意識存在」を成り立たせている「分割する事が出来ない性質」です。

『「意識存在」に成っている体験』を作っている無限の顕在化(現れ)は、知的で調和的に交わっており、その絶対的法則が「実体」なのです。

「実体」は全能なのです。
それは少しも受身/消極的ではなく。 それは「存在」全体の不変の秩序を構成している、引力/結合力/くっ付き合う性質なのです。

ポール:  ラジ、次に何を訊いたら良いのか全く解りません。

ラジ:  構いません。質問を続ける前に、上記の事に付いて考察してみたら如何ですか。

ポール:  解りました。 ありがとう。

ラジ:  どういたしまして、ポール。

ポール:  [私は会話を書き出し、そこで言われている事を読んでから、会話を継続しました。]

ラジ、貴方は本当に私を困らせるやり方を良くご存知です。
適切な質問が解りません。

ラジ:  その通り。 訊ねるべき質問を知る事こそ、貴方が学ぶべき事の大半なのです。

意識の中で呟かれた、抽象的概念はどの様な特定の目的も果たしません。そうする事で一時的に満足出来たとしても。

ポール:  「実体」はどの様に「供給」を作っているのですか?

ラジ:  第一に、我々が「供給」と言う時、それは「限定された三次元的視点から考えられているもの」ではないと明言しましょう。

「供給」とは、(お客からの支払いの様に)一つのポイントから他のポイントへ与えられる類のものではありません。
「供給」は(小麦から栄養値が得られる様に)『「特定のもの」から「他のもの」へ与えられるもの』ではありません。
「供給」は与えたり受け取ったり出来るものではありません。

「供給」とは『神であるもの/生命原理であるもの/神聖なるマインドであるもの/「意識存在」としての四次元的「存在」であるもの』の遍在している(そこら中に満ち足りている)あり様です。

「実体」は能動的であり、動かない物の塊ではありません。 「実体」が意図と目的を持っている事に関しては既に話しました。

「実体」とは「存在」が「それ自身を上手く十全に満たす能力」の事です。
だから「実体」とは成就(満たされる事) - それが「供給」の本当の意味です - である事が明白に解るのです。

「供給」が理解されたなら、(それが起こっているのを見る事は)避けようも無いのです。

ポール:  ありがとう。 「実体」と健康の関係はどの様なものですか?

ラジ:  「健康」は「存在」の全体性を作っているもの(秩序/統合性/不可分性)であり、従って全「意識存在」の完全性です。

「存在」はそれ自身の意図や目的を全知全能に満たしているので、この成就(健康)に対して遅れや障害は存在しません。

(「供給」を成り立たせている)「実体」が滞りなく偏在している様子が、健康と呼ばれているのです。

ポール:  ありがとう。

ラジ:  もう一度言いましょう。 「供給」は「あそこ」から「ここ」への動きではありません。 例えば、神から人への動き(無限から限定への動き)でもないのです。

何故なら「リアリティ」内には「限定された領域」は存在しないから。 それに類するものが有るとすれば、「無限に対する限定された視界」だけです。

今日貴方に示されているのは「実体」の理解だけではありません。

四次元的「意識存在」としての「貴方」は、自身を成就させている(満たしている)全能的/全活動的「実体」であり、つまり貴方は「答え」としても存在しているのです。

貴方が自分の「供給」あるいは「実体」と対話していた時、貴方は、貴方の「存在」の本質的普遍的「実体」を意識的に体験していたのです。

「実体」とその全能的全活動は、「貴方であるもの」から全く分かれておらず、離れてもいません。
それは、全てを作っているスピリット(霊)がそれ自身を遍在させて居ると言う事です。
そして、貴方が「ドア」として立っている時、「実体」は「存在」に対する意識体験として貴方に体験されるのです。

「実体」がどれだけ無限に見えていようとも、「実体」がどれだけ多様であろうとも、そこには一つの「実体」しか存在していません。

「実体」は「神/存在」の属性や顕在化ではなく、神の成り立ち(Constitution)なのです。

この理解を使って、欠乏を克服する事は出来ない事が解ったでしょう。
と同時に、克服するべき欠乏など存在し得ない事も、これによって明白なのです。

貴方が「存在」を「意識存在」として体験している「あの場所」で、『「実体」が完全に無限に損なわれる事なく「貴方の存在」を作り上げている』と言うこの理解と共に揺ぎ無く立っていなさい。

そして、そこで示し開かれているものを観察し喜びなさい。

ポール:  ありがとう、ラジ。
この時点では、「実体」に関する質問はこれ以上はありません。
おやすみなさい。

ラジ:  おやすみなさい、ポール。

____________________
(#1)Hebrews, 11:1.  (ヘブル書)
(#2)Gen. 1:31.  (創世記)

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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改訂

聖書には「父こそ、望まれているものの実体であり、



聖書には「信仰/信心こそ、望まれているものの実体であり、

に改訂しました。



改訂

聖書には「信仰/信心こそ、望まれているものの実体であり、見れていないものの証拠です。」とあります。

と改訂しました。
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翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

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