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Chapter 49

6月12日 土曜


ポール:  こんばんは、ラジ 。

ラジ:  こんばんは、ポール。

ポール:  今日は幾つか特定の質問があります。

ラジ:  解りました、ポール。 質問してください。

ポール:  貴方の説明している「実体」と、私が毎日体験している実体の間にはどの様な関係があるのでしょうか?

ラジ:  ポール、この質問をしている時、貴方は「実体」が塊として集められ、言わば「物体」として存在していると見ており、だから「その「物体」が占めているスペースの中には「実体」が存在していない」という印象を受けているのです。

つまり貴方は「実体」を三次元的に考えているのです。
しかし実際には「実体」は四次元的、あるいは非次元的なのです。

「実体」が「意識存在」としての意識的体験の全ての側面を作っているのです。
{「実体」が、「意識を持って存在しているもの」としての「気付きつづけて行く貴方の体験」の各要素(健康/知覚/供給/その他)を提供しているのです。}

貴方が見ている事/聞いている事/味わっている事/匂いを嗅いでいる事/感じている事は何一つ「実体に対する意識体験」の外側で起こっている事ではありません。 しかし、それが「意識体験/体験意識」の外で起こっている様に(貴方には)見えているのですが。

この全ての事は「意識」なのです。 それら全ての事は「マインド」が自身を体験している事なのです。

私が説明し続けている「実体」と、貴方が毎日体験している実体の関連は、次の事だけです。
『「存在」を「意識存在」として意識的に体験している事』の中にある全アイディアのリアルな意識体験を「実体」が構成しています。

この意識体験の「リアリティ」が、三次元的宇宙として客観的に認識されています。しかし、これら全ての事(リアリティ)は「客観化されたもの/物質として認識されているもの」の中には存在していません。
{「貴方が自分の中に持っている客観的イメージ」の中には「リアリティ」は存在していません。 貴方は、自分はリアリティを基に客観的イメージを持っていると考えています。 しかし実際には、貴方の「客観的イメージ」を基に貴方の体験の表れ方が歪められて居るのです。 訳}

貴方が三次元的な宇宙を観察しており、それが「それ自体で存在し機能している」と解釈している時、貴方が見ている実体/物体は、「実体そのもの」とは全く関係が(繋がりが)ありません。

貴方の解釈の誤謬(限定された分離的/部分的視点から来る歪み)故に、「見られているもの/聞かれているもの/感じられているもの/味わわれているもの/嗅がれているもの」が「病/腐敗/死」を得る事が出来るかの様に見られているのです。

これらの機能障害は、貴方が「見ている/聞いている/味わっている/嗅いでいる/感じている」ものが実際には成し得ない事です。

ここ数ヶ月間に亘って我々が話してきたシフトを行うには、意識のポイントを客観的な場所から(その中で、「マインド」の本当の全アイディアが、完全にマインドとして(全く精神的なものとして)体験されて認識されている)主観的な場所に移す事が必要です。

ポール:  これが意味する事は、人が肉体ではないと言う事ですか?

ラジ:  これが意味する事は『「存在」の意識体験は、客観的/物理的/三次元的宇宙の中には存在していない』と言う事です。

「マインド」の「宇宙」の中には、無限のアイディア達が住んで居ると言う事です。
そして「意識」は、それらのアイディア達をハッキリと触り見る事が出来るのです。
だからそれらのアイディアは、「見えない触れない形の無い色の無い、つまり体のないもの」ではないのです。

つまり全てのものは、識別されており識別可能{既に知られており、繰り返し知る事も可能}なのですが、それらには限定された時空の感覚は伴っておらず、主観と客観の分離感覚も伴ってはいません。  しかし時空の限定や分離感覚は三次元的枠組みからは避け様がありません。

そこには「見ている人が、見られている状況の中に存在している」と言う感覚もありません。

人は神と同等に統合されており、と同時に「全ては無限の「マインド」であり、その無限の顕在化」なのです。

「マインド」がその顕在化(現実化)なくして存在する事はありません。

私が『「実体」とは「エネルギー」です』と言った時、貴方達の科学者が計量したり電気エネルギーとか原子エネルギーと呼んだりしているものの事を言ったのではありません。

ここで言うエネルギーとは「光」の事です。
しかしそれは、貴方達の太陽から発せられているエネルギーとしての光ではありません。

しかし「光」と太陽光線が四次元的に体験されている有り様は、とても良く似ています。
「光」は放射し/輝き/鮮やかです。 しかしこれらの言葉では不十分です。

客観的/物理的に体験されている「光」は、それが物体から反射している時だけ見る事が出来ます。

夜に貴方が客観的/物理的宇宙を見上げた時、光を反射する物体が無い限り空は黒く見えます。
光が見えるのは、それが惑星から反射されている時か、恒星が光を発している時だけです。

しかし四次元的には、「光」である「実体」は内部から光り出している様に見えます。
これは光の反射とは別のものです。

『「マインド」の顕在化された複数のもの』の間にある様に見えている空間は、四次元的な視点からは、暗くは見えません。 何故なら三次元的枠組みの中で「カラの空間として見えているもの」は、四次元的には、遍在している「存在の実体」で埋め尽くされているからです。

だから「カラの空間」も生きた輝き、つまり「光」である「普遍的実体」で埋め尽くされています。
そして「光」である「実体」は、生きている「愛」なのです。

貴方は輝きの中で既にこれを体験しています。 だから貴方は私の言っている事を既に理解しています。

ポール:  ありがとう、ラジ。

ここで話の主題を変えたいと思います。 どの様な意味で、「神」が人に全地球上の主権を与えたのか、知りたいです。

ラジ: ポール、その文章は三次元的幻想の中で言われた事です。

第一に、「神」から分離している人はおらず、だから「神が何かを与えられるような存在」としての人も居ません。
第二に、限定された枠組みの中でだけ、「人」から分離している「地球/地上」があり、そこで人に対して主権を与えられるかの様に見えているのです。

「人間という概念」(=エゴ)が地球という「外側」に主権を持っている、と言う概念は、「客観的/物体的に生命が発生している」と言う幻想をより深くしてしまうだけです。

四次元的に言って、「観察しているもの」と「観察されているもの」は「ひとつ」です。
しかしそれらの質/形/色などは(貴方には想像も出来ない程)無限のバリエーションを持って体験されています。

ポール:  どうやってイエスが死者を蘇らせたり、病者を癒したりして、それらの事に対して主権を持っていた様に見えていたのか、教えてください。

そして、イエスが「私を信じる者は、私がした事をする様に成り、それ以上の事も出来るでしょう。」"He that believeth on me, the works that I do shall he do also, and greater than these shall he do"(#1)と言った事を、どの様に理解すれば良いか教えてください。

もし私が「イエスのした様な事を」したなら、私は客観的/物理的な世界/条件/環境に対して主権を執行している様に見える事でしょう。
この質問は私にとって重要なものです。

私が貴方と話し始める前から現時点までにおいて、私はどの様な主権も執行しておらず、癒しも得ていない様に見えます。

ラジ:  その理由は、「限定された視界を操作して、限定された概念に沿ってそれを向上させる事」を止める時が来ているからです。

その様な事をしていても、夢から覚めたり、「分離している視界故の歪み」から起き上がる事には成りません。

もし貴方が「限定されている視界」を「癒して」それを改善する事に成功したなら、貴方は「目覚める」為に必要な仕事をする必要を感じなく成ってしまうでしょう。

貴方は聖書の文章に惑わされて居るのです。
その文章は「どの様なしるしも与えられはしません。」"no sign shall be given."(#2)(と正しく理解される時が来るでしょう)。

貴方は、自身の体験ゆえに、この(#1の)文章が貴方にも当てはまると感じています。

しかし、三次元的に与えられている全ての「しるし」は、貴方を分離的視界から導き出すのではなく、そこに押し留めてしまいます。

貴方の言葉にされていない思考に答えるなら、私は「貴方がこの状況に居る事」に対しては責任を負ってはいません。
私が望んだとしても、その様な事は不可能です。

私は単に、「貴方自身が開き示している「存在」故に貴方が居る場所」を指し示しているに過ぎません。 その限りにおいて、貴方はメクラでは無いのです。

私はそれ(貴方の三次元的状況)とは全く関係がありません。 私が貴方にそれを強要したり、貴方からそれを取り去ったりする事はできません。

三次元的な人としてではなく、「意識存在」として存在する事が、この時点で貴方が体験しているシフトです。

これをどうにかして変更する事はできません。 ちょうど三次元的/客観的視点から見た場合、赤ん坊の出産が一旦始まったなら、それはもはや選択の問題では無くなる様に。

(貴方の長男の)クリストファーが「誕生」している様に見えている時、助産婦が「愛とは与えるアート/技です。」と言ったでしょう。
これを貴方の事として覚えておきなさい。
何故なら、貴方はこの「目覚め」に譲り、それと共に流れて行かなければならないのだから。

ポール:  ありがとう、ラジ。

ラジ:  どういたしまして、ポール。さようなら。

__________________
(#1)John 14:12. (ヨハネ)
(#2)Mark 8:12. (マルコ)

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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Re: Re: かぶってる?

> > こんにちは。次の文章ですが、「とは」が多い気がします。
>
> ありがとうございます。 修正しました。
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翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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