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Chapter 51

1982年 6月21日 月曜


ポール: おはよう、ラジ。

ラジ:  おはよう、ポール。

ポール:  今朝は混乱している感じです。
私は使命感を感じており、と同時に追い詰められている気もします。
これは気分が良いものではありません。 

このプレッシャーや閉じ込められている感覚が幻想であると言う事を信じる事は出来ます。
しかし、その様な概念的な知識は、幻想を消す為に私が何をするべきか、何処へ行くべきか、現在私に教えてくれてはいません。

我々の財布には二ドルしか残っていません。
我々はコピー機の為の支払いをする必要があり、400ドルの借金も返済しなければならないのですが、あと二週間経たなければそれを払う事は出来ません。

我々の元にはそれなりの量の仕事が来てはいるのですが。 前と同じ話しですね(よく聞く話しですね)。

ラジ:  ポール、これは「前と同じ話し」ではあります。 しかし「この話/このストーリー」に関して明確にしましょう。

貴方が見て/聞いて/味わって/嗅いで/感じているものが、ストーリーなのだと騙されて考えないで下さい。

貴方は、「何が貴方にとってリアルなのか」(実際に起こっている「現実」を知覚する限定化/部分化された能力に基づいて)三次元的な意識存在の仕方(感覚器を基にした意識)に決めさせてしまっています。

その様にして貴方は、問題をより複雑にしているのです。

「部分的視点から何かを見る事」それ自体では、大した問題は起こりません。
しかし、部分的(三次元的/物理的)視点から見たものを信じてしまい、その様に見たものを元に思考や反応を起こす事は、大きな問題を引き起こしています。

ここで起こっている「前と同じストーリー」は「リアリティ」/「現実」/「四次元的な意識存在」です。 これが、起こって来た事、起こっている事、これからも起こり続ける事の全てです。

貴方は、自分が真実だと知っている「現実」を見ている時、厳しく正確に観察しなければいけません。 そして、その視点から行動し考え反応して下さい。

必要なのは「現実」を見る事であって、「現実」の「一部分」に対して反応したり反発する事ではありません。

現在貴方は、「物事が貴方の前に現れている様子」に対して自動的に反応する様に条件付けられてしまっています。

貴方に必要なのは、限定された三次元的視点ではなく、「現実/リアリティ」に対して(あたかもそれが緊急な反応を必要としているかの様に)自動的に反応する様に成る事です。

私が貴方に言っている事は何も新しくはありません。 しかし、これが貴方の取るべきステップなのです。 これが貴方に必要な事です。

さて、現在貴方を混乱させている幾つかの事に関して説明しましょう。

第一に(貴方にも解っているとおり)、貴方の信頼/信心/エネルギーは「今までの半年間置かれて来た所」つまり四次元的「意識存在」としての貴方「自身」を貴方が直接知覚している所に置き続かれなければいけません。

自分が正しい方向を向いているかどうか調べる為に、外部の情報源を使う事は愚かです。
メリー・ベーカー・エディーその他の著作者の著書や、他のグループ/組織の開示を基に、貴方の考える事や行う事を判断するのは適切ではありません。
これらの情報源は、人が自身の「存在」の神聖を、自身の意識体験として直接知覚出来ていない時には有効です。

しかし、貴方はその様な所には居ません。 だから、貴方の考えている事/信じている事/している事に対する権威を、『貴方の「意識存在」の直接的認識の外にあるポイント』に認める事は適切ではありません。

ポール:  ありがとう、ラジ。

ラジ:  外部の権威/概念/組織を放棄しても、何か価値があるものを失ったと感じる必要はありません。

それらがどれだけ美しく「貴方の「意識存在」としての「リアリティ」の開示に対する知覚」を示していたとしても。

ポール:  ラジ、それを覚えておく事にします。

ラジ:  では貴方が難しいと考えいる「もう一つの事」に関して話しましょう。

この困難は、貴方が他者に話しかけている時、その人が「我々の会話が行なわれている方法(ラジという個人性が貴方に話しかけている事)」を知った時に貴方が直面するであろう困難と類似したものです。

貴方の『「存在」の意識体験』の中で、貴方の『「存在」の意識体験』として開示されている物事の様子と共に、貴方は立っていなければいけません。

「リアリティ」は『「リアリティ」に対する部分的(三次元的)視点』に上手く対応/フィットする様に存在してはいません。

貴方が「リアリティ」に対する明確な説明を表明している時、それが「部分的な視点を持っている人達」が期待している真理と合致しなかった場合、『彼らは「真理」を否定しようとする事』を貴方は覚悟して置かなければいけません。

三次元的枠組みの中にいる意識的アイデンティティ(自分が誰か?という気付き)は、(三次元的枠組みから)それ自身を「ドア」(通り口)として認識出来るポイントまで移行して行かなければならないのです。
こうして意識的アイデンティティは意識的かつ積極的に「ドア」に成る必要があるのです。

そうすれば四次元的「意識存在」の「リアリティ」が、「三次元的/物理的な人」と呼ばれている「存在」として、「三次元的/物理的な人」と呼ばれている「存在」の「限定されて見えている意識体験」の中に「突入」していけるのです。

これが、「実際にリアルに起こっている事」への永遠に正確な意識的認識(キリスト意識)を暴き示します。

この発見/突入が「見よ、私はドアの外に立って叩いている。"Behold, I stand at the Door and knock."(#1)」という文章として認識されているものです。

しかし注意して下さい。
三次元的意識が「ドア」に成り、そして「キリスト/真理/「リアリティ」そのものに対する直接的知覚」に成って、「三次元的/限定されている人」の意識体験としてその「ドア」を流れ通っていく(様に見えている)事が「普通」に成る訳ではありません。
「人」は、彼/彼女自身が三次元的に自分を認識している状態のまま、「リアリティ」が流れ通る導管/媒体として永遠に残る訳ではないのです。

実際には、「ドア」として立つ事をより頻繁かつ確実に行えば、人が自身を「三次元的人間がドアとして立っている事」として体験し続ける事は確実に減っていくのです。
そうして、人は自身を(どの様な歪みも加えられていない)『「リアリティ」に対する意識的体験』/キリスト意識/神あるいは意識存在がそれ自身を無限に体験する方法、として意識的に認識する様に成るのです。

だから、貴方の体験内に現れて、貴方の体験内で開示されている事が『それ自身を顕わにしているキリスト意識』であると貴方に見えるように助けている人々は、その意味においては正しいのです。

しかし「この体験内のラジという名前の個人性が幻想である」と見るよう貴方を助けようとしている事に関しては、彼らは間違っています。

(彼らが現在見ている視界は、彼らの以前の視界より壮大でより無限に近いものですが、それでもまだ)彼らの視点はとても狭いので、彼らの視点を貴方のものとして受け入れる事は愚かです。

貴方がスピリチュアリズムに参加していない事は、その通りです。
貴方は「向こう側に渡った」魂と話している訳ではありません。
貴方は、「誕生と死亡の三次元的幻想にいまだ惑わされており、自分が生まれてそして死んだとまだ考えている個人性」と話している訳ではありません。
私は「キリスト意識」がそれ自身を「存在」に対する貴方の意識体験として示しているミディアム(媒体)ではありません。

しかし私は(『「四次元的意識存在」の無限の側面として存在した』その他全ての個人性と同様に)存在しています。

そこには、(部分的で三次元限定の視点を凌駕している)無限の進行が存在しています。

一旦「死すべき肉体の夢」から成長して脱出したなら、『「意識存在」として「存在」が無限に開示され続ける事が止まる』と考えるのは、愚か(無限を見る能力の不足)と言うしかありません。
これは、死の前であっても後であっても変わらぬ真理です。

「自分は生まれてきたと信じている者」が「自分は死んだと信じている者」とコミュニケートする事は不可能です。
これらは三次元に限定された枠組みの、二つの異なる状態なのです。

これは、「人の無限の一部(死んだ人達)を、その人自身の意識体験として得る事が出来ないと考えてさせてしまう」限定された視点から来る歪みの一部です。

「存在」の無限の個人化の内、目覚めている者の方が寝ている者よりも断然に多いのです。 だから「目覚めている者達」とコミュニケーションが出来ないと考える事は馬鹿げています。

より賢く成りなさい。 貴方の周りの人の三次元的視点を受け入れて、時間を浪費するのは止めなさい。

どの様な状況にあろうとも、あなた自身の『「リアリティ」/「四次元的存在」の意識体験』としてデモンストレートされたもの以外に対して権威を与えるのは止めなさい。

ポール:  どうもありがとう、ラジ.

ラジ:  どういたしまして、ポール。
さようなら。

______________________
(#1)John 10:9. (ヨハネ)

翻訳者註 上記の出典で原文通りですが、これは間違っているようです。

(#1)Reveration 3:20 (ヨハネの黙示録)
このちらの出典が正しいものです。

John 10:9 (ヨハネ)は実際には下記の文になります。
I am the door: by me if any man enter in, he shall be saved, and shall go in and out, and find pasture.

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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修正

出典(#1)に間違いがありましたので、修正しました。

Re: タイプミスですかね…

> >現在私に教えてくれては居はいません。
そうです。 教えてくれてありがとう。
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翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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