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第一章

卒業 (Graduation)


1991年1月4日 金曜
 

Raj: 沢山話すべき事があります。 だから私と毎日話す時間を十分に取ってください。

私と話している時には、邪魔が入らないようお願いします。 これは命令ではありません。

これは下準備の様なものです。 「毎日我々が一緒に時間を過ごすより大切な事はない」と貴方が考えるように成って欲しいのです。

我々が一緒に過ごす時間が、貴方の他の大事な事を妨げている、あるいはこれ以上に重要な事が存在していて、我々の会話がそれを邪魔している、と考えるように成っては意味がありません。

平和な気持ちで「大いなる自身」に貴方自身を捧げられるように成って欲しいのです。

この一連の会話は卒業と名付けましょう。

この会話は常に(貴方の奥さんの)スーザンも聞いている訳ですが、それ以外の人に話すのは今の時点では止めてください。 スーザン、貴方が居る時に全ての会話が行なわれるとは限りませんが、貴方は全ての会話を聞く事を許されています。

―――――――――――――――――――――――――

さて、ここにある興奮や恐怖は貴方が感じているのではなく、エゴ=「幻想上の(貴方の)相棒」が感じているのです。

「幻想の相棒」とは、(まだ目覚めていない)貴方やその他の人達が自分の人格に付随していると考えているものの事です。

実際のところ貴方達は、この「幻想の相棒」こそが自分達だと考えています。

今貴方が感じている興奮は、これから聞く事が「不思議なもので、もしかしたら危険な事かもしれない」と言う「感じ」から来ています。 この危険はスリルの感覚も伴っています。 エゴは少しの怯えを楽しむものです。 怯えや危険は、チャレンジする意欲を掻き立てます。 しかしそれらは全て嘘でしかありません。

卒業(この本の原題は卒業です)。 貴方はどの様な状態へと卒業していく事が可能なのでしょうか? 卒業とは学習のプロセス、学びのプロセスを解き放っていく事ではないでしょうか?

エゴのセルフ(分離感覚に基づいた自己認識)に入って行く事は学業を始めるときに似ています。 そして貴方がエゴの感覚を放棄し、(エゴとして)物事を知り(学び)続ける事を放棄した時に卒業が始まります。

これは「貴方の存在」の基本的/根源的な完全性に戻っていくプロセスなのです。 これは「貴方が今までエゴとして学習してきた事」を全て無に戻すプロセスです。

(貴方が)学習に与えた価値を手放す事が卒業の意味です。

しかし人は学習を無効にする事で卒業できるように成るのではありません。
原初的なもの/必然的なもの/根源の存在の価値を認められる様に成らなければいけません。 それが学習プロセスや(学習により確立されて見える)アイデンティティ(自己定義)よりも大切だと気づき、その結果として卒業出来るように成るのです。

だから人は「何か学習を超越していること」を大切に思えるようになった時卒業する事が出来るのです。 学習以上に意味のある事が存在する故に、学習の無効化が可能なのです。
だから一生懸命学習を無効化しようと努力しても無駄です。

卒業とは思考から存在(ある/いる、という事)へとシフトする事です。

これは貴方にとって、全く知らない事、全く判らない事、全く経験の無い事ではありません。 貴方が訊ねて聞いている時、貴方はマインドの外に居る体験をしているのです。

これが思考を放棄するという事です。 思考を放棄して、それでも意識を保ち「知っている」(Knowing)という体験(それを貴方はガイドと呼んでいます)との繋がりを保ち続けるのです。

私は貴方達二人が話しを聞いている事を認識しています。 スーザン、貴方にとってもこれは意味を持つ様に成ります。 しかし現時点ではポールの卒業を主眼に置いて話しています。

こう私が言っているのは、ポールが私の話しを聞いている時「これがスーザンにとってどんな意味を持っているか?」とか「スーザンがこれにどう反応するだろうか?」と考えて脱線して欲しくないからです。

もちろんポールが私の言う事の意味を掴み取って行くに従い、貴方(スーザン)の反応を気にしているポールの側面(心もち)も減っていきます。

しかし「今聞いている事は他の人にとってどの様に聞こえるだろうか?」と思い悩む事無く、ポールには集中して聞いて欲しいのです。

重要なのは、私の言う事が「ポールにどの様に聞こえるか」です。 私の言う事が「ポールにどの様に聞こえるか」が彼の内なる動きを促進します。 

さてポール、この9年間で貴方にはシフトをする為に必要な要素が既にそろっています。

貴方が訊ねて答えを聞いていた時、貴方は聞くことによって「知っている体験」(Experience of Knowing)をしていたのです(「知っている所から体験する事」をしていたのです。)。

これは私から貴方へのギフトという訳ではありません。 何故なら私は「貴方から分離した存在」として、貴方に何かを与える事は出来ないからです。

貴方が、卑小な取るに足らない下らない者として何か素晴らしいギフト(貴方から分離したもの)を受け取ったわけではないのです。

そうではなく、これは『貴方が「自身(セルフ)」を直接体験した』という事なのです。

これは貴方の幻想の「相棒」、「ブンブン忙しいポール」が力を失いつつあると言う事です。

{貴方が独立/分離した者として世界に存在しているという}この見かけ上の「事実」が消え始めています。 それ故に、自分がどこにどの様に所属しているか、自分が何者か、知ろうとする欲求が高まっています。 これらの質問への回答を求め続ける事は不毛であり、不適切です。 貴方は何処へも行く訳ではないのだから。

幻想の相棒(つまり間違った自己意識)が行なってきた思考は、貴方自身の直接体験から来る「Knowing(知っていること)」に取って代わられるでしょう。

「貴方が私と話しているかの様に」見えていて、無限の「知っている事」から何を得ている様に感じていた時、貴方は「貴方」と繋がっていたのです、それが貴方の本質なのです。
しかし貴方が「幻想の自分自身」と自己同一し続けている限り、貴方にはこれ(知っている事)が自分自身と繋がる事とは感じられず、これをする事によって「自分自身がより意味の無いものに成って行く」感じがするのです。

ここでの卒業には思考を放棄して、常時聞き続けることが必要なのです。 考える必要を感じた時には、立ち止まって「知りたい」と願いなさい。

このとき質問者(疑問を感じている貴方)に注意を払い続けないことが重要です。

知りたいという望みは、質問者の存在を認めるものではありません。 このポイントを理解する事がとても重要です。 


〔「知りたいと望む」事は、単に「知る事を許可する」方法なのです。〕

上記はもしかしたら、一番大切な(一番変容をもたらす)真理の言葉です。 リアリティを貴方に指し示す一番力強い言葉です。

『「誰が質問をしているのか?」理解しようとする試み』から、間違った幻想の自己感覚が生じています。

人は、質問について分析する事で、質問者が恐れており、妬んでおり、慢心しており、要求しているという結論に達してしまいます。

しかしこれは鏡を使って、「直接には見えない角度に存在すると考えられているもの」を見ようとする様な試みです。

この質問の性質から浮かび上がってくる「質問者の特質」は間違ったもの以外には成り得ません。

これは失楽園と呼ばれている事態を説明しています。 人がリアリティに対して無知になる方法がこれ(質問を解析し質問者の虚像を作る事)なのです。

本当は、「質問する事」とは「知っているという体験」をする許可を(自分自身に)与える事にしか過ぎないのです。

だから、質問(を解析する事)によって質問者の性質を知ろうとする試みは、質問の本当の意味(知る体験を許可する事)から注意を逸らしてしまい、「知っている事」に到達する事を阻んでしまいます。

質問の本当の意味とは、質問の本当の目的とは、知る事の体験を(自分に)許す事です。

こうして貴方「自身の体験」が隠され続けてしまいます。 4次元意識の存在体験が、「実際には存在していないもの」の鏡像の中に隠されて続けてしまいます。

だからこの卒業は、リアリティに自身を与え、幻想の自己感覚を放棄する事により行われます。

「知っていること」を選ぶことにより、卒業が可能になります。

私が「貴方は貴方「自身」以外のものを聞いている訳ではなく、そこに不明確な聴講者がいる訳でもない」と知らせたので、貴方はこの選択を容易にすることが出来るはずです。

知っている体験をする事とは、「自身」を真に体験する事であり、誰か他の素晴らしい者を体験する事ではありません。

リアル(でない)ものに、投資し続け、それを信じ、それに関わり続ける必要があるでしょうか?  リアルではないものを信じ続けて、真に貴方のものには成らない価値を借り受けて、不能と限界の偽りの感覚を自分にもたらし続ける必要があるでしょうか?

過去に貴方が思考をいだき、論理を使用し、結論付け、その結論を表現した時、
貴方は権威/尊厳を感じ、自分が「原作者」だと感じていました。

貴方はこの感覚に耽溺し中毒しているのです。

この原作者としての感覚が、貴方のプライドの根源で、貴方に自信をもたらしています。 これが貴方を釣っている餌なのです。

この感覚このプライド故に貴方は「知っている体験」に価値を見出せなくなっているのです。 何故なら「知っている体験」の中では、原作者の感覚は働かないからです。

「知っていること」に対して著作権(権利)を主張できる感覚は起こらないのです。

何故なら「知っている事」は、なにか限定された体験ではないからです。 それは何か限定された(特定できる)対象物に関する体験ではないのです。

限定されておらず区切られていない「知っていること」には著作者の感覚は付随していません。

著作者の感覚を得るには、体験に対する「限定された原因」が必要になるのです。 それには、他の「限定された原因」から分離している必要があるのです。
著作者の感覚は、(重い密度と共に)客観的存在を示唆します。 つまり著作者の感覚が、限定された存在をもたらすのです。

「知っている体験」の中には中毒的要素はありませんが、思考/論理/結論付け/結論表明の体験に中毒依存してしまう事はたやすいのです。

中毒とは、「中毒性を持っているもの」がスリル(それ以外のものでは得れらない全能感覚)を提供することで成り立っています。

だから卒業と、そして「知っている事」へ関わり続ける決意は、意味ある事全てを放棄する事の様に感じられるのです。 「個人的著作(世界を個人的考えで塗りつぶしていく事)により、もたらされている尊厳と意味」がなくなってしまうと感じるのです。

考え/理由付け/結論を出す、つまり「判断を下す」事は、「知っている事」に取って代わられます。

そして思考/理由付け/判断の後に続く行動と言葉は、貴方が知っている「知っている事」によって置き換えられます。  それは貴方が「聞いた事」を、後日真似て言う事とは違います。

その時貴方は常時チャネリングしている様に見えるかもしれません。その様に考える事も可能で、そう考える事は間違ってはいません。

しかしチャネリングとは何でしょうか?
チャネリングとは、貴方が個人では責任を負い切れない事(自分で考えたのではない事)を表現することです。

チャネリングしている時、貴方は計算したりコントロールしたりしていません。
「その状態こそがリアルな貴方を現している」と私は今まで言って来たのです。 

思考/計算/判断する貴方、貴方がこれこそ自分(ポール)だと思ってきた貴方は、幻想の相棒で、最終的には意味の無い余計な荷物でしかないのです。

今までの9年の体験によって貴方は、「以上の事を聞いて」それが完全に正しと理解し、「それによって貴方は脅かされない/危険な状態には至らない」と理解出来る様に成っています。

そして貴方は未だに私を聞いていますね? 貴方は今でも、ここで起こって居る事を「あたかも貴方が私を聞いているように」概念化して受け取り、より沢山を聞こうとし続けています。

これは貴方が完全に許可しているという意味で、素晴らしい事です。

しかし貴方が聞いているのは貴方自身であって、これは「貴方の本質」を示す統合の体験であることを言って置きましょう。

これは貴方の体験であって、私(ラジ)は人格ではなく、貴方は「自分から分離しているもの」を体験しているのではないのです。

私は真理の声です。 無数の真理の声が存在するのではなく、一つの真理の声だけが(唯一)存在しているのです。

そして貴方が真理の声です。 全く同じ真理の声なのです。

貴方が私を聞いている時、貴方は貴方を聞いています。 そして貴方が貴方を聞いている時、貴方は私を聞いています。

しかし貴方が自身の意識体験として受け入れて体現しなければならないのは、「これが貴方だ」と言う事です。 ここで今体験されている全ての言葉は、(真の貴方として存在し行動している)貴方なのです。

いま貴方の想像上の相棒「ブンブン忙しく行動する貴方(ポール)」は、何処にいるのでしょうか? それはどこにもいません。 それは今までも存在しては居なかったのです。

(だから概念的に言うとすれば)ここで本当にリアルに起こっている事は、貴方が「私/貴方自身」と話しているか、でなければ(貴方が口を開けて)『「私/貴方自身」が「知っている事」として存在している事』を喋っているだけなのです。

貴方は「存在には著作者感覚が常に伴う」というアイディア(概念)を手放して、「起こっている存在」として存在する事(ただ体験する事)が出来る地点まで来ています。

「我々は(エゴの検閲の裏をかいて)裏門から入って来ます」といった事を覚えていますか?(註1)  我々はまさにそうしたのです。

私は、貴方が「貴方として存在する事」が出来る様に促進したのです。 貴方が「そうある事」に慣れ親しめる様に。 貴方は「何か他の事をしている」と(ただ私と喋っていると)考えていたのですが。 

もし初めから「貴方に対してこれからする事」を私が話していたなら、貴方の「相棒」が出てきて我々の邪魔をしたでしょう。 そうして貴方の相棒(エゴ)はとても防御的に成ってしまい、この体験は出来なかったでしょう。

私がこれを話しているのは、この卒業は貴方が「全く覚えのない所」に移動する事ではなく、「(貴方が)既に知っている物事に対する知覚」を変容させる事だと判って欲しいからです。

これは言わば再定義の様なものです。 つまりこれは「(幻想の)相棒」から「リアルな存在」へとアイデンティテ(自己認識)を移す事なのです。


(註1)出典 February of 1982. You Are The Answer, p. 3   (答えは貴方  1982年2月7日)


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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