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Chapter 5

2月 11日 木曜 (朝)

ポール: このようにセッションを始めるとき、私は何と言っていいか解らない事が多いです。 沢山の質問があるのですが、以前の話を読み直してみると、私が沢山質問していない時の方が、私にとってより意味のある答え(私が本当に知りたいと思っていた事に対する答え)が与えられている気がします。

何か特定の形式で進めるべきですか?  特定のスタイルで会話を行なうべきなのですか?

ラジ: 貴方が話したいと思う事に付いて話しましょう。 今日は何をしたいか言ってください。

ポール: 私は静かに座って聞く事をしてみたいです。

ラジ: いいでしょう。

ポール:[しばらく何も聞こえない。]

ラジ: 「私が言っていること」を貴方が聞けていない事に関して話しましょう。 なぜ貴方が聞けていないか説明します。

貴方は「自分が聞いていて、そして自分には何も聞こえていない」と感じています。 その原因の一部は、これが我々の今日の会話の初めの部分だからです。 しかしそれ以外の原因もあります。

貴方が私を聴けていないのは、その時貴方が「自分には聞けないもの」を聞こうと期待しているからです。 調べて(自答自問して)みれば、この事が解るでしょう。

貴方が「聞くのが難しい事」を聞こうとする試みを放棄し、「Rajがより簡単な事を言うだろう」と期待した途端、貴方は私を聞き始めます。

これに関して考えて見なさい。 これは貴方が日常生活で対面する多くの困難の原因でもあるのです。

貴方が「自分には理解出来ないものにこれから直面するだろう」と感じたとき、貴方が「自分の手には負えない解決方法を迫られている」と感じたとき、貴方は解決/回答を見る事が出来ません。

前回のメッセージがここでも有効です。「シンプルに、シンプルに、シンプルにしなさい。」  これが本当の宇宙の性質であり、宇宙が働いている仕組みでもあるのです。
「シンプル」(にする/に考える/とらえる/対処する)を貴方のモットーにして下さい。

これが理解できれば、貴方の心配のかなりの部分が取り除かれます。 偉大なる証とは、「生活に対してシンプルに効果的に対処できる」と言うことです。

偉大な者に成ろうとして、偉大なゴールへ到達しようとして、我々は自身を閉じ込め有罪にしてしまいます。

[ポール、言っているそばから、また複雑に考え始めていますよ。 我々は自身を(有罪と)告発してしまいます。]

我々は往々にして「我々には認識/知覚出来ないと『知っている』こと」を期待する事によって、自分達を貶めてしまうのです。

我々は、シンプルなこと(可能なこと)から出来るだけ遠ざかって、自分達を動けなくしてしまう事があるのです。

生活の中で一番シンプルな事とは、「外的な行動を止めて、自分達自身の中に入り、「答え」と「取るべき方法」を見つけること」でしょう。

しかし貴方が今感じた様に、我々自身の内部でも、「我々が複雑にしよう(複雑になろう)としている時、とても厳密になろう(見よう)としている時」「本当のところ、我々が自分達自身の中で何かをしようとした時常に」我々は我々の存在の本能的機能から我々自身を遠ざけてしまいます。 そうして、外側で(体で)働こうとしている時と同様に困憊してしまうのです。

自身の内側に入って静かになった時(ちょうど我々が話している時あなたがしている様に)我々は自然に有能/有効/効率的になっています。  自然な才能、ナチュラルな聡明さが現れるのです。 「静かに成る事」が我々に出来る一番シンプルな事で、それは英知の基盤とも言えます。

貴方は色々なやり方を試しています。それは構いません。
眼を開いて貴方の世界からの視覚的な刺激を受けながらコミュニケートできるか調べていますね。 それでも上手くできます。
これは進歩的体験で、貴方はこれを通して、意識存在として「ある(存在する)」事に慣れていきます。

眼を開けたなら、貴方は木やカーテンや窓や部屋の中のその他のものを見る事が出来ます。 しかし、そうしていても貴方の意識の中で行なわれている事を直接ハッキリと知覚することの障害には成りません。
答えが必要になる度に、トイレその他のプライベートな場所に駆け込んで、邪魔されずに瞑想しようとするのは実用的ではありません。

前も言ったように、貴方の全ては何時でも貴方(の目の前に)に与えられています。
それは貴方がどの意識レベルで働いている様に見えたとしても、変わりません。 貴方はこれを学んでいます。

貴方が車を運転している時、私に尋ねたいと思ってから躊躇するのを見て、私は可笑しいと思っていました。 我々の会話をテキストに書き出せるように録音したがっていましたね。 そしてまた、道を車で走っているときの会話は、自宅の安心できる静かな「聖域」での会話ほどには有効にはならないのでは?という疑問を感じてもいたでしょう。

その様な聖域での体験は、確かに満足できる体験です。 しかし、貴方は聖域を車で引いて自分が行く全てのところに持って行ける訳ではありません。 

(物理的)聖域の中に居る時しか、意識存在と繋がれないならそれも仕方の無い事ですが、それではとても面倒ですね。

「意識存在として、(自己の)マインドから直感的に機能できる事」を貴方が発見したのは喜ばしい事です。
これは「貴方が誰か、貴方が何か、貴方が全ての事が起こっている場所である」という意識的気付きが急速に統合されている事を意味しています。

貴方が昨日の会話の幅と内容に感激したのを見て、私も嬉しかったです。
それゆえに我々のしている事が偉大な聖なる目的を持った事だと考えるのは無理のない事ですが、しかしバランスを崩さないように気をつけましょう。

存在は無限です。 それは貴方の想像を遥かに超えています。

貴方が(エゴからのコントロールを)手放すに従い、貴方はより自然と貴方自身(貴方のセルフ)に寄り掛かりそれを信頼するようになります。 そして貴方自身が本当に信頼できると解ったなら、貴方はより多くの無限性(限りのないもの)を体験します。

しかし貴方が体験しているより多くの貴方自身とは、『「何時もそこにいた貴方自身」のより多く、の事ではない』と覚えて置いてください。
普通の事をより偉大に見せようと試みるのは、エゴイズムの特性です。

神聖(Holy)という言葉は、全体(Whole)と言う言葉と同じ語源を持っています。
神聖という言葉が発明されたのは、自己体験として全体性を体験する事が出来ていなかったからです。 だから存在の全体性/完全性を言い表す必要が出来たのです。

存在が全てである(十全である)という本能的(直感的)認識を満たす方法が必要だったのです。 だから、我々の全体性の中で我々には意識されていない部分を言い表す言葉として神聖(Holy)という言葉が作られたのです。

全てが神聖であるのはとても普通のことなのです。それが我々の意識存在として現れている時には。 
私はこれ以上クリアに言う事は出来ません。

偉大さや神聖や運命や(自分の外にある)「宇宙的計画内の神聖な役割」の考えに酔って時間を無駄にするのは止めなさい。 「シンプルに存在すること」以外の事に気を取られるのは止めなさい。
存在はそれら全てを含んでいますが、それは「特別な事」ではありません。

普通の事が特別に見えるのは、それを(貴方の)無知と比べた時だけの事です。 その様な考えに浸っていては貴方は自分自身を大いに衰退させてしまいます。

特別な事など起こっていないと理解した上で、貴方の気づきを発展させていかなければいけません。 でなければ貴方はその価値を見逃してしまいます。

昨日も言ったように、この会話を貴方の奥さんとお母さんに話すことはOKです。
しかしポール、知恵の言葉を聞いて満足しなさい。

その反応から、彼女達がこの会話の中の知恵と価値を理解しただけでなく、いかに人間のマインドが「とっても普通の事」に、偉大な意味を与えてしまうか解った事でしょう。

これが貴方がこの会話を(奥さんとお母さん以外には)秘密にしておかなければいけない理由です。 何故なら人々は、彼らの洞察や理解ではなく、彼らの目の見えていない状態から、これを評価しようとしてしまうからです。

我々の話していることの中に自身を(本能的に)発見した時の彼らの高揚は、称えるべきではないものを彼らに称えさせてしまいます。 彼らがそれをしようとする唯一の理由は、彼らが「彼ら自身の宇宙」を彼ら自身として持つ事が出来ていないからです。

彼らの反応は邪魔に成ります、貴方の注意を、貴方の存在の中心から「外の世界」へ引き戻してしまい、貴方が物事に対して主観的に成る事を妨げてしまいます。

私が主観的と言った時、貴方はその意味を理解しました。
今まで貴方が客観的なものの見方を尊重してきた様に、いま貴方は主観的なもの見方を尊重する事を学んでいます。

物事を客観的に見る事は、とても実用的だと貴方は考え、そう知ってきました。
いま貴方は物事に対して主観的に見る事/考える事が実用的だと学び始めています。

貴方の思考/論理の中の「客観的」という言葉を「主観的」という言葉で取り替えるべきなのです。

貴方は物事に対してとても主観的にある様に成らなければいけません。何故なら、物事に対して主観的に関わったなら、貴方はそれら物事の(見かけではなく)意味を体験出来る様になります。

それらの意味を体験すれば、貴方は適切に対応/認識する事が出来る様に成り、貴方自身(Self)全体と調和した方法で自身(self)を行動させる事が出来る様に成ります。
「主観的」とは「わかっていない」と言う事ではなく、本当に気付くという意味です。

貴方が学んでいることが、「神の栄誉を称えたり、存在の真の性質を表明したりして(大いなる満足をもたらす)目的の成就へと貴方を導くものではないらしい」と気付いて少し落胆していますね。

しかしポールこれを理解しなさい。 貴方が考えている偉大さは、人の意識を客観的に三次元世界の中に置く事で成り立っています。 「誰の目の中で偉大なのか?」と自分に尋ねて下さい。

貴方自身の無限性の中の貴方が「貴方」として得られていない人達だけが、貴方を偉大なものとして見るのです。

すでに貴方が気付いた様に、貴方の注意が「外側にいる」他者に注がれているとき、偉大さのイメージを保持する事は出来ません。 これを手放しなさい。その全てを放棄しなさい。
つまりこれらは全て貴方の為だけのものだと貴方も解りはじめています。 そして、これが自分自身だけの為なら、これが何故大切なのか理解出来ないでいます。

それに答えましょう。 一人の人のセルフ(自身)が宇宙の全てなのです。一がすなわち多です。
貴方が自分自身だけの為にしなかったなら、貴方が一人だけである事を拒否したなら、貴方は自分自身の全てを「貴方」として体験することが出来ません。

そうでなければ、貴方は3次元の人として、自分自身にぶつかり続ける物理的人、自分の踵を踏み、自分自身を車で轢き、自分の手で自分を叩きどうして自分はこの様に苦しむのかと嘆く人であり続けようとします。 理由としてはこれで十分でしょう。

遠慮なく言わせてもらえば、貴方がしている事を、貴方の中で開き始めている事を他の人に知らせる際にはとても注意が必要です。   ネガティブな反応を引き起こさずに上手く知らせられるように成るまで、貴方は他者に知らせるべきではありません。

そして無知から生じているポジティブな反応もまた、ネガティブな反応なのです。
現時点で貴方が他者に知らせるべきではないのは、我々の会話です。 そして貴方自身が内部から「全てである一つとして」(多である一として)目覚め始めている事です。

ここで話しているレッスンは完全に貴方の為だけのものです。

ヒーリング・ワーク、タロット・カード、カウンセリング、その他貴方の経験に起こっている事は、他者と話し合っても構いません。 しかし貴方の成長ぶりを吹聴するのは止めなさい、「他者」から彼らの嫉妬を示されたくなければ。

いいですかポール?  これらの事柄を貴方が分かち合う(話す)「他者達」が貴方のセルフ(自身)だと本当に理解出来ていなければ、貴方は彼らに対して無知な接し方をしてしまいます。 そして彼らも貴方に無知な反応を示します。

しかし、もし貴方が彼らを自分自身の無限性の現れとして認識していれば、彼らの認識がどうあろうとも貴方は気にしないでしょう。 何故なら貴方は彼らを貴方として認識するから。

貴方はこれ以上の言葉は必要としていません。 意識存在として体験された自己認識が満足をもたらします。

この地点から存在する様になれば(貴方がこの地点に存在している事が実感出来る様になれば)、「外側にいる」人達から偉大さを認識してもらおうとは思わなくなります。

これは単純な事に聞こえるかも知れません。 しかし、「この素晴らしく見える事が実際にはとてもノーマルな事だ」と発見した時の貴方の内的反応を伺えば、この単純な事がとても複雑に成りえる事が解るでしょう。 これを理由に、これ以上進む事を止めてしまう可能性もあるのです。

人々が「私がどれだけ凄いか見てくれ」というゲームをしようとして、存在の一体性を体験することを放棄しようと思ってしまうのは、驚くべきことです。 特に、一番凄くない人に成る可能性が(一番凄い人に成る可能性と)同じだけある事を良く知っていながらも、このゲームをし続けようとするのは可笑しな事です。 これは本当にただ可能性(チャンス)にかけるゲームでしかないのです。

誤解しないで下さい。 「貴方が誰か。 貴方が何か。」知り、「貴方の中で全てが行なわれている。」と気付くことは、真に聖なる目的の神聖な成就です。


これが神と一つに成るということです。 これが聖なるエネルギーと共に流れると言う事です。 これが神聖な英知の偉大なわざと一つになり、それと調和するという事です。 しかしこれは絶対にノーマル(普通で普遍的)な事なのです。

3次元環境内の物質的なものとして存在するのはエキサイティングなチャレンジングな怖い事です。 しかしそれは決して満足をもたらす、貴方を満たす事ではありません。  理由はそれがまるで気が違った様に生きる事だからです。 これは人の、あるいは存在の最終的な最上の目的ではありません。

三次元の観点からは、三次元の枠組みからは、意識存在として生きる事は考えられません。 しかし意識存在にとっては、それがとても自然な事です。

三次元から4次元の観点へと移行し、両方の次元に同時に存在して見える様になり、両方の次元を通してコミュニケーション出来る様に成るには、四次元空間に絶妙に(自己を)チューニングする(同調させる)必要があります。
この言葉は奇妙に聞こえますが。 私の言いたい事は解るでしょう。 初めから正しい視点を保つようにしましょう。

三次元の視点からだけ見ている人達の誤解(誤認識)に耐えるだけの安定を貴方は得る必要があります(我々の話を公にする前に)。 四次元の視点から見られるように成れば、貴方は自分に要求されている事に容易に答えられる様に成ります。  しかし貴方が自分の新しい立場を早まって公開したなら、貴方は不必要な困難を自分に引き寄せる事になります。 意識存在としてそれを出来る様になるまで、貴方は口を閉じているべきです。

この様なアドバイスをする為に私がいるのです。 貴方の道が困難である必要なく、また貴方はスムーズに進みたいと思っています。  貴方は、貴方にとっては未知の領域に入りつつあります。 そして私が貴方のガイドです。 道を歩くのは貴方ですが、私が貴方に踏み均された障害の少ない道を教えましょう。

私は貴方に対して焦れている訳ではありません。 貴方はこの視点を得て、自分の足を地に着けて、頭をその近くに置きなさい。 私はこれを最上の愛と共に言っています。

我々が今日中にもう一度話す可能性がとても高いですね。 今のところは、サヨナラを言いましょう。 そして我々が今話した事を貴方に体験してもらいましょう。

光の中を進んでいきなさい。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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Re: 誤字?

wanna(♂) さん。
誤字を知らせてくださって、ありがとうございます。

訂正しました。
プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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