スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ACIM10-05-01#2

このレッスンはシンプルなものです。
「目覚め」のプロセス上で我々が現在居る所は、とてもシンプルな所です。
これは云わば最後のステップの様なものです。 貴方は後ひとつの事をするだけでいいのです。

我々はそのまま「コース」を読み進める事も出来ます。 我々はきっとそうするでしょう。
でも、もしかしたらしないかもしれません。
しかし重要なのは、「何が問題なのか」認識出来るステップまで貴方は来ており、それがどれだけシンプルか、それをする事がどれだけシンプルか、理解出来る様に成っている事です。

貴方が瞑想を学び始めたなら、貴方は自分の注意を特定の事に与える事を学びます。
例えば、マントラ、蝋燭の火、曼荼羅、自分の呼吸など。 自分が考え始めている事に気付いたなら、注意を呼吸や蝋燭の火や曼荼羅やマントラに戻します。

貴方は「人生そのもの」がこの様な選択に成っている地点に到達したのです。 瞑想の時の様に、生活の中で常に、思考を放棄し聞く事を選択し続けるべきなのです。
自分が考え始めている事に気付いたなら「いいや、私は未だ答えを得ていない。 そしてこの方法では答えは得られない。」と言って{聞く事を}選択するのです。

「(私は未だ答えを得ていない。 )だから...もっと思考しよう?」 いいえ。
貴方がするべきなのは、「聴く事」と云う静寂と注意深さ、そして霊的交歓(Communion)つまり(精霊/私/父との対話)コミュニケーションを行える様に許可する事です。
これはただ単に、静かに成るだけではありません。
これはただ単に、思考しないだけではありません。

これは、『「貴方自身の外にある何か」に対して注意を与える事を阻害している』思考を止めて、「貴方の思考を超えているもの」に注意を与える事です。
そうなれば、貴方は独立の喪失を体験できる場所にまで到達し、「貴方に真理を分け与える事の出来る者」と霊的交歓し、その者と兄弟姉妹(として一体)に成る事が出来ます。

皆さんはミステリー(不安/スリル/謎)を愛しています。 しかしミステリーを愛する事は止めなさい。
『「ミステリーを終らせてしまう答えを知りたい」と思えるように成れるだけ』思案を止めたい、と思えるように成りなさい。
グラウンディングしたい(リアリティの中にしっかり立ちたい)と熱望する事によって「たとえ物事が退屈だったり興味深くない様に見えたとしても」思案を止めたいと思い続けられる様に成りなさい。

貴方は『「刺激を受け続ける事」に対する欲望』を越えなければいけません。
例えそれが(ミステリーに必要不可欠な)恐れの刺激であっても。

{ミステリーとは、次の様に働くものです}
貴方はそれを発見したい。 しかし、もし発見出来なければどうなってしまうだろう?
貴方がそれを時間内に発見出来ない場合どうなってしまうだろう?
この様なミステリーは終らせる必要があります。

ミステリーを持っている事はファンタスティックなものです。
例えば今日が18日だとして、貴方はどの様にして22日までに支払いが出来るのでしょうか? さて、ミステリーがとても面白くなって来ましたね。
何故一日に(月の一番初めに)答えを聞かないのでしょうか?
そうした場合、ミステリーは無くなるでしょう。 しかしその場合、貴方はミステリーの細部には関わらなくなるので、そこには安らかな平和と喜びがあるでしょう。

覚えておいて下さい。 貴方が思考しているなら、貴方は意識を失っています。
貴方が意識を失って居るのは、貴方が「答えを持っている者」と繋がっていないからです。
つまり貴方は{思考してる限り}、答えを持っている「精霊」(それは貴方の正気でしかありません)とはまだ繋がっていないのです。
だから貴方は、貴方の正気(正しい「マインド」)から分離しており、それと繋がっていないのです。
だから貴方は、何らかの狂気を体験しているのです。
これが我々が今学んでいるシンプルな事です。

今これが、我々がリアルな「意味」を発見するポイントです。「貴方が思考を止めたなら、貴方が自分の正気に戻っていくかも知れない」と云う可能性に懸けてみるだけの価値がある「意味」を発見するポイントです。 これが実際に実行可能に見えるポイントに我々は来ています。

貴方達全員にとって、これ以上ミステリーと係わる事が面白くなくなる時点/ポイントが存在しています。
そこまで到達したなら、ミステリーは疲れるものに成っている事でしょう。 そこでは無知はとても気が滅入る事です。 貴方はそこでやっと「マイッタ」と云って真剣に聞く事が出来る様に成れるでしょう。
そうなるまで(貴方が状況や疲労に打ちのめされてしまうまで)待つのは止めなさい。 その様な必要はないのだから。

しかし貴方は、今まで通り、貴方が毎日毎年して来た通り、貴方の友達全員が今までしてきた通り朝起きて、{今まで通りではなく}新しい視点から流れの中に存在する事をあえてしなくてはいけません。
これを今までの古いやり方ではなく、新しいやり方でしなければいけません。他の皆がしているやり方ではなく。 
何故なら、いま、いま、いま、今貴方が聞く事を選んでいるから。今貴方が、自分の「ガイド」あるいは「精霊」と繋がって会話する事を選んでいるから。
「精霊」の目的は、貴方に『貴方と云う「神」の聖なる息子/娘としての貴方「自身」』を思い出させる事だから。

「精霊」は貴方の正しい「マインド」でしかありません。
そして貴方の正しい「マインド」は一つの目的しか持っていません。 それは貴方の意識を、正しい「マインド」に取り戻す事です。 そうして貴方が「自分で管理している小さな部分部分」から想像力を働かせて(貴方の正しい「マインド」の総体から分離して)自分を操作しようとしなくなる事です。

貴方の正しい「マインド」(精霊)は、(「生命/人生のミステリー/神秘」故に貴方が持ち集めている)「細かく分離した部分」の境界線を取り払おうとしています。
しかし、貴方はその様な生命の「神秘的で緻密で興味深くエキサイティングに分離した各部分」を美しいと思い、それを分離したまま保とうとしています。

貴方は毎日起きて仕事に出かけながら周りの全てのものを見て「しかし、私はまだ答えを得ていない。」と言えなければいけません。
つまり『私はまだ、この動き、交通、人々、車、その他を「創造の動き」として見てはいない。 私はそれらをまだ「神」が見ている様には見ていない。』と言う事です。
「だから、私は未だ答えを得ていない。 だから、私は今まだ意識を取り戻してはいない。 自分や他者を危険に晒す事無く、この車を操る事が私に出来ていても。 時間に間に合うよう会社に行って仕事をこなす事が出来るにしろ。」うんぬん。

貴方が職場のタイムクロックを押している時、貴方はそれを自分自身だけで行いましたか? それとも「精霊」と共に、もしかしたらある種の優雅さと美を持って(何故なら全ての動きは「生命の動き」で、それは「愛の動き」、「動いているアート」だから)行ったでしょうか。
貴方が階段を降りている時、それは機械的で格式ばった厳格な用心深い様子だったでしょうか?
それともバレリーナの様な優雅さがそこにあったでしょうか?
何故なら、もし貴方が繋がっていたなら(階段を降りる事も)「生命の動き」/「存在の動き」であり、それは「動きのアート」なのだから。
もし貴方がその様な体験をしていないなら、その時貴方は真理に対して無意識だったのです。
貴方は階段の中で、自動車道の真ん中で「天国」に対して無意識だったのです。

だから、常に聞き続けようとする衝動を持ち続けなさい。 ビジネス・ミーティングの最中にも、電話の最中にも。
「自分が誰か解っており、自分の友達が誰か解っている」と仮定して「だから自分はそれらの事に対して意識的に成らなくても良い」と考えるのは止しなさい。
何故なら貴方達二人は、「自分達が聖なる息子や娘である」と云う事に全く気付かずに、素晴らしい友情を築く事も出来るから。 しかし、その場合(神の)栄光に対する意識/気付きがそこには無いのです。
もしそこに神の栄光に対する気付きが無いのなら、貴方は「そこで体験するべきだった事」に対して無意識だったのです。

『しかし私はまだ答えを持っていない。私は十全な体験をまだ持っていない。 私はそれを持ちたい。 だから、私は無意識のままでは満足しない。 私は物事を考え抜くことには満足しない。 だから私はマインドを静めて、好奇心と共に注意を払い、明晰さが与えられる事を求めよう。』
そして貴方の中の「その答えを持っているもの」がそれを与えます。 そして「貴方が既に知っている事」(しかし「生命のミステリー」の大いなる魅力の前で貴方が忘れてしまった事、思案し自分一人で答えを考える喜び故に貴方が忘れてしまった事)を貴方(の「マインド」)に思い出させて、貴方の「存在」の全体の中に貴方を引き入れるのです。

だから今週は、注意して過ごしなさい。
貴方が真理や問題解決に関して友達と話していて(花の様に芳しい)スピリチュアルな概念に囚われ出したなら、「そしてスピリチュアルな発見を促進する素晴らしい方法として貴方が結論付けている」過去の記憶やアイディアの表現に依存し出したなら、それに気付きなさい。
何故なら、貴方はその時意識を失っており(「精霊」や「父」や「ガイド」と)繋がっておらず、貴方は聴いていないのだから。 その時、貴方は「貴方の条件付けと記憶から来ているもの」以外には話させていないのだから。
その時、貴方は「神」(あるいは「精霊」)とのコミュニケーションの新鮮さを自分達の中に取り入れていません。

「神」や「精霊」は『その時「神」が何に「成って」いるか』示しています。 だからそれに気付いたなら(それと繋がったなら)その時貴方の言う事は啓示(インスピレーション)に満ちています。 何故ならその時、貴方は電源/源と繋がっており、「リアリティ/創造」という電流が貴方の中を流れているから。

さて貴方がこのシンプルな事に気付き出し、「これを止めて、あれを始める」だけ、つまり「静かになって思考を止め、聞き始める」これだけをすれば良いのだと気付いたなら、より多くの心配事や問題がある様に見え出すことでしょう。
これは実際により多くの問題があるからではなく、「精霊」に任せる(「精霊」の方を向き、「精霊」を聞こうと意識的に存在し、聴く意志を持って「精霊」に訊ねる)プロセスの中で貴方は自分が想像したよりも遥かに多くの答えを得るポジションに自分を据えたからです。

貴方は、より多くの必要や問題/課題を「精霊」に差し出し、答えを得ようとするでしょう。
そしてすぐに、本当にすぐに、貴方は小さな事柄の(プライベートな)真理を訊ねる事に飽きてしまうでしょう。 そして大きな真理を知りたくなるでしょう。 貴方には不可能に思える事や「答えが存在しないと貴方が思い込んで来たもの」に対する答えが問題になって来ます。
そして貴方はあれこれと訊ねる事を躊躇し出してしまうでしょう。
貴方は(今までは組し易い小さいことに気を取られて、気にして来なかった)より大きな事柄が気になり出すでしょう。
今まで貴方は「不可能な事も可能と考えて訊ね聞く事」はせずに、それらが不可能だと自分に証明して来ました。
しかし今貴方はそれらの事柄(不可能に見えている事)が目の前に表れているのを見て、自分が大きな問題に(危険にさえも)直面している様に感じてしまうかもしれません。

その時貴方が心配し出すのは大変もっともな事に感じられるでしょう。 完全に恐れの中に囚われてしまっても仕方ないと感じるかもしれません。 何故なら、「ここに何か(問題)があって」それに対処する事は不可能だから。
この様な事が起こっている時、貴方は「ミステリー」の醜い部分にいます。 そして「聞く事」から完全に意識を逸らしてしまっています。
そして『「聞く事」から出来るだけ離れたいと感じる事』が正当化出来ると思っています。 何故なら、貴方は自分自身で問題を解決するよう求められている{と感じてる/と見えている}から。

しかし我々は『「貴方には何も解決出来ないと云う事実」が答えを示している』と話してきたのです。
貴方の責任は何かを解決する事ではありません。

以前にも言った通り、貴方が「天国」の門に近づいて行くと、エゴはその周りに「こけおどし」のガーゴイル(怪物)を示して見せて、貴方の気を逸らし、貴方を追い払おうとします。
ガーゴイル(怪物)はリアルではありません。 それらは何か実体あるものを示してはいません。
しかしそれらは、貴方が(「思考を止めて、その代わりに聞く」と云うシンプルなステップを行って)そのまま進んで天国の門を通り橋を渡って行ってしまう事から貴方の意識を逸らそうとします。

(だから)答えを要求(そうここでは言いましょう)して聞くのです。 対話/コミュニケーションに対する揺ぎ無い感受性と、対話に対する確たる期待を持って聞くのです。 {特定の答えを要求する訳ではありません。 訳}

「ポールは自分のガイドと繋がっているから、そんな事も出来るでしょう。 でも私は自分のガイドとは繋がっていないし。 聞いても聞いても私には全くなにも聞えてきません。」と貴方は言うでしょうか。

しかし、いつしか状況が深刻に成り、(聞く以外に)他の手立てが無いと貴方が感じる場面に至れば、貴方は訊ねて耳を澄まし、貴方は聞くでしょう。 何故なら、その時貴方は{自分が訊ね聞く事に対して}許可を与えたから。 
これは、どうしてでしょうか? 
他の手立てが無い時とは、それは貴方が自分の思考する能力への信心を放棄した時の事だからです。 その時貴方は、上手く考えて「ミステリー」の驚異を上手に体験する自分の能力を疑っているからです。

しかし貴方は、自分がその様な窮地に追い込まれるまで待つ必要は全く無いのです。
そのような危機的状況が迫ってくるまで待たずとも、貴方は今決意する事が出来ます。

もし貴方が自分の「ガイド」を聞いていないなら、それはただ単に、貴方が自分の「ガイド」を聞く決意をしていないからです。
貴方が「ガイド」を聞けていないのは、ただ単に「まだ自分の判断や思考を基に人生をやり繰りする能力を自分は有している」と貴方が感じているからです。 
だから貴方はそうし続ける積りなのです。 「どうもご苦労さま。」
こうして貴方は別な機会に自分の「ガイド」を聞く積りでいます。

しかし注意して欲しいのは、別の機会に譲り続けた場合、とても居心地の悪い状況になるまで貴方は「ガイド」を聞かずに済ませてしまう可能性が在る事です。
何故なら、{貴方が精霊を無視し続けた場合}貴方の状況は貴方の強情さ/頑固さに見合うまで酷くなり得るから。

いずれにしろ、いずれかの方法で修正は起こるのです。
どの様な状況に至るにしろ、いずれ貴方という神聖なる「神の娘/息子」が現れ出て来るのです。
この幻想が続く事は不可能なので、救済が起こります。 この幻想はファンタジーなので、「リアリティ」がこれを修正します。

しかし強制される事は楽しい事ではありません。何故なら、そこには常に貴方の強情さとの戦いがあるから。
それは、貴方の強情と(『「神」に対抗して上手く存在する様な自分の意志を貴方は持っていない』と貴方に知らせる)「神の動き」の間の綱引きです。
貴方はこれ(貴方は、「神」に対抗して上手く存在する様な自分の意志は持っていない)を発見するように定められています。

そして私の役目は、貴方が(好奇心を持って)自発的にこれを発見出来る様にする事です。
貴方が今好奇心を持って聞き、全ての状況の中で繋がる事を希望出来る様にする事です。
それを今まで「生命のミステリー」として貴方が一人で解決しようとして来た事に取って代わらせなさい。つまりそれを「貴方にとって興味深いもの」にしなさい。

今週は、先週我々が読み終わった所からそのセクションの終わりまで読むことをお勧めします。
今回私が言った事は、そこに述べられている事ととても一致しているものです。

しかし私が今夜シェアーした(別け合った)ものは、「特定の言葉を特定の順番で繋げたもの」から来ているのではありません。
これは「生命そのもの」の性質から来ているのです。
そしてこれは、貴方達一人一人の体験した事や、これから体験する事、そして貴方達がそれらに(自分が何かしていると考えながら実際には何もしていない - 無意識の - 行動ではなく)正気で対処する方法から来ているのです。
幻想は自主的にハッピーに喜んで放棄される必要があるのです。

貴方達の内のどなたも、コースを絶対読み進めなければならない訳ではないのです。
つまり貴方は、「考える事をただ放棄して繋がり、その様にあり続ける事」を今決める事が出来るのです。もし貴方が今これをしないのであれば、貴方はコースを読み進めるべきです。 しかし、それが絶対必要な訳ではありません。 貴方の救済は時間の中に存在しているプロセスではないのだから。
貴方の救済は、思考から「訊く/聴く事」へシフトする事に掛かっています。 そしてそれが起こる時、それは常に貴方が居る瞬間の中で起こります。 それが起こる時、それは何時でも「今」の中で起こります。 これがシンプルな事です。

I love you. そして次にお会い出来る機会を楽しみにしています。 

「貴方が考えている時、貴方はまだ答えを持っていない」と云う認識を尊重して下さい。 そうすれば、すぐに思考を止め、聞く事と、自身を差し伸べて繋がり霊的交歓を持とうと(同志に成ろうと)する事が出来るから。



「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 


A Course in Miracles Study Group with Raj, May 1st 2010
Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。