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ACIM10-03-20#2

本を読みましょう。 文節の一番初めの文章の真ん中まで戻ります。


. . . the Holy Spirit is part of YOU. Created by God,
[…精霊は「貴方」の一部なので、…….]

He . . . . . . the Holy Spirit . . . . . left neither God nor . . .. . . God’s . . .. . . creation.”
[ 彼(精霊)は、神からも(神の)創造からも離れませんでした。]

“[Repeats] . . .left neither God nor His creation. He. . . the Holy Spirit . . .. . . is both God AND you, as you are God and Him . . .. . . the Holy Spirit . . .. . . together. For God’s answer to the separation added more to you than you tried to take away. “

[神からも神の創造からも離れませんでした。 精霊は神と貴方の両方なのです。 貴方が神と精霊が一緒に成ったものである様に。 それは「分離に対する神の答え」が「貴方が取り去ろうとしたもの」よりも多くを貴方に付け加えたからです。]

{神の子が行った}分離に対する神の答えは精霊でした。
これが(この精霊が)父と子と精霊に成ったのです。
貴方が自分全体の僅かの部分を選んで「これが私だ、これが私だ、この小さな部分が私だ。そしてこの小さな部分に対して私が信じている全てが、物事の在り様だ。」と言っている間、神が貴方の全てを保管しているのです。

だから、

“. . . God’s answer to the separation added more to you than you tried to take away. He protected both your creations and you together, . .”

[「分離に対する神の答え」が「貴方が取り去ろうとしたもの」よりも多くを貴方に付け加えたから]

これをする寸前まで、貴方は「創造の動き」の中で神を認識している「存在/現われ」だったのです。 そして「動き」に対する貴方の認識が貴方の創造、「創造」の中の貴方の役割だったのです。 

“He . . .. . . God . . .. . . protected both your creations and you together, keeping one with you what you would exclude.”

[彼(神)は貴方の創造達(貴方の創造したもの達)と貴方の両方を一緒に保護しました。「貴方が除外しようとしたもの」と貴方を一つに保ったのです。]

「いいえ。 私は神の聖なる子供ではない。 私は人間だ。 私はパワフルな人間だ。」とか「私は人間だ。 そして私はパワフルな人間に成りたい。」(と貴方は言った訳です。)

“He protected both your creations and you together, keeping one with you what you would exclude. And they will take the place of what you took in to replace them.”

[彼(神)は貴方と貴方の創造の両方を一緒に保護しました。「貴方が除外しようとしたもの」と貴方を一つに保ったのです。それら(精霊が保護したもの)は、「貴方がそれらの代わりに据えたもの」に取って代わります。]

「貴方がそれらの代わりに据えたもの」とは、卑小な自己定義です。


“They are quite real, as part of the Self you do not know.”

[それらは(貴方が知っていない部分の「自己」として)とてもリアルなのです。]

「それら」とは、貴方の創造全ての事であり。 その中で貴方は神を(なんの躊躇も無く)認識していたのです(貴方が孤児に成る前までは)。
これがどれだけ重要な事か解りますか? 貴方が知らない「自己」が存在しているのです。
これはリアルに現存しています。これが存在していないと貴方が考え、自分は物質的な生物でしかないと貴方が自分を主張している今現在でも、これ(貴方が知らない「自己」)は存在しています。
「存在の動き」に意識的に参加して(その役割を果たしている)「自己」は、今でも存在しており、どこかに消えてしまった訳ではなく「創造」の全てを意識しています。

「貴方が分離したマインドを体験している」と言う事も可能です。 (貴方が作り上げて信任を与えている)卑小な自己と、(真の貴方である)「自己」(変わる事無く、この瞬間にも実存しており、神から与えられた役割を完全に果たしている「自己」)。

私が何を言おうとしているか解りますか?
私が言おうとしているのは、「貴方は自分が誰かハッキリ解っている気でいます。 しかし、貴方が気付いていない「貴方」が実存しており。 それはリアルで、この瞬間に父と意志的に繋がっており。 そして、その全てはそれ自身を、この卑小な自己定義(貴方がしがみ付いている自己定義)の中に閉じ込めているのです」。

貴方には強大な同伴者達(mighty companions)が居る事は以前にも話しました。
貴方には強大な同伴者/連れがおり、それは今の貴方「自身」なのです。
これは何か「貴方が育って成らなければいけないもの」ではありません。 
これは既に十全に存在しており、完全に発達しているのです。
これは現在十全であり、これが貴方を愛しています。
これは貴方を常に愛し続けており、貴方が自分の正しい「マインド」へ返って来るように招いているのです。
これは「神の現れ(Presence of God)」なので、これは強大な同伴者なのです。 神の聖なる息子よ、娘よ。

孤児的マインドは貴方にとってとても慣れ親しんだものなので、貴方はある程度の自制心と決意を育てなければいけません。 何故なら、瞑想して天国へ入る時間的余裕を人生が貴方に与えているとは必ずしも限らないから。
貴方は「ここ、ここ、ここで、日常のストレスと行動の中で、何が真理か知る事を求める選択」をし始めなければいけません。
貴方は、休暇を取ってとても重要なスピリチュアルな事を探索する事は出来ないかも知れないから。 そしてこれに関しては、文句を言ったり頭に来たりしてもしょうがないのです。

座って瞑想し貴方の平和に入って行く事が出来れば、それは素晴らしい事で、その様に出来る場合も多々あるでしょう。
しかし(目覚める為には)必ずしもその様な機会が与えられ続ける必要はなく、またその様な機会に恵まれていない人も多いでしょう。

人生のドラマの真っ只中で、何が適切な事か「訊き」、奇跡を示す行動をして、奇跡が起こり得るようにする事が、貴方にとってより重要に成って行くのです。
何故でしょう? それは貴方が「聞いた/訊いた」からです。 貴方は生徒で、貴方が学び、貴方が認識した事が貴方を灯したからです。

そして貴方が「した」からです。 貴方が教えたのです。 貴方は「生徒(に成っていた人)が聞き真理によって灯されて喜んだ事」を起こした現れに成ったのです。
それは貴方達が、全ての人達が既に知っている真理を、あれこれの本に既に書いてある(例えば皆が効くと言っているポジティブ・シンキングなどの)真理を規則正しく教える教師であろうと勤めたなら、起こり得なかった事です。
古い事を繰り返すのは、全然学びではありません。  古い事を繰り返す事は、生徒の不在を意味しています。
それは誰かが教師に成ろうとしている事を意味しています。 とても良い教師、とても効果的な教師に成って、あわよくば学校の校長に昇格しようとしている訳です。
そこには学びが無く、(教えようとしている人が)生徒に成っている事の謙虚さから来る真摯な行動が無く、(資格/免状がなくても教えられる能力を起こす、「神のスピリット/霊」と共に教える能力を発生させる)学習がありません。


貴方の創造達は…..

“They are quite real, as part of the Self you do not know. And they communicate to you through the Holy Spirit, and their power and gratitude to you for their creation they offer gladly to your teaching of yourself, who is their home.”

[それらは(貴方が知っていない部分の「自己」として)とてもリアルなのです。そして彼等(貴方の創造達)は精霊を通して貴方とコミュニケートします。そして彼等の力と、彼等を創造した貴方への感謝の念は、「貴方自身(そこが彼等の故郷です)に関する貴方の教え」に喜んで捧げられます。]

これが、(貴方が)「強大な同伴者達」に伴われている事の意味の一部です。
貴方は「貴方が創造したもの達」に伴われているのです。 それら貴方の創造物達は、それらの中に(貴方が以前そう見ていた様に)「神の現れ」に対する貴方の意識を再起動させるつもりでいます。 貴方がそれらの中に「神の現われ」を見たので、それらが貴方の創造物に成り、貴方は「自分が誰か」解る様に成ったのです。

貴方が何かを見ている時(それが花であっても、一握りの泥であっても、割れた爪であっても)、それを無防備な在り方/無垢なマナーで見る事が出来たなら、貴方は照らし出される(光明を得る)体験を呼び込んでいるのです。 
その時貴方は、貴方が見ているものを新しく見る事により、それが唯の物理的な物ではなく、(他に適切な言葉が無いのですが)エネルギーなのだと認識出来る様に成っているのです。
それは「光」のエネルギー/「愛」のエネルギー/聖なるエネルギーなのです。 神の聖なる子供よ。 神の聖なる蘭の花よ。 神の聖なるテーブルよ。

そして貴方がそれを「愛」として体験したなら、それによって愛されるという避け様のない体験(そしてそれに付随した全ての事)を貴方はします。
貴方の周りのすべてが意味を持ち出し、貴方がその意味をより完全に受け入れ、それが大きく広がり、貴方が物質だと思って来たもの全ては(十全なる)「神の現れ(Presence of God)」であり、それが貴方を愛していると発見するのです。

貴方は自分がどれだけ「愛であるもの」により抱擁されているか理解します。 何故なら「愛」とは、そうするものだからです。 それが貴方を愛します。それは全てを愛するのです。

だからこの強大な同伴者、つまり(貴方と何時でも一緒にいる)貴方「自身」が貴方を今愛しているのです。
今この瞬間、貴方の最上の「存在」の統合性が存在しており、それが働いています。
そして幸いな事には、これだけが、貴方が選択出来るもう一つの体験なのです。
もちろん、それ以外の選択肢は「貴方が常に保持し続けてきた孤児的マインド」です。
いずれにしろ、ここには二つの選択の余地しかないので、これはいたってシンプルなのです。

貴方には、自分の意識/注意をシフトさせる選択をする事が出来ます。
貴方にはそれをする能力があります。 これがするべき事の全てなのです。
その時貴方がしているのは「間違った知覚の仕方」から「(貴方の生得権である)クリアな意識的気付き」へと貴方の意識をシフトさせる事だけです (神の聖なる息子よ、娘よ!)。

“You who are host to God are also host to them.”
[神のホストである貴方は、彼等のホストでもあるのです。]

貴方は、貴方の創造物達のホストでもあるのです。

” For nothing real has ever left the mind of its creator. And what is not real was never THERE.”
[何故なら、リアルなものは何も創造者/造物主のマインドの外には出なかったから。 そしてリアルでないものは、そこには初めから存在していなかったから。]

貴方が居るそこに二つの自己が在ると(体感的に)クリアに見えるように成って行きます。
そして、貴方はその内の一つを選択しなければなりません。 貴方は今、その内の一つを選んでいます。

“You are not two selves in conflict.”
[貴方は、闘争/対立している二つの自己ではありません。]

しかしその様に見える事でしょう。
だから貴方は、(貴方の現在のマインドではなく)貴方の中の精霊を選べるように決意し自己鍛錬する必要があります。
そして貴方は常に(何が適切かと貴方が考えた事とは別に)「ここでは何が適切だろうか? 今何が適切だろう?」と聞き続けなければいけません。
貴方は「現在の貴方の物事に対する限定された知覚」を超えて「知っている」「何か」に対して訊ねなければいけません。

これはどう云う意味でしょう?
「貴方は信頼出来る様に成らなければいけない」と言う事です。 貴方が今までの人生で一番信頼した時以上に(精霊/ガイドを)信頼出来る様に成らなければいけません。
何故なら、貴方の孤児的マインドの中で貴方の歪められた知覚は「何も信用出来ない。だから私は出来るだけコントロールしなければならない。」と言っているから。 

しかし、これはただ単に「貴方が取り入れた存在の仕方」であって、「これが真実ではない事」を見える様になる地点まで貴方は到達する必要があります。 今、今、今、今貴方が「神へ導く声/真理へ導く声」を聞く事を選べるように。

これをする事により、貴方は今までの人生の中で起こった事の無い様な一週間を過ごすかも知れません。 そして二週間、一ヶ月、一年、そして永遠に。 貴方は、二度と「自分が何か知っている」と考えたり、「自分だけで行動出来る」と考える事には戻らなくなるのです。

“You are not two selves in conflict.”
[貴方は、闘争/対立している二つの自己ではありません。]

貴方が自分をその様に考えていたとしても。


“What is beyond God? If you who hold Him . . . . . . God . . .. . . and whom He holds ARE the universe, . .”
[神の向こうに何が在るでしょうか? 「彼(神)を抱いている貴方と、神が抱いているもの」が宇宙であるならば、]
宇宙つまり「創造」の全てです。 


“If you who hold Him and whom He holds ARE the universe, all else must be OUTSIDE, where NOTHING is.”

[「神を抱いている貴方と、神が抱いているもの」が宇宙であるならば、その他全ては(なにものも存在していない)「外側」にあるに違いありません。]

次の文は、今夜話した事を聞いていなければ、理解が難しいかもしれません。

“You have taught this, . .”
[貴方はこれを教えました] (貴方は上の文章の事を教えてきました。)

「チョッと待って、ラジさん。 貴方は私が孤児だと言ったではないですか?」
いいえ。貴方は自分が孤児だと考えたのです。 しかし貴方が孤立した存在だと云うこの想像の直ぐ隣に、貴方である「自身」が十全にそれ自体として在り続けています。
貴方はただ、それを無視しているのです。 だから{貴方がまだ気付いていない}貴方がこれを教えたのです。
貴方である「自身」が、これを休む事無く教えているのです。


“. . . and from far off in the universe, yet not beyond yourself, the witnesses to your teaching have gathered to help you learn.”

[そして、宇宙の中の離れた所(しかし貴方自身を超えていない所)に、貴方の教えの証人達が集まって、貴方が学ぶ事を助けます。]

これはどう云う意味でしょうか? 「宇宙の果てまで続く、貴方の全ての創造物が、
貴方が学ぶ事を助ける為に集まっている」とは。

貴方は「存在」の統合性を見たでしょうか? そして『「神が全て」でそれ以外の何も起こっていない、「目覚める」以外の事に到達するのは不可能だ』と理解出来たでしょうか?
それ以外のものは本当に何も起こっていないのです。 貴方はただ単に「(リアリティ/天国以外の)何か他の事が起こっている」と想像しただけなのです。 そして想像とは薄っぺらな実体の無いものです。
だから貴方が目覚める事は難しくありません。 これは「貴方が自分の注意を何処に置くか。そしてどれだけ確実に貴方の注意をそこに置き続けるか。」に掛かっています。


“Their gratitude . . .. . . the gratitude of your creations . . .has joined with yours and God’s to strengthen your faith in what you taught.”

[彼等(貴方の創造したもの)の感謝の念は、貴方と神の感謝の念と一緒に成って「貴方が教えた事」に対する貴方の信心を強めます。]

『貴方である「自身」が教えた事』に対する現在の貴方の限定的な信心をより強い(より広大な)ものにします。

“For what you taught is true.”
[何故なら、貴方が教えた事が真実だから。]

貴方は「リアルな貴方」が存在する事に気付きつつあります。
貴方が今まで気付かずに来た、今現在の貴方の「自己」が「神の現れ」の全てです。
それが強大な同伴者(貴方が体験したどの様な卑小な恐れをも遥かに凌駕しているコンパニオン)です。 この同伴者は(貴方を完全に縛っている様に見えている)これらの薄っぺらな想像を貴方が放棄出来る様にそこに立っています。
何という愛でしょう。 



“Alone, you stand outside your teaching . . .. . . outside the teaching of your Self . . .. . . and APART from it. But WITH them you must learn that you but taught YOURSELF, . .”

[一人で貴方は、貴方の教えの外に外に立って(貴方「自身」の教えの外に立って)それから離れています。 しかし貴方は彼らと共に、貴方が「貴方自身」を教えた事]

しかし、貴方が生徒に成るまで「貴方が貴方自身を教えている事」に貴方は気付く事が出来ません。 「全てに対する貴方の卑小でパーソナルで権威的なコントロール」の外にいる誰かを貴方が呼び入れられる様に成るまで。

“[Raj did not read] . . . and learned from the conviction you shared with them.
[そして「貴方が彼らと共有している確信から学んだ事」を学ばなければ(認識出来る様に成らなければ)いけません。]

This year you will begin to learn, . .”
[今年貴方は学び始め、]

つまり、本当に聞く事の為に必要な謙虚さ(貴方の学びが「これが真理だ」と貴方一人で決めた真理に反しない様に、今まで貴方が聞く事の中に持ち込んでいた偏見を放棄する事です)を貴方は発見します。

“This year you will begin to learn, and make learning commensurate with teaching.”
[今年貴方は学び始め、教える事で学習を開始します。]

この様にして、貴方は学習と教育(学ぶ事と教える事)が実際にどの様に行われるのか理解します。


“[Raj did not read] You have chosen this by your own willingness to teach.  
Though you seemed to suffer for it, the joy of teaching will yet be yours.”

[貴方は自身の教える意欲によりこれを選びました。 貴方はこれ故に苦しんでいる様に見えますが、しかし教える事の喜びは貴方のものになります。]

貴方の生徒が体験するその喜びが、教える事の喜びを貴方にもたらします。
そして貴方が生徒に成り、学びが起こる事を許可する事により、貴方が「存在」の喜びで光り出し、その喜びを通して他の人達を教えます。 その喜びが貴方のものなのです。


そして先週ポールが「自分はこの様な事をしているべきではない」と感じながらも様々な事をした結果、ポールが関わっていた人達に関する「動き」の神聖が照らし出されていました。
それはスピリチュアリティや神聖とは全く関係ないものだったのですが。

貴方のしている事がどれだけ取るに足らなく見えていたとしても、貴方がインスピレーションを受けて自動的に(自分ではコントロールせずに)それと関わったなら、それに関わった全ての人は(貴方には想像出来ない位)より「神」を認識出来る(「神」に気付いていられる)様に成ります。
これが奇跡です。

“Though you seemed to suffer for it, the joy of teaching will yet be yours.
For the joy of teaching is in the LEARNER, who offers it to the teacher in gratitude, and shares it with him.
As you learn, your gratitude to your Self, Who teaches you what He is, will grow and help you honor Him.
And you will learn His power and strength and purity, and love Him as His Father does.”
[貴方はこれ故に苦しんでいる様に見えますが、しかし教える事の喜びは貴方のものになります。 何故なら、教えの喜びが学習者の中にあり、感謝の念を持って学習者がそれを教師に捧げ、教師とそれを分け合うから。 貴方が学ぶに従って、(「彼」がどの様な存在か貴方に教えている)貴方「自身」に対する貴方の感謝が育ち、貴方が「彼」を尊ぶ事を助けます。 そして貴方は「彼」の力と強さと純粋さを学び、(「彼」の「父」が「彼」を愛している様に)「彼」を愛します。]
そして貴方は「彼」を貴方「自身」として愛します。


“ His Kingdom has no limits and no end, and there is nothing in Him that is not perfect and eternal.  All this is YOU, and nothing outside of this IS you.”

[彼の王国には限りがなく、終わりもありません。 そして彼の中には完璧で無いものや永遠でないものは存在していません。 この全てが「貴方」で、この外にあるものは何も貴方ではありません。]

この(貴方が想像し、しがみ付いている)「貴方の外に在るもの」つまり「エゴの枠組み」(あるいは孤児的マインド)を貴方が放棄したなら、貴方はこれ(神の王国/天国)を体験をします。


“To your most holy Self all praise is due for what you are, . “.

[「貴方であるもの(貴方の本当の在り様)」故に、『貴方の一番神聖な「自身」』へ全ての賞賛が与えられるべきです。]  

『貴方の一番神聖なる「自身」』つまり「神の聖なる子供である貴方」です。

ええ。 未だ貴方は、それが貴方だと考えていません。しかし貴方が私の言っている事を聞いて学んだなら、貴方はこの体験をする事が出来ます。 それが貴方のするべき事です。


“To your most holy Self all praise is due for what you are, and for what He is Who created you as you are.
Sooner or later must everyone bridge the gap which he imagines exists between his selves.
Each one builds this bridge, which carries him ACROSS the gap as soon as he is willing to expend some little effort on behalf of bridging it.”

[「貴方であるもの(貴方のリアルな在り様)」故に、そして貴方を貴方として創造した彼であるもの故に、『貴方の一番神聖な「自身」』へ全ての賞賛が与えられるべきです。 遅かれ早かれ全ての人は、彼が彼自身達の間に存在していると想像したギャップ(断絶)の橋渡しをする事になります。 それぞれの人が{貴方達それぞれが}この橋を作ります。 そして彼がその橋を渡す努力を少しでもすれば、彼は直ちに橋を渡ってギャップを乗り越える事が出来ます。]  

解りましたか? これが要点なのです。
これは難しい事ではありません。 これは「何処に自分の注意を与えるか」貴方が決め、そして決意と共に、そこへ自分の注意を与える事なのです。
それだけです。 この様にシンプルなのです。

“Each one builds this bridge, . .”
[それぞれの人がこの橋を作ります。]

それぞれの人が自分の為にこの橋を作ります。 誰か他の人が作ってくれる訳ではありません。
だからマイトレーヤ(救世主)の出現を待つのは止めなさい。 誰か他の人が来て橋を作ってくれる事を待つのは止めなさい。

“Each one builds this bridge, . “
[それぞれの人がこの橋を作ります。]

それぞれの人が、彼/彼女自身の決意を元に、神の子に成りたいと云う(それぞれの)望み故に、この橋を作ります。



“Each one builds this bridge, which carries him ACROSS the gap as soon as he is willing to expend some little effort on behalf of bridging it.”

[それぞれの人がこの橋を作ります。 そして彼がその橋を渡す努力を少しでもすれば、彼は直ちに橋を渡ってギャップを乗り越える事が出来ます。]  


“His little efforts are powerfully supplemented by the strength of Heaven, and by the united will of all who make Heaven what it is, being joined within it.”

[彼の少しの努力は「天国」の力によって、と同時に『「天国」をその様に在らしめている(そして天国の中で繋がっている)全ての者』の一致団結した意思によって、力強く助けられています。]

全ての神の子供達によって助けられています。

“And so the one who would cross over is literally transported there.”
[だから「渡って行こうとしている者」は実際にそこへ運ばれるのです。]

これは確約されています。 しかし貴方はまず橋を作らなければいけません。
この自身と(貴方が自分の頭の中に在ると思っている)この「自身」の間に(決意を持って)橋を作らなければいけません。


“Your bridge is builded stronger than you think, and your foot is planted firmly on it.”

[貴方の橋は、貴方が考えているよりも強く作られています。 そして貴方の足はその上にシッカリと立っています。]

神の聖なる娘よ息子よ! 貴方の足はそこにあるに違いないのです。
何故なら、貴方は(「自分は死滅者に成った」と云うファンタジーを作り上げた)放蕩息子/放蕩娘の「父」なのだから。
「貴方であるもの」「自身」が貴方なのです。 そしてファンタジー(幻想)は貴方ではありません。


“Your bridge is builded stronger than you think, and your foot is planted firmly on it. Have no fear that the attraction of those who stand on the other side and wait for you will not draw you safely across.”

[貴方の橋は、貴方が考えているよりも強く作られています。 そして貴方の足はその上にシッカリと立っています。 橋の向こうに立って待っている者達の励ましが、貴方が安全に橋を渡れるようにします。]

「橋の向こうに立って待っている者達」とは、既に目覚めている者達、そして貴方の創造物達(貴方が創造したもの達)の事です。


“Have no fear that the attraction of those who stand on the other side and wait for you will not draw you safely across. For you WILL come where you would be, . “.

[橋の向こうに立って待っている者達の励ましが、貴方が安全に橋を渡れるようにします。 何故なら、貴方は『貴方が既に居る所』……..に来るのだから。]

そして貴方である「自身」だけが、そこにある「自身」なのだから。
「貴方に、自分は限定された存在だと感じさせてしまっているもの、自分は苦しんでいると感じさせてしまっているもの」を手放す事に貴方が抵抗しているにも関わらず、貴方がこの「自身」を受け入れる事を拒んでいるにも関わらず、貴方はそこにいるのだから。


“For you WILL come where you would be, and where your Self awaits you.”

[何故なら、貴方は『貴方が既に居る所』、『貴方「自身」が貴方を待っている所』に来るのだから。]

余り考え過ぎるのは止めなさい。

貴方の「自身」が貴方を待っている場所とは、貴方の注意が届いている先の事です。
それだけのことです。
貴方「自身」が、貴方が自分の注意/意識を与えている所に居るのです。

問題は「貴方は何処に自分の注意を与えるのか?」です。

よきしらせです。  素晴らしい週をお過ごし下さい。




「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で(読者にどの様な義務も負わせる事も無く)提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだからです。 貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。  


A Course in Miracles Study Group with Raj, March 20th 2010
Northwest Foundation for A Course in Miracles
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

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