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ACIM10-03-27#2

“Be not unwilling now, you are too near, and you will cross the bridge in perfect safety, translated quietly from war to peace. For the illusion of love will NEVER satisfy, but its reality, which awaits you on the other side, will give you everything.”

[今諦めてしまうのは止めなさい。 貴方は既に近くまで来ています。そして貴方は(戦争から平和へと静かに翻訳して)完全な平和の内に橋を渡るでしょう。 何故なら、愛の幻想は決して貴方を満たす事が出来ず、(橋の反対側で貴方を待っている)リアリティが貴方に全てを与えるから。]

「橋の向こう側とは貴方の注意の向こう側(貴方の注意が届いている先)だ」と私が言った事を思い出してください。
だから、我々は内部自己批判をして、貴方自身に関する酷い事をあげつらう必要は無いのです。
我々が話しているのは、現状を正直に見て、『貴方が特別な関係を持っている限り、貴方がその様な関係を育て強化している限り、貴方は「自分が誰か」解らない』とクリアに示す事です。
貴方は(自分が現在もその中にいる)天国に対して自分を無意識にさせています。 そうして貴方は罪と病と死の三位一体に縛られています。

もし貴方がこれを真正面から見たなら、このような事を続ける事は意味をなさないと気付き、橋を渡る決意をする事が賢明だと思い至るでしょう。
そして橋を渡る事は、大きく成る事(より優れた者として育って行く事)とは関係ありません。
これは何かに成るプロセスではありません。
貴方はパーフェクトなポイントの後ろに居るのではなく、そこに向かって進んでいる訳でもない事を覚えておいて下さい。
既に貴方はパーフェクトなポイントに居り、そこから自分自身を理解するべきなのです。

これは距離を伴わない旅です。
これは貴方が自分の注意を「自分の正気を取り戻す為に必要な場所に」向ける事です。
だからこれを読みながら、これが物凄く難しい、時間の長く掛かる困難な事だと考えるのは止めなさい。
(パチンと指を鳴らして)聖なる瞬間、それで全てです。 立ち止まりなさい、貴方の「条件付けられている反応」を放棄しなさい。
静かに成って「父よ、ここの真理は何ですか? 精霊よ、ここの真理は何ですか? 私の「ガイド」よ、ここの真理は何ですか?」と言いなさい。
そして答えを聞きなさい。 真摯に「真理を受け入れる事」以外を求めていない「マインドの現われ」に成りなさい。

我々はシンプルな事に関して話しています。
貴方がまだ橋の向こうへと行けていない理由は、貴方がまだ孤児でいる事を気に入っており、これがどれだけ酷い事か気付いていないからです。 これがどれだけ憎しみに満ちた事か、どれだけ破壊的な事か貴方は気付いていません。
貴方はこの破壊性を、自分にとって挑戦し甲斐のあるチャレンジ(試練)として受け取っています。 「このチャレンジに対して受けて立ち成功する事が出来る」と云う確信を貴方は何処かから得ているのですが、それは真実ではありません。

“Be not unwilling now, you are too near, and you will cross the bridge in perfect safety, translated quietly from war to peace.”

[今諦めてしまうのは止めなさい。 貴方は既に近くまで来ています。そして貴方は(戦争から平和へと静かに翻訳して)完全な平和の内に橋を渡るでしょう。]

『「得る事」から「与える事」へと翻訳させて』とも言えます。

本当に貴方は直ぐ近くまで来ています。


“For the illusion of love will NEVER satisfy, but its reality, which awaits you on the other side, will give you everything.”

[何故なら、愛の幻想は決して貴方を満たす事が出来ず、(橋の反対側で貴方を待っている)リアリティが貴方に全てを与えるから。]

橋の向こう側とは、貴方の注意/意識の届いている先です。
それだけです。 
「これは短い橋なのですか? それとも長い橋? 向こう側までどれだけの距離がありますか?」 などと空間的に考えるのは止めなさい。
貴方の注意の届いている先が、橋の向こう側なのです。

“The special love relationship is an attempt to limit the destructive effects of hate by finding a haven in the storm of guilt.”

[特別な愛の関係とは、罪悪の嵐の中で安全地帯を確保して、憎しみの破壊的効果を減らそうとする試みです。]

ドラマチックな表現です。
しかしこれは(罪と恐れが手を組んでハッキリと存在し、それらが安全と成功の確保を求める動機に成っている様に見えている)孤児としての境遇を説明しているのです。
貴方にとって、これはとても妥当な事に見えるのではないでしょうか? 

しかし実際にはこれは妥当な事では無いのです。
これは、貴方を孤児院から出す事なく、貴方を無意識のままに留めてしまうプロセスなのです。
この考え/境遇が「現状の先を見てみよう」と貴方に示唆する事は無いのです。

“The special love relationship is an attempt to limit the destructive effects of hate by finding a haven in the storm of guilt.”

[特別な愛の関係とは、罪悪の嵐の中で安全地帯を確保して、憎しみの破壊的効果を減らそうとする試みです。]

ソフトで優しく慈しむ場所。 貴方達二人がお互いを励まし合い気を許して、お互いの恐れを刺激しないで居られる場所。
貴方達はゲットする為に一緒にいて、お互いに譲るよう要求します。
「もっと下さい。もっとくれ。」と。
「私は落ち着かない。私は気が立ってしまった。 もっと頂戴。私は怖い、慰めて!」
そうして相方が(貴方が心地よいと定義しているやり方で)気を配ったので、貴方は恐れを少し脇に退けて、もう少し平和を体験します。
こうして貴方は、貴方の愛する人が貴方を慰めたと自分に信じ込ませます。
しかし貴方達二人は、幻想の中に浸っていて、一時的な気休め(お互いを騙し合う事)以外のものは何も行われていません。

“The special love relationship is an attempt to limit the destructive effects of hate by finding a haven in the storm of guilt.”

[特別な愛の関係とは、罪悪の嵐の中で天国(安全地帯)を確保して、憎しみの破壊的効果を減らそうとする試みです。]

そこから出ようと試みる事なく、破壊的な事を減らそうとするのです。

“. . . the storm of guilt. It makes no attempt to rise ABOVE the storm, into the sunlight.”

[それ(特別な愛の関係)は、嵐から抜けて日の光の中に出ようとはしません。]

孤児院から出て、地平線を越えて行こうとはしません。

“On the contrary, it emphasizes guilt OUTSIDE the haven by attempting to build barricades against it, and keep within them.”

[特別な愛の関係は、罪悪に対するバリケード(防御壁)を築く事により、天国(安全地帯)の外に罪悪を強調し、お互いをその関係内に閉じ込めようとします。]

「貴方は私の救済です。 貴方が私に平和をもたらします。 貴方が私に安全を感じさせます。 私は貴方の外には「私のよきもの」を探さず、貴方が私の外に「貴方のよきもの」を探す事も許しません。 我々はお互いへの気遣いの中にそれぞれを拘束して、ある程度の平和を得ます。」

得る事、取る事、ゲットする事。そこには愛がありません。 No Love。

“The special love relationship is not perceived as a value in itself, but as a place of safety from which hatred is split off, and kept apart.”

[特別な愛の関係そのものが「価値あるもの」として認識されるのではなく、それは(憎しみが分離されて保管される)安全な場所として認識されます。]

二人の恋人はある程度の安楽を得られるかもしれません。 しかし罪と病と死の三位一体が起こっているなら、そこには安全/安心はありません。 そして愛の勝利は、空虚な勝利なのです。
そして私は「貴方の持って生まれた権利は、それ以上のものなのだ」と言い続けているのです。
貴方はそれ(特別な愛の関係)以上のものに値するのです。
貴方には持って生まれた権利があり、それは「貴方で在る者/真の貴方」つまり「神の神聖な子供である貴方」が既に永遠(の存在)だからです。
これを、罪/病/死の想像上の脅威無く体験する事が貴方の持って生まれた権利なのです。
罪/病/死などの脅威は、貴方の持って生まれた権利の意識体験には含まれておらず、貴方がそれらのものから手を切るべき時が来ています。

“The special love partner is acceptable only as long as he serves this purpose. Hatred can enter, and indeed is welcome in SOME aspects of the relationship, but it is still held together by the illusion of love.”

[特別な愛のパートナーは、彼がこの目的を果たす限りにおいて受け入れられます。 憎しみがこの中に入る事も可能で、この関係の中の特定の要素には進んで取り入れられます。 それでもこの関係は愛の幻想によって保持されるのです。]


お互いをお互いに縛り付けている幻想、あるいは、一つの幻想がもう一つの幻想を自分の近くに縛り付けている事。 これは狂気です。

これはまだ、貴方の持って生まれた権利ではありません。
これはまだ、貴方の健全な「マインド」の全てではありません。

これは(この様な幻想は)、この瞬間の貴方である(貴方がこれ全体をまだ意識的に体験していないにしろ)「神の聖なる息子/娘」ではありません。

そして、もし誰も貴方に幻想(全く正気を反映していない特別な憎悪関係そして特別な愛の関係)が起こっている所を示さなかったなら、貴方はその「部分的な体験」から「全体への体験」へとシフトして行くことが出来ません。
誰かがこれを貴方に指摘しなければ、貴方は他の(特別な関係以外の)場所を見てみようとせず、既に確立されている範囲内で「何とかしよう」とし続けてしまうだけです。

“Hatred can enter, and indeed is welcome in SOME aspects of the relationship, . “

[憎しみがこの中に入る事も可能で、この関係の中の特定の要素には進んで取り入れられます。]

何故なら、少しの憎しみは関係を活性化させ、それを「イキイキ」させ、貴方達をより親しくさせ、そして仲直りする事は素晴らしいからです。

“Hatred can enter, and indeed is welcome in SOME aspects of the relationship, but it is still held together by the illusion of love. If the illusion goes, the relationship is broken or becomes unsatisfying on the grounds of disillusionment.”

[憎しみがこの中に入る事も可能で、この関係の中の特定の要素には進んで取り入れられます。 それでもこの関係は愛の幻想によって保持されるのです。 もし幻想が無くなれば、関係は壊れるか、あるいは幻滅的な満たされないものに成ります。]

幻滅とは、貴方が懐いていた幻想がその真の姿(それが幻想である事)を見せたと云う事です。

“Love is NOT an illusion. It is a fact. Where disillusionment is possible, there was not love but hate. For hate IS an illusion, and what can change was NEVER love. It is certain that those who select certain ones as partners in any aspect of living, and use them for any purpose which they would not share with others, are trying to LIVE with guilt rather than DIE of it.”

[愛は幻想ではなく事実です。 幻滅が可能な所には、愛ではなく憎しみが在ったのです。 何故なら、憎しみは幻想で「変わる事の可能なもの」は初めから愛では無かったから。 生活の何らかの側面において特定の人をパートナーに選んで、彼等を何らかの目的(他者達とは別け合う積りのない目的)で使用している者は、罪悪故に死ぬのではなく罪悪と共に生きようとしているのです。]

解りますか? 貴方は自分の特別な関係を使って、居心地の悪い罪悪状態の中で(気を紛らわせて)心地よく生きる方法を得ようとしているのです。
甘い誘惑を使って(心地の悪い状況から)気を紛らわせようとしているのです。  しかし甘い誘惑もまた幻想でしかありません。
だから貴方は[罪悪故に死ぬのではなく罪悪と共に生きようとしている] のです

もし貴方が甘い幻想を受け入れて、罪悪体験の中で心地よく過ごす事が出来なければ、その時貴方は罪悪と直面する事になります。
罪悪には情け容赦がありません。 罪悪(感)は「疑わしきは罰せよ」なのです。 罪悪は非情で、意地悪なのです。 罪悪と共に生きる事は死する事です。

しかし貴方が罪悪を真っ向から見つめる気持ちに成れたなら、特別な愛の関係の甘い偽りが無い所で、貴方はその真の姿を見る事が出来、貴方は{賢明な}選択をする事が出来る様に成るのです。
これを行っても、貴方が罪悪により死亡する事はありません。 何故なら、罪悪の真の姿を正直に評価したなら、貴方は{正しい}選択をするからです。 貴方は橋を渡る事を選択するのです。

その時貴方は、{今までの行動/反応を}躊躇して静かになり「父」か「精霊」に「ここの真理は何ですか?」と聞ける様に成っています。
そして「貴方の最良の判断以外の所から来るもの」で自身が満ちる事を許可できるだけ無防備に成っており、コントロールを放棄しています。

“This is the choice they see.”
[これが彼等の見ている選択です。]

“. . . to LIVE with guilt rather than DIE of it.
And love, to them, is only an escape from death. They seek it desperately, but not in the peace in which it would gladly come quietly TO them. “

[罪悪故に死ぬのではなく罪悪と共に生きようとしています。
彼等にとって愛とは死からの逃避でしかありません。 彼等はそれを激しく求めます。 しかし彼等が愛を平和の内に求めたなら、愛は喜んで静かに彼等のもとに来た事でしょう。]

解りますか? これが「ゲットする事」と「許可する事/なすが儘にさせる事」の違いです。 これが「コントロールする事」と「許す事」の違いです。

“And when they find the fear of death is still upon them, the love relationship LOSES the illusion that it is what it is not. For then the barricades against it are broken, fear rushes in and hatred triumphs.”

[そして、死の恐れがいまだ彼等のもとにある事を知ったなら、愛の関係は(フリがばれる事により)その幻想を失います。 その時、恐れに対するバリケードが破れているので、恐れが突入して来て憎しみが勝利します。]

「オオ。 お願いだから私に特別な関係の優しさを下さい。 憎しみの勝利を解除出来る様に!」
この様にして貴方は無駄な努力を続けて来たのです。 それを真正面から見て「これを見る他のやり方がある筈だ!」と言う代わりに。

貴方は口を閉じ(思考を止めて)、自身{貴方の現在の自己感覚}の外にある「何か他のもの」に訊ねられるだけ、十分謙虚に成るべきなのです。
この様にして貴方は自分の「父」からの離縁を取り消すのです。
この様にして貴方は橋を渡り始めるのです。 

貴方は橋を渡って何処に行くのでしょうか?
貴方は「貴方の注意の届いている所」へ行くのです。

“There are no triumphs of love. Only hate is concerned with the "triumph of love" at all. The illusion of love CAN triumph over the illusion of hate, but always at the price of making BOTH illusions.”

[愛の勝利と云う様なものはありません。 「愛の勝利」にこだわるのは憎しみだけです。 愛の幻想が憎しみの幻想に勝利する事は「可能」です。 しかし、それは常に両方の幻想を起こす事によってのみ可能なのです。]

つまり{この様な状態の時}貴方はまだ捕らわれているのです。 まだ罪/病/死の三位一体が{貴方の状況/マインドを}統治しているのです。

“As long as the illusion of hatred lasts, so long will love be an illusion to you.”

[憎しみの幻想が続いている限り、貴方にとって愛は幻想であり続けます。]

だから

“. . . long as the illusion of hatred lasts, . .”

[憎しみの幻想が続いている限り、]

ここで覚えておいて欲しいのは「兄弟姉妹が貴方の感じている憎しみを起こした訳ではない」と云う事です。
(貴方の)外側にある状況が「貴方の感じている憎しみ」を起こした訳でもありません。
貴方の性格上の問題が、憎しみを生んだ訳でもないのです。

とてもシンプルな理由によって、憎しみの幻想が体験されているのです。
その理由とは、貴方が「お父さん、私は貴方から離縁したいです。父よ、私は貴方を無視する事にしました。」と言った事です。
「父よ、私は自分の相続権を拒否します。 私の全ての豊かさだけでなく、『私で在るもの』(真の私)に対する意識も拒否する事にしました。」

これが成立し続けている限り、憎しみが続きます。 憎しみの幻想が保持されます。

“As long as the illusion of hatred lasts, so long will love be an illusion to you. And then the only choice which remains possible is which illusion you prefer. “

[憎しみの幻想が続いている限り、貴方にとって愛は幻想であり続けます。 その場合、貴方に可能な選択は「どちらの幻想をより好むか」だけです。]

つまり貴方は今日少し憎んで、明日少し愛します。 この様に振舞って、その時々で罪と病と死から「安全と安心」を確保出来ると思う方(憎しみか愛のどちらか)に味方するのです。

しかし貴方が孤児の境遇を放棄するまで、実際に安全と安心を得る事は不可能です。
貴方が「もしかしたら、神聖に成る事はそんなに悪くもないかもしれない。 私が既にそうなのならば、それを受け入れても悪くは無いかもしれない。」と言って自分の神性を認め直すまで。

「私は特別な愛の関係の醜さと憎しみを真正面から見つめてみよう。
そして私はこの破壊性を見つめ、どの様な場合でもこれが建設的になる筈は無いと気付き、私の知性は『これ(特別な関係)を今以上求めても築いても育てても埒が明かない』と云うでしょう。 そして私は決意し、そして熱意と共に橋を渡って行きます。」

“There IS no conflict in the choice between truth and illusion.”
[「真理か幻想」の選択には闘争や葛藤はありません。]


これはとても重要なポイントです。
だから、これが酷く難しいプロセスに成ると考えるのは止めなさい。

“There IS no conflict in the choice between truth and illusion. Seen in THESE terms, no one would hesitate. But conflict enters the instant the choice seems to be one between ILLUSIONS, for this choice does not matter.”

[「真理か幻想」の選択には闘争/葛藤はありません。 この様に見れば誰も躊躇する人は居なくなります。 しかし異なる幻想の間を選択している限り、闘争/葛藤が進入します。 何故なら、これはどうでもよい選択だから。]

何故これは「どうでもよい選択」なのでしょうか? 何故なら、この選択は、どちらを選んでも「違いはもたらさないもの」だから。
一つの幻想を差し置いてもう一つの幻想を選んでも、そこにあるのは幻想だけです。
そこでは何も起こっておらず、何も癒しは起こっていません。
そこでは正気の回復が起こっていません。

“Where one choice is as dangerous as the other, the decision MUST be one of despair.

[ある選択がもう一つの選択と同等に危険な時、その決定/結果は失望に違いありません。]

もう一度読みましょう。

“Where one choice is as dangerous as the other, the decision MUST be one of despair.

[ある選択がもう一つの選択と同等に危険である所では、貴方がどの様な決定をしたにしろ、それは貴方を失望へ導くに違いありません。]

この様な失望に関しては既にご存知でしょう。 何故なら貴方は既に、同等に危険な(幻想である)もの達の中から選択をしているのだから。
そして「神」の「息子」よ「娘」よ、貴方は(それらよりも)「より素晴らしいもの」への準備が出来ています。

今週は、自分がどの様に行動しているか気を付けて過ごして下さい。
貴方が自分の兄弟をあれこれの為のダシに使っていないか。
もしかしたら貴方は「あの人の事をとても愛しており、あの人にとって大切な人に成りたいと思っており、あの人を使って、よりハッピーに感じたり、気分良くなったりしたい」だけなのかも知れません。
貴方が他者をどの様に引っ掛けるか気付いていなさい。  誰かに罪悪感を擦り付けたり、誰かを褒めそやして、その代わりに自分が何かを得ようとしている場合、それに気付ける様に成りなさい。

そしてメシア(救世主)を探し求めて、彼/彼女に自分の忠誠心を与え、その後について行こうとするのも止めなさい。
誰かを(偽者の)救世主に仕立て上げ、彼/彼女を惑わせて、彼/彼女自身の神聖から彼等を遠ざけ、それによって何かを得ようとするのは止めなさい。 例えば、その人と仲間に成って自分を重要に見せたり、その人に何かしてもらおうとしたり、貴方の問題を取り除いてもらったり。
貴方自身で橋を渡る事無く、それらの事をして事態を改善させようとするのは無駄な事ですから止めなさい。

貴方の兄弟を貶める方法は無数に在るでしょう。
憎しみを表現する方法も無数にあるでしょう。 「愛」の表現さえもその一つで在り得るでしょう。 しかしそれは本当の愛では無く、特別な愛です。
橋を渡って行くことが要点なのです。 これを覚えておいて下さい。

I love you all.




「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で(読者にどの様な義務も負わせる事も無く)提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだからです。 貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。  Rajの指示により、これらの資料が売買される事はありません。 



A Course in Miracles Study Group with Raj, March 27th 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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