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ACIM10-04-03#1

April 3, 2010 ©NWFFACIM
2010年4月03日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29283&mid=141847#M141847
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29247&mid=141775#M141775


ページ位置の確認。
A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 16 – Section – ILLUSION AND REALITY OF LOVE
1 Sparkly Book – p.387, 2nd Full Par. /
JCIM – p.162, Next to Last Par. /
CIMS – p. 325, Par.35
First Edition – p. 315, 1st Full Par. /
Second Edition – p. 338, Par. 6



今晩は、ようこそ。  


今現在ポールの居る所ではまだ土曜ですが、聞いている人によっては既に日曜なので、今日の話は「イースター(復活祭)・メッセージ」とも言えますね。
もっとも我々の話はいつだってイースター・メッセージですが。

我々は常に、墓から脱出する事(孤児的状況から出ること)について話してきました。
真の貴方(貴方であるもの/貴方である事)に対する圧倒的無知の状況から抜け出る事に関して、貴方をメクラにしている無知から開放される事に関して、我々は話してきました。

「今までは死んでいた貴方が、無知から抜け出て生き返る事」と言っても良いでしょう。

しかしより適切な表現としては「前まで貴方は真理に対して無知だったのですが、今貴方は真理に気付いている」です。

この様にして死から生(無知から光明)への橋を渡る事が我々の主題なのです。

そして我々は特別な嫌悪関係に関して話して来ました。
これはイースターとも関係があります。

貴方が父から離縁して独立した存在に成ろうと決めた時、独自に現象を起こし、その源に成ろうとした時、貴方は自分の「源」の体験を失い(その結果「貴方そのもの」の体験を失った)だけでなく、直ちに恐れと罪に気付いたのです。

その時シフトが起こったのです。
その時貴方は「マインド-認識」から「身体-認識」へと移ったのです。

これが起こる前(貴方が父を離縁する前)貴方は、全ての「創造と存在と生命」の体験が起こっている無限の「マインド」として自分自身を体験していました。

貴方はどの様な形(form)の中にも自分を見つける事は無かったのです。
と同時に「創造」の全ての形は、貴方から離れようがなく、それらは貴方の「存在」の無限の一部だったのです。
貴方はどの様な形にも囚われていなく、「貴方」の無限性(果てしの無さ)は全体性/完全性の意味{全体である事}から離れ様が無かったのです。

しかし貴方が父を離縁し(自分の独立)に固執した時、貴方は無限の視点を失い、貴方は「貴方が体と呼んでいるもの」を自身と同一視するように成ったのです。

その時突然、貴方の周りの全てのものは体(物体)として認識されるように成りました。 木の体、猫の体、兄弟の体、姉妹の体、惑星の体。

貴方は全てを体(物体)として見るように成りました。

そして体としての貴方の体験を恐れと罪から分離する事は出来ないので、罪と恐れが(貴方以外の)その他全ての形(物体)と結び付けられました。

だから貴方はその時直ぐに自己防御的に成ったのです。


『この(自己防衛と呼ばれている)防御する必要こそが体である事』に関しては今まで余り話して来ませんでした。


貴方達がして来た全ての事、考えた全ての結論、全ての論理、相互開発した全ての合意は、形のはかなさ/頼り無さから来る恐れによって色付けされています。
そして貴方の恐れは、全てに対して浸透しています。
それ故に貴方は自分の体を、自己防御と自己保身の二つの目的で使用して来ました。

そして貴方は自分の体を他の人々の体に対抗して使っています。
そして貴方の体が貴方の救済になり、と同時にそれが貴方の破滅の原因に成りました。

例えば、もし貴方が自分の身体を上手く使って自身を護ったなら、それが貴方の救済/安全になります。
しかし、もし他者達が彼等の身体を使い貴方を傷付けたなら、貴方の身体が貴方の破滅の原因に成ります。

この認識が重要なのは、貴方が橋を渡って故郷へ帰る為には、身体認識(体との自己同一)からマインド認識(マインドとの自己同一)にシフトする必要があるからです。

これは貴方の体をガードしたり自己防御する事を放棄して、聖なる瞬間の中に入って行く事を意味しています。  これは完全に精神的な環境の内で行われる完全に精神的な行為なのです。

貴方が「二つのステップ」を行って聖なる瞬間の中に入った時(例えそれが一瞬であっても)その時貴方は「マインド」であって、貴方は自分を「マインド」として認識しています。

ここで神の法が全てを統治しています。
ここで変容が起こっています。
ここで癒しが起こっています。

先週我々が話していた時、特別な関係がどれだけ酷いもので、そして目覚めていない人達全員がそれを使っている事に関して話していた時、私が言っている事は思考だけに当て嵌ると貴方は考えたかもしれません。 これは貴方がマインド内で知覚した事、あるいは貴方が誤認識している事だけに関して言っているのだ、と貴方は思ったかもしれません。
しかし(貴方がしている事は)全てマインドの行動(精神的行動)なのです。

貴方が気付くべきなのは、貴方がとても頑なに身体をアイデンティティ(自分を示すもの)として使って、他者に反応したり他者の行動を要求したりしている事です。 これは致命的で破壊的な事です。
これは貴方が聖なる瞬間に入る事(貴方の「マインド」内に入って行く事)を完全に邪魔する破壊的な事です。

「聖なる瞬間」の中で、貴方の「存在」の統合性と完全性が精神的体験として貴方に示されます。
この体験は全てを抱擁しているので、貴方を完全にリラックスさせ、貴方に身体的防御を手放させます。

そして身体を防御していない所、その必要が感じられていない所で、身体の癒しが起こり得るのです、そして兄弟姉妹に対する貴方の振る舞いが変わり得るのです。その様にして社会的変革も起こって行くのです。


私は誕生した様に見えていました。 私の現われが身体(生物的物体)の出現として知覚される事がとても重要だったのです。
私の現われが旧約聖書のダビデの家系と繋がる事が必要だったのです。
私が出現すると云う預言が、自分達を「身体でしかないもの」と考えていた人達により実証される様に。

(バプティズマの)ヨハネが私に洗礼を施した時、私が私自身と私の源に目覚めた、と云われています。 {ラジは過去に自分でその様に言っています。訳}

しかし、それらの事が私の「マインド」から離れた事は決してありませんでした。
そして目的の成就の為、私は常に「父」からの指示を得ていました。
だから私は人生の中のどの時点でも、自分の事を体とは考えていませんでした。

私はどの時点でも『「マインド」(によって満たされているもの)としての私』に対して無意識ではありませんでした。 これは重要なポイントです。
何故なら、今日の私とキリスト教に関する歴史や教えは「私が体だった」と云うアイディアを提示しています。 「神」が人に成り、「神」がモータル(必滅者)に成り、神が(貴方の様に)物理的/生物的な存在に成ったと考えられています。

このアイディアを放棄するべき時です。
これが真実ではないと知るべき時です。
そして私は貴方に話しかけ、コースを読む事を通して「(私と同様に)貴方は決して物理的生物ではない」と知らせ続けているのです。
自分は物理的/生物的な体だと信じている今も、貴方は常に「マインド」の完全な表現であり続けて来ました。
私と全く同様に「父のマインド」/「父の意志」の完全な表現、「神」を体現しているものなのです。 
そして貴方は「マインド/意識」であり、体ではないのです。

初めの内は人々の注意を引く為に、神聖な者があたかも人間に成った様に見える事が必要だったのです。
しかしそれは神聖であったので、それは人間的状況の酷さを全く表現しませんでした。 だからインスピレーション(人々に霊感をもたらす事)が可能だったのです。
そして二千年後の今、貴方達はまだ自分達が体だと信じており、私も体だったと信じており、私が体であった事(「神」が人に成った事)が重要だと考えています。 

しかしそれは違います。 (この様な考えからは)シフトするべき時です。
「神が人に成った」と信じるのではなく、人が自身の神聖に気付きそれを受け入れるべきなのです。

何故なら、貴方はこの気付きを通してのみ、身体認識(身体を自己と認識する事)を放棄し「貴方の救済が身体的な救済なのだ、貴方の身体的救済が他者の身体の犠牲の上に可能なのだ」という信念を放棄出来る様に成るからです。 この様な信念を通り越せるように成る必要があります。
これを通り抜けられる様に成る事が、特別な憎悪関係を放棄する事に繋がります。

身体が物質(もの)として(そして貴方自身を示すものとして)誤って使用されている唯一の理由は、貴方が自分の(そこにある)神性を否定する事にこだわっているからです。
これが特別な憎悪関係の一部分です。

最初に「神」が人の前に現れた、と言われています。 しかしそれは本当の最初ではありません。
貴方達は全員、「神のように(God-like)に成るべき時が来ている」と云うアイディアを受け入れられるだけ成熟しています。
人が引き上げられるべき時が来ています。 生物的なリアリティから引き上げられるのではなく、「貴方は生物だ」と云う信念から引き上げられるべき時が来ています。

貴方の日常の中で、聖なる瞬間を貴方が持つ事を最も妨害しているのは何でしょうか?
それは自分の体の面倒を見る事です。
痛みを軽減したり、体をスッキリさせたり、健康に気をつけたり、(獣や人間などの)略奪者から体を護ったり。
その様な時、貴方はそこで必要とされている事が「二つのステップ」なのだと気付かず、自身の身体を守ろうとしてしまいます。

しかし本当に必要なのは、{身体として反応する事を}躊躇して「ここの真理は何だろう?」と訊ね聴いて、(貴方を聖なる瞬間へと導く)真理の流入の為のスペースを空ける事です。 この聖なる瞬間の中で神の法が成り立っており、体を何かの為に使ったり/体を何かに対して使ったりする事なく、明瞭化が癒しが解決が起こるのです。
これがとても大切な事、とても大切なイースターのメッセージです。

ある人達のマインドの中では、私は反逆者でした。
ある人達のマインドの中では、私は政治システムを脅かすものでした。
ある人達のマインドの中では、私は宗教を脅かすものでした。
ある人達のマインドの中では、私は救世主でした。

人間的状況の激流から人々を救う救世主。 我々が今話している事をせずに済ませられる様、人々をマジックで救う救世主。
今の貴方自身を見つめて、そこに現れてくる新しい視点/新しい自己認識に重心を移して変化する事。 新しい認識/視点によって自身が変化して行く事を許可する事。 (人々は、これをしないで済ませようとしてしまいました。)

そして結局どうなったでしょうか? 
そこで自己防衛が起こったのです。
そうして体達が他の体達と争いました。
私の為に他の体(私に危害を加えようとした体)と争った体もいました。
私を恐れた者達は、私の体に対して行動し、それに危害を加え、既存秩序への混乱を取り除こうとしました。

この様にして、特別な憎悪関係の連鎖が各個人の中で起こって行きました。
その様な自己認識の中では、罪と恐れが必然であり(貴方が孤児としての自分を主張している限り)それが永遠に続いて行きます。

脅威に対する唯一の解決方法は、ストレスを発生させている者の体に衝撃を与えて、彼の行動がこれ以上ストレスを生まない様(行動を変える様)にするか、殺してしまう事だと云う信念が繁栄していました。

つまり(比喩的に言って)先週貴方は何人の人を迫害したでしょうか?
貴方は何人の人を体として見て、体として対応して彼等がより良い振る舞いをする様に強要したでしょうか。
あるいは、肩や顔を殴ったり、取っ組み合ったり、喧嘩したりして、彼等をコントロールしようとしたでしょうか?
貴方達の内何人が、自分達の兄弟姉妹を(「マインドの現れ」つまり「神のマインド」/「精霊」ではなく)体として扱ったでしょうか?

貴方がそうしたのであれば、貴方は自分自身を「神の聖なる子供」としては見ていなかった事が解ります。 貴方が自分を「神の聖なる子供」としては見なかったので、貴方の振る舞いも変化しなかった事が解ります。

だから変化への呼び声(変化を要請している声)がまだ聞えているのです。
イースター(復活)への呼び声(要請)が、今日貴方の生活の中で今だ絶えず起こっているのです。

聖なる瞬間を選択するとは、この声(要請)に答える事です。
貴方の周りには、自分の事を体だと考え、貴方の事を体だと考え、貴方をコントロールしなければならないと考えている人達も居るでしょう。
あるいは、貴方が救世主の体で、彼等は貴方によって救われる必要があると考えているかもしれません。 彼等は貴方が救世主だと貴方に納得させようとしているかも知れません(貴方はその様なところには居ないのに)。

そして貴方は、その過程で死ぬ事無く(他の人達の)その様な行動や信念と関わる方法を見つける必要があります。
貴方自身を体として認識する事を受け入れる事なく、体として防御的に反応する事なく、「二つのステップ」を行う必要があります。
これが何故重要か解ったでしょうか?

(もう何回も言ってきた様に)貴方は日常生活を続けながら「この意味は何だう? あの意味は何だろう? ここで知るべき事はなんだろう? 私がここで取るべき行動は何だろう?」と訊き続ける必要があるのです。
「私の体としての条件付けが全く別の事を言っているのに、何故貴方(精霊/ガイド)が示唆している行動が適切なのだろう? 」
貴方が常にこう訊き続ける事が、「ここの真理は何だろう」と訊ね続ける貴方の好奇心が、貴方の身体認識の性癖/性向から貴方を取り外すからです。
身体認識の性癖/性向とは、コントロールする目的で貴方の身体から他者の身体へ向けられている注意の事です。
これらの要素はお互いを影響し合いながら、起こり続けます。


さて、私は(イエスとして現れていた頃)『自身が「マインド」である事を認識し続けていた』と言いました。
『私の「存在」に対する意識体験は、「父」の「存在」に対する意識体験と全く異なっていない』と私は常に気付いていました。
そして(無限の「マインド」としての)父の「存在」に対する意識体験が、全「創造」を起こしているのです。

「はりつけ」や「復活」に関する多くの映画とは異なって、私は苦しみませんでした。 何故なら、私は一時も「自分が体の中に居る」と云う信念を持ってはいなかったからです。  皆がイエスと呼んでいた体が、十字架の材木や石や遠くの木や空や雲やその他諸々のものよりも特別だと云う信念を私は持っていませんでした。

私として認識されていたその体は、私の「存在」の全体を示すより特別なもの、生命の他の表出より特別なものではなかったのです。 
だから、私はそれ(自分の体)には縛られていませんでした。
だから(私が以前にも言った様に)磔刑に見える事が行われていた時、私はただ私自身を(体から)取り除いて、近くの丘から眺めていました。

これは幽体離脱と呼ぶべき現象でしょうか? 自分が体だと考えている人が、自身を体から一時的に動かしたなら、そう言えるでしょう。
しかし、私はただ単に自分の注意を(体と同じぐらい重要な)他の場所にシフトさせたのです。 そして人類のマインドにとって重要な出来事が起こって行く事、開いて行く事を許しました。

それが終わり、十字架に掛けられたと皆が信じていた体が墓に入れられた時も、私はそこには入りませんでした。
私はリラックスし続け、余り考えませんでした。 何故なら、そこには余り考えるべき事は無かったから。
そこには「霊の動き」が有るだけでした。 そこには「神性の動き」だけが起こっており、全世界の人間の意識に対して働きかけていました。 (それは一部の地方だけに起こった事ではありませんでした。)
何故ならこの事は、孤児意識の取り壊し/孤児院が存在するという信念の崩壊/人が持っている「自分は自分が考えている通りの存在でしかない」と云う信念の崩壊を意味しているからです。
だから、私は辛抱強く待っていました。

(現状態の)貴方がこの様な状況に面していたなら、色々な事を考え、色々計画した事でしょう。
墓から出たとき貴方は何と言うべきか? 準備して、スピーチを用意して、誰かに誤解を与えないようにして。 と、こんな具合にしませんか?
忙しい、忙しい、考えて、考えて、その時余り平和はなく、そよ風を感じる余裕も無い事でしょう。 人類の意識に優しく意味深い効果をもたらす「創造の動き」のそよ風です。

(途切れる事無く)「マインド」としての「存在」に成っている私の意識体験の中で、私は三日後まで待っていました、そして私は自分の注意を適切な場所にシフトして、墓から出てきました。
これが「復活」と呼ばれている出来事です。
これが「生命に帰る」と呼ばれている事です。

これは『「体達が他の体達に対して行動/反応している事」により影響され撹乱されている様に見えてた真理』を再度正しく確立し直した事なのです
しかしこれはより正確には、真理が人間意識を取り込む「プロセス」の(途切れない)「動き」だったのです。

それだけです。 {でもそれは磔刑と復活の様に}見えていました。
しかしその様に見えていた事が実際に起こっていた訳ではありません。
そこでは、消し去ることが不可能なインパクトを持って、愛が表現され体現されていました。 否定する事の不可能な、癒しの恵みが起こっていました。

さて私は何故この様な話をしているのでしょう?
貴方が「自分は体である」と信じている世界に存在している時でも、貴方の周りの人達が「彼等自身が体である」と信じてしまっている世界に貴方が居る時でも、そして彼らが貴方に対処する唯一最上の手段が貴方の体を操作する事だと信じている世界に貴方がいる時でも、貴方がその様な環境に左右されず、それによって衰弱したり破壊されたりしないでいる方法があると知る必要があるからです。

その方法とは孤児院を放棄する事です。 それだけです。
孤児院を放棄するとは、(恐れと罪と自己嫌悪が絶えず起こっている)独立的マインドを放棄する事です。 その様にして貴方は{体/形に縛られている世界から}抜け出るのです。

より優れた体に成って、他者の体を操作する事によって孤児院から脱出する事は出来ません。
より愛情深い体に成って、周りの体達に良い影響を与える事によって孤児院から脱出する事は出来ません。
貴方は愛や憎悪の幻想内で機能するわけでも無いのです。

貴方が貴方の「父」を離縁したステップ(行動)が、孤児院を成立させている(様に見せている)唯一のものです。
私は私の「父」を離縁しませんでした。だから私は磔になって苦しみはしませんでした。
私が体験したのは復活ではなく、人類のマインド定義が死に(ある程度の)真理が復活した事だったのです。
何故でしょう? それは私が離縁しなかったからです。 だから私の為に神の法が成り立っていたのです。

貴方達一人一人が「自分達の知っている事はかなりの確立で間違っている、あるいはとても歪められている」と仮定出来る様に成れば、貴方達は聖なる瞬間に入り、より頻繁に「何が真理か」訊ける様に成ります。  現在の自分達のマインド定義の外へ伸び出て、貴方の体(それが自分「自身」だと貴方はまだ考えています)の向こう側にあるものと繋がる事が出来ます。
そうすれば、孤児院は崩れ出します、その壁は崩れ出し、貴方は境界線を越えて見る事が出来る様に成ります。
貴方の復活が起こるのです。
貴方は橋を渡り切る事を決意し、これが復活に相当します。

アセンション(昇天)は、(人間の生命が引き上げられ、体の存在が終焉した)他の次元への動きだったのでしょうか?
その様な事が起こるのでしょうか? いいえ、全く違います。

確かにアセンション中、私の体(皆が私の体と認めていたもの)が空へ昇って行きました。
しかしこれは、私が人ごみから抜け出て山に移動した時や、海の片側から反対側に瞬間移動した時と同じ行動だったのです。
これは単に注意/意識のシフト(移動)です。
橋を渡る事は、貴方が注意をシフトさせる事なのです。
これがアセンションに相当するものです。

これが起こった後も貴方は、今自分を示しているもの全てを持ち続けます。
しかし、貴方はその中に(縛られて)いる様には感じなくなるのです。
そして貴方が「創造」の一部分を、排他的に自分として認識する事も無くなります。
それだけでなく、貴方は貴方の注意の焦点でさえも無いのです。 何故なら「創造」の全ての側面は「神の現れ」の体験を完全に/ 豊かに、そして「神で在るもの」の栄光の内に示すものだから。

私は上記の言葉をわざと使っています。 これが神性とスピリットと真理と愛の(貴方が今まで体験したどの事よりも)豊潤な体験だと理解出来る様に。
橋の向う側とは、貴方の注意の届いている先の事です。
ある人が今日少し前に言った様に「貴方が注意を与えている所に、貴方の信心も行きます。」

貴方が橋を渡ろうとしている時(体として反応したいと云う)体からの要求に邪魔されない様にしなさい。 何故なら、貴方の注意が行く所に貴方の信心も行くのだから。
そして貴方の信心が行く所で、貴方の信念が体現されます。

だから、もし貴方が「神の聖なる子供」ではない人と関わったり、対決したり、その様な人から要求を突きつけられたり、その様な人から自分を護る必要を体験したいと思ったなら、その様な定義に貴方の注意を与えなさい。 そうすれば貴方の信心もそれについて行くでしょう。 そして貴方は「神の神聖なる子」を完全に取り逃がし、その人の「リアリティ」を完全に見失ってしまうでしょう。

貴方の繋がりの欠如は、コミュニケーションの完全な欠乏をもたらします。
そして「救済/安全」と「その正反対のもの」が争っていると云う幻想が貴方を捉えてしまっている様に見える事でしょう。
それらは何もリアルではありません。

そして貴方は自分一人では何に信心を与えたら良いか知りません。
だから「何かに自動的/習慣的に自分の注意を与えてしまっていないか」気をつけていなさい。

貴方の「救済」は貴方が「二つのステップ」を実践する事にかかっています。
(習慣から精神的あるいは身体的に反応してしまわないよう)躊躇して、一歩下がって「ここの真実は何ですか?」と訊ねるのです。
これが貴方の救済です。 これをしたなら貴方が直面している事は「体が他の体に対して何か要求している事」ではなくなります。
(その時)貴方の直面している事は、貴方が聞こうとしている答えに成ります。
それは他者が貴方に突きつけている要求ではなく、貴方が訊ねていた質問に対する答えに成ります。 

これが要点です。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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