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ACIM10-04-10

April 10, 2010 ©NWFFACIM
2010年4月10日


原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29300&mid=141897#M141897
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29284&mid=141848#M141848


ページ位置の確認。
A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 16 – Section – ILLUSION AND REALITY OF LOVE
1 Sparkly Book – p.387, 6th Line from Bottom /
JCIM – p.162, Last Line /
CIMS – p. 326, Par.36, 5th Line
First Edition – p. 315, 2nd Full Par., 6th Line /
Second Edition – p. 338, Par. 7, Line 4

2Psalm 46:10



今晩は、ようこそ。  

さて今週皆さんは「どれだけ自分達自身の体を使って救済を得ようとしているか」発見したのではないでしょうか?
貴方は体を聖なる瞬間への障害として使っては居ないでしょうか?
貴方はどれだけ自分や他者の体に注意を奪われていたでしょうか?
貴方が状況や他者から挑戦を受けていた場合、貴方の信用に対して疑問が提示されていた場合、貴方は興奮していなかったでしょうか? 感情的に成って、身体的反応を起こしては居なかったでしょうか?

その様な時、貴方は体を使って自分のストレスを誇示しています。
その様な時、貴方は自分の身体(反応)を使って相手を説得しようとします。 あるいは個人的な力(貴方が自分で持っていると想像している「束の間の能力」)を使って状況を変えようとします。
貴方がそれをしている間、貴方は(自分の反応を)躊躇する事が出来ていません。 何故なら、躊躇する為には貴方は自分の(力やストレスの)誇示を止めなければならないから。 (誰かや何かの態度や状態を変えさせる為に)「貴方がしている行為」を止めなくてはならないから。
その様な事をし続けている限り、貴方は全く繋がっておらず、自治的/独立的/分離的に振舞っています。
貴方の願いが目覚める事なら、その様な振舞いとは完全に反対の事をするべきです。 

(今週)「時間は自分の味方ではない」と発見した人はどれ位いるでしょう。
(例えば)貴方は締め切りを持っていて、それに間に合わせようと動き回って、自分の体を使って仕事を完了させようとしたでしょうか?
(奮闘する事無く、貴方の体にストレスを与える事無く)貴方の平和の中で「するべき事」が出来ると思い至る事無く過ごしてしまったでしょうか? 
(貴方を疲れ/浪費させる事なく、貴方の参加/協力を得て)目的の成就が起こる機会を見逃してしまったのではないでしょうか?
『「特定の締め切りまでに結論を強要する」方法として貴方の体を使う事』をせずに済んだでしょうか?

「自分は体とそれを使う事に中毒している」と思い至った人はどれだけ居るでしょう?
そうしている(自分の体を使っている)程度に応じて、貴方は癒しを、聖なる理解を、貴方の神性の(貴方が物質では無いと云う)体験を遅らせています。 (確かに)「創造」の見える様子/触れる様子が(体として)現れているのですが、「それにも関わらず、貴方は体では無い」と云う事実の理解を貴方は遅らせてしまいます。

貴方は「見える様子」や「触れる様子」(現象- visibility and tangibility)でありません。 貴方は「マインド」そのものであり、その「マインド」内で、見える様子や触れる様子(現象)の体験が起こっているのです。

さてここで、前の文節の最後の文章に戻って読み始めましょう。 (一番初めの言葉「Yet/しかし」は省略します。)

“. . . peace will never come from the illusion of love, but ONLY from its reality.1”

[平和はリアリティだけから来るもので、決して愛の幻想から来るものではありません。]

愛の幻想とは何でしょう? それは「特別な関係」です。 より正確には「特別な憎悪関係」です。
だから、

“. . . peace will never come from the illusion of love, but ONLY from its reality.”

[平和はリアリティだけから来るもので、決して愛の幻想から来るものではありません。]

平和は愛のリアリティだけから来るのです。

“Recognize this, for it is true, and truth MUST be recognized if it is to be distinguished from illusion: The special love relationship is an attempt to bring love into fear, and make it REAL in fear . ”

[これを認識しなさい。 何故なら、これが真実で、真実が認識されなければ、真理を幻想から分離する事は出来ないから。 特別な愛の関係は、愛を恐れの中に引き入れて、恐れの中で愛をリアルにしようと云う試みなのです。]

(特別な愛の関係は)「恐れが在る所」で愛をリアルにしようとするのです。 
何故でしょう? 貴方が恐れを変えられる様にです。 貴方が恐れを和らげられる様にです。貴方が恐れを軽減出来る様にです。 貴方が(恐れを完全に無くすのではなく)「愛の素晴らしいフィーリング」を得て恐れに対して無感覚に成れる様にです。

“In fundamental violation of love’s condition, the special love relationship would accomplish the impossible.”

[特別な愛の関係は、愛の本質に反して、不可能な事を成し遂げようとします。]

もちろん、それは不可能です。

“How but in illusion COULD this be done? It is essential that we look very closely at exactly what it is you think you can do to solve the dilemma which seems very real to you, but which does not exist.”

[この様な事が、幻想以外の所で行えるでしょうか? 「(貴方にリアルに見えている、しかし実存していない)ジレンマ/問題を解決する為に(自分に)出来ると貴方が考えている事」が何か、良く見てみる必要があります。]

“[repeats] It is essential that we look very closely at exactly what it is you think you can do to solve the dilemma . . . .”

[ジレンマ(問題)を解決する為に自分で出来ると貴方が考えている事」が何か、良く見てみる必要があります。]

何か問題が起こっている最中に誰かが貴方に「貴方に何が出来ると思いますか?」と訊ねたなら、 「貴方に出来る事」を最低限五つぐらいは挙げる事が出来るでしょう。

「貴方に何が出来ますか?」と云う質問には注意が必要です。
「貴方は、自分に何が出来ると考えていますか?」 これがここでの質問です。

貴方が自分に出来ると考えているのは「何かをする事」です。
問題は「貴方が何かをした事」では無く、「貴方が問題を解決した事」でも無いのです。
「問題を解決する為に貴方は何かをする事が出来る」という基本的な信念/アイディアを消滅させる事が必要なのです。
これに関して暫く「考えて」見なさい。

“It is essential that we look very closely at exactly what it is you think you can do to solve the dilemma which seems very real to you, but which does not exist.”

「(貴方にリアルに見えている、しかし実存していない)ジレンマ/問題を解決する為に(自分に)出来ると貴方が考えている事」が何か、良く見てみる必要があります。]

例えば、この文章が『「貴方に何が出来ると考えているか」よく見てみる事が必要です。』だったなら、もう少し簡単ですね。
しかし『「(貴方にリアルに見えている、しかし実存していない)ジレンマ/問題を解決する為に(自分に)出来ると貴方が考えている事」が何か、良く見てみる必要があります。』と言った場合、 「実存していないもの」をリアルでないものとしてクリアに見れる様にするには(それが放棄できる様にするには)どうしたら良いか、等の議論が起こるでしょう。

解りますか? これらが{この様に考え続ける事が}「貴方に出来る事」{貴方が自分で出来ると考えている事}なのです。
ジレンマ(問題)が本当はリアルで無いのにリアルに見えている事は、問題ではないのです。 何故なら(いずれにしろ)事実「貴方に出来る事は何もない」のですから。
『「独立した自治的存在としての貴方には何も出来る事はない」、何故なら貴方はその様には存在していないから』と云う認識が重要なのです。

「貴方自身では何も出来ない。だから何かしようとし続ける事は止めるべきだ。」と言うアイディアを受け入れられる地点まで来た時、これはとても当惑する事/気落ちする事です。
しかし、個人的には何も達成しようとしていない空虚の中に貴方は踏み出すべきなのです。

そしてその静かな空っぽなスペースで「父よ、ここの真理は何ですか? ここでは何がリアルに行われているのですか?」と訊ねるのです。
「私は自分一人で何かをしたり達成しようとする事は止めます。 私と繋がってくれる様、貴方に頼みます。 私は貴方を迎え入れその繋がりの中で、「何がリアルで、何が幻想か」クリアに解る様になり、「リアルなもの」の霊感を受けてその中で首尾一貫した振舞いが出来る様に(成りたいです)。」
これが要点です。

もう一度聞きなさい:

“It is essential that we look very closely at exactly what it is you think you can do to solve the dilemma which seems very real to you, but which does not exist. You have come very close to truth, and only this stands between you and the bridge that leads you into it.”

「(貴方にリアルに見えている、しかし実存していない)ジレンマ/問題を解決する為に(自分に)出来ると貴方が考えている事」が何か、良く見てみる必要があります。 貴方は真理のとても近くまで来ています。 そして、これだけが貴方と(貴方を真理へと導く)橋の間に立ちはだかっています。]

「(貴方を真理へと導く)橋と貴方の間に立ちはだかっているもの」は何でしょうか?
「貴方が繋がらない状態で(自分一人で)何かする事が出来る」と云う基本的信念が「立ちはだかっているもの」です。
これが人生を変えるシンプルで実践的な事です。
(これが人生を変えるのは、)これ(自分に何か出来ると考える事を放棄する事)を決意と共に行えば、インスピレーションと啓示が貴方の中に流れ込んで来て、「貴方の神性」と「天国」が貴方に解るように成るからです。 貴方が居るここが、貴方が自分をモータル(必滅者)だと考えて来たここが、物質的世界だと考えてきたここが、実際には「天国」だと貴方に銘記されるのです。

“You have come very close to truth, and only this stands between you and the bridge that leads you into it.”

[貴方は真理のとても近くまで来ています。 そして、これだけが貴方と(貴方を真理へと導く)橋の間に立ちはだかっています。]

だから一番意味深い言葉は「口(思考)を閉じて、静かに成りなさい」なのです。 

“Be Still and Know that I am God,”2
「静かに成って、私が神だ(I am God)と知りなさい。」

そう神が言います。「存在」が言います。「物事の在り様」がそう言うのです。

“Heaven waits silently, and your creations are holding out their hands to help you cross, . . the bridge . . . and welcome them. For it is THEY you SEEK.”

[天国は静かに待っています。 そして貴方の創造物達(貴方の創造したもの達)も彼等の腕を差し伸べて、貴方が(橋を)渡る事を助けて、貴方が彼等(貴方の創造物達)を歓迎出来る様にしようとしています。 何故なら、貴方が求めているのは彼等だから。]

貴方は「他のもの」を求めて忙しくして来ました。
しかしそれらは『貴方が貴方の全体の中で「貴方であるもの」を体験する事』の代用品なのです。 貴方の正気の中で、貴方が全てを「それそのもの」として見る事、そして貴方を「貴方そのもの」として見る事の代用品なのです。

“You seek but for your own completion, . .”

[貴方が求めているのは、貴方自身が完結/完了する事です。]


全ての人が「自分は異邦人だと」感じています。
「自分は社会/状況に適応していない」と感じています。
「自分の生得権(持って生まれた権利)である体験を達成する事が出来ていない」と感じています。
だから何かを捜し求め続けるのです。
しかしそれが上手く出来ていないと考えたなら、それは無かった事にして、意識の外に押し出してしまいます。
こうして「何かをする事」を続けるのです。
何故なら「何かをする事」は目的意識を貴方にもたらすからです。

何故でしょう?
何故なら、「何かをする事」で貴方は身体を動かし、貴方は力を感じ、一日の終わりには疲労を感じます。 身体的に疲れるのです。
その疲労感が心地良いのです。 これにより貴方は自分が「重要な事」を達成したと解るから。 この「重要な事」が貴方の期待する結果をもたらしたなら、それは貴方の利益になり、貴方の信頼度や重要性や成功度を高めるから。

『「何か」と同等に成れていない体験』に直面する事の代用品として、貴方はこれらの事をしているのです。 その「何か」が何なのか貴方には解りません。 しかし「何か」が足らないのです。 貴方の「存在」は、貴方が{現在}体験している事よりも意味が在る筈なのです。
だから貴方は自身の完了/完成を探しています。
しかし貴方が行っている体の使用は、「貴方の完成」を達成する方法には成り得ません。

“It is essential that we look very closely at exactly what it is you think you can do . . .”

[自分に出来ると貴方が考えている事」が本当は何か、良く見てみる必要があります。]

貴方が「自分に出来ると考えている事」とは、「何かをする事」です。
これがジレンマです! 貴方が「自分で何かを出来る」と考えている事、そして貴方の体が貴方のアイデンティティなので、「自分の体を使って何かが出来る」と貴方が考えた事が問題なのです。

(貴方は)「マインドで何かをしよう。」とは(普通)しないのです。
貴方のマインドは体と云うものの上の方に付いている頭の中にあり、それは貴方の体が刺激に反応することをサポートし、貴方が生き残る事を助け、貴方が「何者かに成る事」を助けている(と貴方は考えています)。
解りますか? これが問題なのです。

“We [must] look very closely at exactly what it is you think you can do to solve the dilemma . . .”

[我々は「貴方が問題解決の為に何が出来ると考えているか」よく調べる必要があります。] 

貴方は「自分で何かが出来る」と考えており、体を使って「何かをしよう」とするのです。
さて、貴方は自分の体に中毒しているのでしょうか? それとも何か他のものに耽溺しているのでしょうか?

貴方は特別な関係を作る事によって愛を隠しています。
貴方は特別な愛の関係を作る事で、特別な憎悪関係を隠しています。
貴方は自分の源(自分の父)を否定する事により(従って自分の生得権を否定する事により)特別な憎悪関係を築いています。

貴方の「自己」(貴方の「存在」を作っているもの)を否定する事により、貴方は自分を不完全な状態にしました。 こうして貴方は、貴方の神性に対して無意識の状態になりました。
さて上記の文はどの様な意味でしょうか? 神の神聖でない子供よ!
神聖でない「人」の子よ!  進化の神聖でない落し子よ!
これは貴方がナッシング(Nothing)だと云う事です。
{これは貴方が存在していないと云う事です。}

貴方が否定している神が居るとすれば、貴方は酷い憎悪の状態にいる事になります。
だからこの「存在していないもの」は(どう云う訳か)何か罪を犯しているのです。 だから貴方はどこか居心地悪い感じを抱いてます。
それは貴方が「貴方であるもの」を否定しているからです。
だから貴方は自分自身に対して居心地が悪いのです。
間違っている! 貴方は「間違っている!」と感じるのです。
しかし貴方は(自分が)間違っている事には我慢が出来ません。

貴方が間違える事(間違っている事)に耐えられないのは、もっともです。
何故ならそれは、不可能な事(実りの無い行為)を貴方が試みていると本当の正気が貴方に知らせている証拠だからです。
それは実りの無い行為なので意味が無く、従って貴方がその行為を続ける事は間違っているのです。

しかし自分の深い正気が示しているヒントを認める代わりに、 貴方は「(自分が)間違っている事」に打ち勝とうとし始めました。
だから貴方のゴールは、貴方が中毒しているのは、「正しくある事」なのです。
貴方は「正義」に耽溺しているのです。 
「正義」(Righteousness- 正しくある事)を勤勉に力強く力強い体で行えば、それは貴方を「有効/正当な状態」に据えます{その様に見えます}。
それは貴方が「正しく成っている所」に貴方を置きます。 それは(貴方とそして全ての人に対して)「貴方が間違っていない事が明白に成る場所(その様に見える場所)」に貴方を据え置きます。
貴方は「間違っていない事」に中毒しており、「間違っている事」に反対する事に中毒しており、つまり「正しくある事」に中毒しています。

だから、貴方が本当に中毒/耽溺しているのは「体として存在する事」ではないのです。
貴方は、ただ偉大な舞踏家や運動選手に成ったり、エベレストに登る人に成ったり、自分の体を使って自然/逆境に打ち勝つ人に成ったりする為に、何度も生まれ変わって来た訳ではありません。

何故貴方達はこれらの事をしようとするのでしょうか?
人は何故これらの事をするのでしょうか? 
もし彼/彼女が繋がっていないなら、 彼/彼女が(それらの事をする様に)神からインスピレーション(霊感)を受けていないなら、
彼等は「正しさ/正義/自分が間違っていない事」をデモンストレーションし証明する為にそれらの事をするのです。
貴方の内側から来る痛みが、自分がフィットして(馴染んで)いないと云うフィーリングが、「間違っていると云う」フィーリングが遠のく様に、貴方は「自分が本当に正しい事」を自分の力で上手く証明しようとするのです。

だから貴方は、「正しい事」と「間違っている事」の間のストレスに囚われてしまうのです。
そして『「正しい事」と「間違っている事」の間のストレスに対処する事』が、『貴方が「人生に目的と意味を与えている」と考えているもの』なのです。

そして、貴方が二極性(半対極‐「正しい/間違っている」)のレベルで働き続ける事に固執して(それらを凌駕し自分の価値と正当性を証明しようとして)いる限り、貴方は動けないままです。

「ウォー・ゲーム」と云う映画の中で「ゲームに勝利する唯一の方法は、ゲームをプレーしない事だ」と云う台詞がありました。
目覚める唯一の方法は、「孤児であり続けるゲーム」をし続けない事だけです。

『貴方が「正しい事と間違っている事」の間にある刺激的な緊張と呼んでいるもの』(奮闘)から離れる唯一の方法は、あがき(戦い)を放棄する事です。 どの様にして放棄するのでしょうか?
「(貴方にはとてもリアルに見えている、しかし実在してない)ジレンマ(問題)を解決する為に貴方が自分で出来ると考えている事」を良く調べてみる事によって、です。   
そして「貴方が自分で出来ると考えている事」は「何かをする事」です。

これはシンプルな事なのです。
しかし(「解決は口を閉じる事から来る」と云う事実から)貴方の目を奪ってしまう複雑さに捕らわれるのは簡単な事です。
それでも解決は本当に「貴方の思考を止める事」から来るのです。
貴方のマインドの中で静かに成って、そして、自分の人生や状況に(平和の感覚や、より大きなストレスと恐れを作る)自分独自の解釈を与えてドラマに仕立てなくなる事によって(本当の解決が起こるのです)。

自分自身を平静にするにしろ、より大きなストレスを作るにしろ、いずれにしろ、その時(貴方が自分の人生に解釈を与えてドラマに仕立てている時)貴方はまだ考えているのです。
その時貴方はまだ静かに成っていません。
貴方はまだ「父よ、全てを統治している者よ、私の存在を成り立たせている者よ、存在そのものを発生させている者よ、助けてください。」と云っていないのです。
「私は貴方の目を通して見たいのです。 私はこれ以上、孤独で居たくはありません。 私はこれ以上、私の想像の中などで自治的/独立的でありたくありません。 ヘルプ! 」

この様に言って、貴方は橋を渡る初めの一歩を踏み出すのです。
この様に言って、貴方は故郷への第一歩を踏み出すのです。
この様にして貴方は、貴方の「父」からの離縁を取り消すのです。

貴方が自分の体と他者の体を使って築いている「特別な愛の関係」は(貴方はその関係の中では自身や他者の神性を全く見ていないので、貴方は自分の神性を見つけておらず、彼らも彼等の神性を見つけていないので)全て幻想(ファンタジー)なのです。

そこでは「貴方自身に関する貴方の概念」が「他者に関する貴方の概念」と関わっているのです。
と同時に、「彼(他者)自身に関する彼の概念」が「貴方に関する彼の概念」と関わっています。

そして貴方は「正しくある事/正しさをもたらす事」のステップ(手順)を踏むのです。
つまり「貴方が間違っていない事」を示し、その合意を得る為のステップを行うのです。

そこに愛はありません。 違いますか?
これはとても自分本位な、とても自分勝手な事です。
「考えて」みてください!

貴方は控えめで親切で思量深くある様に教えられてきました。
「どの様にしてそう振舞うべきか」教えられてきました。
この振る舞いは良くて正しく、あの振る舞いは良くない(何故なら、あの振舞いは他者に良い影響を与えないから)。 だからあの振る舞いは良いマナーではない(と云う様に貴方は教えられてきました)。
「もちろん、コントロールを失って(良く考えずに)衝動的に何かをする事は論外です。 貴方は正しい事を上手くやらなければいけません。」
「貴方は相互合意されている親切なマナーを行わなければいけません。」

何の為に? お互いと繋がる為に? いいえ!
そこには少々の明朗さ(緊張の欠如)と、もしかしたら楽しさもあるかも知れません。
しかしそこでは、貴方に関する「リアルなもの」や貴方の兄弟姉妹に関する「リアルなもの」と繋がる事無く、貴方達が独立独尊の状態から全てを行っているのです。

その時貴方達は全員、あたかも「関係」が成り立っているかの様に、あたかも愛がそこに在るかの様に、しかし独立的に「愛が在るかの様に」行動しているのです。

そして次の事が要点です。
貴方がこの様な「愛の行為」をしている時(性行為とは限らず、例えば社会的マナーに沿って行動している時)思量深さを示している時、その結果(瞬間的)癒しが起こっているでしょうか?
四肢が再生したり、死者が蘇ったり、風邪がすぐ治ったり、炎症を起こしている肝臓が治ったりしているでしょうか?  例えば三分間の内に。あるいは二日後や一週間後でも良いです。 愛を示す様(愛が在るかの様)に振舞っている結果、愛の振る舞いをしている結果として癒しが起こっているでしょうか?
いいえ。

だから、貴方が「愛そのもの」の流入/インスピレーションから発生していない「愛の行為」をしていて、「それが物事をより良くするだろう」と期待しているなら、貴方の自信は間違っているのです。

さて、私が「貴方が独立独尊の立場から行なっている全ての事は狂気の沙汰で、違いをもたらさない。 それは愛ではなく、特別な憎悪関係の表明でしかない。」とだけ言ったのでは正しくありません。
「そこからどの様に抜け出るべきか」私が貴方に知らせられないのならば、それはただ単に「気落ちさせる知らせ」でしかありません。

しかし私はその答えを貴方に与えています。
答えは「独立的行動を止める事」です。 「独立した権威的存在としての振る舞い」を止めるのです。
そして(「自分の振舞いの元に成っている」と貴方が考えている)その同じマインドを使って注意を払いなさい。 貴方自身の思考ではなく、貴方の歴史ではなく、貴方の記憶ではなく、貴方が今まで行った事のない場所(つまり静寂)に注意を払いなさい。
そして本当に神が、(貴方の正しい「マインド」でしかない)「精霊」が実際に居る事に懸けてみなさい。{そう信じて、そう願いなさい。}
(「精霊」とは、貴方が独立体験や特別な憎悪関係を持っている間、預けられている、貴方の正気です。)
そして、その静寂の中に留まりなさい、その静けさの中に居て「答えが得られる事」を期待して聞きなさい。
何故なら、空虚な所(隙間のある所)に、「リアリティ」が自然と入り込んで来てそこ(隙間)を満たす性質があるから。

この様にして「橋を渡る事」が起こるのです。
それは貴方が橋の上で自分のエネルギーを使って、自分の体を一歩一歩運んで行ったからではありません。 いいえ。

その静寂と(そして啓示が起こるに従って発生する)再生の中で、貴方の真実の記憶が貴方を再度充たすに従って、自動的/瞬間的に貴方は貴方の「マインド」全体に取り込まれ、貴方は助けを得るのです。
貴方の全ての虚勢が手放され、それが謙虚に取って代わる時、貴方は助けを得るのです。

(前にも言った通り)謙虚さが起こる事は、エゴには屈辱として感じられるのです。
しかし貴方はその屈辱をそのままにして置かなければいけないのです。
何故なら、貴方が個人的に有していたと考えていた全ての力は、そして善/正義の名の下に貴方が達成したと思っていた全ての事は、良きものを貴方にもたらさなかったから。 それは、貴方が「貴方で在った者/貴方で在る者」を否定する事で、貴方は自分の良きものを否定している状況に居たからです。
この真理を貴方が悟ったなら、これは「何かに中毒している者」にとって屈辱的に感じられるのです。

それは何に中毒しているのでしょう?
正義(正しくある事)への中毒です。
{正義の貴方は}幻想(ファンタジー)の貴方です。 しかも貴方はそれを明確に信じており、貴方はそれに耽溺し中毒しています。 貴方はそのゴールを達成する為なら何でもしようとするのです。

「謙虚」とは貴方のマインドのバランスが十分に取れており、「私はあえて、私は思い切って、『力の施行』を放棄しよう。」と言えるように成る事です。
『私はあえて「物事を起こす者」に成るのは止めて、「物事を起こそうとするのは」止めて、そのストレス/緊張が無い所で、そこにもたらされる平和の中で、私は空になり、私の「父の愛」で(空っぽな)私が自然と満たされる様にしてみよう。』

これが「謙虚」です。
そして謙虚は、全一/完全(whole)として感じられるのです。
それは、貴方が今まで体験して来たどの様な事とも全く違います。
そして、これは中毒的なものではありません。
しかし一度それを感じれば、貴方がそれを放棄する事は稀です。

貴方は上記の事を覚えておくべきです。 何故なら、物事はこの様に働くのだから。

“The special love relationship is but a shabby substitute for what makes you whole in truth, NOT in illusion. Your relationship with them . . . your creations” . . . is without guilt”
“and this enables you to look on all your brothers with gratitude, because your creations were created in union WITH them.”

[特別な愛の関係は、貴方を(幻想の中ではなく)真に「全一にするもの」の代用品でしかありません。 貴方と彼等(貴方の創造物)の関係内には罪は在りません。] これは聖なる関係なのです。

[だからこの関係が、貴方が兄弟全員を感謝を持って見られる様にします。 何故なら、貴方と彼等(貴方の兄弟達)が一緒に成って、貴方の創造物を共に創造したのだから。]


神が「創造の動き」だと貴方は理解しなければいけません。

「創造」の全てが神と共に立っており、それが「創造の動き」を見ています。

そして「創造」の全て、つまり貴方と貴方の全ての兄弟姉妹と全てのトカゲと全ての蜘蛛と全ての鳥が立って、飛んで、のたうって、この「創造の動き」に注意を払っており、それを「神の動き」として認識しています。


そして神が「成って」いる「創造の動き」を全ての「創造(されたもの)」が認識出来る
様になれば、神が完成されます。(あえて言葉にすれば、この様に表現出来ます。)
そしてそれが貴方をも完成させるのです。

だから、
“Your relationship with [them] . . . . . . your creations . . .. . . is without guilt, and this enables you to look on all your brothers with gratitude, because your creations were created in union WITH them. Acceptance of your creations is the acceptance of the oneness of creation, without which you could never BE complete. “

[貴方と彼等(貴方の創造物)の関係内には罪は在りません。 だからこの関係が、貴方が兄弟全員を{もう一度}感謝を持って見られる様にします。 何故なら、貴方の創造物は彼等(貴方の兄弟達)と貴方の合一/協力の上に創造されたのだから。 貴方の創造物を受け入れることが、創造の一体性(ワンネス)を受け入れる事です。 創造の一体性無くして貴方が完成する事は決してありません。]

貴方が「それ無くしては不完全なもの」とは何でしょう?
創造の一体性(ワンネス)です。
創造の統合性は、創造のワンネスにかかっています。

そして、自治的な自己を主張し、力を使って独立的に成ろうとしている時、物事を達成しようとしている時、貴方は「創造」の統合性を感じる事は出来ません。
解りますか?
貴方は「創造」の一体性が感じられていないので、貴方は「創造」の統合性/誠実/良識が感じられないのです。

“Acceptance of your creations is the acceptance of the oneness of creation, without which you could never BE complete. No specialness can offer you what God has given, . .. . . which is everything . . .. . . and what you are joined with Him in giving.”

[貴方の創造物を受け入れることが、創造の一体性(ワンネス)を受け入れる事です。 創造の一体性無くして貴方が完成する事は決してありません。 「神が貴方に与えたもの、そしてそれを与える事によって貴方が彼(神)と繋がっているもの」{つまり全て}を貴方に与える事の出来る特別性(特別なもの)は存在しません。]

貴方が自分の正しい「マインド」の中にある時、貴方が自治的であろうとする事を放棄した時、貴方は「創造」の行為の中で神と繋がっているのです。
『神が今「成っている」もの』の観察者と成る事により、そして「貴方が見ているもの/こと」の中に神を認識し、そうする事により貴方「自身」をその中に認識し、全「創造」の一体性と統合性を確証する(認める)事によって、貴方は神と繋がるのです。

理解する必要があるのは、全「創造」の統合性/整合性を貴方が意識的に体験するのだと云う事です。
これは現在貴方に見えている貴方では無いのです。
「創造」の片隅にいる、「創造」の殆どから遠く離れている貴方が「創造」を観察し、どうにかして「創造」の全てが貴方の一部で、貴方が「創造」の一部だと知る訳ではありません。

そうではなく、貴方が貴方の正しい「マインド」内{マインド状態}にある時、貴方は(神がそうしている様に)「創造」の全てに無限に{区切りを設ける事無く}気付いているのです。

「神の居ない場所はない。」と云う言い回しがあります。
「神が意識していない場所はない。」と言い換える事も出来ます。
つまり貴方は決して神の外には出れないのです。 神が貴方に気付いている意識の外に出る事は出来ません。 このアイディアを受け入れる事は容易いでしょう。
と同時に「創造」のワンネス(一体性/唯一性)故に、『貴方の「マインド」が存在していない場所も存在していない』と云う事実を体験する事が貴方の生得権なのです。
全宇宙の中で貴方が意識していない場所は存在していません。
そして無限に意識する事(意識的である事)はストレスに成らず、疲労ももたらしません。

そしてこれ(「創造」)は統合されており、貴方もその中に統合されているので、貴方はその全てから(離れて)休息/睡眠を求める必要は無いのです。
これ(「創造」)は貴方と共に統一されているのです。

そして、この場所で神の法が成り立っています。 そこには罪/病/死がありません。

貴方は口を閉じて静かに成り、伸び上がる事、父が貴方に話しかける事を熱望する事によってそこに到達します。
父あるいは精霊(貴方の正気でしかないもの)が貴方に話しかけ、それ自身を「貴方」として貴方に示す事を、貴方は熱望するのです。
貴方がそれと繋がれる様に。貴方が「一つ」に成り、独立自治の酷い幻想とそれが引き起こす全ての(リアルに見える、貴方が対処せずには居られなくなる)苦しみに苛まれる事が無くなる様に(貴方は静かに成って熱望するのです)。

だから貴方は、独立自治の酷い幻想が起こしている(リアルに思える)苦しみに対処し続けるのではなく、

“. . . look very closely at exactly what it is you think you can do to solve the dilemma . . .”

[問題解決の為に「自分で出来ると貴方が考えている事」が本当は何か、良く見てみる必要があります。]

貴方が「自分で出来ると考えている事」は「何かをする事」です。
これを覚えておいて下さい。 貴方が反射的に行動/反応してしまう事を放棄して、静かに成る事を覚えていられる様に。

“Across the bridge is your completion, for you will be wholly in God, willing for nothing special, but only to be wholly like unto Him, completing Him by YOUR completion. “

[橋を渡り切った所に貴方の完成があります。何故ならその時貴方は完全に神の中に入っており、何も特別なものは求めておらず、彼(神)と全く同じ様に成る事だけを求めているから。 そして貴方が完成する事で彼(神)が完成します。]

解りますか?
「私はもう孤児ではない。 私には父がいる。」と言った時、貴方は自身を完了/完成させるのです。 何故なら、貴方が自身の「持って生まれた権利」が戻ってくる事を許可したから。 何故なら、(その時)貴方は自分が誰か解っており、(その事により)貴方が父へ完成をもたらすから。 その時、神の息子や娘である貴方達が「自分達は孤児ではない」と思い出しており、したがって神はもはや彼等の帰還を待っている必要が無いから。
解りますか?

全てが完了します。永遠のハーモニー、今の時点では考えられない程の喜び、それらを体験する事が貴方の持って生まれた権利です。
これは現在貴方にとっては、ただの言葉でしか無いでしょう。
しかし貴方が「問題解決の為に自分で出来る事は何も無い」と認めたなら、これらの体験が出来る様に成ります。

そして貴方の一番の問題は、「自分で何かする事が出来る」と云う考えなのです。
その様に考えている間、貴方は口/思考を閉じる事が出来ないので、これが障害に成っているのです。
しかしジレンマを解決させるのは、正誤間の緊張と「正しくある事」への耽溺を止めるのは、貴方が口/思考を閉じる事なのです。
貴方が「父よ、私は貴方の見方で見たいのです。父よ、私は貴方のやり方で物事をしたいのです。」と言う事によって、体を誤用して「特別な愛の関係」(これが特別な憎悪関係を隠しています)を続ける事が止められるのです。

こうして(想像の中で、この想像上の)関係を放棄する事が出来る様になります。

先週はイースターに関して話しました。 今日話した諸々の事が貴方のイースターに関する事なのです。
貴方が最早(状況に)騙されなくなった時、貴方が自分(一人)で何か出来ると考えなくなり自分一人で何かしようとしなくなった時、貴方はアセンションの準備を整えたのです。


I love you . . . I love you . . . I love you . . . I love you . . . and you . . . and everyone who has joined us.


次回お会いできるのを楽しみにしています。



「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で(読者にどの様な義務も負わせる事も無く)提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだからです。 貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。  Rajの指示により、これらの資料が売買される事はありません。 


A Course in Miracles Study Group with Raj, April 10th 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles"
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

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