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ACIM10-05-15

May 15, 2010 ©NWFFACIM

2010年 5月 15日


原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29413&mid=142195#M142195
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29401&mid=142164#M142164


ページ位置の確認。
Sparkly Book, it’s page 388, the first full paragraph, the third line.
Second Edition, it’s page 339, paragraph 9, sentence 2.
First Edition, it’s page 315, the last paragraph, the third line.
JCIM, it’s page 163, the second full paragraph, the second line.
CIMS edition, it’s page 326, paragraph 38, third line.



今晩は、ようこそ。  


“You are neither behind the Point of Perfection, nor advancing toward It. You are at that Point, and must understand Yourself therefrom.”

「貴方は、完全なポイントの後ろにいるのではなく、そのポイントに向かって進んでいる訳でもありません。 貴方はこの完全なポイントに既におり、そのポイントから自分を理解する必要があります。」

私は、この文章を何度も言って来ました。 これはシンプルな文章です。

この文は開始点と終点を示しており、それは同一のポイントを指しています。
そしてこの文は、何が「実りの無い振舞い」なのか示しています。
「実りの無い振舞い」(違いをもたらさない行動)とは、何かに成ろうとしたり、より良く(あるいはより悪く)成ろうとしたりする事です。

私が今までまだ言っていなかったのは、この『「パーフェクトなポイント」の後ろに居らず、そこに向かって進んでもいない状態』が完全に親密な(Intimacy)状態である、と云う事です。
これを聞いて貴方は「成る程、自分は完全なポイントの後ろにいるのではなく、そのポイントに向かって進んでいる訳でもない。自分は今そのポイントに居るのだ。」と考えてしまうかもしれません。 その様な卑小でプライベートな思考、プライベートな気付きを持とうとしてしまうかもしれません。
しかし、プライベートな意識の中には親密さ(共有されている意識)がありません。


我々が今夜読む事は全て「親密さ」に関するものです。 これらは全て基本的にはシンプルなものです。
上記の文書(貴方は、完全なポイントの...)を読んでいる時、貴方が親密な気持ちに成っていなければ、この文章を理解する事は全く出来ないでしょう。
もし貴方が過去にこの文章を読んでも理解できなかったのなら、これがその理由です。
もし貴方が独立/達成/権威の確立を一生懸命に実施しているなら、それ以外の事が入る余裕は無いでしょう。
自治的意図(自治的存在)の中には、「親密さ」と云うものが入る余地はありません。
だから貴方の行なう全ての事は、貴方の目覚めに対立してしまうのです。
だから貴方は「自分は実際には神の神聖なる子供なのだ」という発見を妨げてしまうのです。

「貴方は、完全なポイントの後ろにいるのではなく、そのポイントに向かって進んでいる訳でもありません。 貴方はこの完全なポイントに既におり、そのポイントから自分を理解する必要があります。」と云う文章の中に表明されている「親密さ」は、「母親か父親の腕の中に抱かれている幼児/赤ん坊」と云うイメージを使って説明する事が出来ます。
幼児は寝ていて、完全に安全で安心しきっており、至福な状態にいます。
この様な親密さは、この幼児が自己防御を完全に放棄しているからです。
(だから)幼児は恐れを体験していません。
幼児は、自身を分離した存在として主張してはいません。
幼児は、彼の母(あるいは父)の腕の中に身を委ねるだけです。
幼児は、親密さに譲っているのです。

さて「貴方が身を委ねる様に招待されている親密さ」に睡眠は必要ありません。 これは、オネムではない、しかし満足し切っている幼子の様な状態なのです。
幼児はそこ(自分の両親の腕の中)に身を横たえていて、眼を見開き、両親の眼の中を覗き込み、完全な平和、完璧な満足、そして完全な一体感の中にいます。
それは両親の腕の中でリラックスしている以上に、完全で豊かな一体感/一体性なのです。
そこには眼と眼が合う事で起こる、満足と親密があるのです。
そして幼児は「両親がそれ(親密/充足)を知って居る事」を知っており、親も「幼児がそれ(親密/充足)を知って居る事」を知っています。


一番最近我々が読んだ文章から、もう一度読み進めましょう。
私が今言った事を心に留めて聞いてください。

“Across the bridge is Your completion for You will be wholly in God,”

[橋を渡り切った所に貴方の完成があります。何故ならその時貴方は完全に神の中に入っており...]

丁度、幼児が両親の腕/環境/理解の中に完全に身を委ねている様に。

“For You will be Wholly in God, willing for nothing special, but only to be wholly like unto Him, completing Him by Your completion.”

[何故ならその時貴方は完全に神の中に入っており、何も特別なものは求めておらず、彼(神)と全く同じ様に成る事だけを求めているから。 そして貴方が完成する事で彼(神)が完成します。]

誰でも(シンプルに平和に貴方の腕の中にいて、満足し切って、愛をもって貴方を見上げている)幼子を抱いた事がある人は、この言葉を理解する事が出来るでしょう。
そしてこの様な体験が上記の言葉を生きたものにするのです。 何故なら、ここでの主題は親密さ(Intimacy)だから。
つまり合一(Union)、あるいは故郷へ帰る事が主題なのです。

“Fear not to cross to the abode of Peace and Perfect Holiness.”

[平和とパーフェクトな神性の住処へと渡って行く事を恐れるのは止めなさい。]

小さな子供達はこれが上手く出来るのですが、貴方には難しいのです。
しかしこれが出来る様に成る必要があります。 これが必要とされている事なのです。

貴方がこの文章を読んでいる時、自己防衛的/自己防御的な状態に居たなら、この文は意味を持たないでしょう。 そうでなければ、この文章は貴方が「自分にとってとても大切だと感じているもの」を放棄する様に呼びかけているので、貴方はこれを読んで心穏やかでは居られないでしょう。
しかし真理がここに見えているのです。

だから貴方がこの文章(あるいはこれに類するもの)を将来また読んで、それが貴方を怒らせるかイライラさせたなら、それは「貴方が一生懸命に自己防衛的/権威主義的行動(思考)をしているからだ」と解ります。

そして貴方は「自己防衛や権威的行動を放棄する様、これらを尊ばない様」に求められています。 そして余り気が進まなくても、これが放棄出来る様に努力する必要があります。
自分の怒りや(もっともな事に思える)ストレスを感じ続ける事に耽溺するのではなく。

“Fear not to cross to the abode of Peace and perfect Holiness. Only there is the completion of God and His Son established forever.”

[平和の住処とパーフェクトな神性へと渡って行く事を恐れるのは止めなさい。 そこだけに神と神の子の完成があり。 それは、そこで永遠に確立されているのです。]

神と神の子の完成は、平和とパーフェクトな神性の住処の中で永遠に成り立っているのです。

そこには変化(不確実性)は在りません。 貴方が自己主張(自己定義)して父の腕/愛/抱擁からの独立と分離に耽溺し始めてからも(そこには平和とパーフェクトな神性があり続けています)。

“Seek not for this in the bleak world of illusion where nothing is certain and where everything fails to satisfy.”

[これを、荒涼とした幻想の世界の中に求める事は止めなさい。 そこでは、何も確実なものは無く、なにも満足をもたらす事はありません。]

「これ」とは、神と神の子の完成の事です。
しかし「荒涼とした幻想の世界」とは何でしょうか?
貴方はこの文を読んで、「解った! 私は、荒涼とした幻想の世界にそれ(安全/満足)を求めるのは止めよう。 この世界の中で求めるのは止めよう。 これら幻想の中には何も求めまい。」と考えてしまうかもしれません。
しかし荒涼とした幻想の世界とは、貴方の居る「この世界」の事ではないのです。
「荒涼とした幻想の世界」は、貴方が抱いている概念の事なのです。
それは貴方が持っているマインドの世界です。 その中で貴方は「自分が思考しており、その思考が重要だ」と考えています。
これが間違いなのです。 これに関して修正が起こる必要があるのです。
だから我々は「二つのステップ」をする必要があるのです。

貴方は「もちろん、私はそれを荒涼とした幻想の世界の中には探さない事にします。」と言って、これは「この世界」の事なのだと考えてしまうかもしれません。
しかし、その時貴方は既に「荒涼とした幻想の世界」{自分の思考世界}の中に居るのです。
何故なら、貴方の口から(自信を持って自然と)出てきた言葉は思考だったから。
その時貴方は「荒涼とした幻想の世界」の中に耽溺しているのです。

確実で/正確で/頼り甲斐があり/建設的だと貴方が考えている幻想の世界。
貴方は、その中で自分が成功し/安全/健康/聡明に成れると考えているのです。
その時貴方は既に「荒涼とした幻想の世界」に屈しています。 
「自分の思考に価値がある」と云う(間違った)アイディア、貴方の思考が「始まりであり終わりである」と云うアイディア(が荒涼とした幻想の世界なのです)。
「荒涼とした幻想の世界」とは『「自分の思考が重要なのだ」と云う貴方のマインド定義(マインドの枠組み)の事なのだ』と気付いたなら、貴方は「神と神の子(つまり貴方)の完成」以外のものを(思考の中で)求めない事が出来る様になります。

貴方と父との一体性を照らし出す体験を得る為に、貴方は黙って(思考を止めて)、「荒涼とした幻想の世界」に浸り続ける事を止める必要があるのです。

“Seek not for this in the bleak world of illusion where nothing is certain, and where everything fails to satisfy.”

[これ(永遠の中に確立されている神と神の子の完成)を、荒涼とした幻想の世界の中に求める事は止めなさい。 幻想の世界の中では、何も確実なものは無く、なにも満足をもたらす事はありません。]

こうして、親密さを全く含んでいない、故に「(貴方の生得権である)永遠の安全と十全の体験」を貴方に与えない、「独立的行動としての思考」は続けるべきではない事が解ります。

“In the Name of God be wholly willing to abandon all illusions.”

[神の名において、全ての幻想を喜んで放棄出来る様に成りなさい。]

神の腕の中で、神に愛されている子孫として、両親を愛している子供として(全ての幻想を喜んで放棄出来る様に成りなさい)。


何を放棄するのでしょうか? 思考/論理/価値判断/持論、そして「それらをクリエーティブに使って何かリアルな事を起こす事が出来る」という信念を放棄するのです。

“In any relationship in which You are wholly willing to accept completion, and only this, there is God completed, and His Son with Him.”

[「貴方が完成を完全に受け入れている関係」の中においてだけ、神の完成とそして(神と共に居る)神の子の完成があるのです。]

ちょうど、両親との関係だけを受け入れている幼子の様に。

だから、(自分を抱いている人に自身を完全に明け渡している)幼子を抱いた事がある人(父/母/叔父/叔母/兄弟/姉妹/その他)は誰でも、この言葉を理解することが出来ます。 上記の言葉が(その聖なる側面において)どの様な意味を持っているか知っています。
上記の言葉が(神の聖なる子供である)貴方にとってどの様な意味を持っており、どの様な方法でこの意識的体験に到達する事が出来るか知っています。


“The bridge that leads to union in Yourself must lead to Knowledge, for it was built with God beside You and will lead You straight to Him, where Your completion rests, wholly compatible with His.”

[貴方自身の中で合一へと繋がっている橋は、知識へと繋がっているに違いないのです。 何故なら、それ(橋)は神が貴方の隣にいる状態で作られたのだから。 そしてそれ(橋)が貴方を彼(神)に直接真っ直ぐに届けます。 彼(神)が居る所に貴方の完成があり、貴方の完成は完全に彼(神)と一致しているのです。]

私は知識(Knowledge)と言う言葉は余り使いません。 普段は「知っている事(Knowing)」という言葉を使っています。
その理由は、知識という言葉は「組み合わされた情報の集まり」として解釈される事が多いからです。 貴方が使える(しかし本当に理解する事、知る事は出来ない)情報の集まりとして解釈されている事が多いのです。

“The bridge that leads to union in Yourself must lead to knowledge,”
[貴方自身の中で合一へと繋がっている橋は、知識へと繋がっているに違いないのです。] 

この文章は実際には『「知っている事(Knowing)」へと繋がっているに違いないのです。』と言う意味です。  
これは例えば、貴方が(無垢な眼で貴方の眼を親密に覗き込んでいる)幼子を抱いている時の様な事です。 その時貴方は何かを知っています。何かを解っています。

貴方はそれを言葉にする事は出来ないかも知れません。 しかし貴方は何かを知っています。 そして、それは情報の集まりではありません。

だから、
“The bridge that leads to union in Yourself must lead to it was built with God beside You and will lead You straight to Him where Your completion rests.”

[貴方自身の中で合一へと繋がっている橋は、知識(何か意味深いものを知っている事)へと繋がっているに違いないのです。 何故なら、それ(橋)は神が貴方の隣にいる状態で作られたのだから。 そしてそれ(橋)が貴方を彼(神)に直接真っ直ぐに届けます。]

「私は、完全なポイントの後ろにいるのではなく、そのポイントに向かって進んでいる訳でもない。 私はこの完全なポイントに既におり、そのポイントから自分を理解している」と貴方が考えている状態が、貴方の完成をもたらす訳ではないのです。
それらの言葉は何かを表しています。 しかしより重要なのは、それらの言葉が貴方を体験へと導いて行く事です。 それはどの様な体験でしょう?
無防備な親密さ。 貴方が父の愛に降参している時の親密さ。 貴方がそれに譲ってそれを体験していて、自分の中に父に対する無限の愛が目覚めている事に貴方は気付いているのです。
この体験が「知っている」という事であり、これが知識/英知なのです。 この体験の中で貴方と神が十全に成ります。 これは美しい事です。

コースを学習する事は、真理を学習する事は、真理を知りたいと望む事は、間違いでは無く真理を知りたいと求める事は、瞬間的な癒しを得たいと求める事は、これら全ては有効な事なのです。 それらは正しい願いなのです。
そして、貴方が「自分一人で独立して行動したい」と云う全ての意図を放棄した時、それらの願いは全て貴方のものに成るでしょう。
何故なら、その様な意図を放棄するまで、貴方は「神と神の子の完成」を「荒涼とした幻想の世界の中」で(つまり、貴方個人の思考行為を通して、貴方の想像上の権威の中で、自分一人で事を起こそうとしている貴方の試みを通して)求めているからです。

しかし貴方は「荒涼とした幻想の世界の中」で完成を探すべきではないのです。

もう一度言います。 「荒涼とした幻想の世界」とは、世界や宇宙の事を指しているのではないのです。 「荒涼とした幻想の世界」とは「独立して思考する事(独立して意識に成っている事)に価値があり、それがリアルであり、それが父から貴方に与えられた生得権だ」と考えているマインドの事なのです。

“Every illusion, which You accept into Your mind by judging it to be attainable, removes Your own sense of completion and thus denies the Wholeness of the Father.”

[「それは獲得可能だ」と判断して、貴方が自分のマインドの中に受け入れた全ての幻想は、貴方自身の完成の感覚を否定し、従って父の全一性/完全性を否定します。]

何故でしょう? 例えて言えば、それは両親との親密さから眼を逸らして、むずがり始め、自分一人で何かをしようと試みている幼児の様なものだからです。
この様にして全一性が否定されてしまっています。
こうして、(貴方の)行動は、親密さの絆の外で満足を求める行動に成ってしまっています。
もちろん、そこには満足(満たされる体験)は存在していないのですが。

“Every illusion which You accept into Your mind by judging it to be attainable”

[「それは獲得可能だ」と判断して、貴方が自分のマインドの中に受け入れた全ての幻想は、]

この文はどう言う味でしょう?
ここで言う全ての幻想とは、[「それは獲得可能だ」と判断して、貴方が自分のマインドの中に受け入れた]全てのアイディア/思考/論理の事です。
貴方は、それら思考の集まりが効果を生むと判断したのです。 それにより「何かを得られる様になるだろう」と考えたのです。 それらの考えが[貴方自身の完成の感覚を否定した]のです。 それらの考えが、貴方を孤児的マインドの中に閉じ込めたのです。

孤児達は完成しておらず、十全ではないのです。 孤児達は不足の状態にあるのです。
彼等は「源」を欠いています。 彼等は父を持っていません。 彼等は母を持っていません。

“Every illusion which You accept into Your mind by judging it to be attainable removes Your own sense of completion, and thus denies the Wholeness of Your Father.”

[「それは獲得可能だ」と判断して、貴方が自分のマインドの中に受け入れた全ての幻想は、貴方自身の完成の感覚を否定し、従って父の全一性/完全性を否定します。]

この完全性は、幼児(貴方)が気を落ち着けて、両親(源)を見上げるまで現れません。

「うん、お父さん、お母さん、私は貴方を見ています。 少しの間、気が散ってよそ見していました。 しかし、他の所に気を取られているよりも、この方が凄く良いです。 私は貴方を愛しています。貴方は私を愛しており、私はそれを知っています。 我々はお互いがそれを知っている事を知っています。」

これがKnowing(知っている事)です。 これは思考ではありません。 これはアイディア(概念)ではありません。

“Every fantasy, be it of love or hate, deprives You of Knowledge, for fantasies are the veil behind which Truth is hidden.”

[全ての幻想/ファンタジーは(それが愛の幻想にしろ憎悪の幻想にしろ)貴方から知識/英知を奪います。 何故なら幻想/ファンタジーは、真理をその後ろに隠すヴェール(幕)だからです。]

[全てのファンタジー]とは、全ての壮大な見せかけの思考、あるいは全ての卑小な無知な思考の事です。
[知識/英知(Knowledge)]とは、親密さを知っている体験の事です。
そして[幻想/ファンタジー]は、それ(思考/アイディア)を使って何かを達成する事が出来ると貴方が考えている、全ての思考やアイディアの事です。

ヴェールが引き上げられるのは、貴方が思考にエネルギーを与えなくなり、故に思考と云うスクリーン/歪み/ふるいが消えた時です。

その時、真理を見え難くしてものが消え去り、真理がクリアに見える様に成ります。 そこでKnowing(知っている事/英知)が起こります。 親密な体験がKnowingなのです。

“To lift the veil which seems so dark and heavy, it is only needful to value Truth beyond all fantasy, and to be entirely unwilling to settle for illusion in place of Truth.”

[暗く重く見えているヴェールを引き上げるには、真理を全ての幻想/ファンタジーよりも尊重すれば良いのです。 そうして、真理の代わりに幻想を受け入れる事を全て拒否する必要があります。]

貴方は幻想を実行して、幻想と関わり、貴方の思考を使って物事を起こす事(貴方はそれが自分の特権だと考えています)が好きなのです。

貴方は幻想では満足出来なくなる所まで(歩いて)来る必要があります。
貴方は、それらの行動/思考と、それにより約束されていると思っている成功を放棄出来る様にならなければいけません。
思考と云うヴェールにエネルギーを与えずに、自分の静寂と平和を選び続けなければいけません。
しかし貴方は思考する事を愛しています。 だから貴方は常にヴェール(思考)にエネルギーを与え続けているのです。
貴方はそれに慣れ親しんでいて、貴方はそれがもたらすものに慣れ親しんでいます。 貴方はそれらに比較的上手く対処する事が出来ています。

これ(思考)が貴方にとって価値を持っているのは、思考を使う事により、自分が物事をコントロール出来ていると貴方が信じているからです。 しかし真実はそうではありません。

今日[平和とパーフェクトな神性の住処へと渡って行く事を恐れるのは止めなさい。]と読みました。
しかし、貴方はこれをする事を恐れています。その理由は、自分が持っていると考えているコントロールを失う事、そして自分が持っていると考えている責任を失う事を恐れているからです。

貴方がガイダンス/指示を聞き始めたなら、貴方のガイドや精霊は、するべき新しい事を貴方に与えるでしょう。 貴方が今居るその場所(自身をいずれかの方法で主張/確立する必要があると貴方が信じている場所)で、静かに成って聞く様に貴方はガイダンスを受けるでしょう。
貴方はその指示に従わなければいけません。 
何故なら目覚めのプロセスの中で、貴方は自分を無知に縛り付けて来た/眠りに留めて来た/苦しみの状態に留めて来た事(貴方はこれがこの様に起こっている事は知らなかったかもしれませんが)を放棄するように即されるのだから。

貴方が自信を持って信じて実行して来た、これらのものを放棄出来る様に貴方の精霊やガイドが貴方を助けます。

これが貴方の安心感を脅かすのです。 貴方が今まで行ってきた力の執行、これが貴方の安全を確保してきたと貴方は信じています。だから貴方がこれを放棄したなら貴方は無防備に成ってしまいます。

貴方は両親の腕の中にいる子供の事を思い出さなければいけません。
貴方自身をその中に見い出すのです。 貴方が「自分が持っていると信じている権威」を放棄したなら、貴方は安全を体験するでしょう。 それは無敵な体験、怖れが不可能な体験なのです。


だから我々は「自治的独立から、シンプルで防衛的でない親密さへの移行」について話しているのです。
恐れだけが体験されている場所から、愛が存在の中心であり周辺でもある場所への移行です。
それは貴方の「存在」であり、貴方の意識的体験であると共に父の意識的体験です。
何故なら、それら(貴方の意識体験と父の意識体験)が繋がる事を貴方が許したから。そしてそれらは分離不可能で、今まで一度も分離した事は無いから。

“Would You not go through fear to Love?”

[貴方は恐れから愛へ通り抜けたいと思いませんか?]


ここでの要点は、怖れを上手く操作しようとするのではなく、怖れを通り抜ける事です。
ヴェールを通り抜ける様に、怖れを通り抜け、光に到達するのです。
そしてこの体験を欲しているなら、貴方は怖れの体験を作っているものを放棄する必要があります。
独自に自分一人で何かに成って、何かをして、何かを達成しようと試みる事全てが、怖れの体験を作っているのです。

解りますか? 答えはとてもシンプルです。
しかし貴方は自分が慣れ親しんで来た事の正反対をしなければいけないのです。

“Would You not go through fear to Love?”
[貴方は恐れから愛へ通り抜けようとは思いませんか?]

(怖れの)外側に抜け出るのです。 そこでは貴方は怖れと格闘していないのです。
貴方は恐れと付き合わない事によって、その外側に出るのです。
貴方は父の愛(だけ)を父の目の中に見ようとし続ける事により、これをするのです。

“For such the journey seems to be.”
[(貴方の)旅はこの様に見えるでしょう。]

“Love calls, but hate would have You stay. Fear not the call of hate, and see no fantasies. See in the call of hate and in every fantasy that rises to delay You, but the call for help, which rises ceaselessly from You to Your Creator.”

[愛が(貴方に来る様に)呼びかけ、憎悪が貴方を押し留めようとします。 憎しみの呼びかけを怖れるのは止めなさい。 そして幻想/ファンタジーを見る事も止めなさい。 (貴方を遅らせようとしている)憎しみの呼びかけと全ての幻想の中に、「助けを求めている声」を聞きなさい。 それは絶え間なく貴方から貴方の創造者へと発せられています。]

どれだけ幼子が「むずがって」いても、彼/彼女も最終的には貴方の腕の中で貴方を再度認めて貴方に注意を払い出すでしょう。 そうして落ち着きを取り戻し、自分の安心を感じます。

助けを求める呼びかけ(怖れの声)は、幼子自身のムズガリから発生していたのです。
彼は助けが何処にあるか忘れてしまい、彼は(貴方から)眼を逸らして、独自に行動しようとしていたのです。 そうして自分自身で独自に自分の必要を満たそうと試みたのです。

“See in the call of hate” – see in the distress – “and in every fantasy that tries to delay You, but the call for help, which rises ceaselessly from You to Your Creator. Would He not answer You whose completion is His?”

[(貴方を遅らせようとしている)「憎しみの呼び掛け(ストレスの訴え)」と全ての幻想の中に、「助けを求めている声」を聞き取りなさい。それは絶え間なく貴方から貴方の創造者へと発せられています。 彼を完成させる貴方に、彼(創造者)が答えない訳があるでしょうか?]

彼(貴方の創造者)は無知ではないのです。 彼は貴方から注意を逸らしてはいません。 丁度、幼子を抱いている両親が子供から注意を外さない様に。

“He loves You wholly, without illusion.”
[彼は貴方を幻想無く完全に愛しています]

これはどういう意味でしょう。
貴方について考える事無く、貴方に関して良い事や悪い事(大きな事や小さな事)を考える事無く、彼は貴方を完全に愛しています。
彼(貴方の創造者)は貴方に対する思考は全く行っていません。
彼は(貴方との)体験だけに関わっているのです。
彼は「知っている事(Knowing)」に関わっているのです。 だから貴方が彼に気付いた瞬間、彼は貴方の為にそこに居ます。 そして貴方が(貴方と創造者の両方を完成させる)「知っている」体験を得られる様にします。

“He loves You wholly without illusion as You must Love. For Love is wholly without illusion, and therefore, wholly without fear.”

[彼は貴方を幻想無く完全に愛しています。 そして貴方もその様に愛するべきです。 何故なら、愛は全く幻想を含んでおらず、だから怖れも含んでいないのだから。]

貴方の気が散ってしまって(神から意識が逸れてしまって)、貴方が自分の思考を持ち始めたなら、そして貴方が自分の権威を尊び始めたなら、その結果として貴方は恐れを体験します。
貴方はこれに気付くべきです。

貴方はこれをクリアに認識して、「恐れを作っているもの」を放棄出来る様に成るべきです。
(自分に安全感をもたらす為に)コントロールしようという要求が起こっている所で、貴方は黙って、貴方の父の目を覗き込む必要があるのです。

貴方は自分の意識を黙らせる必要があります。
覚えておいて下さい。 貴方の注意/意識が神の宝なのです。 そして神の注意/意識が貴方の宝です。

“Whom God remembers must be Whole. And God has never forgotten what makes Him Whole. You, and every Part of Creation.”

[神が覚えている者は、完全に違いありません。 そして神は、何が彼(神自身)を完全にするか忘れた事はありません。 それは貴方とそして「創造の全ての部分」なのです。]


“In Your Completion lies the memory of His Wholeness, and His Gratitude to You for His Completion.”

[貴方の完成の中に、「彼の完全性の記憶」と「彼を完成させた貴方への感謝」が入っています。]

[貴方の完成の中に] これは、『親密さをもたらす「知っている」体験の中で』という意味です。
ここにおいて、全てが一つに戻ってきたのです。
ワンネス(一体性)という、全く分離しようのない(分離した事のない)全体性(がここにあるのです)。

“In His link with You lie both His inability to forget and Your ability to remember. In Him are joined Your willingness to Love, and all the Love of God Who forgot You not.”

[彼と貴方との繋がりの中に、「彼の忘れない能力」と「貴方の思い出す能力」があります。 彼の中で「貴方の愛する意欲」と「貴方を決して忘れていない神への愛」が繋がっています。]

「うん。 これは美しい言葉ですね。 とても美しい。 しかし私はリアルな問題を抱えているのです。 そしてこの様な親密さと云う様な概念に構っている暇はないのです。 私はアレコレを管理して、自分自身を護らなければならないのです!」
(と、貴方は今までこう言って来たのです。)
オーケー。 「荒涼とした幻想の世界」の中にそれを求めなさい。 そうし続ける事に貴方が草臥れてしまうまで。

{しかし、その様な事に飽きたなら}我々が話している事を思い出して、「荒涼とした幻想の世界」を手放し、親密さを尊重出来るように成りなさい。 それがくだらなく見えるのではなく、これが価値在るものだと解るように成りなさい。
そしてこのゴールに対して勤勉に働きかけられる様に成りなさい。
コントロールしようとする衝動がどれだけ強く起こっていても、思考して結論を出すことがどれだけ強く求められている様に見えても、そうしない様になりなさい。

貴方はそこに立って(あるいはそこに座って)、答えが聞えてくるまで「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ね続けられる様に成りなさい。 答えが得られるまで、これをし続けなさい。

父の愛が感じられる様に成るまで、父の愛に譲って、その中でリラックスしなさい。 何故なら、これをすれば貴方は父の愛が感じられるように成るのだから。 これ以外の可能性はありません。

“Your Father can no more forget the Truth in You” – although You have – “than You can fail to remember It.”

[貴方の父は、貴方の中の真理を忘れる事は出来ません。 貴方がそれを思い出せなくなる事が無いと同様に。]

貴方はそれを忘れてしまいましたが、貴方がそれを思い出せなく成る事はありません。

“The Holy Spirit is the bridge to Him.”
[精霊が、彼への架け橋です。]

これが貴方の渡る橋です。

「貴方の正しいマインドでしかない貴方」は、(貴方が耽溺している)「小さく分かれた貴方の自己感覚」がその境界線を手放して、それ(貴方の正しいマインド)を受け入れるよう待っています。 これ(貴方が自分の卑小な境界線を手放す事)が「貴方の中で神が思い出されるという事」です。

“The Holy Spirit is the bridge to Him made from Your willingness” to what – “to unite with Him.”

[精霊は、「彼と一つに成ろう」と云う貴方の意図で出来ている、彼への架け橋です。]

つまり、貴方の父(あるいは母)の腕の中でむずがる事無く、リラックスして、その抱擁の中に自分を譲ることです。

“The Holy Spirit is the bridge to Him made from Your willingness to unite with Him, and created by His Joy in Union with You. The journey that seemed to be endless is almost complete.”

[精霊は、「彼と一つに成ろう」と云う貴方の意図で出来ている、そして貴方と合一している彼の喜びで出来ている、彼への架け橋です。 果てしなく見えた旅は、殆ど終わりに来ています。]


これは、今の時点でこの旅が殆ど終っているという意味です。
ええ、我々はこの本を読み終えてはいません。
しかし、思考を通して「孤児(独立した存在)としての自分に固執しようとする」貴方の性癖が放棄出来れば、完成が起こるのです。 もちろん貴方は独立した存在などでは無いのだから。

“You have almost recognized it.” That “what is endless is very near.”

[貴方はこれを殆ど認識しています。][果てしない{果てしなく見えている}事が殆どその終わりに来ていると。]

“You have almost recognized it. Turn with Me firmly away from all illusions now. And let nothing stand in the way of Truth.”

[貴方はこれを殆ど認識しています。今私と共に、全ての幻想から確実に眼を逸らしなさい。 そして、なにものも真理の前に立ちはだからない様にしなさい。]

私と繋がりなさい。 あるいは貴方のガイドと繋がりなさい。 あるいは精霊と繋がりなさい。
そして今、私(あるいは彼等)と共に、全ての幻想からしっかりと顔をそむけなさい。
全ての思考から顔をそむけなさい。 貴方の中に「平和」を在らせなさい。

“And let nothing stand in the way of Truth.”

[そして、なにものも真理の前に立ちはだからない様にしなさい。]


(下記の文の)[我々]は、これは貴方と私、あるいは貴方と精霊、あるいは貴方と貴方のガイドの事を言っています。

“We will take the last foolish journey away from Truth together. And then together We go straight to God, in joyous answer to His call for His completion.”

[我々は、(真理から遠ざかる)馬鹿げた最後の旅を一緒にします。 そして我々は一緒に、神へと直接向かいます。 (彼の完成を求める)彼の声に喜び答えながら。 ]


[我々は、(真理から遠ざかる)馬鹿げた最後の旅を一緒にします。]とは、どういう意味でしょう?
現在貴方は幻想を体験しているので、そこから出る為に貴方は助けを必要としています。
だから貴方は私か精霊(か自分のガイド)に向き合うのです。
そして最終的に我々が出来る唯一の事は、貴方を幻想から(真理へ)振り向かせる事だけです。
しかし「リアリティ」の中では、幻想などというものは存在していないので、我々は貴方が最後の馬鹿げた/愚かな旅(幻想を手放す事)をする様に助けているのです。 この表現なら解るでしょうか? 

我々は「出来ないはずの事」をする様、貴方を助けています。 我々は貴方が(実際には)行わなかった事を、解除する様に貴方を助けているのです。{幻想をリアルにする事は出来ず、従って幻想に働きかける事も本当は出来ないのだけれど、貴方はそれをリアルだと思い込んでいるので、我々は「幻想を解除/削除する事が出来る」と貴方に示す必要があります。}
だから我々は幻想を取り消す事をしなければいけないのです。
だからここには[我々は、(真理から遠ざかる)馬鹿げた最後の旅を一緒にします。]と書かれているのです。

貴方と私が幻想を放棄しようと決めた度合いに応じて、我々はまだ真理から離れた旅をしているのです。
しかし、「どの様にすれば貴方がこの最後の馬鹿げた旅を長引かせないように出来るか」私は知っています。だから我々が一緒に働けば、この旅(の長引き)は解除されるのです。

これが、貴方が自分の自己主張を放棄して助けに譲っている、私が貴方に拡張している(差し伸べている)愛に貴方が譲っている、精霊が貴方に拡張している愛に貴方が譲っている、共有された親密さの体験なのです。
幻想の解除とは、「存在」の親密さが再確立される事です。

このセクションにはもう一つ文章があります。 しかし今日、我々はここで終わりにしましょう。
貴方には今ここで言われた事と共に居て欲しいのです。
これらの言葉(気付き)を貴方と共に居させてください。 そしてこれらと一緒に居られる様に成ってください。

しかし、今週も貴方は自己主張をする事でしょう、自己防御をしてそれが正しいと感じる事でしょう。
しかし、貴方がそれらの事をしている時、それに気付いている事は可能です。
その時貴方は、「永遠の中に確立されている」「神と神の子の完成」を「荒涼とした幻想の世界の中」に求めているのです。
貴方は今これに気づいているので、この様な行動を止めるよう自分に言い聞かせる事が出来ます。
これが貴方を正しい方向へ向けます。 これが健康です。 これが癒しです。

I Love You.

次にお会いする機会(例えば、今週中にお会いする機会を)を楽しみにしています。 



「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 


A Course in Miracles Study Group with Raj, May 15th 2010
Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org


テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

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